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カテゴリー「宮田教授@日本宗教学会」の記事一覧

【20150925】日本宗教学会の宮田教授の発言について⑧

こんにちは(´・ω・`)

今日の関東地方は日差しが暑かったですね。おかげで夕方には小雨がふったところもあるようです。
さて創価大学の宮田教授の発言についてですが、ご本人から言い訳含めての公式見解がHPに出ていましたね。

http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/shukyogakkai.html
(学問的研究と教団の教義 創価学会の場合 日本宗教学会発表(2015.9.27up)new!)




ここで宮田教授は以下の言い訳をしています。

「この論文は2015年9月5日に創価大学で開催された日本宗教学会第74回学術大会で口頭発表された原稿に加筆訂正したものである。口頭発表では発表時間の制約もあり、表現を簡約にしすぎて、私の個人的見解が、創価学会の見解であると誤解されかねない表現が散見された。学術大会における発表であるから、私の個人的な研究発表であるという前提で書かれているが、教団の見解についても、教団の公式発表以上に私が推測している部分があり、誤解を招いたとしたら、不徳のいたすところである。そのような誤解を招かないように今回ある程度修正したつもりであるが、なお誤解を招く表現が残っていれば、それは全て私の責任である。」

つまりあくまで個人的な学術的な見解を述べたという事であり、創価学会の公式見解ではないという事なのでしょう。
でも一言言わせてもらいますが、仮にも創価学会の関係で禄を食み、しかもそれなりに立場のある人間なのだから、軽はずみな発言だったと言い訳する事で、簡単に前言撤回できるものとは考えてもらいたく無いものです。

日蓮は自著の中でこう述べています。
「孔子は九思一言周公旦は沐には三にぎり食には三はかれけり外書のはかなき世間の浅き事を習う人すら智人はかう候ぞかし、いかにかかるあさましき事はありけるやらん」(撰時抄)

軽はずみな発言で周囲にどの様な影響が起きるのか、そういった思惟をできない人間であれば、本来ならば即刻その立場を去るべきだと考えもしますが、その一方で、実は前回の口頭発表の中身と今回のHPでの再度の中身を吟味する事で、別のものが見えてくる事もあると思います。

そういう事で宮田発言については、引き続き観ていきたいと思います。

えー、西山茂先生が、ですね、内省型教団関係の典型的な事例としてた理由もここにあります。えーしかしながら創価学会は、日蓮仏法に関する教義解釈と宗教的儀礼に関した日蓮正宗を継承してきた。まあそういう意味での内省型教団の限界、ていうものがある。えー、それで、えー、そん次はですね、梅原猛の批判。ですね、資料6.ですね、えー、まあこれは思想の科学、1964年、かなり古いやつですけれどね、まあ私も学生時代に読みましてですね、やーこういう事言われちゃったどうしようか、と思っていた訳ですけれどもね、まあそこでですね、まあ大事な論点だかあ、あります、ね、明治以降の いま(?) の原点批判に優れた業績のあげた仏教学の成果を持つ、現代でいう時代の宗教である創価学会が五時八教を採用 して引用によるはどうしたわけであろう。  えー、ていうように、まー、五時八教という、大聖人自身のですね、まあ教義が、まー、もうだめでしょう。て、こういう感じですね。えー、それからですね、折伏教典では、まあ仏滅、釈尊が亡くなったのは、今から約三千年前、ところが東京大学仏教研究会兼日蓮正宗創価学会では、釈迦の入滅の事実に関して、日蓮説と新しい仏教学の説、まあ大体紀元前、ねえ、まあ、四百年位、前後、というねえ、そういう様な説の 両方をあげる。どちらが良いとも断定していない。ねえ。

前回までの発言の中で、創価学会が日蓮正宗の教義をどの様に教義解釈をしながら進めてきたかという事について、とくとくと述べ、そのことについては「内省型教団関係の典型的な事例」とされた事を紹介し、創価学会の教勢拡大に伴い、その日蓮正宗の教義解釈の限界になってきた事を述べ、その一つとして、ここで宮田教授は梅原猛氏が創価学会に対して言った「五時八教」に関する批判を「もうだめでしょう」という言葉で紹介しています。

この宗教学会での発表の後、質疑応答でも参加者から指摘されていた事ですが、日蓮正宗の教義解釈というのは「中古天台」の流れを受けているという事もあります。

日蓮仏法の根底としてあるのは実は「天台教学」という色合いがとても強いのです。

この中古天台の思想とは何か。
これについては今、僕自身が他の書籍を読み込みながら思索をしているのですが、まあ大きくざっくりというならば、やはり今の日本の国内にある各仏教宗派の根底には「日本の天台宗」が大きく根を下ろしており、例えば念仏宗の始祖の法然や親鸞、禅宗の道元もしかりで多くの鎌倉時代の仏教祖たちは比叡山留学で仏法を修学していました。

これは日蓮とて例外ではなく、日蓮の場合には清澄寺で修学していたのが天台密教の部類でもあり、その後、比叡山で修学した後に「南無妙法蓮華経」というお題目を中心に広めていきました。しかしこの「南無妙法蓮華経」というお題目自体、実は天台宗の修行の中で読み上げるものであったという事を、創価学会の活動家の多くは知る由もありません。

しかしその日蓮は弟子の四条金吾にあてた手紙(御書)では以下の様に述べられています。

「今日蓮が弘通する法門はせばきやうなれどもはなはだふかし、其の故は彼の天台伝教等の所弘の法よりは一重立入りたる故なり」(四条金吾殿御返事)

また日蓮正宗も属する興門派の始祖ともいえる日興師は自著の中で以下の様に述べています。

「一、当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事。」(日興遺誡置文)

こう考えてみると、日蓮の教えの開始点は確かに天台宗なのでしょうが、その解釈については天台宗より一重深い視点に立っているという事があるのでしょう。

ではどこが一重深い法門なのか、おそらく創価学会の活動家にしても宗門の活動家にしても、その根底にあるのは「末法御本仏・日蓮大聖人」という立場で語られた法理であり、それを近年でより具体的に説き示したのは日寛師だという立場を取っているはずです。

しかし創価学会に至っては、この日寛教学についても「見直し」という言葉の下で、ある意味でいえば否定をしてきた訳ですから、本来であれば天台宗の解釈より日蓮が「一重立ち入りたる」という事について、もう少し具体的に、現代においてはどの様な解釈をするべきなのか。
そういう事をもっと論点に据えてから教義改正に進むべきところ、そこを大きく割愛して、宮田教授の「教義改正のロジック~♪」という、まさにドラえもんばりのお気軽さで論じているところに、大きな問題があると感じる次第です。

そういった思索の先に、ハワイレポートに基づいてこのように教義解釈をするというのであれば、まだ教学的にも新たな展開をする教団としての位置づけで存在意義も出てくるのでしょうか、いまいまの状況では「教義抜きの選挙信仰集団」に拍車化をかける以外の何物でもありませんよ。

皆さんはどの様に考えますでしょうか?

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【20150925】日本宗教学会の宮田教授の発言について⑦

こんにちは(´・ω・`)

今日はシトシトと雨が降っている一日です。
このシルバーウィークですが、僕はほぼ家族と共に過ごしていまして、ネットもしばし休憩としていました。
まあ、ネット動画で昔の映画なんかは見ていましたが、ツィッターなどは暫時休憩状態。

でもまあ今日あたりから、ちょくちょくと再起動を始めていこうと思っています。
さて今回も宮田教授の発言内容から、引き続き考えてみたいと思います。



◆戸田会長の生命論的解釈と国立戒壇論による政治宗教運動
さて、僕は創価学会の創始者という事では、やはり戸田会長が創始者だと考えています。
創価学会では初代会長を牧口常三郎としていますが、彼の会長が創設したのは「創価教育学会」であり、主体としては教育者の集いという事でした。その経緯の中で、このブログでは幾度か取り上げましたが「長野赤化教員のオルグ」を行い、また宗門古来の教学展開から距離をおくために牧口会長自身は宗門から一定の距離を置いていた事について、前回の記事で書かせてもらいました。

ただ戦時中の思想統制の際、軍部政府は国家神道を精神的な支柱に置くことにしたのに対し、牧口会長は日蓮の立正安国論の思想とは異なる事と反発し、それまで共に活動をした事がある内務省や警察庁から睨まれる事となり、結果として投獄され、そればかりか幹部二十一名が逮捕投獄、創価教育学会は壊滅する事となったのです。

この治安維持法の「不敬罪」の投獄で牧口会長は獄死、転向せずに出獄したのは戸田会長と理事であった矢島周平氏の二名、その他の幹部は既に転向していて創価教育学会から離脱をしていました。

この状況の中で戸田(当時理事長)は創価学会の再建へと着手し始めました。
その際に戸田会長の取ったスタンスは、宗門との「僧俗和合」というスタンスであり、創価学会と名称を変え、学会は宗門の外護団体という位置づけで再生を図ったのです。

その再建の際、戸田会長がとった思想的な背景は「日蓮仏法の生命論的解釈」というものでした。それは「戸田会長の獄中の悟達」として小説・人間革命にも紹介された以下の内容です。

 1)仏とは生命である
戸田会長は白文の法華経を獄中で熟読・思索し、その結果、法華経の開経である「無量義経」の仏を讃嘆する34の「非ず」から、「仏=生命」という結論を導き出した。

 2)虚空会の参加、地涌菩薩の自覚
獄中で唱題を重ねる中で不可思議な体験をし、それは虚空会に戸田会長も参加をしていたという事であり、そこから自分自身が末法出現の地涌菩薩の一人であったと深く自覚した。

つまるところ、この獄中の悟達の結果として、戸田会長が行ったのは日蓮正宗を外護し、その日蓮正宗の教えを世界ひ広める事を自身の使命と自覚し、宗門と共に日寛師の述べた「化義の広宣流布」を行う団体として創価学会を再建したと言えます。

当時の宗門では「国立戒壇」という考え方がありました。

これは日本国民の大多数が日蓮正宗に入信し、その時には弘安二年大本尊を安置する寺(大石寺)は「本門寺」と改称され、そこは国立戒壇となり、天皇や日本の総理大臣なども参詣する場所になるという思想であり、戸田会長の求めた広宣流布の実現した姿も、その内容でした。
この背景には「三大秘法抄」という日蓮の御書と、日寛師の教学がありますが、当時の創価学会はその中にある広宣流布を求め、大折伏戦を展開し、その布石の為に参議院選挙にも着手、これが「国立戒壇による政治宗教運動」となっていったのです。

この国立戒壇論については、牧口会長は「特高調書」の中で述べています。

「宗門では富士山麓の大石寺に戒壇堂を建て、一大仏教都を建設しようと言ふのが宗祖の願望であり、又私たちの願望でもあるのであります。
其地割等は公にしてありませんが、開祖日興上人より代々の法主へ口伝せられて其伝統は法主の腹中に存する事と思ひますが、其戒壇の建立される場所は「天母原」と後世に言って居ります。
但し戒壇堂に安置すべき御本尊は弘安二年から五年の間に於て和泉公日法と言ふ人が楠の六尺、四尺の大きな板に彫刻して大石寺の寺宝として蔵してあります。
此の戒壇に就て、事相に顕はるる戒壇堂と、義理の上で戒壇と思へるものとの二つがあります。事相の堂は将来広宣流布の時即ち一天四海皆帰命法の社会が実現した時に勅令で富士山下に建ち、上は皇帝より下万民に至る迄授戒すべき処でありますが、先ず夫れ迄は本山の戒壇本尊安置の宝蔵が其の義に当るのであります。」(特高調書抜粋)

この「国立戒壇」について、戸田会長は牧口会長の遺志を受け継いだと言えますが、ある面で、牧口会長が距離を置いた宗門に対して協調路線を取った事は、戸田会長の独自の判断であったと思えます。

戸田会長はこの国立戒壇について、以下の言葉を述べています。

「我等が政治に関心を持つ所以は、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである」(大白蓮華31年8月号)

この創価学会はこの戸田城聖の深い使命感と熱意の下、彼の人が亡くなるまでに願業である七十五万世帯を超え、第三代会長の時代には八百万世帯という規模まで急速に拡大したと言えるでしょう。


【20150919】日本宗教学会の宮田教授の発言について⑥

こんにちは(´・ω・`)

さて今日は連続投稿になってしまいますね。
でも書ける時には書いておかないと、なかなか思考というのは進まないものでして、まあお時間のある時に読んで頂ければ幸いかと。



前の記事で紹介しましたが、宮田教授は歴代三代の活動を要約して述べていました。
つまり創価学会というのは、きっかけは日蓮仏法ではあったのですが、それを入口として新たな思想展開を常に図ってきたという事なのでしょう。

◆牧口会長の価値論に依存する「実験証明座談会運動」

以外な事ですが、創価学会では牧口・戸田・池田という三代会長を「永遠の指導者」と規定している割に、それぞれ初代、二代会長の思想遍歴については活動家幹部であるほど無頓着です。

さて、これは「想学談林」という拙ホームページにはアップしていませんが、牧口会長について僕なりに様々な文献を頼りに調べてみました。
牧口会長はもともと教育学者であり、「人生地理学」という著書により、一躍教育界のひのき舞台に姿を現したのですが、もともとが郷土とそこに住む人間性という事を研究していた様です。
その牧口が晩年になり、日蓮の「立正安国論」に感銘を受け、日蓮に傾倒していきました。それは日蓮の「国家」とそこに住む人々という思想に自分と共通なものを感じたからだという説もあります。

だから牧口会長は、当初「国柱会」にも顔と出し、重須北山本門寺からは拒絶されるなどをしながら独自の道を考えてた様です。

これは特高月報にある以下の牧口の言葉からも読み取る事が出来ます。

「以上申上げた方法で獲得した会員は日蓮正宗系の寺院である。杉並区和田本町九八〇 歓喜寮(昭和七年頃から)、城東区砂町教会(昭和十二年頃から)、向島言問橋 本行寺(昭和十五年頃より)、豊島区池袋三ノ七三〇 常在寺(昭和四年頃から)の四ケ所に於て授戒し、御本尊を授けて居ります。
斯様な方法をなぜ私が採ったかと申しますと私は正式の僧籍を持つ事は嫌ひであります。僧籍を得て寺を所有する事になれば、従って日蓮正宗の純教義的な形に嵌った行動しか出来ません。私の価値論をお寺に於て宣伝説教するわけには参りませんませんので私は矢張り在家の形で日蓮正宗の信仰理念に価値論を採り入れた処に私の価値論がある訳で、此処に創価教育学会の特異性があるのであります。」
ここで牧口会長は「日蓮正宗の純教義的な形」という事を避けていた事を語っています。
牧口会長は自身の思想、これは当時の「価値論」に書かれている内容とでも言いますか、それを日蓮仏法の上で解釈し、あらたな教義と宗教運動を模索していたと受け取れます。

その事を宮田教授は「価値論に依存する実験証明座談会運動」と言ったのかと思うのです。

牧口会長が設立したのは「創価教育学会」であり、「創価学会」ではありません。
いまの創価学会では、この牧口会長の「創価教育学会」を創価学会の淵源だと述べていますが、歴史を調べていくと、その違いというのが浮き彫りになってきます。

しかし「淵源」である牧口会長自身、実は「大石寺の純教義的な形」という事に限界を感じていた事は、この特高月報の尋問調書の内容からも解ります。
そう考えていくと、今回、宮田教授の言う「教義解釈の一大転換」という事も、創価学会としては故あるかなとも思えてきます。

この事をもう少し具体的に書くならば、ブログという形式では難しいので、おいおい「想学談林」の本サイトにアップするとして、まずは今回の記事としてはここまでにしておきます。

【20150919】日本宗教学会の宮田教授の発言について⑤

こんにちは( *・ω・)ノ

いよいよ今日からシルバーウィーク、連休の方も多いでしょう。かくいう僕も連休となりますが、予定はなーんにも決まってません。

台風が掠めるので海はうねりが出るというし、この台風で天気予報も微妙ですからね。

そんな連休の初日ですが、宮田教授の発表内容について振り返りを続けます。
さて、宮田教授の発表では日寛師の教学を否定することを述べてました。



「えーついでにですね、えーまあ、こう一大秘法や六大秘法、ていうね、こういう、まあ一大秘法ていうのは要学言いますけどですね、一大秘法が本門の本尊である。ていう日寛上人の解釈、は御書にはない、ね、えー、御書に一大秘法と表記されているのは、曾谷入道殿、もそうなんでしょうか、大なんでしょうか、私は良く解りませんけども、そういう御書のみであると。そこでは妙法蓮華経の五字、を一大秘法として明かされている。まあ創価学会としては妙法蓮華経という五字をーですね、えー、まあ・・まあいいや。えー、ま、えー、根本の法。という風に、まー解釈している訳ですね。」

六大秘法という解釈は、日寛師の教学からきていますが、ここで宮田教授は「御書にはない」とバッサリやったわけです。

考えてみれば、創価学会の教学とは基本、大石寺教学で出来ています。

日蓮本仏論、戒壇論、その他でいえば化義の広宣流布という言葉なんかも日寛師の構築した教学です。今回の宮田教授の発言では、この日寛師の教学についても「御書にはない」とバッサリとやっていますが、何故この様な事をするのか。

それはそもそも日寛師の教学を認めると、それは即ち弘安二年戒壇本尊を認める教学となってしまい、それはそれで創価学会としては都合が悪いという事が根底にあるのでしょう。ではこの戒壇の本尊を何故ここまでバッサリとやるのか、それは宮田教授の発表中盤に出てくる「ハワイ・レポート」の内容という事もあるのかもしれませんが、一番の根底には「大石寺からの完全なる脱却」という目的なのかと思います。まあこの事はおいおい書いていきたいと思いますが、そういう事ではないでしょうか。

宮田教授の発表を続けます。

「えー、それでですね、えー、うん、えー、以上の様な創価学会の今回の教義改正ていうのは、まあ、単に日本の内省型の新宗教教団の、母教団からの自立、というまあプライベートな意味しか持たないようにみえます。しかし、その教義改正のロジック、という観点からみると、まあ別の意味が見えてきます。えー、そのロジックの話をする前にですね、なーんでこんな教義改正をしなくちゃあならなかったのか、というですね、そういう事についての、まあ、教義改正への歴史的背景、ていう・・・えーっと、ね、まあ最初は、ね、創価学会は牧口常三郎の価値論に依存で思想を送る「実験証明座談会運動」、あるいは戸田城聖の生命論的解釈と、国立戒壇論による政治的宗教運動の開始、ね、えー、池田大作による公明党の結成による政治的宗教運動の大規模な展開、並びに人間主義的な教義解釈による世界各国への教拡の展開、というように、まあ 伝統的な日蓮正宗の教義や運動では考えられなかった教義解釈と運動展開をしてきたと。  」

さてここで宮田教授は「教義改正のロジック」という言葉を出してきました。そしてその歴史的背景という事を述べています。

 1)牧口会長の価値論に依存する「実験証明座談会運動」
 2)戸田会長の生命論的解釈と国立戒壇論による政治宗教運動
 3)池田会長の公明党結成易による政治宗教運動の大規模な展開と
  人間主義的教義解釈による世界各国の教勢展開

この動きについて、少し僕なりの振り返りを次回以降の記事で書いてみたいと思います。



【20150914】日本宗教学会の宮田教授の発言について④

こんにちは( *・ω・)ノ

いやー想定通りですが、安保法制は大揺れですね。まあこれだけ大騒ぎになったのは六十年日米安保以来ではないでしょうか?
まあその時代、僕も生まれて無かったのてよくは解りませんが、それだけ日本という国は現在岐路に立っているという事だと思います。

安部総理の胸の中では祖父の岸信介氏の姿があるのではありませんか?
まあ岸信介氏の場合、東西冷戦という時代を武装してない日本が生き残るためという事があったのかもしれませんが、現代は当時と事なり世界情勢も混乱期に入ってます。

アメリカ一国を同盟の中心として動くのは果してどうなのか。まあまだまだ日本の混乱期は始まったばかりです。

さて宮田教授の発言をトレースします。今回紹介する箇所は、弘安二年大本尊の事から、日蓮の出世の本懐に関する解釈変更の箇所です。



「ただし、拝んでそれは功徳がないよ、ね、罰があたるよ、という事をもう言ったりはもう出来ない。という事ですね。えー、それでぇですね、ついでにですね、その弘安二年の御本尊について、まあ、教学部の解説。ね、えー、資料の5にあります。ね。えーそれで本門の本尊としては弘安二年の御本尊も含まれる。まあ、それのみのが本門の本尊だとするものではない。えーましてやですね、弘安二年の御本尊につながらなければ、ね、ほかの本尊だめよ、ていうようなモノではなく。えー、それでぇ、まあ、そのーねぇ、弘安二年の御本尊があね、重視されていた理由として出世の本懐。である。というのはまあ日蓮正宗の教義だったわけです。ね。」

ここで宮田教授は弘安二年大本尊は「根源」でもなければ、実は日蓮出世の本懐であるということについても否定を始めます。

まあーね、大本尊は根源でもなく、単なる本門本尊として他の日蓮筆の本尊と同等、そしてその大本尊は日蓮が生まれでた目的でもなかったという事ですが、これってそもそも富士裾の山奥寺であった大石寺が、日蓮門下の寺院の中で「俺たちゃマジ日蓮の正統教団だぜ!」と言い切るための根拠だったものを否定する訳です。

以前に美濃周人氏も自著の中で述べてましたが、仏法者であり、リーダーでもあった日蓮が、弟子が惨殺され、その事を期に「私の教えが世の中に根付いた」という事を確信し、本懐である御本尊を現したという事を、まともな感性を持つ人が信じれますかという事です。

今流に言えば池田会長を信じた会員が警察官にしょっぴかれ、そこで死んでしまったという事でしょ?すると池田会長は「私の教えが人々の間に根付いた」なんて理解したら、こりゃもうカルト教団思考の何者でもありゃしません。
(まあ近い感じも否めませんけどね)

この日蓮正宗の解釈を、創価学会として数十年間も信じてきたんですから、これもまたおかしい話であり、今回はその解釈を変えますよという事ですね。

宮田教授の話を続けます。

「えー、それで今回はですね、まー、ね、聖人御難事、出世の本懐と書いてありますけれど。そこを、どー読んでもね、どこにもですね、んな戒壇の本尊とは何にも書いていない。ですね。えーまた、ね、聖人御難事が書いた時にはまだ、戒壇の本尊書かれてないんですよね。えー、そういう意味ではですね、んー、えー、まー、ねえ、その戒壇の本尊、大聖人が書いたのか、かかんー、書かないとかね。そら私には解りません。
ね。えーまあそら学問的に、ですね。えー、実物調査すればですね、それなりの事、解ると思うんですけど、なかなかそういう事はー、やらないんでですね、あくまでも戒壇の本尊の真偽問題は、まあ学問的にはペンディングになるしかないんだろうと思ってますけれどもね。
えー、まあ、ね。えー、一応、創価学会の立場としては、ねえ、その戒壇の本尊についてもですね、えーまあ出世の本懐に含まれるてのも、より重要な事はですね、民衆仏法の確立。ね、えー熱原の農民がですね、えーまあ不借身命で、のー、立ち上がる。それによって大聖人自身がですね、えーまあ自分が亡くなった後の、ですね、えーまー、広宣流布の姿、ていうものをですね、確信した、て事が大事なんですよ、って事ですね。えーこういう話です。」

ここで宮田教授は、この日蓮出世の本懐という根拠で挙げられている「聖人御難事」の以下の分について論究しています。

「此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年[太歳己卯]なり、仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり。」

ここで天台・伝教・釈迦の出世の本懐を遂げた年数を上げながら「私は二十七年」と言い、この聖人御難事の時が、熱原法難である事、また弘安二年大本尊もこの時期であった事から、宗門側では戒壇大本尊御図顕を「出世の本懐」と解釈をしていた訳です。

しかし宮田教授の言われている様に、この聖人御難事の時期はいまだ御本尊は図顕されていなかったようです。でも宗門側から言えば、「ここでは意志を発表された」という事なので、それもありとは思いますが、この大石寺教学の論拠はもの凄い脆弱なものとなります。
だって、そもそも戒壇大本尊は偽作説というのが過去から言われていますからね。

では宮田教授は何を出世の本懐と言っているのか、それは熱原信徒の不借身命の姿に表れる「民衆仏法の確立」だというのです。
でもですね、、、うーーん。この論法はかなり無理があるのではありませんか?

日蓮門下の信徒が弾圧を受ける。
これは熱原法難が初めてでは無く、日蓮が龍ノ口の法難から佐渡流罪にかけての時期でも、多くの信徒が処を追われ、迫害され、中には殺害された人までいるのは、御書の随所に紹介されているではありませんか。
それでは熱原法難以前に、信徒が殺害された事というのは「民衆仏法の確立」というように、日蓮は見れなかったという事なのでしょうか?

この宮田教授の説明するのは無理がある論法だと、僕は思います。

それよりもこの日蓮出世の本懐について、別の議論もあります。
釈迦の出世の本懐は「法華経」ですね。
天台大師の出世の本懐は「摩訶止観」です。
伝教大師の出世の本懐は「大乗戒壇建立」ですが、これの許可が出る日に先立つ七日前に伝教大師は亡くなっていますので、実はその大乗戒壇建立のための「山家学生式」が出世の本懐であるという視点もあります。

日蓮は「三国四師」として、釈迦・天台・伝教・日蓮との系譜を語りますが、その三師のすべてを教義的な確立について「出世の本懐」と述べているのに、自分自身の本懐が「板曼荼羅」という「モノ」となっているのか、ここに大きな違和感を覚えます。

ここで言われているのは、弘安二年に日蓮が現した「三世諸仏総勘文教相廃立」こそが出世の本懐だったのではないかという事です。

これについては、まだ議論されつくしていませんので、何とも言えませんが、まあ可能性がないとは言えません。
でも宮田教授の言う「民衆仏法の確立」という事よりは、すくなくとも論理性があるとおもいますが、どうでしょうね。

とまあ、宮田教授の「戒壇大本尊」は「本門の本尊」でこそあれ、根源ではなく、御本尊にしても日蓮筆の本尊や、それを書写した本尊はすべて等しく「本門の本尊」という説は、十分納得できるものですが、出世の本懐については頂けないものだと思いました。

それよりなにより、こういった議論を聞いた時、果たして創価学会の活動家幹部がそれを受け入れる事が出来るのか。

そこが今後の注視のポイントですね。

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