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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20160311】平和について考えてみる⑨

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日は3.11。あれから丸5年経過しました。
当時の僕は仕事で移動中に震災にあって、七時間かけて歩いて自宅近くにたどり着いた記憶があります。

途中の町並みの停電、混乱して動けなくなった車、交差点で交通整理をする警察官、北風の吹くなかハイヒールで俯いてあるくOL等など。
まるで映画のワンシーンの中に紛れ込んだのかと錯覚を覚えてしまいました。

ある人にこう聞かれました。
「運ちゃんはこの震災をどう考えるのか?」
僕は答えました。
「これは天鼓ではないだろか?諸天撃天鼓と法華経にある天鼓だと考えている」

あの震災については様々な見解があります。それこそダイレクトに言えば総罰だという阿呆もいたり。

しかし人間や生きる全てのもの、そしてその環境が妙法蓮華経の当体というのであれば、そこには善だ悪だというのはなく、人間にとって都合が悪くても、それ自体は働きの一断面でしかありません。
問題はそこにどの様な意義付けを与え、その物事を糧にどの様に振る舞えるのか、そこだと考えています。

僕は当時の日本と云うのはなにか浮かれはじめているなか、それに気付きを与える諸天からの天鼓ではないかと考えたのです。

でも実際にあの震災によっても、基本的に日本が変わることはありませんでした。

そればかりか日本という国は、何かより歪な方向へと進んでしまった感じがします。

さて、前置きが長くなりましたが平和について。

創価学会では中国や韓国、そしてインド等に「民間交流」と言っては青年部代表を送り込んだり、創価ルネサンスバンガードを使節として送り込んだりしています。

恐らく創価学会の活動家の多くが、こういう民間交流自体が平和に寄与すると考え、創価学会のそういう行動に誇りと尊敬を持っていると思います。

過去に池田会長は中国とソ連の中を、一民間人として行動し、デタント(緊張緩和)に貢献した事を通して、「そこに人間がいるから」という言葉を持って、創価学会は平和団体だと胸を張るのでしょう。

でも考えてみてください。

過去に池田会長は「師匠は針、弟子が糸」という例えを話してましたが、いまの創価学会に「糸」となる人材がいますかね?

結果として創価学会が平和団体と言っても、それは単に池田会長の行動のみであり、パフォーマンスとして終わってますよね。

これも残念な事です。

「いや!創価学会は民間交流に力を入れて、世界に平和のネットワークを構築しているのだ!」

そう云うのかも知れませんが、この「民間交流」で平和が維持できますか?

一念三千という法理について、前に書きました。そしてそこには「衆生世間」という観点があります。
個人の事をさす「五陰世間」は理解しても、それらが多重的に重なりあって出来る「衆生世間」は別物です。
これについては心理学で「集団心理」という言葉で語っている事に近いと思いますが、いくら個人が頑張っても、集団心理的な「衆生世間」がどの様に動くのか解りません。

戦争とは国家やそれに準ずる組織が起こす行為であり、そこには個人の存在は埋没し、集団を構成する一人一人の生命の働きが多重的に絡み合うので、個人の行動はある意味で踏みにじられる結果にもなります。

だから僕はパフォーマンスとしての民間交流には、なんら期待するものは無いと考えています。

現に見てください。
例えば創価学会が交流使節団を派遣し、公明党代表が習近平国家首席に「拝謁」し、「師匠、池田先生からのメッセージです」とやった処で、中国の軍事行動が沈静化してますか?

創価ルネサンスバンガードが韓国を訪問、また池田会長が数多く顕彰を受けた韓国が、竹島を返還しましたかね?

結局は「民間交流」とは別次元で国家の動きがあるということを理解すべきです。

ではどうあるべきか。

民間交流というよりも、国家間の外交力と対話力を付ける。これは人材育成の話にもなりますが、そういった外交力を推進できる外交官の育成、また後押しする国民の意識が大事になると思うのです。

そして国民の意識の根底に、どの様な事を働きかけることが出来るのか。

そこに本来の広宣流布の意義があるのではないでしょうか?

少し具体的な例を書いてみます。
今の日本に必要な事は、独自の国家安全保障の概念を持つ事です。
今の日本の安全保障の根底には、アメリカへの依存が強くある事は、誰でも理解できる事でしょう。

ある意味で、安倍自公連立政権が昨年末に強硬した安保法制の法案の根底にも、こういった概念があるのではありませんか?

話題の辺野古への移転も、日本が自立した国家であれば、国内問題で対処可能でしょう。

日本が本当に自立した国家になるならば、こういったアメリカとの付き合いも国家として対等な立ち位置を目指すべきです。

しかしその為には国民が腹を括らなければなりません。
何に腹を括るかといえば、今の生活パターンを含め、劇的に変化をする事を覚悟しなければならないでしょう。

それは景気であり、税金であり、今の日本全体に及びます。
景気は悪化するかもしれません。
アメリカに依存していた軍事的な事も日本独自に行わなければなりませんので、税金もより高くなるでしょう。自衛官が足りなければ、日本人として自衛官を増補する必要もあります。

「自分たちの国は自分たちで守り自立する」

そういう事に腹を括り、すべてに対して覚悟をしなければなりません。

でも今の日本にそれは出来ますか?

この為には「日本人のアイデンティティ」を確立するのではなく、「日本人としてのアイデンティティ」を確立する事に、仏法の考え方は寄与できるはずです。

自主独立しながら、周囲の国や地域との共存を図る。

そのために国民の中に哲学性を醸成する必要があるのです。
しかし間違えてはならないのは、それが単に一宗一派一組織が拡大するという事では無いという事です。

それが今の時代には必要なのではないでしょうか?

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