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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
カテゴリー「役職考」の記事一覧

【20151112】創価学会-役職考③

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

前回は僕が男子部部長の時の事を少し紹介しました。
この男子部の部長というのは、恐らく壮年部辺りでは地区部長に相当すると思いますが、要は末端組織の最前線にいる創価学会の幹部だと言う事です。

ある部長の話を紹介しましょう。
折伏戦。これは創価学会では広宣流布の本道の戦いと言いますが、実際には新規会員獲得の活動です。

目標という事で、創価学会の中では全ての活動に「数字目標」が付いて回ります。
総県の目標、分県の目標、圏の目標。数字目標は組織毎に細分化され、最終的には支部の目標が設定されます。

この目標は「自主目標」と云われていますが、実際には上位組織の目標を元に設定される事になりますので、末端組織にマッチしない目標となるのが大半です。

この立てた目標に、責任を持つ最末端の幹部が男子部では部長です。折伏戦でも当然、数字目標が設定されるのです。

この折伏戦という活動では、毎週、圏という単位で「部長会」という会合が持たれます。この会合には分県や総県、たまに総々県の幹部が来たりしますが、まあ簡単に云えば修羅場でした。

何が修羅場かと云えば、各部(支部)毎に部長が活動報告を行い、そのあと圏書記長という立場の人が、各部の目標に対する進捗確認を、全部長参加の面前で始めるのです。

書記長:「○○部長!お前の処は今週1つも入会決意ガードが取れてねえじゃねえかよ!」
部長:「申し訳ありません!」
書記長:「お前さ、やる気あんのかよ!?」
部長:「あります!!」
書記長:「来週までに幾つやるんだ!?池田先生はな、結果しか要らないって言われてんだよ!」
部長:「申し訳ありません!」
書記長:「お前、来週もこんなふざけた戦いしていたらぶっ殺すぞ!」
部長:「わかりました!!」

多少デフォルメは入れていますが、数字の上がらない支部の部長は、顔を真っ赤にし、冬であっても汗ダラダラでこんな仕打ちを何時も受けてました。

実はこの部長、翌週には居なくなってしまいました。回りの誰に言う事なく、静かに引っ越してしまったんですね。

かわいそうな話です。

斯く云う僕の組織も折伏戦では、数字が一向にあがりませんでしたので、先に紹介したような洗礼を、僕自身も毎回受けてました。

地元の支部協議会でも、数字が上がってなければやり玉に上がります。

「男子部は折伏進んでんのか?」

支部長から聞かれ、状況を説明。まあ壮年部だから、男子部とは違って激励される事が多かったのですが、前に圏男子部長をやっていた人が壮年部で支部長やってた支部では、男子部ばりに詰められたという話も聞いたことがありました。

また昼間に仕事をしていても、職員の地元幹部がいると、こちらの仕事なんて関係なく会社に電話が掛かってきたり、当時はポケットベルが普及し始めていた時期なのでポケットベルが仕事中にピーピーなったりして。

とにかく一年365日、一日24時間、数字数字の日々でした。

また支部の部員が事故にあったり病気になったりすると、その詳細を報告しろというお達しが本部長からあったり、まあ何かかしかで毎日コマネズミの様にクルクルしてました。

部長時代の僕の感覚ですが「精神的その日暮らし」でしたね。

地区リーダーや班長、活動家からは相談や愚痴、苦情なども受けたりして、兎に角、精神的に休まる時間はありませんでした。

この部長という役職ですが、僕は十年近くやりました。まあ最後の方は、圏男子部長と云っても同年代とか、よく知った先輩がやっていたりして、役職もこなれていたので適当にやっていたりもしましたけどね。

今から考えると、まあ思いで深い日々でしたよ。

またある時、僕の組織にかなり歳上の長城会の地区リーダーがいました。この長城会というのもよく解らない組織でしたが、簡単に云えば兎に角マイペース。でも珠に一対一になると叱られてたりして。

「運ちゃんさ、お前の部の指導性は池田先生の想いと全然違うんだよ!解ってんのか?」

そして滔々と池田哲学を打つわけですが、僕からしたら、そんな事より部員の面倒を見てくれよ。とか何時もおもってました。

この地区リーダー。長城会ではかなり上のポジションらしく、よく組織から忽然と消えたりして。
ある時僕は、当時の圏男子部長とこの地区リーダーの家庭訪問をしたのですが、圏男子部長と地区リーダーは意気投合。何故か帰りの道すがら僕が圏男子部長に怒られたり。

「お前の指導性が悪いから、あんな素晴らしい人を動かせないんだ!全てお前の責任なんだ!解ってんのか?」

もう当時は何が何だか解らない世界でした。
しかしこの「ワケわからない世界の常識」を叩き込まれたのは、まさにこの部長地代であったと思いますよ。

まだまだ語れる内容は山ほど在りますが、全てを語ると個人まで特定されかねないので、ここまでとします。
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【20151111】創価学会―役職考②

こんにちは(´・ω・`)

前回は部長までの役職経歴についてサラッと書いてみました。

僕が「創価学会幹部」として本当の意味で歩き出したのは、「部長」という役職からだと今でも思っています。

それほど男子部の部長という役職は、インパクトがありました。

「自分で考えろ!」「部員の問題はお前の責任だ!」
僕が部長になって常に言われていたのは、この2つの言葉でした。

地区リーダや班長時代、こまった時や部員の家庭の問題、様々な事を最終的に切り盛りし、対応していたのは先輩の部長でした。

それこそ何から何まで「部長」に集中していたと言っても過言ではありません。



僕が部長になって初めて行われた活動が「支部総会」でした。
僕の担当した組織は男子部統監が九十名。活動家は十二名~十五名。地区リーダーが5名で班長は十名。そんな組織でした。
昨日まで横並びでやっていた仲間が、任命を受けてから僕の事を「部長」と呼んで様々な事を相談してきます。地区リーダーの中にはそれこそ三十後半の古強者の地区リーダーがいる中で、二十代後半の僕が何かと方針を出していかなければならないという立場。

しかも始めて部長として取り組む活動が支部総会で、しかも担当幹部に総県長が来るという事で圏でも注目を集める内容でした。

壮年部の支部長からは「男子部で盛り上がる企画をやってくれ」と要請を受けたので、地区リーダーと班長、みなで頭を突き合わせて時事問題のビデオを制作してそれを流そうという事になりました。また支部でやるので女子部とも連携とってやってくれというオーダーが壮年部・婦人部からもあったので、女子部も巻き込んでの活動となりました。

班長の中にはビデオ編集に長けたメンバーもいました。また当時は「オープンハウス大学校運動」というのも始まっており、友人も企画に参加する中で、この時事問題ネタのビデオ作成に取り組もうという事を皆で決定して進めたのです。

土日には県内のあちらこちらにビデオ撮影に行き、夜にはそのビデオ編集。
数名の会員でもない友人を巻き込み、とにかく一生懸命取り組みました。

そんな中である時、支部総会の一週間前でしょうか。突然、圏男子部長から直接電話で深夜に呼び出しを受けました。

「運ちゃん!何か面白そうな企画やっているんだって??」
圏男子部長からの言葉に僕は企画内容を説明しました。そうすると圏男子部長は語気を強めて言いました。

「お前さ!今度の支部総会には総県長が来るの知っているよな?そんな時に時事問題のビデオ制作に血道をあげてどうするんだよ!結集はどうなってんだ!?あん?変なビデオ制作して総県長の前で無様な男子部の姿を曝したらどうするんだよ!!解ってんのか?」

圏男子部長は徐々に語気を荒げて言いました。

「企画なんかはさ、長編詩の暗唱とかやりゃいいじゃねえか!それより結集をどれだけやれるのかに柱力しろ!そんな企画なんてやめちまえ!」

まあ圏男子部長からのカミナリ落とし。二十代後半の僕には堪えましたね。

その翌日、悩みながらも支部の青年部打ち合わせに顔を出し、正直に圏男子部長の言葉を伝えました。

「どうしようか・・・」

この言葉に男子部の活動家たちは大紛糾。
「そんな事、今頃言われても”ハイ、解りました”なんて言えますか?」
「馬鹿らしい、だったら止めましょうよ」
もう大荒れに荒れてしまい、どうにもならない状態。
これを見て当時の僕は言いました。

「解った!じゃあこの企画は進めよう!圏には話を僕が通す!」

その言葉で皆が静まり、とにかくあと一週間、完成にむけて頑張る事になったのです。

その後、圏部長会の終了後に圏男子部長から個人的に呼び出されて聞かれました。

「どうだ?企画は変えたか?結集はどうなんだ?」

今なら「うるせえな!」と言えるのですが、二十代後半の僕はそんな威勢良くは言えません。ただ言ったのは「部として皆と協議した結果、このまま進めます」と言うと。

「お前は何を考えてんだよ!?」と圏男子部長はあきれ顔。
でも部長が譲らなければ、如何に圏男子部長であっても支部の事は口出しできない。そんな不文律もあったので、僕は圏男子部長の言葉に耳を貸さずに主張を続けました。

「だったら勝手にしろ、責任者はお前だ。結集で無様な姿を曝すんじゃないぞ!」

そういう言葉を言われて僕は解放されました。

それから一週間、夜になると部員宅に集まり企画モノの制作。またリハーサルなどを行っていました。当時の僕は腹を括ってました。「ダメなら致し方なし」とね。

そして支部総会当日。当時の壮年部・婦人部も青年部が頑張っているという事で大結集してくれましたし、ふたを開けると男子部も三十名を超える結集となっていたのです。
どうやら部員やその友人たちが、自分たちが一生懸命作成した企画モノビデオを見てほしいという事で、時間を見つけては部員の結集にも当たってくれていたとのこと。

支部の男子部では過去25名が最大結集だったのですが、それを上回る参加者と、ものめずらしい企画に集まってくれた壮年・婦人部もいて、支部総会は大成功で終わりました。

担当幹部の総県長からも「こんな企画を作る男子部は見た事が無い、良くできてます。ごくろうさまでした」と最後の幹部挨拶で言ってもらい、企画に取り組んだ支部の男子部・女子部は大盛り上がりで終了する事が出来たのです。

終了後、会場には圏男子部長も来てましたが、先日の夜中の顔とは打って変わって笑顔で言いました。
「運ちゃん!よくやったなー、ご苦労さま」

「何を良く言うわ」とも思いましたが、自分自身で決めた事。そして仲間が共通認識で頑張れば、新しい動きを作る事が出来ると実感出来た経験でもありました。

この経験が、僕が青年部でこのあと十数年間、幹部で進む上の原点ともなったのです。

【20151110】創価学会―役職考①

こんにちは(´・ω・`)

さて今日は記事を連続して書きます。
ツィッターで僕自身の青年部の役職経験から少し呟いたのですが、ツィッターは縦に流れる代物で、後々記録に残るかと言えば、これが実際には残りずらい。

だからブログでまずは記録として書いておきたいと思いました。

創価学会の役職、それは「責任職」と云われています。

まあ会長だ理事長だ、副会長だは仕事で活動をしているので、そこでは年収五千万とか一般世間からかなりかけ離れた収入を得ていますが、基本的には創価学会の役職、大半はボランティア(無給)です。

最近では総県幹部以上は必ず「本部及び関連団体の職員」などが就任するケースが多くなっている様ですが、僕が青年部の時には総県・総々県幹部あたりは民間企業で仕事をしながら幹部をしている人が大半でした。

まあこれから書く役職は、一昔以上前の事ですが、創価学会はある意味で十年一日の様な組織なので、それほど大きく変わっていないと思います。

創価学会を知りたい人、またこれから幹部にさせられそうな人たちの参考になれば幸いです。



◆初めての役職、男子部班長
いまの男子部では「ニューリーダー」と呼びますが、僕が始めて創価学会から貰った役職は「班長」というものでした。
当時は人事規定がしっかりしていたのか、班長になるにも幹部カードというものを書き(これは履歴書みたいなもの)、しっかりと圏男子部長の面接を受けてから登用されるというものでした。
創価班や牙城会といった人材グループに入るにも、この班長になっていないといけないという事もあり、20代前半で僕は班長に登用される事になったのです。

当時は各地区に班長が2~3名は居たものです。
そして班長には地区の男子部名簿から担当する部員を割り当てられ、班長が独自に「家庭指導」という活動や、会合などの連絡にあたってました。
僕が始めて受け持った部員は十名程度、活動家は居ません。僕だけ活動家。

僕は初めて受け持ったという事もあり、地道に家庭訪問を続けました。
そんな中で幾人かは仲良くなり、偶に会合に顔を出してくれる人も出てきました。

この班長ですが、考えてみれば一番楽しい時期でしたね。
会合なんて月一回の圏班長会、あとは創価班関係の会合くらいなもので、自分の時間も自由に取れ、それこそ自分の時間の間で活動をするというペースでしたからね。

◆組織としての地区リーダー
班長を地道に取り組みながら、創価班にもなり、班で一緒に活動する人が1~2名出るようになった頃、地区リーダーの話を受け、任命されました。面接は圏男子部長。
統監では男子部が二十名程度いる地区の「地区リーダー」に任命されました。

僕が地区リーダーとなった地区では、班長が2名、活動家は2名程度の規模でした。それでも地区リーダーになると格段に会合も多くなり、折伏や選挙などでは「地区としての目標」を具体的に立て、それに向けて取り組む事を求められる様になります。

また壮年部や婦人部の地区部長、地区担当員(今は地区婦人部長と呼ばれています)とも連携を取る必要が出てきますし、地区統監には顔を出して、男子部の統監情報などを聞いたり、場合によってはその対応するなどの必要も出てきました。

いまは違うようですが、当時の男子部の地区では「地区活動者会」というものを企画して開催したりして、組織としての動きや身の振舞方などを教えられた時期でもありました。

ただ男子部の数字の責任は、支部の男子部部長がその責めを負うというものであって、地区リーダーはそれほど厳しく追及される事もなく、この地区リーダー時代であっても結構自分の時間を持ち、友人とも交流したりとやれていましたね。

班長と共に活動し、部員の家を家庭訪問する中で、活動家の人数も少しづつ増えていき、地区活動者会やると常時数人の部員が参加してくれたりもして、部員の中には「会合する場所が無ければうちを使えや!」なんて云う部員も出てきたり。
また家庭訪問をする中では、部員の家族とも仲良くなったりで、壮年・婦人では掌握できない事まで教えてもらったりと、まあまあ面白くやってましたね。

でも偶に折伏戦とかで支部の数字が上がっていない場合には、本部長から直接電話が来たりして、そこで呼び出され雷を落とされるという事もありましたが、それでも気楽にやっていた記憶があります。

こんな感じで地区リーダーを数年間やっていたのですが、支部の中では「次の部長はお前だ」みたいな雰囲気が少しづつ醸し出されてきたりもし始めていました。

でも当時の僕は、自分の時間を取りたいという思いもあったり、また偶に垣間見る「圏男子部長会」の修羅場、また部長の先輩が常に駆けずりまわる姿を見ていましたので、絶対部長なんてやるものではないと考えていたのです。

◆創価学会にどっぷりの部長
当時思ったのが、班長や地区リーダを呼ぶ時には「●●さん」と呼ばれていたのに、男子部の部長になると「●●部長」と呼ばれていました。この呼び方の違い一つを取ってみても、部長なんて創価学会と腹を据えて付き合わないと出来ない役職だと感じていたのですが、その部長の役職のお鉢が二十代後半になりまわってきました。

この「部長」という役職ですが、任命は分県男子部長が行うというもので、役職を辞める場合にも分県男子部長の決裁が必要という立場です。僕が部長になる数年前まで「部長バッチ」というものがあったりする立場でした。

また「幹部コード」という背番号を割り当てられるのも部長からで、創価学会人事委員会から「任命書」という書類も発行されます。

まあ部長の内示が出てからは、できれば逃げ出したい気持ちもありましたが、組織的なしがらみなどもあって、それも叶わず結果として任命を受ける事になりました。

僕は青年部では分県青年部長までやりましたが、今から振り返ると、何かと一番思い出のあった役職はこの「部長」と「圏男子部長」でしたね。

この部長の経験については次の記事に書いていきたいと思います。

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