忍者ブログ

想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
カテゴリー「役職考」の記事一覧

【20151127】創価学会ー役職考⑱

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

さてもう少しこの話は続きます。
県主任部長で企画室要員になりはしましたが、選挙戦もヒートアップし始めてきた頃、当時の僕はといえば仕事もヒートアップ。その為に企画室へは顔を出せなくなっていました。

だって下手に顔出すと、それこそ毎晩深夜の三時まで引きずられ、仕事に支障をきたしてしまいますからね。



ある日の事、仕事でバタバタとやっていると、総県青年部長から電話が入りました。携帯電話にです。

「運ちゃん、悪いんだけどホームページを至急更新してくれないかな?」

この総県青年部長は信濃町界隈の一人、恐らく有給扱いで地元に張り付いているのでしょう。

「いま立て込んでいるから、夕方でも良いですかね?」

その僕の問いかけに激昂、瞬間湯沸し器の様に捲し立ててきました。

「何いってんだよ!至急といったら至急なんだよ!仕事なんてしている場合ではないだろ?早くやれよ!出来たら連絡よこせ!」

また出ました「仕事なんてやってる場合ではない」というフレーズ。そりゃ職員幹部は選挙戦が仕事でしょうが、僕には本職がある。でもそんな事、宗教貴族には言っても通じない。
僕は常にノートPCは仕事関係で必要なので持ち歩いていましたが、業務中にそのノートPCでホームページを更新しました。(仕事中にも公明党のHPを無償でって、、、どうなんだろ?)

当時の会社では男子部員も僕の部下に何名かいましたが、これまた座談会だ折伏だと仕事をまったくおろそかにするメンツばかり、同じプロジェクトのメンバーからも苦情が出る始末。この事についてはここでは書きません。

僕と同じく県主任部長になったI氏も仕事関係で様々あり、当時は企画室にほとんど顔を出さない状態で組織からも放置、そして僕自身も仕事がヒートアップしていたので一か月近く、企画室に行かずに仕事に没頭していました。

そんなある時、仕事場の男子部から以外な噂話を耳にしました。
「運ちゃんさ、いま分県の中で噂になっている様だよ。”運ちゃんは仕事に流されている、奴は潰れた。もう使えない”。こんな話が俺の圏内でも流れているし、分県内でも話題になっているよ」

この男子部は分県が同じで隣の圏で副部長をしているメンバーでしたが、そんな噂話が分県内に流布しているとは、かなり驚きました。どうやらその噂の出どころは企画室の総県幹部からの様でした。
何か情けないやら悲しいやらで、一挙に脱力感を覚えましたが、とりあえずそれから数日後、仕事の都合をつけて企画室に立ち寄りました。

僕が企画室に入ると、みな何も言いませんが気まずい雰囲気。
同じ圏からも数名、企画室に顔を出しているメンバーが居ましたが、そのメンバーも僕と目を合わそうとしません。責任者の総県副青年部長なども話かけても、挨拶もぞんざいに扱われました。

「ああ、、とうとうこうなってしまったなー」

僕は誰とも話をせずに、その日は企画室を後にしました。
それ以降、活動に出る気にもならず、仕事により没頭する日々を送りました。夜中になると何十回も携帯電話が鳴りますが、一切出る気にもなりません。

「人のうわさ話を流布しておいて、勝手せいや!」

それから僕は男子部の活動から一切の距離を置きました。嫁は当時、副白ゆり長でしたが、正直に僕の心情を吐露し、今後、活動からは当面距離を置くことを話しました。
嫁は「いいんじゃないのかな」と言ってくれましたが、当時の嫁のさみしそうな眼は、いまだに忘れません。

よく創価学会では「三世永遠の同志」という言葉を言います。
しかし組織都合で動かなくなった時の手のひら返しの有様は、それはとてもひどいものです。何が三世永遠というのか、僕は憤懣やるせなくなっていました。

この当時、平日は帰宅が毎晩深夜。土日は家にいました。
すると土曜日の午後とか日曜日の朝など、分県や総県幹部が家を訪問して来ましたが、嫁に言って取り次がせませんでしたし、一切面会もしませんでした。

「いったい創価学会という組織は何なんだろうか・・・・」

当時の僕は今だから言えますが、人間不信に陥っていました。
そして自分自身が青年時代に情熱を傾けてきた創価学会、そしてその活動について、一つひとつ振り返りを始めたのもこの時期からだったのです。

PR

【20151126】創価学会―役職考⑰

こんにちは(´・ω・`)

僕が圏男子部長という立場で活動したのは一年半ほどでした。
まあ良くも悪くも自分の人生の中で、様々な事を経験した期間だと思っています。

圏男子部長として活動をしていたある日、分県男子部長から電話があり、中心会館に呼び出されました。
「ああ、やっと圏男子部長を解任されるのか」

分県男子部長のM氏から呼び出しを受け、会館に向かうと外の喫煙所にM氏たばこをくゆらせて立っていました。

「おー、運ちゃん。夜遅く悪いな。」

M氏に連れられ会議室に入ると、前回同様に分県の二役が座っていました。(県書記長、県青年部長)
そして伝えられたのは、県主任部長の人事でした。しかも圏書記長とペアで主任部長へと発令する事の内示です。

「来年に統一地方選挙があるよな。それに向けて事務方を強力にしなければならないし、その為に二人には県主任部長になってもらう事にした」

その様に伝えられました。
僕の近傍圏には公明党の議員は立候補していません。
ただ総県として重点区があるそうで、その為に企画室の要員として僕と圏書記長のI氏を起用するという事から今回の人事があったとの事。

要は裏選挙対策室の事務要員ですね。

まあ何はともあれ正役職である圏男子部長の立場もまもなく終わるという事で、少しほっとしました。

そして面接から約1ヶ月後、僕は後輩に圏男子部長のバトンを譲り、晴れて副役職である県主任部長になりました。
この当時思ったのは、前日までは「顕男子部長」という事で、深夜まで携帯電話がジャンジャン鳴っていたのですが、県主任部長になってからは、携帯電話はほとんど鳴らなくなった事でした。
季節は初秋。嫁と二人で自宅の茶の間でテレビを見ていたのですが、秋の虫の音が良く染み渡る様に聞こえたのをよく覚えています。

この日から僕は仕事を中心にするようになりました。
当時、会社でも新しいソフトウェアのリリースを計画していたので、やる事が非常に多く、毎晩終電で帰宅するという日々でした。ただ違ったのは学会活動の時間が極端に減少したので、土日に会社の事務所に出勤する機会が減少したという事です。

ただこの仕事に没頭できる期間は短いものでした。
約二か月ほど猶予期間の様に時は過ぎ、すぐに裏選対である企画室に呼び出され、終電で帰宅する時に、少し回り道をして近辺の圏まで足を延ばし、選挙の準備関係の活動に回される事になったのです。

この企画室には総県長を筆頭に、総県幹部や分県幹部が集まり、様々な選挙企画の業務が行われており、僕とペアで主任部長になった元圏書記長のI氏と2人で顔を出していました。

よくネットなどでは「会館に裏選対を設置」と言われていますが、実際に会館に裏選対を置く事を僕は見た事がありません。多くは会館近辺にある小さな事務所を借用し、そこを裏選対事務所としていましたね。

僕やI氏、役職こそは県主任部長です。

分県という組織は、僕の地域では5つの圏で構成されていて、男子部統監は8千名強。そのスタッフとしての本来は役割なのですが、まあ登用された理由が「裏選対要員」でもあり、その裏選対には総県幹部や分県幹部が主体となっています。その事から必然的に事務要員で「下っ端」としての業務をひたすら命じられたままに行う立場でした。

もう創価学会幹部ではなく、まるで公明党の事務局担当者。
僕の場合、本職がITエンジニアである事から、ネット関係の業務も兼務となりました。
しかし立場はあくまでもボランティア。そんな感じの日々を送る事になったのです。

この時ですが、本職でもソフトウェアリリース目白押しであり、裏選対事務所へ顔を出せる時間も取れなくなり始め、そんな中でも極力時間を作れるように努力をしつつ、自分なりに頑張ろうと思っていましたが、僕より先にI氏が顔を見せなくなり始め、その結果、僕への業務比重が増えていくという悪循環が始まっていたのです。

まあ事務局員として罵声とカリカリした幹部の相手をする訳ですから、僕自身、I氏の気持ちは理解できましたけどね。

裏選対なんて信心の世界とはまるで別物でしたから。

そんな企画室で、ある深夜の事。
僕は仕事を終わらせ企画室に立ち寄りました。顔を出すと皆が暇そうにボーッとしてました。まあ「忙中閑あり」という事なのでしょう。

時間は23時半位だったでしょうか、本当にお茶飲みタバコを吸うくらいしかやることが無かったので、当番の総県副青年部長に聞きました。

「暇なら帰っても良いですかね?僕は明日も早いんで、たまには帰って早く休みたいのですが。」

すると総県副青年部長が言いました。
「運ちゃん、悪いんだけど総県長が来るまで待機しておいてくれないかな?いやさ、、この間もこんな状況だったんでメンバーを帰らせたら、夜中の二時過ぎに総県長が企画室に来て激怒しちゃってさ。『今の青年部は訓練がなってない!』なんておかんむりだったんだよ。」

つまり何もやることなくても夜中の三時まで勝手に帰るなという事らしく、まあ総県長(職員幹部)が来るまで待っていろ!と青年部に厳命しているようでした。

その深夜の三時近く、総県長が企画室に顔を出してきました。
「あー、みんなごくろうさん。今日はやることないから帰って良いよ。」
なにか上機嫌で云うと続けて言いました。
「まあこの選挙も天王山だから、仕事なんてしてる場合ではないからなー。ごくろうさん」

万事、職員幹部はこんなものです。
彼らは仕事と言っても、ひがな一日会館でボーッとしてれば良いのでしょう。そして夕方四時には会館で勤行して帰宅となります。また選挙戦の間は有給扱いで給料も保証され、仕事は休みになります。

一方の非職員系幹部たちは民間企業で働き、選挙戦とは言っても通常の勤務には変わりありません。

「仕事なんてやってる場合ではない」

こんな感覚で引っ張り回し、それが「訓練」とばかりに公言してやまないこの感覚の幹部たちが、創価学会を牛耳って動かしているというのは、大いに問題がある。

僕はこの一件でそう実感しました。
また自身の仕事を考えると、あまり真面目に企画室に来ていたら、仕事すらやばくなることを感じ、少しずつ距離をおき始めるきっかけともなったのです。

【20151125】創価学会ー役職考⑯

こんにちは(´・ω・`)

さてさて、前回の記事では圏のある男子部幹部からの活動離脱宣言を受けた事について書きました。
この離脱宣言は実にボディ・ブローの様に、僕の中に響き渡りました。県青年部長に相談して、その意見を聞いたとしても、実際に創価学会の活動の中で、一人の活動家の家族が壊れたという事実を目の当たりにした時、そもそもの活動という事について自分自身の疑念も拭い去れないものとなっていたのです。

それから少し時間が経過しての事。

地元の圏で記念行事が行われる事になり、会場は東京信濃町の国際友好会館となりました。
司会は当時の圏男子部長の僕が担当する事となり、分県の中で信濃町会場を使用しての記念行事の開催という事で、分県長以下、分県幹部が担当としてぞろぞろ入り込み、会合開催へ向けての準備が始まりました。

僕は圏男子部長として、この記念行事へ向けての男子部の結集責任者となり、各部長・本部長と共に日夜東奔西走で圏内の地域を駆けずり回っていました。

そんな祈念行事の日程が押し迫ったある時。
記念行事の運営本部となっていた地元の会館に深夜、呼び出しを受けました。

会館へ着くと県青年部長と県長、そして圏長と圏婦人部長長が会議室で打合せをしているところでした。僕の顔を見ると県長が話をしました。

「おー、運ちゃん。あのさ、今度の記念行事はやはり二十一世紀は青年の時代だから、活動報告を男子部のだれかにやって貰いたいんだ。人選してくれるか?」

この時点で既に開催に向けて一週間を切っていました。確か企画段階では壮年部と婦人部で1名づつの活動報告の枠であったはずが、そこに急きょ男子部で活動報告を入れるという事。でも男子部として圏の会合の活動報告と言っても、入れるべき該当者がすぐに思いつきませんでした。

「判りました、少し検討させてもらい回答します」

そう答えたところ、県長の脇にいた県青年部長が言いました。

「J君がいるだろう?俺はこの間、支部の部活に入り、彼の体験談を聞いてよかったと思ったから。J君の活動報告でどうだ?」

この青年部長の言うJ君。確かに体験発表という事で、部活の中で話をした事を地元の部長から聞いていました。しかしその内容は精神疾患を患いながら、お題目を少しづつ唱える中で、最近になり社会復帰を果たしたというものですが、その本人もいまだ全快という状況では無い事を、僕はJ君の部長から聞いていました。

「青年部長、J君は少し厳しいと思います」

しかし青年部長は聞く耳を持ちません。
「では誰が居るというんだよ!いないんだろう?だったらJ君で良いじゃないか!県長もこう仰っているのだから、早く連絡を取って原稿を書かせろ!良いですよね?県長」

青年部長がこういうと、県長は隣の圏長に何らか話をしている状況でしたが、ぞんざいにめんどくさそうに答えました。
「良い良い、早くやらせろ!」

こんな生半可な答えはどうなんだ?

僕は憤懣やるせなくなりましたが、青年部長がそこまで言うのであれば、本人にも少し話をしてみようと思い、すぐに連絡を取り、その足で夜遅かったのですが、J君の自宅に向かいました。

「圏男、僕なんかの体験発表を記念行事でやって良いんですか?」
件のJ君に体験発表の事を伝えると、不安げな言葉でJ君は答えました。

「原稿は僕も内容を一緒に確認するから、がんばろうよ」
僕は精一杯の激励をしながら、そこで原稿のラフ案をJ君と共に考え、まとめ始めたのです。

それから2日後、記念行事の3日前にJ君から原稿を貰いました。
そしてその足で、夜遅くの時間となってましたが、運営本部のある会館に向かいました。
がやがやと準備の進む会館の会議室の中で青年部長を見つけ、原稿を持っていくと青年部長から話を持ちかけてきました。

「あー運ちゃん。あのさ、男子部の体験発表だけど、あれは無しね。県長が他の企画を入れるという事にしたらか、申し訳ないけど中止としてくれるか?」

さすがの僕も頭に来ました。

「ちょっと待ってください。J君はこの記念行事の体験発表という事で、寝る時間を割いて急きょ原稿を作成したんですよ?どういう事ですか?」

すると青年部長の脇に県長が来て言いました。
「あのさ、J君は病気なんだろ?病人の体験発表なんかダメだ!ダメ!当たり前だろう!」

その声にかぶせるように青年部長も言ってきました。
「そうですよねー県長。運ちゃん。そういう事だから、この体験発表はボツ!わかったな?あとはよろしく」

そういうと県長と青年部長はほかの打合せがあるのか、会議室を出ていきました。

「なんなんだ?これは・・・」
残った僕は、しばしJ君にどの様に説明したら良いのか、途方に暮れてしまいました。

会館を出た僕は、その足でJ君の自宅に向かい、事情を説明(ただし病人云々ではなく、記念行事の式次第の都合という事と言いましたが)し、頭を下げて詫びました。

「圏男、そんな気にしないで下さい。僕は少しほっとしていた処ですから」
かれは笑顔で答えてくれましたが、こういう事で振り回されてしまった自分自身も情けなく、彼に謝罪しました。

県長と青年部長はともに中心会館勤務の職員です。
この一件を見て感じた事は、「会員第一」と言ってはいても、創価学会の職員幹部にとっては末端組織の会員は駒の一つくらいにしか考えていないという事でした、

確かにJ君は病気を抱えています。しかも精神的な病気です。

その事は青年部長も知ってはいたであろうし、それは当然、県長にも伝えていたと思います。しかし彼ら2人の中では、所詮はJ君を含め、会員たちは会合運営の手ごまにしか過ぎないという事なのでしょう。

その人の心を軽視する考えに振り回されてしまった僕自身も情けなく、居た堪れない気持ちになりました。

ちなみにこの記念行事で圏男子部長であった僕には、記念品が授与されました。
それは「金褒章」という純金のバッチで、入れ物の表に熨斗紙がついていて、そこに「池田」と書かれています。



このバッチですが、今の自宅の仏壇の奥にしまっていて、一度も付けた事がありません。
まったくもって着ける気にもならない「似非モノ」と感じているからです。

でも多くの職員幹部はこのバッチを胸につけていたりして。
そもそも純金という事も、僕自身は気に入らないんですよね。
何か成金的な感じがしてなりませんからね。。。。

【20151124】創価学会-役職考⑮

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

もうこのシリーズも十五回目。
長くなりましたね、まるで僕の人生の二十年間近くの振り返りの様な内容です。

今の僕は創価学会の現状を否定していますが、僕の人生の中で二十年間は創価学会を肯定して、受け入れてた時代でした。

ただ長年にわたり、様々な先輩から教えられてきた創価学会という像が、実は創価学会の実態とは違うということに気づきはじめた時代も、この圏男子部長時代でした。

僕の圏には様々な男子部がいました。
その中でも、奥さんと結婚した時に折伏され、入会した副本部長が居ました。

奥さんの両親は、壮年・婦人の幹部として地道に活動に取り組んでいて、それなりに名前の通った人でした。
奥さん自身も女子部時代には白蓮グループに所属し、真っ直ぐに組織の中で頑張り、結婚時には彼氏を折伏、そしてその彼氏は班長から副本部長まで活動の場を拡げ、真面目に頑張っていました。

ある時の事、ある本部長からその副本部長、仮にI氏と呼びましょう。そのI氏と二ヶ月以上連絡が取れないという事で相談がありました。

そのI氏とは創価班でも同期で共に頑張った中でしたし、一時期は同じ本部内でも隣り合わせの支部で互いに部長だった仲でした。だから僕の方から連絡を取ってみる事にしたのです。

僕の方からI氏の携帯電話に連絡を入れても何時も留守番電話。自宅に行っても、部屋の灯りは点いているのですが、誰も出てきません。置き手紙を置いたり、幾度か試みるなかで、彼から連絡が入りました。

「圏男子部長には話をしておきたい事がある」

そういう事で、夜中にファミリーレストランで会うことになりました。

約束の日、僕が約束の時間にファミリーレストランへ行くと、既にI氏は店の中に座ってコーヒーを飲んでいました。

「圏男、忙しい中すみません」と頭を下げるI氏。
「何いってんだよ、圏男なんてやるもんじゃないよ」と苦笑いでこたえる僕。

この時、I氏の表情からは、かなり言いたい事を抱えているのが読み取れました。付き合いも長かったので、前置きは置いといて、単刀直入に切り出しました。

「本部長から相談を受けて連絡を取ってたんだけど、何があったの?」

I氏は下を向きながら話し出しました。

「圏男。俺はもう活動をやめますわ。」

この時に彼から聞いた話はこうでした。

彼は今の奧さんと結婚するとき、この創価学会の信心は一家和楽を実現出来ると教えられ入会しました。その後、子供も二人でき、彼は子供のため、また奥さんの幸せのために創価学会の指導通りに、必死に活動に取り組んできました。
また彼の奥さんも地元の婦人部の白ゆり長となり、聖教新聞の配達員もやり、真面目に婦人部の指導通りに活動に取り組んでいたそうです。
しかしここ二年から三年の間、地元の婦人部から求められたのは、聖教新聞の多部数の講読、また聖教書籍のノルマ不足の部数の購入、民音のチケット購入等があり、悩んでいたそうです。
子供二人を抱えながら、学会活動における様々なノルマ。そしてそれらを信心の二字で受け止めるという通り一辺倒な婦人部幹部の指導。当然、旦那の収入の中でそれらをこなす事に大きなストレスを抱え、最後には奥さんの心が病んでしまったという事でした。

「俺は家族が幸せになる信心だと教わり、それを信じてやってきました。でも結果としてその信心活動が、家族を蝕み始めています。これならやる価値が無いじゃありまそんか!違いますか?」

I氏は涙ぐみながら、訴えてきました。

この聖教新聞の多部数講読や、様々なノルマを現場に課している事、そしてそれは主に婦人部に負担が掛かっている事は知ってました。そしてそれが組織内に様々な軋轢を海始めていることは、圏内の部長や地区リーダーから聞いてもいました。

「そういう問題は聞いている。それは何とかしないといけないのも認識している。本当に申し訳ない話だ。」

率直に語りました。

「ただこれは一朝一夕に片付く話でもないし、どうにもならない。もし必要ならIさんの地区部長や組織に僕が入り、そのあたりの話をしても良いと思う。」
「だから活動には、少し冷却期間を置いた後、復帰というのは考えてもらえないのかな?」

この言葉にI氏はきっぱりと言い切りました。

「いや、もう嫁も活動には参加させませんし、僕も止めます。どうも創価学会の活動というのは、おかしいですよ!もちろん勤行・唱題はやりますが、活動はこりごりです。活動で家族が壊れるというのは、本末転倒です。違いますか?」

この言葉に僕は何も返せませんでした。役職については本部幹部なので総県以上の決裁がないと解任できません。しかし活動については外れる事を認めざるを得ないと判断しました。

「全て了解、あとの事は僕の方で組織のなかに話を通しておくよ。何も活動だけが人生ではないからね。」

「申し訳ありませんが、よろしくお願いします。それでは。」

彼は早々に席をたつと、自分の会計を済ませて店を出ていきました。

残された僕のなかには、言葉に言い表せない忸怩たる想いが吹き出していました。

聖教新聞のノルマとは何か?
書籍のノルマ講読とは何なのか?
民音チケットのノルマ購入って何か?

僕の圏の男子部ではその様な事は進めてません。もちろん、地区によっては地区部長や地区婦人部長から「マイ聖教」の話があったとも聞いていました。

「切り抜き用に、自分の新聞を講読しよう」

その事で僕の処へ相談があったとき、僕は無理に取らなくても良い旨、答えていました。
何もこのご時世、もし切りぬきしたい記事があれば、コピーをとってやればいい。無駄な新聞は不要だし、もしそれでも数を稼ぎたいが為に個人が二部三部とり、それを聖教新聞拡大の数字にカウントするのは邪道の極みと考えていました。

僕の処にはたまに圏長からも「男子部としてマイ聖教に協力してはどうか?」と話があったりしてましたが、それは無視をしてました。
しかし今回、男子部の奥さんがそれにより信心を壊したという実状を知ったのです。

これについて、当時の県青年部長に相談しましたが、答えは以下の事でした。

「確かに一人が幾つも新聞を取ったり、書籍を購入したりするのはおかしな話だ。でもそれは壮年・婦人部の活動の話だから、男子部からどうこういう事は出来ない。ただ組織のオカシイ話や矛盾点があるならば、やはり俺たちがしっかり戦い成長して、壮年部に成ったときにしっかり変えることができる自分に成長する事が大事なんだと思う」

確かに創価学会の末端組織ではおかしな話が多くあります。
それについて池田会長の折々の指導の中に「自分自身が創価学会を変えていくんだ」というものがあります。僕自身、この経験から自分自身のこの世界に生を受けた使命という事について、思索を深めるとともに、創価学会の活動について今一度冷静に考え直す必要があるのではないかと考え始めた次第でした。

【20151123】創価学会―役職考⑭

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

連休も本日で終わりです。
あとは年末進行で仕事が進みますので、バタバタと進む予感がします。

さて今回は少し変わった記事を書きます。

圏男子部長時代、日々面談する人数は結構多くなります。
圏内の男子部員やその友人、幹部連中エトセトラ。のべ人数にしたらかなりの数に生ります。

僕がまだ部員の時、当時の圏男子部長に会ったことがありますが、その時に自分の性格的な事や、傾向性をズバリと言い当てられた事があり、驚いた事があります。

「なぜ圏男子部長が言い当てることができたのか?」

この事ですが、僕が圏男子部長になったとき、個人的に理解できました。

普遍的な話ではないと思いますが、おそらく人というのは真剣勝負の対話の場を多く持つことで、初対面にその相手の人の性格的な傾向性など、ある程度把握する能力が磨かれるのではないかということです。

僕も圏男子部長時代、部員回りという事で、それこそ初対面の人と合って話すことが多くなり、その様な活動をするなかで、初めて合って二三言会話をすると、凡その性格的な事を読み取る事が出来るようになっていました。

これは興味深い出来事でもありましたね。

部員宅を訪問したあと、部長や地区リーダーと話すなかで「あの人、こんな性格的な傾向があるでしょ?それで学会に対してこうで、仕事でもこんなことになってないか?」と言うと、ほぼ的中していて、その事から派生する問題を抱えていたりするケースもありました。

こういった能力とは、誰にでも備わっているのだなと思ったり、またそれは多くの人との真剣な面談をこなすなかで磨かれるのではないでしょうか?

よく池田会長の「逸話」の中で、それに近い話が多くありますよね。

「全部解っているよ」という台詞。また宮本輝氏の「無言の叱責」という話で紹介されていた逸話など。

僕自身、この経験から、そういう事は特別な事ではないと思いました。

残念な事に今ではこのインスピレーションは、鈍りまくっているようで、こんな事はなくなってますが、圏男子部長から男子部の幹部時代には、それなりに冴え渡ってましたね。

この能力ですが、もっと鋭敏になっている能力を持つ先輩もいました。それは友人に面会したときに、部屋の中身から家族構成を言い当ててしまうという、いわば世間一般でいう「霊能力まがい」まで磨かれてしまったというものです。

本人曰くで、折伏現場を多く経験することで、身に付いたとの事。

ここまでいくと、新宿の母や池袋の母と言ったレベルですよね。本人は「学会活動の中で開花した」と言ってましたが、そんな事もあるようです。

よく「虚空会を体験した」とか、何かしら不思議体験を経験したという話はよくありますが、この様な「通力」というのは、精神的また肉体的に追い込む中で、発現する事はあると思いますが、それが人生の中でどれだけ役立つのか。

まあ本道の話ではありませんが、そんな事も圏男子部長時代にはありましたよ。

プロフィール

HN:
運ちゃん
性別:
非公開

フリーエリア

バーコード

ブログ内検索

P R

忍者アナライズ

カレンダー

08 2017/09 10
S M T W T F S
2
4
10 16
17 23
24 25 26 27 28 29 30

最新コメント

[05/03 NONAME]

忍者カウンター

Copyright ©  -- 想学談林-管理者の部屋 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]