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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
カテゴリー「役職考」の記事一覧

【20170629】幹部の資質について

こんにちは( *・ω・)ノ

昨日何気にTwitterで以下のツイートを見て思ったことを今日は記事にしてみます。

「人々は、役職ではなく、誠実さ、明快さ、責任感をもった人格的魅力のある人についていくものです。いわゆる人気のある幹部は、会員から慕われ、会合にも要請されています。戸田会長は、幹部を任命するときは、会員が「この人ならば」と思う人を任命するようにすべきだと厳しくいわれていた。」

僕も昔はそれなりに幹部をしてましたし、今も地区幹事とはいえ、一応幹部の端くれに該当します。
そこから考えると、創価学会の幹部の資質とはどうなのか、様々な事を考えてしまいますね。

創価学会の幹部には、これは僕の経験上からの話ですが、大きく三つに分類されると思います。

一つ目は末端組織の幹部。
組織のレベルで言えば地区幹部まではこの分類に入ると思われます。
創価学会の人事委員会という、まあ表だっては出てきませんが、そこに関わらない幹部の事で、概ね区や圏の判断で任用される幹部です。
当然「辞令」も出なければ、実際に末端で走り回る幹部はこのレベルで、決済事を判断する権限は、ほぼ持ち合わせていません。

一番コキ使われる立場ですね。

二つ目は支部幹部以上で、在家の幹部。
非職員ですが、実際の末端組織の旗振り役であり、またそれを補佐するスタッフ的な幹部も含みます。この立場から人事委員会という名前のついたところから「辞令」が出され、所謂「幹部コード」という創価学会の中では一生ついて回るであろう背番号が振られます。

中間管理職的なところで、且つ末端組織の中ではそれなりの幹部として見られるのは、この立ち位置にいる人達でしょう。

三つ目は職員幹部ですね。
彼らは本部または外郭団体で仕事をしていて、いわば創価学会の信仰活動を仕事にしている幹部です。ここには新聞販売店の店主も入ります。
ここらへんに来ると多くは分県幹部位の人が多くいて、例えば組織換え(青年部から壮年部など)の時には区・圏長という立場でスタートする人も多く、例えば支部長で始まったとしても、兼任で圏副書記長なんて役職を持ち、トントン拍子に上がっていきます。

極めて大ザっばですが、こんな感じに分類も出来るかと思いますが、一方で担当する組織の広さと、その人物像がマッチしているかと云うと、大概これはアンマッチしてますね。

例えば地区幹部やブロック幹部であっても、人格ある人、社会で信頼されている人もいますが、一方で総県幹部であっても鼻持ちならない御仁もいます。

昔は例えば末端組織の幹部の場合では、支部幹部以上は必ず折伏を一世帯以上やってなければならないとかいう規定もありましたが、最近ではこの様な規定もなく、そもそもそんな事をしていたら、幹部の成手がないとの事で、活動に前向きならばすぐ当用して責任をもたせ、組織に絡めとるようです。

だから以前にも増して幹部の質が劣化しているのではないかと思われます。

本来、これだけ大きな組織なんですから、幹部当用の規定くらい明文化されてても良いように思うのですが、実態からしたら、当に「人脈人事」という事が罷り通り、上に上がるのは、やはり上の人に覚え愛でたく知られた人が引き上げられていきます。

そこには「見識」とか「人格」、ましてや「信仰観」という事は、ある意味関係ありません。

要は上に気に入られている、知られている人ほど上に上がるという構造があるのです。

さて、先のツイートでは
「責任感をもった人格的魅力のある人についていくものです。」と幹部が本来持たなければならない資質の一端が述べられてますが、こういう人はほとんど見ないですね。

僕が青年部時代、この人は凄い人だと感じる人が居ましたが、そういう人に共通していたのは、やはり社会等で苦労をした人であり、自分自身をしっかりと持った人達でした。

いま壮年部になり、幹部を見てみると、本当に地道にやってきて、人間的に出来た人
は組織の表舞台には居ないですね。

特に職業幹部の人格の薄さ、ボキャブラリーの狭さにはあきれ返ってしまいます。

上に行けば行くほど、本当に録な人物が居なくなったと実感しますし、創価学会に何故、人が集まらなくなったのかも、この幹部像から理解できます。

特に分県や総県、総々県幹部の職業幹部なんかは、でかい会合で、壇上でふんぞり返り、「幹部指導!」なんて言って、如何にも聖人君主のような、人格者の様な振る舞いをしてたりしますが、僕が青年部時代に見てきた限り、その表と裏の解離の酷さに辟易しました。

「鯛は頭から腐る」

昔の人は良く言いましたが、今の創価学会の退潮傾向の要因の大きなものに、この幹部達の資質もあるのでしょう。
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【20170312】未来部担当者のため息

こんにちは(´・ω・`)

昨日は夜中までかかって「想学談林」の旧サイトに掲載していた「立正安国論」の内容を新サイトに移行する作業を行っていました。
この内容は2013年、今から四年近く前に作成したもので、改めていると「誤字脱字」「言い回しの可笑しさ」などが随所にあり、それを所々直しながら作業をしていたのですが、気が付いたら一週間ほどの時間がかかってしまいました。

まだオカシナところは沢山あるので、今後も微修正をしながら作業は続けていきたいと思っています。

さて今朝の事、我が家の嫁に地元の壮年部副本部長から連絡が入っていて、結構な長電話をしていました。相手の副本部長は結構、声が大きな人なので電話口(携帯電話)からも声がダダ漏れだったんですが、どうやら我が家の未来部の事について連絡が入っていたようです。

我が家の子供も未来部員として登録されているので、自ずと未来部の会合の連絡などが入り、上の子供は時間に都合がつけば参加をしています。ただ大きな会合には子供は全然参加する気が無いようで、その理由を聞くと「わけわからんオジサンが、訳わからない長い話をするのを聞いているのは疲れるから嫌だ」との事でした。

また下の子供は全然マイペースで、嫁が何を言おうと「行かない!」の一点張りで、理由を聞くと「面白くも無い話を聞くのは時間の無駄!」とバッサリタイプの理由でした。

上の子供はやはり母親から言われると、気を使い参加もしている様ですが、いずれにせよ今の子供たちには何ら必要性を感じない組織になり始めているんですね、創価学会という組織は。

僕が青年部の頃、支部には青年部の未来部担当者が居ました。
基本は男女青年部の地区リーダーなどが担当していましたし、僕の場合には少年部の支部責任者として担当していた事を思い出します。

月一回の少年少女部員会に向けて、壮年部や婦人部、また女子部の担当者で顔突き合わせて、次回の少年少女部員会では何をやるのか、よく打ち合わせをしたものです。墨の担当は御書と手品を主にやってました。
会合自体は1時間ほどで、子供たちもそこだへんが我慢の限界でしたが、会合が終わると高学年n少年部員を近所のマクドナルドに車に乗せて連れて行き、ハンバーガーなんかを頬張りながら子供たちと下らない話をよくしていました。

その子供たちも今では三十代になっているんですから、時間が経つのは本当に早いものです。

僕が創価学会を初めて意識したのは高等部の時でした。
その当時、高等部の企画会は本部単位で行っており、当時は地元の高校生の先輩が部長という役職を持ち主導で進めていましたが、打ち合わせが終わった後とか、また偶に当時は宗門と一緒だったので、日曜日の朝に寺で行われる勤行会には、400ccのバイクの後ろに乗せられて連れていかれました。

当時は青年部の担当者もついていましたが、高等部になると自主的に高校生の中で企画を進め、会場を抑え、偶に学生部の先輩なんかも来たりして、同世代でワイワイとやっていた事が記憶にあります。青年部幹部は完全にオブザーバーという位置づけでした。

しかし現在の創価学会の組織では、未来部の減少が急速に進み、青年層の会員も減少している事から未来部も圏一本でまとめる方向もあるようで、企画なんかも壮年部や婦人部が主導してすすめているようです。

これでは参加する未来部も面白くもないはずですね。
まあ親子ほどというよりも、子供と孫ほど離れた年代で運営するんですから。

さてこの青年部や未来部の急激な減少を、創価学会では日本社会で急速に進んでいる少子高齢化を理由にしていますが、果たしてそれだけでしょうか?

確かに地方では子供も居なくなったりしていますが、都心部ではまだ子供は多くいます。
思うに創価学会が昔から進めていた「信心の継承」という事が破たんしているという事にも、大きな理由があるのではないでしょうか。

今の五十代後半から六十代の壮年部や婦人部の幹部が未来部を担当するのですが、やはり子供たちに語れるのは「功徳と罰」「池田先生」というだけの様な気がします。
しかし今の子供たちはというと、最近のソフトバンクの宣伝でもある様に、小さなころからネットに触れていて、持てる情報量は爺さん婆さんを凌いでいます。

その子供たちに「池田先生はね~」とか言ったところで、それを純粋に受け入れられる子供たちはどれだけいるのでしょうか?

時代は多様化に向かっています。
多様性が求められる時代には多様な事を語れなければなりません。しかしその能力は今の創価学会の活動家幹部に求めても無理があるでしょう。

宗教学者である島田裕巳氏が以前にTwitterで「創価学会もいずれは葬式宗教になる」という意見を述べていましたが、これはある意味、まっとうな意見でしょう。

自分の親やおじいさん、おばあさんのお墓が創価学会の墓苑にある。
その墓を見守るために創価学会に片足は残しているが、実際の自分自身の信仰として創価学会の存在はなりえていない。

そういう感じもしますね。

僕の子供なんかは偶に僕がパソコンで記事の整理をしていると、後ろに来て様々な質問をぶつけてきます。

「池田先生ってどんな人なの?」「御題目ってなに?」「勤行ってなに?」。
まあぶつけてくる質問は様々あります。僕はその子供の質問に対して、自分の考えている事を教えています。人生観、仏教観、宗教観。話題は多岐にわたります。その話に対して子供たちも興味があれば食いついてきますし、興味が無ければ「ふーん」で終わり。

未来部担当者の苦悩は大変なものがあるでしょう。
未来部の結集の数、顕で行う未来部の会合の内容その他諸々。
先の嫁に電話をかけてきた壮年部の副本部長の漏れ聞こえる言葉の端々にそういった苦悩を僕は感じてしまいました。

でも一番大事な事は、子供たちに親として何を語り、何を教えていくのか。
そして何を子供たちに受け継いでいかせるのか。

そんな事ではないでしょうか。

創価学会の未来部という組織は、そんな家庭のサポートでしかないはずで、未来部員は組織の駒なんかではないのです。

そういう視点を持つ必要があるのではないでしょうか?
ふとそんな事を想った次第です。

「我が子を、池田先生・奥様のお役に立てる人材に!」

こんな事をやっている時代ではないのです。

【20160605】信濃町界隈の気質

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

この前の金曜日は仕事でヘロヘロだったので、家に帰って来て、晩飯を食べたら倒れこむように寝てしまいました。
昨日の朝、方起きて携帯電話を見たら着信履歴が二件。どうやらトラブルがあったようで、こりゃ月曜日は頭が痛い話になりそうです。

それはさておき。

僕が青年部時代に出あったエピソードを少し紹介します。このエピソードから少しでも信濃町界隈の気質を理解して頂ければと思ってます。



当時は統一地方選挙。
僕は分県幹部として企画室という裏選対に担当として入っていて、日々のルーチンワークと化した作業に取り組んでいました。

この企画室には担当幹部として、壮年部の総県幹部がいました。この御仁は本部職員で態度の傲慢さや、人に対する姿勢の横柄さには定評があります。
何故か分県幹部や圏幹部も、裏で様々な事を言っても、この御仁の前では米つきバッタの様でした。

この企画室には中盤からは男子部の中央幹部(全国幹部)が担当として来ていました。
この幹部は先の御仁と伴に選挙活動の微に入細にいり指示を出していましたが、さすがの壮年総県幹部もこの男子部の中央幹部には気を使っているのが、端から見てもよく解りました。

ある時、総県内で候補者をどの様に遊説で回すのかについて、各圏の壮年、男子部幹部と打ち合わせをしているとき、ある圏男子部長から、遊説役員が圏としてうまく集められていない旨の話があがりました。
要は壮年部の役員が集まらず、その穴埋めを男子部でやろうとしていますが、そこに難渋しているとの事。

すると件の壮年総県幹部がその話をした圏男子部長にかまし始めたのです。

「お前たち男子部が全ての先頭に立つのではないか!?それをこの段階でそんな弱音を吐いてどうするんだ?広宣流布の全責任を男子部が担うという気概でやらずにどうするんだ!」

それを言われた圏男子部長は忸怩たる表情をしながら、下を向いていました。そして総県壮年部幹部は、鼻息荒い表情で圏男子部長を睨み付けていました。

すると男子部の中央幹部は憮然として話始めました。

「○○さんは如何にも男子部が悪いとご指摘の様ですが、この事は本来は壮年部の責任ではないのですか?それを男子部の責任として押しつけるのは筋が違う!壮年部は一体何をしているのか?○○さんの指摘はお門違いでしょう。男子部は壮年部の手下ではない!まずは総県の壮年部としてこの件は対応しなさい!いいですか?」

先の鼻息荒かった壮年総県幹部は、鳩が豆鉄砲食った表情となり、だんだん耳が赤くなるのがよく解りました。

「解りました。壮年部として対応します」

心なしか弱い声でそう返事をして、その場は終わりましたが、何時もであれば、分県幹部や圏幹部が意見を言おうモノなら、烈火の如く捲し立て、持論を押し付ける総県幹部が随分としおらしいものだと、その場にいた人は皆、そう思った様です。

これは後に聞いたことですが、先の総県壮年部幹部は、本部内の職責で、この担当の男子部全国幹部の下に居たようで、下手に反抗すると自身の査定に響く立場にだとの事。それを聞いた企画室にいた男子部幹部は「なーんだ、本部職員も大変なんだなー」と苦笑いしてましたね。

下に強く上には弱い。

これの事をよく「ヒラメ族」と言いますが、昨今の信濃町界隈はこのヒラメ族がはびこっているようです。

信濃町界隈のヒエラルキーのトップは名誉会長てあり会長です。そしてその下は主任副会長という立場が設けられましたよね。

以下、信濃町界隈はヒラメ族の精神構造の元、ガッチリと稼動し、その指示の元で各方面から末端まで動く仕組みとなっています。

先の男子部全国幹部の意見とは、極めて道理の通った言葉ですが、それとて信濃町界隈の職責の上下があったから通った意見であり、もし職責が関係していなければ、壮年の総県幹部とて、おとなしくしては居なかったでしょう。

創価学会の信濃町界隈は腐りきっています。

末端の真面目な活動家幹部は、信濃町界隈がいくら不正を働こうと、自分達は池田先生のご指導の元で真面目に戦うから大丈夫だとよく言いますが、こんな組織風土を持つ組織で、信濃町界隈がおかしいことを放置して活動に取り組むことは、果たして良いことなのか。

そういった視点で、組織活動を観られてはいかがかと思います。

本日も日本全国で、公明党の選挙支援の活動は繰り広げられた事でしょう。
そんな活動に「福運」なんて言葉を使っても意味がないのにね。

【20151129】創価学会―役職考まとめ

こんにちは(´・ω・`)

さてさて、役職遍歴について長きにわたり書かせて貰いました。
男子部の班長から分県青年部長までの期間、延べたんにすると約二十年ほどになるのでしょうか。人生八十年として四分の一の期間、創価学会の中で役職を持ち、活動家として過ごしてきた訳です。

思うに男子部の場合となりますが、本部長までは本当に末端の活動家としての立ち位置で、本部長以上では組織のスタッフとして、県幹部からは信濃町界隈とも顔を突き合わせての活動であったと今更ながら考えたりします。

しかし創価学会の役職とは何なのでしょうね。
以前、僕が男子部の時代、ある副会長が言っていました。
「創価学会の役職は責任職だ。担当の会員を持ってもらい、その会員の信心の責任を持ってもらう。これにより自分勝手な意見は言えなくなり、広宣流布への責任感を自覚して活動を進めてもらう事が出来る」

要は「組織に縛り付けるための立場」という事なのではないかと思います。

例えば壮年部、今では「広宣長」という役職がスタートとなります。昔で言えば「ブロック長」でしょう。広宣長となり自分の名前を冠したブロックが出来れば、普通に責任感がある人物であれば、その組織を何とかしようと思うでしょうし、創価学会、いや信濃町界隈にすれば、それこそが願ったり叶ったりという事かもしれません。

また役職は「仏意仏勅」という言葉があります。

でも僕が青年部で経験した限り、創価学会の組織の役職は「属人的に任命される役職」でしかありませんでした。結局、組織の人事は「人」が決める事であり、そこには人間関係というのがどうしても付いて回ります。

過去にこういう事がありました。
ある地域の女子部で「B長」の人が居ました。僕は友人からその人にあってみたらと言われ会った事があります。勤務先は某上場企業のマネージャー。個人折伏は数十世帯。自宅に行くと池田会長から直接の贈り物も幾つかあり、仕事も人間性も信仰としての立ち位置も、それは驚く様な人が居ました。しかし組織では女子部の「B長」、しかも三十路を超えているのに独身。
話す中で感じたのは、組織的な事が大嫌いで、相手の役職がどんな人であろうと言葉で延してしまい、また仕事がら転勤も多い事から、組織としての「創価学会」から完全に浮き上がっているのです。

つまり人間力やその信仰へのスタンスと役職は「比例しない」という事ではないでしょうか?

でも人間というのは「肩書」を求めてしまいます。そこに「役職」がぶら下げられれば、人はそこに飛びついてしまい、結果として「役職の立場」に縛られ、いずれは身動きが取れなくなってしまう。何故身動きが取れないのか、それはやはり「役職という立場」から、組織上の保身を考えての事なのかもしれません。

僕もこの「役職考」で自身を振り返る中で、そういった片鱗があった事が改めて解りました。
ただし「幸い」にも僕は組織との間で軋轢を生んでしまい、結果としてそういった「役職」という「絆し(縛り・呪縛)」から引きはがされる事となり、気づきを持つ機会を得る事が出来たので、今があると思うのです。

ただこの「絆し」から引きはがされるのは、精神的にもかなり苦痛を伴うものでした。
人によってはその事で精神的に大きな傷を負うことにもなるでしょう。
「役職」に留まれば、またその創価学会から得ている「役職」が高位であればあるほど、人というのはそこに「束縛」され、自分自身に酔いしれてしまうのかもしれません。

具体的な例で言えば、例えば壮年部で圏長や分県長、またそれに連なる幹部になると、社会的にも「公明党支援団体の幹部」として厚遇を受けれる事もありますからね。猶更だと思います。

「創価学会の役職は仏意仏勅」
これは「役職」を得た人物が本来自覚しなければならない事なのかもしれません。

何のための役職なのか。
その責任は何に対する責任なのか。

もし今の創価学会の幹部の中で、「仏意仏勅」という自覚のある幹部がいるならば、おそらく創価学会もここまでひどくはならなかったのではないでしょうか?

でも自覚も無く、そういった本質的な事に気づきもしない。また気づいても敢えて無視している人が大半を占めたからこそ、今の創価学会の有様になってしまったのかもしれません。

責任感は創価学会や師匠に対して持つものではなく、あくまでも会員に対して持つべきなのです。

願わくば創価学会の末端組織の役職者が、今いる「虚像」の役職に囚われるのではなく、本来、創価学会でいう「役職は仏意仏勅」という意義を考え直し、会員に対する本当の責任感に立ち、自主独立の立場を保つ事ができて、いまの創価学会の有様を冷静に見れる目を持つ事を期待したい処ですが、それは無理なんでしょうね。

「絆し」としての役職ではなく、「生きる使命」としての役職として自覚する事が出来るのであれば、もう少し創価学会はましな組織になると思いますよ。

ただそれには強靭な精神力と、旺盛な独立心も必要となりますし、そういう人は逆に役職なんかに拘らなくなり、組織にもこだわりを持たない事になりますので、人材登用として役職者になる事はないでしょう。

以上、役職考のシリーズを終わります。

【20151128】創価学会―役職考⑲

こんにちは(´・ω・`)

このシリーズも十九回目となりました。
何か長編ものチックとなってしますが、もう少しお付き合い下さい。

さて前回、企画室をドロップアウトした事まで書きました。
実はその後半年間、創価学会の現場から距離を置きました。選挙当日なんて朝から子供たちと遊びに出かけてましたから、でも当時は選挙の投票はしていましたよ、公明党候補が居ないので自民党に投票してました。

選挙も終わり、そんな「創価学会では無い外部の人」の様な生活をしていたある日の事。夜中に総県青年部長と県男子部長そろい踏みで訪問してきました。まあ久ぶりな事もあり、自宅に招き入れました。

挨拶も通り一辺倒行った後、総県男子部長が言いました。
「実は総県の中で分県を増やす事になった。ついては運ちゃんに県青年部長として戦線復帰してもらいたいと思い、今日は訪問したんだよ」

どうやら総県で人事検討を行った結果、よほど人が居なかったのか、僕に分県青年部長の白羽の矢が立ったようです。でもその背後には、僕が苦手としながら僕の事を買っていた総々県幹部がいるようでした。

僕は答えました。
「いやぁ、、もう良いですよ。僕を壮年部に降ろしてください。どうせ青年部なんてやる気もおきませんからね。」

するとこの瞬間湯沸かし器の様な青年部長は急に怒り始めました。
「運ちゃんよ!てめぇはそんな事言える立場なのかよ!わざわざ話を持ってきてやって、そんな事しか言えねぇのか!?」

この言葉にさすがの僕もカチンと来て言い返しました。
「ちょっと待てよ、人が黙って聞いてりゃいい気になりやがって!いま”てめぇ”と言ったよな?俺だって今や家庭を持ち子供も二人いて仕事をしている社会人だ!それを捕まえて”てめぇ”とはどういう了見だ!まずは謝れ!話はそれからだ!」

この僕の剣幕にさしもの信濃町界隈の住人である総県青年部長も驚いた様でした。
まあ今まで広宣部では法華講や顕正会に対しては、こういった事を様々やってきましたが、創価学会の組織内の人間にそんな言葉を吐いた事なんて無かったですからね。

「悪かった、謝るよ。。でもさ、そんな剣幕で言われてもなー。お前と俺の中じゃないか。」

総県青年部長は急に萎んだ感じで言いましたが、僕は怒りのスイッチが外れなくなっていました。
「そもそもだ、お前らのそういった言動の下で、一体どれだけの部員を潰してきたんだ!あ?解ってんのかよ!」

こういった状況の中で県男子部長が割って入ってきました。
「まあまあ運ちゃんさ、総県青年部長も悪いと思ったようだし、その辺で止めてやれよ」

この県男子部長とは付き合いも長い事から、僕もここで鉾を収める事にしました。
「だいたい今の俺に県青年部長やらせるなんて、おかしくないですか?」

この後は主に県男子部長との会話になりましたが、総県として新体制を引く事。そして圏をいくつか再編成して「組織的な拡大」で分県を増やす事。その為には僕が県青年部長として入らなければ、駒のピースが収まらない事、等々。要は組織都合の関係上、この人事となったそうです。
またこの話の中で総県青年部長は青年部を卒業、県男子部長は総県に繰り上がる事も聞きました。

「しょうがない。。最後の御奉公をしろという事ですか。。」

県男子部長からの説得があり、僕はそれを受け入れる事にしました。

その後、総々県の面接、また中央の面接を受けて、約数か月ぶりに僕は青年部の活動の現場に復帰しました。だた組織の旗頭は新しく任命された県男子部長と県書記長であり、僕はとにかく組織の裏方に徹する事にしました。

県の会合があれば運営責任者として周辺住民の苦情の対応に、組織の中の男女問題があればその対応に、また壮年部への苦情などがあればその苦情を直談判するために県長の処に。あとは支部で行われる部活を中心に分県内をくまなく回り歩きました。

僕の青年部の最終役職はこの「県青年部長」でした。
まあ創価班としては総県役職(広宣部関係)を持っていましたが、在任期間は約一年ほどだったでしょうか。僕の中では静かに流れた時期でもありました。

地元県幹部の中では「大久保彦左衛門」と呼ばれるほど、本流とははずれた角度から敢えて苦言を呈し、総県幹部だろうが総々県幹部であろうが文句を言う時には言い続けてもいました。

でも青年部時代では一番ストレスを感じない時期でもあったと、今から思えば感じますね。

その後、男子部を卒業し、壮年部に移行してからも様々ありましたが、壮年の役職経験の話については一旦、このあたりて止めておきたいと思います。


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