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カテゴリー「宮田教授@日本宗教学会」の記事一覧

【20150914】日本宗教学会の宮田教授の発言について③

こんにちは(´・ω・`)
さて、宮田教授の発言について三回目となります。
前回の記事では、弘安二年戒壇大本尊に対する観点について、原田会長と宮田教授の発言には微妙な差があり、結果としてそこから見えるのは、創価学会の教学に対する姿勢の混乱でした。



過去、創価学会では身延の店先で販売している御本尊について、御本尊には「魔」が入っているので、その御本尊を受持しても罰はあれども功徳は無いというスタンスを取っていました。これは大石寺教学を根本に置いた解釈であり、この感覚は未だ創価学会の末端組織では生きています。

しかし宮田教授の発表はぶっ飛んでいました。

「えーまあそういう事でですね、えー本門の本尊については等しく、えーただしですね、えーまあ、今まで言っていた一閻浮提総与の本尊についてはですね、まあ他の教団になりましたんでですね、拝みにいくって訳にはいきませんからね。そりゃ拝みませんよって言う事で受持の対象とはしない。ま、それからついでにじゃあ他の日蓮宗各派の寺院にある、大聖人の曼荼羅を拝みに行くかというと、それもまあ歴史的な経緯がありますから、そう簡単にじゃあ拝みにいって良いですよ、ていうふうには、まあ、なかなかならないだろうと思います。ですね。」

つまり身延や他の日蓮宗にある日蓮の曼荼羅、これは直筆や書写も含むのでしょうか、それは過去の経緯があるから「拝みに行っても良いよとはならない」という話になっています。
つまりそこの本尊に「魔」が入っているとか「悪鬼入其身」という教義的な解釈で拝まないという事ではなく、あくまで歴史的な背景、また他の教団になったから拝みにいかないという事だそうです。
過去、創価学会第二代会長の戸田城聖は言いました。

「「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、佛立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている」」(『大白蓮華』昭和34年7月号9頁・戸田城聖)

また原田会長は先の会則改正でこう述べました。

「大謗法の地にある弘安二年の御本尊は受持の対象とは致しません。」

戸田会長は「法主猊下の御本尊以外は偽物」と言い、原田会長は「大謗法の地にある本尊は受持しない」と述べていますが、宮田教授は「歴史的背景があるから、他の日蓮宗の保存は拝みにいけない」と言っています。

こう並べてみると、この御本尊に対する過去の創価学会が持ち得ていた強固性というものが、特に近年になって崩れてきた事が如実に読み取る事が出来るのです。
さてここで思うのですが、この宮田教授の発言は、今の末端組織に受け入れられる事が出来るのでしょうか?

考えてみれば創価学会として第二次宗門問題以降、日寛師の御本尊授与を行うまでそれなりに猶予期間を設けてきました。そこには会員の動揺を極力抑えておきたいという組織の思惑があったと思います。またその間で教学の根幹に宗門の中興の祖である日寛師の教学を置き、その日寛師の御本尊を創価学会が紙幅で授与する下地も作ってきました。

「今の宗門は日顕宗であり、本来の日蓮正宗は我々なのだ」

こういった思考の下で日寛師の御本尊を授与し、会内にある日顕師の本尊、また日達師の本尊までもわざわざお取替えを進めてきたはずです。また猶予期間でそれなりに慣熟期間もあった事から、この御本尊授与という事について、寺院から引きはがし創価学会が独自に授与するという事も、比較的スムーズに進める事が出来たのではないでしょうか?

しかし今回の戒壇の大本尊という立ち位置を否定し、その根拠となる日寛師の教学も、こうあっさりと否定してしまった場合、果たして末端組織の会員の動揺は出ないのかと、外野にいる僕自身も気になる処です。

創価学会として、この先の思惑もあり、ここにきて急展開ともいうべき教義改正を行ったのでしょう。
ただ感じる事は、末端組織の活動家たちは、この教義改正に対してあまりに関心が低すぎるという現実もあります。

それを思うならば、僕の感じている杞憂も問題とはならないのかもしれませんが、もしそうであれば、それはそれで大きな問題を孕んでいる事にもなります。

それは「宗教団体」とは言っても、実際に会員活動家たちの中には、その背骨、または土台ともなる教義に対する関心が極めて低下しているという事です。この事は宗教団体として衰退が始まった兆候であり、こうなるとどの様な事が発生するのか。

過去の歴史を省みると、衰退した教団では出家者が勝手に教義を作り、信徒をより利用し搾取する事が始まります。そして信徒は飼いならされた家畜さながら、その出家者たちが作り出したドグマに振り回され、信仰で本来大事な事である「魂の自由」を奪われる事態が発生します。
現に今の創価学会ではその傾向が強まってきている状況ではないでしょうか?

過日、公明党本部に地方壮年部が署名を持ってきた時の対応。それはまさに「魂の自由」を奪う姿勢を創価学会が公明党という政治部門を介して見せた姿です。

この宮田教授の発言、またそれに関する創価学会の動きから、僕はそのようなものを見て取りました。

ある筋からの話ですが、安保法制で学会本部に連絡を取ると「それなら辞めてもらって結構です」と応対されたというではありませんか。過去、池田会長が元顧問弁護士の山崎正友氏に対して「お前はやめろ」とは言わなかった。池田先生は会員に出ていけとは言っていない。むしろ山崎が清浄無垢が創価学会の組織から、自ら出ていったのだと、中央の幹部は誇らしく指導をしていました。
しかし現在では、組織の意に沿わない会員は辞めてもらっても構わない。こういう姿勢に変化している模様です。

僕は今回の安保法制のドタバタで、一人でも多くの会員が、この現実に目を向けてほしいと念願せざるを得ない気持ちでいっぱいです。
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【20150914】日本宗教学会の宮田教授の発言について②

こんにちは( *・ω・)ノ

いやー、涼しくなりましたね。
台風というのは秋を連れてくると昔から言われてましたが、本当に秋を連れてきましたね。ただし甚大な被害も同時に持ってきましたが。

これは少し内向きな話ですが、日蓮の教えでは法華経が繁盛するように為れば、世は儀農の世となって、雨は土塊を砕かずとありましたが、昨今の日本の状況は全く逆行してますね。
「是れ何なる禍に依り是れ何なる誤りに由るや。」(立正安国論冒頭部)
創価学会は大発展している。まるでプロパガンダの様に聖教新聞は書いていますが、心ある人なら、少しは考えるところなのではありませんか?

さて本題です。
先の宮田教授の発表ですが、体裁的には学会発表となっていますが、かの人は「本部教学室アドバイザー」という肩書きをお持ちだと聞いていますので、この内容は今後の創価学会教学の方向性について、重要な示唆を含んだものと考えています。

発表の冒頭で宮田氏は改めて「一閻浮提総与大本尊」の事について言及しています。まあ先日の会則改正に伴う内容の復習のようなモノでしょう。



「えー本門の本尊についてはね、まあ、資料4の方に書いてありますけれども、ね。えー、日蓮大聖人ご自身が御図顕された十界の文字曼荼羅とそれを書写した本尊は、ね、すべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現したものであり、等しく本門の本尊であります。という風になってます。」

これは発表内容の抜粋ですが、つまり今までは戒壇大本尊が「根源」であり、例えば会館や自宅の御本尊は、「義理の本尊」とたて分けしていたモノを、日蓮の書写曼陀羅、またそれを書き写した本尊はすべて等しく「本門の本尊」と再定義し、根源と義理という本尊のたて分けは無くしたという事ですね。

ただこの改正の裏には、解る人にはわかると思いますが、日寛教学の否定という事があります。
先の戒壇大本尊を「根源」とする考え方は、日寛師の文底秘沈抄に書かれている内容ですが、今回の会則改正ではこの考え方は否定したことになるのです。

日寛師の教学を否定し、しかして日寛師の御本尊を授与する。
これは筋道としてオカシクないですか?

まあ日寛師とて日蓮本尊を書写したのですから、この御本尊授与という事について、創価学会として教学的な齟齬はありませんが、以前に日顕師の本尊を組織だってお取替えした事がありますよね?
その時の理由は「日顕は天魔だから」という事であり、今回の理論で言えば、日寛師にしても教学的には間違った事を述べているという事なのですから、極端な話、お取替えをすべきではないかとも考えたりします。

まあ今回の本題はそこではありませんので、話を進めます。
宮田教授は続けて以下の様に発表しています。

「えー今まではですね、まーねえ、例えば、ね、いろんな、まあ日蓮宗各派の寺院にある、ですね、大聖人が書かれた、まあ、えー、まあ曼荼羅本尊、ですね、あれは全部功徳無いのよ、と話してました。えー、今回はですね、等しく、本門の本尊である。という事も認めました。ね、えーこれはどういう事かというと、まあー、ねえ。大聖人が書かれた、ねえ、本門の本尊だから、それに、まあ題目あげれば、それなりの功徳は、みんなあるでしょう。という、こういう立場です、ね。」

この箇所ですが、昨年に行われた原田会長の指導とは少しニュアンスが異なっています。
原田会長は以下の様に述べていました。

「『魂の独立以来、学会員は皆、大石寺に登山することもなく、弘安二年の御本尊を拝することもなかったわけであり、各人の御本尊に自行化他にわたる題目を唱えて絶大な功徳を受け、宿命転換と人間革命を成就し、世界広布の拡大の実証を示してきたのです。まさに、これが会員が実践し、実感しているところなのであります。
 創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。』」

つまり昨年、原田会長は創価学会が御本尊を認定しますと述べていました。
しかし一方の宮田教授は創価学会の立場として「大聖人が書かれた本尊は本門の本尊」と言いきっています。ではそもそも創価学会が「認定」という事をするのに、どの様な意味があるのでしょうか?

信仰の目的の一つは「功徳を得る事」です。宮田教授は教学的には、日蓮直筆の本尊は「本門の本尊」であり「それなりの功徳は、みんなあるでしょう」という立場が創価学会だと言っています。
しかし一方の原田会長は「御本尊を認定」と言っています。しかしではこの「認定」とは信心的にどのような意味があるのか、創価学会として日蓮直筆の本尊はすべて「認定」するのか、それともしないのか、しない場合には、その本尊は「本門の本尊」であれば、信仰的には「功徳」があるという事ですね。そうなった場合、そもそも創価学会が「認定」という行為をするのに、どれだけの意味があるのか。

今回の宮田教授の発言から考えると、そこを問い直さねばならないという事になりますよね。
また宮田教授は続けます。

「えー、まあ実際に、ね、まあ過去は、においては創価学会は、創価学会の信心だけは功徳があるのよ。他の日蓮宗は駄目よって言ってましたけどもですね、そんな事いってもねぇ、もう何十年も経ってきます、ね、もうそこ、じゃあ日蓮宗の信仰している人がみんな不幸になっているか。というと、これは中々そうは言いきれない、ね、これはもう宗教者内奥的な問題です、ね、要するに功徳ある無いというのは教義が決める事じゃあない。宗教者たいがくてきな調査でもってですね、まあー、そのーねえ、信仰している人たちが、功徳あると思えば、たぶんあるんだろうし、無いというんだったらたぶん無いんだろう、というですね、そういう見解をある程度創価学会はもう受け入れてる。という事です。ね」

ここで宮田教授は「こういう見解をある程度創価学会はもう受け入れてる」と述べています。
ここで昨年の原田会長の指導を以下に紹介します。

「魂の独立以来、学会員は皆、大石寺に登山することもなく、弘安二年の御本尊を拝することもなかったわけであり、各人の御本尊に自行化他にわたる題目を唱えて絶大な功徳を受け、宿命転換と人間革命を成就し、世界広布の拡大の実証を示してきたのです。」

ここで原田会長は、創価学会が御本尊を認定する前提条件として「大本尊を拝まなくても家庭の御本尊で功徳を得ている」⇒「これは創価学会が仏意仏勅の団体である証明」という事だと言っているのです。

しかし一方、宮田教授は功徳という側面では、日蓮宗の信心でも功徳を受けているという事を前提としているわけで、この話は先の原田会長の指導とはかみ合わなくなります。宮田教授の論を借りて考察するならば、別に創価学会は「仏意仏勅の団体」という訳ではなく、そこから言うと創価学会だけに「認定権」は無いという事にもなりませんか?

さてさて、、、宮田教授の言う創価学会の本尊関連の発言と、先の原田会長の指導。似ていはいますが、実は中身において、大いに齟齬が出ていると感じるのは、果たして僕だけなのでしょうか?

ここで僕が考えている本尊観です。
まず本尊については相貌が「ほぼ合致」していれば、日蓮直筆であろうと、歴代法主の書写であろうと、特に問題は無いと考えています。この点については、宮田教授の発表内容は、僕の考え方と合致しています。

また御本尊と功徳という面で言えば、これもまた宮田教授が述べている「信仰している人たちが、功徳あると思えば、たぶんあるんだろうし、無いというんだったらたぶん無いんだろう」という事とほぼ同じですが、そもそも対境としての御本尊については「信仰体験」と切り離したものと僕は思っています。

功徳を得るのも、実感するのも、我が「己心」の問題であるという事だと考えています。
そしてその引き出しのキーワードは「祈り」という事なのでしょう。
要するに功徳ある無いというのは教義が決める事じゃあない」という言葉は、そういう意味で僕も同意します。

その事について日蓮も述べていますよね。
「但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず」(唱法華題目抄)

しかしそういう事だと、先の原田会長の指導って、完全に違うものなんですよね。

さてさて、「本部教学室アドバイザー」たる宮田教授の論と、原田会長の指導。
この相違を鑑みるに、創価学会として宗門から教学的に離れ独立します。と言いながら、実は教学自体が「生煮え状態」である事を垣間見てしまいますね。

こういった事、宮田教授の発表の随所から見て取れますが、それはまた次回に。



【20150914】日本宗教学会の宮田教授の発言について①

こんにちは(´・ω・`)

先日の週末に体調を崩してしまいました。
そうは言いながら、実は先日あった日本宗教学会第74回学術大会での宮田教授(創価大学文学部教授)の発表内容を入手して、その内容を確認していました。

この宮田教授ですが、創価学会の中では「本部教学室アドバイザー」という事で、それなりに今の創価学会の教学部の屋台骨を背負っている人の様です。



そして今回の学術会議の内容について、ネット上では「日蓮本仏論を否定して釈尊本仏論へ創価学会は舵を切った」という風説も流れていましたので、その真偽を知りたい事、また漂流つづける創価学会の教学を、今の信濃町界隈はどこへ着地させるつもりなのか、そこを知りたいと思い、宮田教授の発表内容を物好きにも個人的にテキストに起こして、確認を進めてみようと考えた次第です。

(ほしい人は個別にメールをくださいね、応相談です)

まあYoutubeにもすでに音声データが掲載されているので、誰でも聞く事が出来る内容なんですけれどもね。



まあすでに創価学会として教義条項の改正をしていることは、昨年の11月にも拙ブログで取り上げましたし、そこで宮田教授がこの教義条項の改正の内容について解説している内容も、同じくこの拙ブログで取り上げています。

僕はこの教義改正という事、創価学会が行うという事自体、否定的ではありません。
なぜならすでに四半世紀前の「第二次宗門問題」の当時において、日蓮正宗の教義と創価学会の方向性が相いれない状況であった事は、僕自身、男子部の対論(法華講・顕正会など)の最前線に身を投じていましたので、熟知していました。

ただその当時、僕もその内容を知った時には「一般の会員、特に高齢の会員には伝える事ができないなぁー」というもので、現場組織で語ることはありませんでした。なぜなら今なら、まあそれなりに当たり前になりつつある「戒壇本尊の後世偽作」とか、「富士の清流」なんてものは存在しない歴史的な事実とか、まあそれこそ日蓮正宗創価学会一途に走りぬいて来た人たちには、まさに自分たちが人生かけて信じてきた信心教学が「まっかなニセモノ」と言わんばかりの内容だったからです。

しかし、時の流れとは早いもので、あれから四半世紀が過ぎました。
今の創価学会の中では、日蓮正宗大石寺と言っても青年部あたりにはピンとくる人はいなくなりました。また壮年・婦人部に至っても、すでに遠い過去の事であり、もう創価学会の中に、日蓮正宗というものが見えなくなっています。

しかし・・・・事、教学の世界では違いましたね。
勤行要典もしかりですし、日蓮大聖人御書全集も「大石寺版」を持っている人もいます。
またいま行われている任用試験や教学部登用の学習会において、会員に学ばせているのも、その根底にあるのは「大石寺教学」となっています。

まあ簡単に言えば、創価学会は「魂の独立」なんて言っていましたが、その根底にある精神的支柱の根っこには、あいも変わらず日蓮正宗大石寺教学を持っているという事なんですね。

そういう事で、信濃町界隈としては、昨年末の会則改正において、以下の事を変えました。

 1)大石寺にある戒壇大本尊は受持の対象とはしない
  日蓮直筆の御本尊は、すべて事の本尊であり同じである。
 2)日蓮大聖人出世の本懐は、大本尊御図顕ではない
 3)日蓮の出世の本懐は、熱原農民が示した民衆仏法が根付いた事である
 4)日寛教学については、これを見直していく


とまあ、こんな感じでした。

さてあれから半年以上経過し、まもなく一年になろうとしています。
この教義条項の改正について、組織内でどれほど認知が深まっているのか、というところですが、これがまた残念な事に、末端組織の多くの活動家幹部は、まったくもって理解していないんですね。信じられますか?

僕の周囲でも、いまだに「大石寺大本尊」を日蓮出世の本懐と考えていたり、この本尊図顕が日蓮出世の本懐だと信じています。だから勤行の時には、いまだに疑いもせず「一閻浮提総与の大御本尊に南無したてまつり、報恩感謝申し上げます」と、日々、みなさんやっているわけですよ。

僕はそもそもこの教学に対する真摯な姿勢の無さに、今の創価学会の問題の根っこは潜んでいると考えています。

昨今の安保法制に関して、組織の動揺ぶりを見てください。
まあ多くの末端組織の会員は、全然動揺すらしていませんけど、一部の活動家会員幹部や創価大学の一部の関係者等の中には、創価学会の自己矛盾に気が付き、悩み、行動を始めている人が出ているではありませんか。

だから公明党本部の前で署名を渡そうと必死になり、デモ行進では三色旗を振り回し、ひたすら公明党を糾弾していますよね。(まあ僕から言わせれば、糾弾すべきは公明党ではなく、信濃町界隈だと思うんですけどね、、、まあそこまでは思考の跳躍は難しいのでしょう)

またそういう事に組織幹部(区圏・分県幹部など)がピリピリして、十羽ひとからげに「共産党に誑かされて、あんな行動(デモや反対署名活動)をしているなんて、アジテーションを上げていますよね。

こういう事を日蓮は「鬼神乱れるがゆえに万民乱れ」と古事を引用して立正安国論では述べているではありませんか。

この組織の表面上に見え始めている混乱の根本は、本来、宗教の生命線と言われる「教義」を蔑ろにし、そこがぶれまくっている事が原因で発生している事象に間違いありません。

という事で、今回から宮田教授の発表内容をもとに、この混乱の中身について少し切り込んでいきたいと思っています。

少し長丁場になるかもしれなせんが、よろしくおつきあいください。


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