忍者ブログ

想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
カテゴリー「役職考」の記事一覧

【20151117】創価学会―役職考⑧

こんにちは(´・ω・`)

それにししても、よくもまあこれだけ組織の中で経験をしたものだと思います。

考えてみれば二十代前半で独身時代に、ある男子部夫婦の離婚騒動に地区リーダーとして巻き込まれた事もありました。また家庭内の不和の現実に巻き込まれた事もあります。

だから僕は二十代半ばにして結婚に対する「幻想」というのは持ち合わせていませんでしたし、結婚とはどのようなものかという、自分の中で自分なりのスタンスというものを造り出していました。これは仕事についても同様です。

男子部の中でリストラに遭う先輩や仲間。仕事に成功する人や失敗する人。

まあ人生の中ではもう少し時間をかけて一つひとつ見る事を、短期間の間に多くのケースが目の前を通り過ぎます。

そういう意味では創価学会で役職を経験した事も、今の僕にとっては一つの財産になっている事は間違いありませんね。

ただしその反面。
今の創価学会の有様を見るたびに、僕も実は被告側の席の端くれにいるという現実もあるわけです。

今の僕の地元では、僕が教えてきた後輩たちがそれぞれ組織の要になって幹部として活動をしているという現実。またそのうえに今のおかしな創価学会の動きというのも在る訳で、僕自身百パーセント創価学会とは関係ないという立場には一生立つことはできないのでしょう。

さて圏書記長の話です。
僕が本部長時代の圏男子部長は、圏部長会という会合の流れを若干は変えていましたが、先のM氏が圏男子部長、僕が圏書記長の時には、「気合いを入れる」とか「弱い生命を切る」という流れは辞めようという事にしました。

そして内示を受けてから内々に新体制の圏男子部幹部会の準備を行い、会館の予約、担当幹部(これは暗黙的に総々県以上の幹部を呼ぶ事となっていました)の依頼。
また圏男子部幹部会の「開催報告」というものを創価学会本部の第一庶務宛に提出。これをすることで「池田先生からのメッセージ」が届きます。

こんなことを裏で静かに進めていました。

変な話ですがまだ人事が発表されるまでの期間、やはり組織の中がざわめくという事もあったりして、また圏単位になると男子部の支部幹部以上の人数も数十名近くの規模のなるので、様々な思惑が働いてしまいます。だからけして表に出る事の無いように動かなければならなかったのです。

また地元壮年部の圏長、圏婦人部長、圏女子部長にも挨拶に回り、地元の公明党の議員にも挨拶に行きました。
その他、前任の書記長から引き継ぎを受け、そこで人事申請書の書き方や申請書の提出の仕方、また圏内の全幹部の幹部カードの原本も受け取り、滞りの無いように準備を着々と進めました。

まあ内示を受けてから実際に新体制の発足までの一か月間、書記長の自分はより寝る時間もなくなっていましたね。だって表向きはまだ本部長という立場でありながら、実は裏では次の書記長としての準備を着々と進めていたんですから。

「おう運ちゃん、どうだ?準備は進んでいるか?」

相方で次の圏男子部長となるM氏は、毎晩深夜に僕の自宅を訪れてきました。様々な準備状況の確認をするためです。

三十代半ばのオヤジ二人が、毎晩深夜に密会を重ねているというのも変な話ですが、男子部の組織でも圏となると、それ位やらないと動かす事が出来ないというものがありましたね。

「Mさん、もうね、やってられない位、多くの雑事があって辟易しますわ」

これが当時の僕の本音でしたね。
このM氏とも実は長い付き合いで、二十代前半でともに地区リーダの頃から創価班で何かと一緒に活動をしていたりして、互いにそれなりにお腹の中身を知り合った間柄でした。

ただ残念なのが壮年部になったいま、僕は非活で組織から陰口をたたかれている立場になっていて、一方のM氏は壮年部で正役職で移行はしたのですが、大病を患い今では組織に出れなくなっているようです。創価学会得意の事ですが。

「Mは潰れて出てこなくなってるよ」という冷淡な言葉が先輩たちの間で言われているのを風の噂で聞きました。

共に二十代から三十代という人生の時期を歩いていた人が、四十代になって様々な苦難・困難にあっているという現実を知るたびに、またその事で末端組織からは投げ捨てられている様な言葉を言われているのを聞くたびに、胸が締め付けられる思いがします。

さて、この新体制の圏男子部幹部会ですが、三百名ほどの参加者で終える事が出来ました。
ここから書記長としてはちゃめちゃな期間の幕が開いて言ったのです。

PR

【20151116】創価学会-役職考⑦

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

役職の経験を書いて七回目。
創価学会青年部で二十年ほど活動をしていましたので、それらを本気で書いたら、それなりの小説になってしまいます。

それをかなりはしょって書いていますが、今更ながら様々な事があったもんだと感じますね。

さて、続きを書きます。
本部長を約二年。僕個人としては疲れてきたので、出来れば圏主任部長あたりの副役職になりたいなー、と考えていました。創価学会では正役職(副が付かない役職)につくと、まあ学会活動の主軸となるので、いやおう無しに数字の追及と会合の開催という事が付いてきます。

しかし一方「副役職」になると、そういった事は任意に近い状況になります。
まあ今も地区幹事という役職を持っていますが、これも壮年部では副役職。
だから組織も僕を放置して「くさいものには蓋をしろ」では無いですが、組織から放置をしておけるというものです。

でも、この副役職に近い立場で正役職というものがありました。それが「圏書記長」という立場です。

僕が男子部になりたての頃、この「圏書記長」という人がいましたが、一体何をしているのか全然解りませんでした。しかしその僕がこの役職につくというのも変な話です。

ある時、地元会館に隣の本部長と夜遅くに呼び出されました。
会館でその本部長と顔を合わせ、語り合ったのが「いよいよ本部長を終わり、ともに圏主任部長の内示でもあるのかな?」と少し期待したいた時、会館の中の会議室に呼ばれました。

そこには圏男子部長と圏書記長が座っていました。

「〇〇、と運ちゃん。お前たちは圏男子部長と圏書記長をやってもらうからな」

二人とも言葉なく、呆けた顔で互いを見つめました。
考えてみればこの当時の翌年には、衆議院選挙が控えていました。まあ僕のいた地元は公明党候補が立っている地域では無かったのですが、隣接地域の小選挙区や、比例区での選挙戦となります。

「まあ学会の人事には”NO”という言葉は無いという事は二人も十分理解しているだろうから、よろしく頼むわ。来週の月曜日の夜に総県の面接、その翌週には総々県の面接があるから、細かい事はまた連絡する。質問は?」

もう一人、仮にM氏と言っておきましょう。かれが質問をしました。

「先輩たちは何になるんですか?」

その言葉に当時の圏男子部長と圏書記長は苦笑いして言いました。

「一応建前だと言えないのだけど、俺らは分県男子部長と分県書記長になる予定だ。あ、これほかに言うなよ」

つまるところ、今の関係がそのまま上にスライドするという事であり、このままの関係が続くのかと思ったりしました。

このあと会館を出てから二人で近所のファミレスに依り、深夜までお互いの思いを腹蔵なく語り合いました。この日からM氏とは1年位の間は、仕事場を除くと毎晩の様に顔を合わせ、一緒に活動を共にする事になりました。

圏書記長。
これは一言で言えば圏という組織の事務方責任者です。
男子部も圏単位となると、壮年部や婦人部との連携も多くなります。また圏単位の会合運営は男子部が運営していました。

また創価学会の活動では「数字」という事が重要視されていますが、圏内には四本部二十支部あります。そこからは地区単位に様々な報告が上がってくるので、それを取りまとめ、分県に報告をしなければなりません。

また分県や総県で行われる会合や行事では、その運営に関して様々な事を準備する必要があります。

こういった組織運営、情報集約と発信などの時に、圏男子部の事務方責任者として一切取り仕切るのは、圏書記長という立場でした。場合によっては壮年部の書記長や圏長、分県長などとも連携をとり、組織を動かすという事も発生します。

ある意味で、圏男子部長よりも雑事が多く、大変な立場がこの圏書記長と言っても良いでしょう。

「できれば副役職」
こういった願望はかなえられずに、より怒涛の組織人としての活動がここから始まりました。

ファミレスから出たあと、夜空の星を眺めながら、圏男子部幹部会で準備すべき事に思いを馳せ、足取り重く自宅に帰った事を今でも鮮明に覚えています。

【20151115】創価学会―役職考⑥

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

このシリーズでは、僕の役職経験からそもそも創価学会の役職とは何なのか、実態を思い返すなかで、少し考え直してみたいと思っています。
だからつらつらと自分の過去の経験を書き連ねているところです。

まあ面白くなかったら、読み飛ばして下さいね。

さて、僕は本部長を二年くらいやりましたが、その中でも組織としては色々ありました。

基本的に問題の対応は部長がやるのですが、どうしても部長で対応が難しい場合、また絡まってしまった場合には本部長の処に持ち込まれるのが恒でした。

そういう意味では、より柔軟な対応を求められる事もあったり、知見が求められる事もあったり、また宗教団体ですから当然、教学的な造詣も求められました。

あ、これは僕が本部長の時に感じていた事なので、全ての本部長が同じように考えていたとは限りませんから。

ある出来事について書いてみます。

ある時に、ある支部の男子部が引きこもり、出てこなくなったという事で、部長から相談があり、その部員宅であるアパートに部長と訪問したことがあります。

玄関のすりガラスからは、部屋の中のテレビの光が透けて見えますが、部屋の電気は消えたまま。すると部長は玄関からではなく、他の窓から強制侵入。

「おいおい、そこまでやって良いんか?」

と思いもしましたが、その部員と部長は幼い頃からの付き合いだということで、そこはスルー。部長が部屋の電気を点けて中から鍵を開けてくれました。

「本部長、どうぞ入ってください」

「お前は盗賊か?」等と思いましたが、取り合えず「お邪魔しまーす」と言って部屋に入りました。部屋の中では件の部員はテレビに向いたまま、ひたすらゲームをしています。その脇で部長は何かと話しかけますが、これまた一切反応なし。

部長が話しかけている間、僕としてはやることがありません。だから部屋のすみに積んであるマンガ本を読んでいました。

それから一時間ほど経ったとき、部員がボソッと言いました。
「もう創価学会を辞めるよ」

部長は「何故だよ?」といきり立つのを僕は制止して言いました。

「なにかあったのかな?」

沈黙が五分ほど続き、彼の口から出てきたのは、仕事でリストラにあったこと、彼なりに必死にお題目を挙げたが全然状況が変わらないことなどを、ポツポツと話し出しました。

「祈りとして叶わざるはなし。そう言われたけど、実際には何にも良くならない。もう疲れた。」

かれは涙ぐみながら語り続けます。

「お前さあ、諦めてどうするんだよ!」

いきり立ちそうな部長を制して、兎に角、僕と部長で聞き役に徹していました。

彼は仕事をクビになってからの顛末を語りだし、そこで悩んでいたことを語り、自分として考えていたことを、順々に語り続けます。そして将来の願望も語り、それの為に入信した事も語りました。

よく創価学会の幹部では「弱い命は切ってやる!」「信心指導を打ち込む!」なんて言いますが、そんな事は不要で、本人の悩みというのは、実は本人が答えを持っているケースというのが極めて多いものです。

だから「指導」なんて言葉を負いかぶせる事は不要で、大事な事は話を聞くための耳を貸すことだと幾たびの経験から考えていました。だから兎に角、聞き役に徹したのです。

「本人が学会を本当に辞めたいのなら、そう結論を出すだろう。そうなったら僕が組織に話を通してやらないといけないなー」

そんな事を考えながら、結果として三時間ほど三人で対話をしました。その結果、本人の出した結論は。

「やっぱりもう少し頑張ってみます」

その言葉を聞いて、当時の僕は安堵して部長に後を託して部員宅を後にしました。

この件の部員、その後に引っ越しして後、結婚。今では二女の父親として家も買い、毎年欠かさず年賀状を送ってきます。

僕は今や非活ですが、毎年家族と一緒の写真の中の笑顔の年賀状を見るたびに、あの時、彼の人生の時間の中で少しは役に立てたのかなー、とか思い返します。

相手の話を聞く。

このスキルを少し身に付けたのは、実は僕の場合には、本部長時代であったのかもしれません。

まあその他、旦那が暴れているから来てくれとかいう深夜の呼び出し、借金取りに取り立てされているから、今すぐ来てくれとか、様々な事がありましたが、そういう意味でも鍛えられた時期だったのかもしれませんね。

現場に遠い位置にいながら、複雑な状況に対処するという事が、とても多い立場。これも本部長という立場だと思いましたね。

【20151114】創価学会-役職考⑤

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

おいおい宮田教授の件、いったいどうなってんだ?なーんて言わんで下さいね。それはそれで思考を進めてます。

さて今回も役職考を続けます。

僕は三十代始めに本部長に登用されました。まあ当時は「本部旗」というものがあり、僕が任命された後、新本部結成式という会合をやったのですが、その際に先輩の前任本部長から受け渡されたりして。

今でもあるのかな?

ここ最近の男子部は統監も減少してますが、僕が居た頃の本部という組織は五支部21地区で、地区リーダーも21名、部長は5名というものでした。
統監も四百名を越え、活動家の人数も五十人を裕に越える組織で、いまから考えると大所帯だなあーと思いますよ。

副本部長も三人いたりして、それぞれが叩き上げの三十代後半の古強者。そこに本部長として鎮座することに僕は常に居心地の悪さを感じてました。

でも部員の前や部長の前で、そんなことはおくびにも出しませんでしたけどね。

この本部長という役職が、これまた物凄い微妙だなという事を、就任早々感じ始めてました。

まず男子部の活動では圏(他の地域では区ともいいますが)で大きな方針が決まり、それを受けて各支部が動くわけです。
だから実際に活動という面では支部が足回りであり、各支部毎に独自色をもって活動します。

だから前にも書きましたが、誰がなんと言おうと、部長が貫くと決めた事には口出しすることは出来ません。それこそ部長を解任しなければ変えられないんですね。
でも部長の任命権は分県にあるので、それはそれで困難なんです。

かくして本部長というのは圏と部(支部)の間の調整役の様な位置付けになります。
名前こそ大層なものですが、実際に部員と直接接点を持つことは日常ではあまりなく、活動という側面もどちらかというと組織運営のスタッフ責任者に近い感じでした。

だからでしょうか。
例えは壮年部・婦人部・男子部・女子部の本部長以上で月二回行われる圏執行会議の運営や、毎月の分県執行会議への参加が義務づけられ、何かと組織運営という事ばかりに時間がとられる事にもなったのです。

部長までは末端組織の部員とガヤガヤやっていけたのですが、この本部長になってからは、男子部でも圏や分県といった幹部の中での活動も増えたり、それ以外でも圏長や分県長、たまに副会長なんて存在とも交わることが増えていき、本当に固っ苦しい立場というか、組織人間になってしまう感満載の日々を過ごしていた感じです。

一応、折伏戦とか選挙などでも本部としての目標設定はしますが、それはどちらかというと圏の目標から割り振られたものであり、本部としては如何に円滑に各支部がその目標に向かって進んでいけるのかという観点からの支援と、あとは報告の取りまとめに大半のエネルギーを使います。

もうね、スタッフですよ完全に。

またもう一つあるのが人事面接と申請です。
地区リーダーについては本部が推薦して、圏が任命します。支部幹部と違うのは幹部コードは払い出されないこと、また任命書が出ないことです。

だから人事の季節の前になると、圏と擦り合わせをして、必要な本部人事面接(地区幹部)をやらなくてはならないのです。

面接は本当に疲れます。
相手の家庭や仕事の状況を聞き、本人の覚悟を聞くのですが、その前段階で各支部から状況などを聞き、本人にも事前に打診をしてからの事なので、実際にはセレモニーの様な感じとなります。

この面接ではよほどの事(例えば本人が頑強に固辞する、状況の変化など)がない限りには、ほぼ通していました。

まあ幾人かは不可にした事もありますけどね。

この面接が終わったら、圏には人事申請書を作成して預かった幹部ガードと伴に提出しますが、その際には本部の壮年部、婦人部、女子部の各本部長の判子を貰わなければなりません。

そして圏の面接には随伴し、脇でその面接に立ち会います。

まあこんな感じの活動をするのですが、兎に角、本部長はスタッフというたち位置となりましたね。

本部長、それは創価学会の組織官僚の入り口と言っても良いでしょう。

【20151113】創価学会―役職考④

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

いやー、毎度毎度僕の体験を書いてますが、お付き合い頂き有り難うございます。

よくネットで創価学会の活動家は何を考えているか解らない。という意見もありますが、幹部をやってると、よりワケわからない事が沢山あるもんです。

そんな事を少しでも知っていただけたら良いかなー、と一人想いながらこのシリーズを書いています。

さて、創価学会では役職について。
「仏意仏勅」
「来たら絶対断ってはいけない」
こう指導しているわけです。

でも本当にそうなんかい?
そんな出来事について書いてみます。

僕は末端組織の部長という役職を十年近くやってました。当時の圏には二十支部ありましたが、後半の方では僕はその中で一番のロートル部長となっていたのです。

ある時、会館に行くと先輩幹部がゾロゾロ居ました。僕はその端でタバコを吸ってたのですが、よく世話を見てくれた圏主任部長が近づいて来ました。

「おう!運ちゃんも人事面接か?」

僕は何を聞かれてるか解らなく「違いますよ、コピーを取りに来ただけてすが」と答えると、その先輩は言いました。

「あれ?お前も十年近く部長しているから、この間の圏の人事検討では本部長という事で名前があがってたんだけど、、、おかしいなー。」

と不審顔でした。

「またまた、ご冗談を」と僕。するとその先輩が言いましたよ。

「あー、、じゃあ分県で蹴られたんだなー。そうかそうか」

独り納得してました。

「え?何ですかそれ?」僕は聞き返すと、その先輩が内容を話してくれました。

「まあ運ちゃんだから話をすると、圏の人事検討会で、次の組織体制を検討するなかで、君を○○本部の本部長という話が上がってな、圏男子部長もそれで行くことにしたんだよ。けとな、Kさんが君の人事に反対だったという話は聞いていたんだ。だってKさんは運ちゃんの事は気に入らないという事だったらしい。」

まあこの圏主任部長とは十年以上付き合いもあり、僕を信用して話をしてくれたのでしょう。

ここで名前の出たK氏ですが、地元の大先輩であり、元は上場企業に勤務していたのですが、学会活動大好きで転職。地元の支部長が経営する零細企業に転職したという強者で、なんでもそれが原因で奥方の仲は険悪、家庭崩壊の危機だとか。
でもそんな姿勢を地元副会長から気に入られ、組織内も「出世街道まっしぐら」でトントン拍子に上がり、当時は分県青年部長で分県の男子部を意のままにできる立場の人物でした。

まあここでK氏が僕を「気に入らない」というのも、実は御本人お気に入りの人を人事に割り込ませたいからであり、要は圏の人事に口を突っ込んできただけたと、僕は理解しました。

「下らない話ですね、まあ僕はそんな事、興味もないんで。あ、でも教えて頂いて有り難うございました」

組織内で部長になってから、度々耳にした言葉に「政治的生命」というのがありました。要は部長から上に上がるにはそれなりに「政治力」が関係するそうで、それから外れると圏や分県幹部には上がれないという事でした。

僕は元々、創価学会の役職には興味も無かったし、出来れば上がらないで静かに居たかったので、むしろ外れたことに安堵してました。

少し話はずれますが、僕が地区リーダーの頃にお世話になった圏幹部のなかで、とても面白い人がいました。
かなり年季の入った人ですが、前に住んでいたのが信濃町に近く、男子部の後輩で中央幹部がゴロゴロいるという人で、何故か僕はその先輩とはウマがあい、夜中によく話を聞きにもいってました。

その先輩が創価学会の人事についてはこう言ってました。
「所詮は組織がやるから俗人的なものだよ、親分子分ではないけど、人が人を引っ張る構図」

この話を聞いて「なるほどねー」と妙に得心したりもしました。

まあ僕としては部長で散々やりましたから、もう上に行かなくてもいいやとたかを括っていたのですが、そうはなりませんでした。

先のK氏が半年後に男子部を卒業。

その後、僕が苦手としていた先輩が、分県男子部長になった時に本部長に引き上げられ、その先輩が男子部の位階を上がるに連れて引き上げられていきました。

それから四年の間に本部長から圏男子部長までぐいぐいと。

その中で様々見てきたのですが、それはまたの機会に。

プロフィール

HN:
運ちゃん
性別:
非公開

フリーエリア

バーコード

ブログ内検索

P R

忍者アナライズ

カレンダー

10 2017/11 12
S M T W T F S
3 4
5 11
12 15 16 17 18
19 24 25
26 27 28 29 30

最新コメント

[10/21 中]
[05/03 NONAME]

忍者カウンター

Copyright ©  -- 想学談林-管理者の部屋 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]