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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20151129】創価学会―役職考まとめ

こんにちは(´・ω・`)

さてさて、役職遍歴について長きにわたり書かせて貰いました。
男子部の班長から分県青年部長までの期間、延べたんにすると約二十年ほどになるのでしょうか。人生八十年として四分の一の期間、創価学会の中で役職を持ち、活動家として過ごしてきた訳です。

思うに男子部の場合となりますが、本部長までは本当に末端の活動家としての立ち位置で、本部長以上では組織のスタッフとして、県幹部からは信濃町界隈とも顔を突き合わせての活動であったと今更ながら考えたりします。

しかし創価学会の役職とは何なのでしょうね。
以前、僕が男子部の時代、ある副会長が言っていました。
「創価学会の役職は責任職だ。担当の会員を持ってもらい、その会員の信心の責任を持ってもらう。これにより自分勝手な意見は言えなくなり、広宣流布への責任感を自覚して活動を進めてもらう事が出来る」

要は「組織に縛り付けるための立場」という事なのではないかと思います。

例えば壮年部、今では「広宣長」という役職がスタートとなります。昔で言えば「ブロック長」でしょう。広宣長となり自分の名前を冠したブロックが出来れば、普通に責任感がある人物であれば、その組織を何とかしようと思うでしょうし、創価学会、いや信濃町界隈にすれば、それこそが願ったり叶ったりという事かもしれません。

また役職は「仏意仏勅」という言葉があります。

でも僕が青年部で経験した限り、創価学会の組織の役職は「属人的に任命される役職」でしかありませんでした。結局、組織の人事は「人」が決める事であり、そこには人間関係というのがどうしても付いて回ります。

過去にこういう事がありました。
ある地域の女子部で「B長」の人が居ました。僕は友人からその人にあってみたらと言われ会った事があります。勤務先は某上場企業のマネージャー。個人折伏は数十世帯。自宅に行くと池田会長から直接の贈り物も幾つかあり、仕事も人間性も信仰としての立ち位置も、それは驚く様な人が居ました。しかし組織では女子部の「B長」、しかも三十路を超えているのに独身。
話す中で感じたのは、組織的な事が大嫌いで、相手の役職がどんな人であろうと言葉で延してしまい、また仕事がら転勤も多い事から、組織としての「創価学会」から完全に浮き上がっているのです。

つまり人間力やその信仰へのスタンスと役職は「比例しない」という事ではないでしょうか?

でも人間というのは「肩書」を求めてしまいます。そこに「役職」がぶら下げられれば、人はそこに飛びついてしまい、結果として「役職の立場」に縛られ、いずれは身動きが取れなくなってしまう。何故身動きが取れないのか、それはやはり「役職という立場」から、組織上の保身を考えての事なのかもしれません。

僕もこの「役職考」で自身を振り返る中で、そういった片鱗があった事が改めて解りました。
ただし「幸い」にも僕は組織との間で軋轢を生んでしまい、結果としてそういった「役職」という「絆し(縛り・呪縛)」から引きはがされる事となり、気づきを持つ機会を得る事が出来たので、今があると思うのです。

ただこの「絆し」から引きはがされるのは、精神的にもかなり苦痛を伴うものでした。
人によってはその事で精神的に大きな傷を負うことにもなるでしょう。
「役職」に留まれば、またその創価学会から得ている「役職」が高位であればあるほど、人というのはそこに「束縛」され、自分自身に酔いしれてしまうのかもしれません。

具体的な例で言えば、例えば壮年部で圏長や分県長、またそれに連なる幹部になると、社会的にも「公明党支援団体の幹部」として厚遇を受けれる事もありますからね。猶更だと思います。

「創価学会の役職は仏意仏勅」
これは「役職」を得た人物が本来自覚しなければならない事なのかもしれません。

何のための役職なのか。
その責任は何に対する責任なのか。

もし今の創価学会の幹部の中で、「仏意仏勅」という自覚のある幹部がいるならば、おそらく創価学会もここまでひどくはならなかったのではないでしょうか?

でも自覚も無く、そういった本質的な事に気づきもしない。また気づいても敢えて無視している人が大半を占めたからこそ、今の創価学会の有様になってしまったのかもしれません。

責任感は創価学会や師匠に対して持つものではなく、あくまでも会員に対して持つべきなのです。

願わくば創価学会の末端組織の役職者が、今いる「虚像」の役職に囚われるのではなく、本来、創価学会でいう「役職は仏意仏勅」という意義を考え直し、会員に対する本当の責任感に立ち、自主独立の立場を保つ事ができて、いまの創価学会の有様を冷静に見れる目を持つ事を期待したい処ですが、それは無理なんでしょうね。

「絆し」としての役職ではなく、「生きる使命」としての役職として自覚する事が出来るのであれば、もう少し創価学会はましな組織になると思いますよ。

ただそれには強靭な精神力と、旺盛な独立心も必要となりますし、そういう人は逆に役職なんかに拘らなくなり、組織にもこだわりを持たない事になりますので、人材登用として役職者になる事はないでしょう。

以上、役職考のシリーズを終わります。

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