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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
カテゴリー「政治考」の記事一覧

【20170724】日本の状態、危険ですね

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

この間は九州と思いましたが、今度は東北地方を豪雨が襲ってます。
この日本はどうなった、というよりも天候はグローバルな動きでもあるので、地球気候が変化していると言っても良いのかもしれませんね。

さて今回は政治の話です。
稲田防衛大臣、将棋で言えば「詰み」の状態だと言われていますが、これは日本の政治としても詰んでいるのでは無いかと思いますが、どうでしょうか。
大臣更迭したところで、この問題は解決する話では無いと僕なんかは考えますけどね。

まず陸自のPKOで南スーダン活動の日報に「戦闘状態」と書かれてしまったという、ここが第一の問題です。
今回は「駆け付け警護」という「海外での武力行使」という、まあ国際的な軍事組織であれば当然の事を初めて自衛隊に付与したわけです。しかし日本国内では憲法問題もあり、この海外での武力行使を容認出来ないという事で、限りなくグレーな状態に置くために「戦闘地域には派遣しない」という条件が付けられたわけです。
しかしその条件が合わない南スーダンに自衛隊は派遣され、それが証明されるように陸自の日報に「戦闘地域」と明記されてしまった。

当然、派遣を決めた政権側としてはこの記載を認めるわけには行かないので、それは「隠蔽」という行動にでた訳です。その意味で稲田防衛大臣は政権側として当然の行動を取りました。

しかしこの陸自の情報が外部にリークされてしまったわけで、結果として稲田防衛大臣が省内や自衛隊へのガバナンスと、そもそもの問題であった自衛隊のPKO派遣の条件違反に関して責められるわけです。

本来、軍事情報というのは、いずれの国家であってもセンシティブなモノなので、これがいとも容易く外部に漏れる事自体が問題なのですが、今回の事を見ると自衛隊の中にもかなり不満があり、その為にリークされた感じもしますが、そこはどうなのでしょうか?

また今回の事を防衛大臣更迭で乗り切れるかと言えば、結果として法律の条件違反を責められる事には変わり無いので、安倍政権は窮地に立たされるでしょう。

もともと自衛隊の置かれている位置が特殊であり、軍事組織と完全に規定されていないにも関わらず、軍事組織として動く事を法律で求めているんですから、この矛盾点を解消しない限り、PKO等に派遣してはいかんのですよ、いくら条件を付けようとも。

そもそも誰が今の日本にPKO参加を求めていたんでしょうか?
そこも考える必要がありませんかね?

これは辺野古問題を代表とする沖縄関係の問題にも、実は同質の問題が隠れているわけで、日本は現行憲法で「武力放棄」を詠っているわけであり、それが故に国の軍事組織としての「武力」の変わりにアメリカの軍事力の傘を利用している構造です。
自国の防衛すらできず、そこを他国に頼り切りで戦後七十年以上、安逸な生活をしてきてしまった日本社会は、その危険性を理解出来ないでしょう。
日本の戦後七十年の安逸は、アメリカの軍事力の元で得られた安逸であって、これはけして理想的な事ではないのです。

歴史上見ても、他国の軍事力の傘の下で完全な独立国として動けた国はありますか?
僕は見たことありません。

その付けの一部が露見してしまったのが、実は今回の稲田防衛大臣の問題のように、僕は思っています。

あとは加計学園の問題。
これは官僚主導の硬直化した、政治の力で仕組みに切り込む事を目的とした「国家戦略特区」が、実は総理大臣のお友達を助けるために利用されたという事でしょう。

国の行動を取り仕切るのは官僚組織であり、そこには様々な制約や煩雑な手続きがあります。そしてこれは長年にわたり日本を動かしてきた官僚組織の権益維持の仕組みも隠れています。
それを「規制緩和」というお題目のもと、政治家は風穴を空けるべく努力をして、今回の「国家戦略特区」というのも作られたのでしょうが、結果としてそれは政治家やそのお友だちの権益維持の為に利用されたという事なんでしょう。

しかし考えてみれば、政治家にはそれぞれパトロンが居て、パトロンは自分への権益誘導を求めてお金を政治家に出しているわけです。だから政治家の動きとしては、当然あり得る行動な訳ですね。

政治とは利権の取り合いであり、けして綺麗事ではありません。しかしそこに携わる政治家には、その泥々とした政治の中でも消えない理想をもって生きてほしいものですが、どうもそこが昨今の政治家には無くなってしまったようです。

その政治家の劣化は国民の政治意識、また国や社会に対する国民の意識レベルの低下を表しているわけで、そこから見ると、今の日本の社会の問題は、とても重篤な状況ではないかと思います。
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【20170630】政治を監視できない

こんにちは( *・ω・)ノ

雨でジメジメ気温も高く、とても不快な陽気です。しかし天気予報を見ると関東近縁は降水量が少なく、このままいけば大渇水になるかもしれません。

やばいよね、大渇水は。
出来れば「雨土塊を砕かず」という陽気でこの梅雨があってほしいものですが、どうなんでしょうかね?

さて最近の日本の政治、こりゃ末期的な様相を呈してきていると感じます。
政治というのはマスコミにどの様な姿を露出するのか、そこも大事な事なのですが、露出するのが余りにお粗末な姿ばかり。

豊田劇場「どうちたんでちゅか~」暴言発言とそれに類する二回当選組の業態、森友学園アッキーナとか、加計学園関係とか、稲田大臣の不用意な発言等々。

考えてみたら短期これだけマスコミに「話題」を提供する政権は今まで無かった様な気がします。

本来ならばこれに対抗しなければならない野党も、元々やってる事がテンでんばらばらで、国民から見向きもされてません。
安倍政権がなぜ安泰なのかの1つは、この野党としての不甲斐なさと、旧五十五年体制を彷彿とさせる姿でしょう。

でも最近思うのは、やはり今の自民は一回下野すべきですね。

ああそうそう、公明党は個人的には無くなって欲しいものですが、そういう事は無いでしょう。何せ七百万という票をいまだ創価学会は握ってますから。

本来、七百万票を持っているのであれば、公明党が日本の政治のキャスティングボードを握れる筈なんですが、今の公明党・創価学会にはそんな意識は微塵も無いようです。ひたすら権力側に「下駄の雪」としてついて行くのが関の山。しかも過去から共産党や民進党なんかを「仏敵」の様に扱っているから、そんな野党と協力できる組織では無くなっています。

かつて戸田第二代会長は、当時の青年部への遺訓として「青年は心して政治を監視せよ!」と述べたと言います。

これは創価教育学会として経験した事からきた言葉だと思います。

昭和初期まで創価教育学会は日本の権力側とは上手くやってました。それは何度も書きますが、長野赤化教員オルグの行動でも解ることだし、大日本皇道立教会に牧口会長が参加していた事からも類推できます。

しかし政治の潮目が変わり、思想統制が始まったときに、いままで良好であった権力側との関係に歪みが出来て、結果、一気に壊滅させれたのですから、それを経験した戸田会長としては、当然の遺訓です。

当時の青年部とは今の信濃町界隈の御老公達。まあダニ川やピロシは違いますが、それ以外の老害幹部は、みな当時の青年部でした。

そして彼らが舵切ったのは、政治を監視するではなく、政治とお付き合いすること、しかも権力側と良好な関係でいる事でした。

表向きは「創価学会を守る」とか言うのでしょうが、内実は創価学会及び関係団体、またそれらに寄生する権益を守る為であり、けして理念があって執っている行動ではありません。

おそらく権力側に「重要な事」でも握られているのかと邪推しますが、それも結構当たっていたりして。

戸田会長は広宣流布の展開として、政治の分野も避けてとおれないと考えていたと言いますが、そうであれば政治に関してもしっかりと人材育成して、その彼らの自由意思により政治活動をさせれば良かっただけではないかと思います。

何も公明党なんて作らなくても良かったのでは、と思われますが、考えた見たら公明党を作ったのは第三代でしたね。

戸田会長は政党に拘らない、特定の政党に与しないなど、数々の公式発言をしてましたが、それを守らず公明党として創価学会会員達の政治活動をスポイルしたわけです、信仰にかこつけて。

恐らく戸田会長の考えていた政治との関わり方と、池田会長の考えていた政治との関わり方が違ったんですね。

日蓮という人は、鎌倉時代の僧侶にあっては珍しく幕府に意見を述べ、自律的に意見を表明するのみならず、その考え方を広くあまねく述べました。それが結果として幕府に睨まれ数多くの迫害にあったわけですね。

だから昭和初期には国柱会とか、北一輝といった国粋主義者からも、この日蓮は信じられたのかもしれません。

創価学会がもしフリーハンドで組織内で政治論議を進めたらどうだったのか。恐らく今のような異様な一致団結した政治行動は無かったと思いますし、場合によっては組織としては分裂していたかもしれません。

いや、、、分裂しないで、もしかしたら良い意味で日本の政治への活性剤になれたかもしれませんね。

歴史には「もし」は無いと言いますが、ただ日本の政治をいま一歩語る人達が増えたかも知れませんよ。

しかしその場合には、信濃町界隈に「美味しい話」が今ほど転がり込んだりもしないでしょうけどね。

とにもかくにも、池田会長が作った公明党により、今の創価学会の中では、政治の話を語る風潮はなくなり、政治の話がご利益信仰の上で語られる様になってしまいました。

これで政治を監視するなんて、こりゃ無理ですね。だって考える政治的な頭が無いのですから。

【20170627】これからの日本、二題

こんにちは( *・ω・)ノ

梅雨梅雨梅雨梅雨。
ジトジトしていて嫌になりますね。
しかし朝のニュース番組を見てたら、この週末は猛暑になるとか。梅雨は嫌ですがここで雨が降らないと水不足が心配になってしまいます。
今年はどんな夏になるんでしょうか。

さて今日のお題は政治関係の事で二題書かせてもらいます。
以前に知人の飲み屋のマスターからは、「政治と宗教と野球の話題は、やってはいけない」と聞いたことがあります。それは必ず喧嘩になるからという事だそうです。

自身の信条の話なので、人は感情的になってしまうんですよね、これらの話題は。

それはともかく、まず始めに加計学園に関する事。これは「特区」に纏わる事が根本にあり、要は従来の官僚主導を「壊すこと」を目的とした政治主導の動きで、要は「規制改革」の動きであったはずですね。従来では文科省の専任領域(今回は獣医科大学の新設)に内閣府が切り込んで行ったという事。

しかし今回の問題は、この制度を時の政権の権力者が、仲間内に便宜を働くために制度を利用したという事ですね。これはどうなんでしょう。そこには官僚制よりもたち悪い事が生じてきます。

日本の官僚制は問題もありますが、優秀な処もあり、規制でがんじがらめの杓子定規な処はありますが、特定の人達に対しての利益誘導が難しいという事もあるでしょう。しかし一方で「お役所仕事」と揶揄される様に、新しい動きが取りづらくなってしまいます。

そこに対して政治主導で切り込みを入れる構想が「特区構想」というものであり、それは良いのですが、それが例えば総理大臣のお友達の為に利用されたのであれば本末転倒、ここでミソがついてしまい、政治主導という動きが「身内への利益誘導」となり、胡散臭く見られてしまい、引いてはこの政治主導というのが今後執りずらくなり、結果として官僚主導が強くなるのではありませんか?

そこには「政治主導の規制改革」という事を頓挫させるリスクがあると思うのです。

個人的にはこの国の政治主導という事に、この先大きなキズを与える出来事の様に思うのですが、どうなんでしょうね。もう政治主導という言葉はダメなんですかね?

もう一つは憲法改正について。
最近の報道を見る限り「加憲」という事に倒れていく様に見えていて、これには公明党・創価学会への権力側の配慮ではと穿った見方をしてしまいます。

憲法に自衛隊の事を明記する事で、自衛隊を今後違憲議論に上がらない様にすると、安倍総理は言ってましたが、僕はこの自衛隊に関する事、国防に関する事は、国民の大きな意識改革が必要であり、それなくして進めるのは危険だと思うのです。

安保法制もしかりですが、日本が国家として軍隊を保持する事は、僕は反対ではありません。何故なら人類社会では外交の先に軍事があるわけて、そこのカード無しにやはり真の独立国家というのはあり得ないと思うからです。

彼のインドの阿育大王の時代でも、軍隊は存在しました。軍とは国の機関であれば、その存在を議論するのではなく、その立ち位置や扱いについてもっと議論すべきと考えます。

今の日本はこの自国の軍事を完全にアメリカ依存していて、そこのリスクを国民は認識すらしていません。認識していないにも関わらず、それを見ないで自国の安全保障を語るのはあまりにおかしいと思いませんか?

沖縄の問題や尖閣諸島の問題、また北方領土や竹島の問題がなぜ拗れるのか。そこには日本人が自国の安全保障という国の根幹に対しての認識の無さがあると僕は考えています。

自衛隊は国内法に縛られてますが、本来の軍というのは国際法による立場を持つ組織であり、制限も軍法という国内法とは異なる法で縛られるべきでしょう。またそうでなければ軍事行動に足枷がなされ、従軍した人達は下手すれば国防に関する行動を取ったことで、国内で犯罪者として裁かれる事にもなってしまいます。

簡単に言えばいくら自軍防衛の為といえ、相手国の人間を射殺したら、その人は国内で殺人犯となってしまう可能性があるという、歪な事になるのです。

安倍総理は憲法改正の自民党案を年内に纏めると云いますが、そもそも今の日本人の中に、この国家安全保障と国防、そして軍を語るだけの素地が無いと思いますし、その段階で憲法改正の議論、特に九条議論は危険な事だと考えています。

因みに創価学会は東京都議選で集票活動に忙しいようですが、活動家幹部にこの事を話しても通じないんですよね。

議論が何故か「創価学会は素晴らしい組織」「池田先生は偉大な指導者」という話にずれてしまいますから。

せめて会内でこんな議論が出来たら、少しは日本のためになると思うんですけどね。

【20170622】嗚呼、公明党議員

こんにちは( *・ω・)ノ

東京都議会議員選挙も佳境に入ってきましたね。
とは言いながら、僕は何ら関与もしてないので当事者ではありませんが、嫁が活動家幹部なので様々な話は漏れ聞いています。

何でもどこぞの区が危ないとか、あと一票上乗せとか、どこそこ区の時局の参加者がいないとか、そんな話はよく聞きますし、自宅のファックスにも入ってきてます。

本当に活動家はコキ使われ大変ですね。

公明党と都議もそうですが、議員なんてのは政治家なんだから、本来は議席を得たら自分の才覚でもって、支持者を増やすべきであって、四年の任期でそれが叶わないなら、議員なんて辞めれば良いだけではありませんか。

そんな正論を考えてしまいますが、それが難しいんでしょうね。

公明党の議員は「3000のネットワーク」とか豪語してますが、僕が思うにこの議員は三通りに分類出来るのではないかと。

一つ目は国会議員ですね。
彼らは末端組織なんかでは活動は殆どしてません。多くが官僚とか弁護士で創価大学出身が多くいますが、僕から見たら「池田イデオロギー」に子供の頃から染め抜かれ、両親も強信な人が殆どで、それこそ組織の中の良いとこだけ見て、ぬくぬく生きながらも実際には末端組織の泥臭いことは経験してません。

青年部経験者がいても、副部長とか副本部長クラスですからね。またその殆ど組織では公認の幽霊幹部だったりします。
(全員とは言いませんが、傾向としての話と観てください)

二つ目は県会議員や政令指定都市の地方議員。地方主要都市の市会議員も入るかな。
彼らの多くは末端組織で活動経験があって、例えば分県幹部や総県、総々県幹部の経験者です。また仕事でも大手企業勤務で働き、そこそこの大学を卒業していたりします。
(こちらも全員とは言いませんが、傾向としての話と観てください)

三つ目は地方の市町村議会の議員。
こちらは兼業議員が多いですね、議員報酬も安いので、それだけでは生活なんて出来ないですから。
こちらの人は活動家幹部経験者で例えば圏や本部幹部クラスの人が多いようで、学歴などもまちまちの様です。

これはあくまでも傾向の話であって、必ずこうだとは言いませんが、そんな分類が成り立つのではありませんかね?

ただ共通しているのが、一人として若いときから政治家を目指している人物なんて居ないという事です。全員が全員、ひたすら今で言えば「池田先生」を求めぬいて、それぞれが一生懸命、組織活動に励んだりしていた人が殆どです。(除く、国会議員ね。彼らは組織の実態を知るほど活動なんてしてなくて、官僚や弁護士業だけに専念してますから、末端組織の実情なんて知りません)

だから政治家になっても「ノンポリ政治家」であり、殆どが先輩公明党議員に引っ付いて政治家として学び動くわけですが、もともとがノンポリで池田哲学位しか知らないことから、まともに他の政治家の様に議論も出来なければ、どぶ板を歩き回ることは無いと思います。

殆どが創価学会の活動家や、その周辺だけで動くのが関の山ではありませんかね。
まあ一部の議員には、それこそ政治家として開眼し、自身で基盤を作れる人も居たりしますが、僕が知る限り希少価値ですね、そんな人は。

だから毎回の選挙になると、本人も必死に創価学会の組織内を回り、常に「重点区」だ「激戦区」だと言って創価学会の組織に依存し、それこそ公明新聞一面に「絶叫顔」を晒すわけです。

逆な見方をすれば、選挙の時に絶叫顔を晒すのは、任期の間に手を抜いていた証拠と考えても良いでしょう。

他の政党の政治家は、やはり若い頃から政治の世界を観て来てるわけで、まず公明党の議員連中は、そこから違うので、やはり脇の処が甘いですね。

この間、公明党の参議院議員の「佐々木さやか女史」が、法務大臣の擁護発言をして、評論家の田原総一郎氏から「あれはバカだよ」と揶揄されてましたが、彼女なんかも泥臭いことはやってないし、ノンポリなんで恐らくあの発言が巻き起こす非難は理解もしていないと思いますね。恐らく山口代表に言われて「ハイ!喜んで!」なんてやったんでしょう。

まあ彼ら議員は創価学会や公明党に反旗を翻さない限り、一生、信濃町界隈が生活を保証するのですが、もし信濃町界隈から見放されたら生きていけません。

まず反旗を翻したら、即刻、創価学会の組織を上げて「仏敵」と認識され叩かれます。また個人として政治家を継続しようにも、もともと地盤を作ることも出来ない人達なんで、自分の力では政治家としてはやっていけないでしょう。

また地方議員なんかは、本来の生活基盤を擲って議員になってますから、潰しも効かないし、それこそ家族総出で「飢え死に」する事になるかもしれません。

かくして公明党から立候補して議員になった人達は、自分自身の自由というのを信濃町界隈から取り上げられた存在と言っても良いでしょう。

支援者も何も考えていなければ、議員たちも自由な発言や行動なんて出来ません。彼らは共に信濃町界隈が許容する範囲でしか選択や思考の自由の範囲は無いのです。

過去に内閣法政局として「宗教団体の政治活動は違憲ではない」と言いましたが、創価学会では政治活動そのものを「信仰活動」とする事により、組織内における政治信条の自由を取り上げているのです。これは本人達が意識しているしていないに関わらず、現実としてそうなってます。

こんなのが日本の政治のしかも政権与党に関わっていて良いのかな?

特に創価学会の会外の人たちには考えてほしいものですね。

【20170615】竹入公明党委員長の池田会長批判の雑感

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

「蓮の落胤-創価学会、話そうか」というブログに興味深い記事がありましたので、少し記事として書いてみます。

(参照ブログ)
池田会長と公明党の不一致(1975年、竹入公明党委員長の池田会長批判)

ここのブログ記事は、毎回興味深く読ませてもらってますが、今回の池田会長と竹入元委員長との不一致という事についても、なかなか興味深い内容でした。

ここ近年の公明党の迷走振りは、昔活動家幹部であった僕の目から見ても酷いものです。

現実の政治に対応するのだから、単純なイデオロギーだけで動けない事は僕も理解はしています。しかしここ最近の「安保法制」や今回の「共謀罪」への対応は特に酷すぎます。

これは何も僕だけではなく、例えば創価学会と関係していたガルトゥング博士も池田会長に公開書簡を送ったりしていましたが、それについては無しの礫です。また活動家幹部の中にも少しずつですが、疑念の波紋が出てきている様にも感じます。

この公明党。立ち上げたのは池田会長であり、その池田会長が健在なりし頃、選挙が近くなる度に公明党を批判しつつも、その支援について組織末端の会員にお願いしていましたし、末端会員はその言葉から「池田先生にお応えしよう!」と支援活動に没頭してもいました。

池田会長が表から消えた昨今では、表向きはたまに創価学会と公明党の意見の相違が見えることもありましたが、実際に様々な情報を見てみると、公明党は創価学会の政治部門として完全に機能し、信濃町界隈としても組織の引き締めにも役立つと選挙活動を利用、まあ完全なまでに創価学会の信仰の中に組み込まれ、結果として創価学会のいう信仰の中軸の一つとして支援(政治)活動が行われています。

つまり昨今の公明党の迷走振りとは、まごうことなく信濃町界隈の現実対応への迷走ぶりを現したものでしょう。

「公明党は創価学会を利用するな!」
「池田先生の原点に帰れ!」

等という意見も多くありますが、昨今の公明党の行動というのは信濃町界隈の指示のもと取られており、そこに関して言えば正に「異体同心」ともいうべきものです。そしてそれは現実を認識していないという現活動家幹部達の姿を的確に示したモノだと思います。

今でこそ信濃町界隈と「異体同心」の公明党の過去はどうだったのか。このブログではアメリカ公文書館のデジタルデータの中から、1975年、竹入公明党委員長(当時)が初めて駐日アメリカ大使と会談した時の公文書を見つけましたとありました。

そこで語られていた事について、和訳要文がありましたので、以下に紹介します。

『要約:公明党委員長の竹入は、大使との初めての会談中、国連大学の支援を要請し、池田‐宮本会談と創共協定を過ちだと表現し、日米関係の重要性を強調し、潜在的な自民連立政権のパートナーとしての公明党の責任を深く認識していると発言した。竹入委員長は心から親米的という印象を与えたが、もしその印象が違わない場合、公明党内には明らかな政策の差が存在する』

当時から公明党が自民党との連立を意識していた事は、特に驚くに値しません。これと似たような話は元参議院議員の平野貞夫氏の手記や、元自民党幹事長の野中広務氏の著書にも同様な事が書いてありました。

また池田会長が行った「創共協定」への批判もアメリカ政府へのリップサービスという事であれば、まああり得る言葉でしょう。

しかし以下の言葉については、様々な事を考えさせられますね。

『竹入委員長は、非学会/公明党系の推測に言及し、池田会長の(創共協定に対する)考えられる動機に言及した。
 (A)池田会長が単純に宮本委員長にしてやられた。
 (B)日本共産党は池田会長の弱みを握っている。
 (C)池田会長の世界の指導者との対談が、池田会長をわがままで傲慢にした。
 (D)池田会長はノーベル平和賞に執心している)』

ここで竹入委員長は池田会長の人物像について率直に言及しています。

彼の元東京都知事であった石原慎太郎氏は池田会長をして「偉大なる俗物」と呼んでいましたが、ここでの竹入委員長の発言からも、彼が池田会長に対して同様な認識であったことが伺えます。そしてその様な認識の人物が、公明党を率いており、その当時から公明党は創価学会の絶大なる支援の下で政党として活動をしていたというのです。

これは単に「創価学会と公明党は異なる意見を持っていた」という以前に、根深い問題がそこに隠れていたという事を顕してませんか?

以下、僕が感じた事についてつらつらと書き連ねていきます。

竹入義勝氏は大正十五年生まれ。戦後、国鉄勤務を経て昭和二十八年(1953年)に創価学会に入会。ここから見えるのは、竹入氏は戸田門下の一人でしょう。昭和三十八年(1963年)に東京都議に当選し、昭和三十九年(1964年)に公明党結成時に副書記長。昭和四十一年(1966年)に創価学会総務となり昭和四十二年(1967年)に国政に出てその後、公明党第三代委員長に抜擢された人物です。

竹入氏は戸田門下ですが、入信歴から見たら池田会長の三年後輩にあたります。彼が入信した時には池田会長は参謀室長として活動をしていた時期であり、「太作」を「大作」と改名するなど組織内では目立つ立場にあったと思います。

しかし戸田会長が亡くなった後に、創価学会総務となったという事は、戸田門下の中でも筆頭の一人であったと思いますし、おそらく信濃町界隈で池田会長の様々な実像を見てきた人物ではないでしょうか。

その人物が池田会長を「偉大なる俗物」という様な見方をする一方で、その池田会長のカリスマ性を利用して自身の政治活動に利用していたという事は明白であり、その竹入氏に対して公明党を預けていた池田会長は、ある意味で竹入氏が自身を利用したと同様に彼を池田氏も利用(重用)していたという事ではないでしょうか?

竹入氏から見たら先輩とは言え、同じく戸田門下の仲。今の創価学会の様に「池田門下」などではなく、あくまでも兄弟弟子という関係です。そこには池田会長への盲信というのは無いと思います。

その後、公明党の委員長を平成二年(1990年)辞任し最高顧問に就任。しかし平成十年(1998年)になり創価学会の池田会長に反旗を翻す事となり最高顧問を辞任、以降に「仏敵・竹入義勝」と組織内では呼称される様になりました。

もしかしたら竹入義勝は晩年になり、長年持っていた池田会長への不信を爆発させ、一方の池田会長は公明党に池田門下が増えた事もあり、竹入氏に組織を挙げての大反撃。その結果の泥仕合だったんではないのかとも思えます。
そして当時、同じ戸田門下であった秋谷会長をはじめ信濃町界隈は、竹入氏と同じ様な不満や不信を池田会長に持ち合わせていたが、未だ反撃の時ではないと雌伏していたという事は考えられませんか?

創価学会の内部で語られる「戸田門下-第三代への継承の物語」とは、あくまでも作り話であって、同門の戸田門下の内部では、池田会長と反池田会長の派閥が当時から存在し、池田会長ともども「呉越同舟」の仲で創価学会にいて、この組織を動かしていた。

実はその一端が先のアメリカ公文書館に保管されていた文書に表れた。
そんな感じに思えた次第です。

でもそうであれば、、、昔からくだらない組織だったという事ですね。

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