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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
カテゴリー「政治考」の記事一覧

【20170622】嗚呼、公明党議員

こんにちは( *・ω・)ノ

東京都議会議員選挙も佳境に入ってきましたね。
とは言いながら、僕は何ら関与もしてないので当事者ではありませんが、嫁が活動家幹部なので様々な話は漏れ聞いています。

何でもどこぞの区が危ないとか、あと一票上乗せとか、どこそこ区の時局の参加者がいないとか、そんな話はよく聞きますし、自宅のファックスにも入ってきてます。

本当に活動家はコキ使われ大変ですね。

公明党と都議もそうですが、議員なんてのは政治家なんだから、本来は議席を得たら自分の才覚でもって、支持者を増やすべきであって、四年の任期でそれが叶わないなら、議員なんて辞めれば良いだけではありませんか。

そんな正論を考えてしまいますが、それが難しいんでしょうね。

公明党の議員は「3000のネットワーク」とか豪語してますが、僕が思うにこの議員は三通りに分類出来るのではないかと。

一つ目は国会議員ですね。
彼らは末端組織なんかでは活動は殆どしてません。多くが官僚とか弁護士で創価大学出身が多くいますが、僕から見たら「池田イデオロギー」に子供の頃から染め抜かれ、両親も強信な人が殆どで、それこそ組織の中の良いとこだけ見て、ぬくぬく生きながらも実際には末端組織の泥臭いことは経験してません。

青年部経験者がいても、副部長とか副本部長クラスですからね。またその殆ど組織では公認の幽霊幹部だったりします。
(全員とは言いませんが、傾向としての話と観てください)

二つ目は県会議員や政令指定都市の地方議員。地方主要都市の市会議員も入るかな。
彼らの多くは末端組織で活動経験があって、例えば分県幹部や総県、総々県幹部の経験者です。また仕事でも大手企業勤務で働き、そこそこの大学を卒業していたりします。
(こちらも全員とは言いませんが、傾向としての話と観てください)

三つ目は地方の市町村議会の議員。
こちらは兼業議員が多いですね、議員報酬も安いので、それだけでは生活なんて出来ないですから。
こちらの人は活動家幹部経験者で例えば圏や本部幹部クラスの人が多いようで、学歴などもまちまちの様です。

これはあくまでも傾向の話であって、必ずこうだとは言いませんが、そんな分類が成り立つのではありませんかね?

ただ共通しているのが、一人として若いときから政治家を目指している人物なんて居ないという事です。全員が全員、ひたすら今で言えば「池田先生」を求めぬいて、それぞれが一生懸命、組織活動に励んだりしていた人が殆どです。(除く、国会議員ね。彼らは組織の実態を知るほど活動なんてしてなくて、官僚や弁護士業だけに専念してますから、末端組織の実情なんて知りません)

だから政治家になっても「ノンポリ政治家」であり、殆どが先輩公明党議員に引っ付いて政治家として学び動くわけですが、もともとがノンポリで池田哲学位しか知らないことから、まともに他の政治家の様に議論も出来なければ、どぶ板を歩き回ることは無いと思います。

殆どが創価学会の活動家や、その周辺だけで動くのが関の山ではありませんかね。
まあ一部の議員には、それこそ政治家として開眼し、自身で基盤を作れる人も居たりしますが、僕が知る限り希少価値ですね、そんな人は。

だから毎回の選挙になると、本人も必死に創価学会の組織内を回り、常に「重点区」だ「激戦区」だと言って創価学会の組織に依存し、それこそ公明新聞一面に「絶叫顔」を晒すわけです。

逆な見方をすれば、選挙の時に絶叫顔を晒すのは、任期の間に手を抜いていた証拠と考えても良いでしょう。

他の政党の政治家は、やはり若い頃から政治の世界を観て来てるわけで、まず公明党の議員連中は、そこから違うので、やはり脇の処が甘いですね。

この間、公明党の参議院議員の「佐々木さやか女史」が、法務大臣の擁護発言をして、評論家の田原総一郎氏から「あれはバカだよ」と揶揄されてましたが、彼女なんかも泥臭いことはやってないし、ノンポリなんで恐らくあの発言が巻き起こす非難は理解もしていないと思いますね。恐らく山口代表に言われて「ハイ!喜んで!」なんてやったんでしょう。

まあ彼ら議員は創価学会や公明党に反旗を翻さない限り、一生、信濃町界隈が生活を保証するのですが、もし信濃町界隈から見放されたら生きていけません。

まず反旗を翻したら、即刻、創価学会の組織を上げて「仏敵」と認識され叩かれます。また個人として政治家を継続しようにも、もともと地盤を作ることも出来ない人達なんで、自分の力では政治家としてはやっていけないでしょう。

また地方議員なんかは、本来の生活基盤を擲って議員になってますから、潰しも効かないし、それこそ家族総出で「飢え死に」する事になるかもしれません。

かくして公明党から立候補して議員になった人達は、自分自身の自由というのを信濃町界隈から取り上げられた存在と言っても良いでしょう。

支援者も何も考えていなければ、議員たちも自由な発言や行動なんて出来ません。彼らは共に信濃町界隈が許容する範囲でしか選択や思考の自由の範囲は無いのです。

過去に内閣法政局として「宗教団体の政治活動は違憲ではない」と言いましたが、創価学会では政治活動そのものを「信仰活動」とする事により、組織内における政治信条の自由を取り上げているのです。これは本人達が意識しているしていないに関わらず、現実としてそうなってます。

こんなのが日本の政治のしかも政権与党に関わっていて良いのかな?

特に創価学会の会外の人たちには考えてほしいものですね。
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【20170615】竹入公明党委員長の池田会長批判の雑感

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

「蓮の落胤-創価学会、話そうか」というブログに興味深い記事がありましたので、少し記事として書いてみます。

(参照ブログ)
池田会長と公明党の不一致(1975年、竹入公明党委員長の池田会長批判)

ここのブログ記事は、毎回興味深く読ませてもらってますが、今回の池田会長と竹入元委員長との不一致という事についても、なかなか興味深い内容でした。

ここ近年の公明党の迷走振りは、昔活動家幹部であった僕の目から見ても酷いものです。

現実の政治に対応するのだから、単純なイデオロギーだけで動けない事は僕も理解はしています。しかしここ最近の「安保法制」や今回の「共謀罪」への対応は特に酷すぎます。

これは何も僕だけではなく、例えば創価学会と関係していたガルトゥング博士も池田会長に公開書簡を送ったりしていましたが、それについては無しの礫です。また活動家幹部の中にも少しずつですが、疑念の波紋が出てきている様にも感じます。

この公明党。立ち上げたのは池田会長であり、その池田会長が健在なりし頃、選挙が近くなる度に公明党を批判しつつも、その支援について組織末端の会員にお願いしていましたし、末端会員はその言葉から「池田先生にお応えしよう!」と支援活動に没頭してもいました。

池田会長が表から消えた昨今では、表向きはたまに創価学会と公明党の意見の相違が見えることもありましたが、実際に様々な情報を見てみると、公明党は創価学会の政治部門として完全に機能し、信濃町界隈としても組織の引き締めにも役立つと選挙活動を利用、まあ完全なまでに創価学会の信仰の中に組み込まれ、結果として創価学会のいう信仰の中軸の一つとして支援(政治)活動が行われています。

つまり昨今の公明党の迷走振りとは、まごうことなく信濃町界隈の現実対応への迷走ぶりを現したものでしょう。

「公明党は創価学会を利用するな!」
「池田先生の原点に帰れ!」

等という意見も多くありますが、昨今の公明党の行動というのは信濃町界隈の指示のもと取られており、そこに関して言えば正に「異体同心」ともいうべきものです。そしてそれは現実を認識していないという現活動家幹部達の姿を的確に示したモノだと思います。

今でこそ信濃町界隈と「異体同心」の公明党の過去はどうだったのか。このブログではアメリカ公文書館のデジタルデータの中から、1975年、竹入公明党委員長(当時)が初めて駐日アメリカ大使と会談した時の公文書を見つけましたとありました。

そこで語られていた事について、和訳要文がありましたので、以下に紹介します。

『要約:公明党委員長の竹入は、大使との初めての会談中、国連大学の支援を要請し、池田‐宮本会談と創共協定を過ちだと表現し、日米関係の重要性を強調し、潜在的な自民連立政権のパートナーとしての公明党の責任を深く認識していると発言した。竹入委員長は心から親米的という印象を与えたが、もしその印象が違わない場合、公明党内には明らかな政策の差が存在する』

当時から公明党が自民党との連立を意識していた事は、特に驚くに値しません。これと似たような話は元参議院議員の平野貞夫氏の手記や、元自民党幹事長の野中広務氏の著書にも同様な事が書いてありました。

また池田会長が行った「創共協定」への批判もアメリカ政府へのリップサービスという事であれば、まああり得る言葉でしょう。

しかし以下の言葉については、様々な事を考えさせられますね。

『竹入委員長は、非学会/公明党系の推測に言及し、池田会長の(創共協定に対する)考えられる動機に言及した。
 (A)池田会長が単純に宮本委員長にしてやられた。
 (B)日本共産党は池田会長の弱みを握っている。
 (C)池田会長の世界の指導者との対談が、池田会長をわがままで傲慢にした。
 (D)池田会長はノーベル平和賞に執心している)』

ここで竹入委員長は池田会長の人物像について率直に言及しています。

彼の元東京都知事であった石原慎太郎氏は池田会長をして「偉大なる俗物」と呼んでいましたが、ここでの竹入委員長の発言からも、彼が池田会長に対して同様な認識であったことが伺えます。そしてその様な認識の人物が、公明党を率いており、その当時から公明党は創価学会の絶大なる支援の下で政党として活動をしていたというのです。

これは単に「創価学会と公明党は異なる意見を持っていた」という以前に、根深い問題がそこに隠れていたという事を顕してませんか?

以下、僕が感じた事についてつらつらと書き連ねていきます。

竹入義勝氏は大正十五年生まれ。戦後、国鉄勤務を経て昭和二十八年(1953年)に創価学会に入会。ここから見えるのは、竹入氏は戸田門下の一人でしょう。昭和三十八年(1963年)に東京都議に当選し、昭和三十九年(1964年)に公明党結成時に副書記長。昭和四十一年(1966年)に創価学会総務となり昭和四十二年(1967年)に国政に出てその後、公明党第三代委員長に抜擢された人物です。

竹入氏は戸田門下ですが、入信歴から見たら池田会長の三年後輩にあたります。彼が入信した時には池田会長は参謀室長として活動をしていた時期であり、「太作」を「大作」と改名するなど組織内では目立つ立場にあったと思います。

しかし戸田会長が亡くなった後に、創価学会総務となったという事は、戸田門下の中でも筆頭の一人であったと思いますし、おそらく信濃町界隈で池田会長の様々な実像を見てきた人物ではないでしょうか。

その人物が池田会長を「偉大なる俗物」という様な見方をする一方で、その池田会長のカリスマ性を利用して自身の政治活動に利用していたという事は明白であり、その竹入氏に対して公明党を預けていた池田会長は、ある意味で竹入氏が自身を利用したと同様に彼を池田氏も利用(重用)していたという事ではないでしょうか?

竹入氏から見たら先輩とは言え、同じく戸田門下の仲。今の創価学会の様に「池田門下」などではなく、あくまでも兄弟弟子という関係です。そこには池田会長への盲信というのは無いと思います。

その後、公明党の委員長を平成二年(1990年)辞任し最高顧問に就任。しかし平成十年(1998年)になり創価学会の池田会長に反旗を翻す事となり最高顧問を辞任、以降に「仏敵・竹入義勝」と組織内では呼称される様になりました。

もしかしたら竹入義勝は晩年になり、長年持っていた池田会長への不信を爆発させ、一方の池田会長は公明党に池田門下が増えた事もあり、竹入氏に組織を挙げての大反撃。その結果の泥仕合だったんではないのかとも思えます。
そして当時、同じ戸田門下であった秋谷会長をはじめ信濃町界隈は、竹入氏と同じ様な不満や不信を池田会長に持ち合わせていたが、未だ反撃の時ではないと雌伏していたという事は考えられませんか?

創価学会の内部で語られる「戸田門下-第三代への継承の物語」とは、あくまでも作り話であって、同門の戸田門下の内部では、池田会長と反池田会長の派閥が当時から存在し、池田会長ともども「呉越同舟」の仲で創価学会にいて、この組織を動かしていた。

実はその一端が先のアメリカ公文書館に保管されていた文書に表れた。
そんな感じに思えた次第です。

でもそうであれば、、、昔からくだらない組織だったという事ですね。

【20170425】遠退くか世界平和

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

先日は小泉久遠寺、大石寺、北山本門寺の三か寺を駆け足ですが巡ってきました。
そこで一番賑やかだったのは大石寺でした。向かう道で幾つかの観光バスにすれ違いましたが、バスの正面に「×○寺」とか「△△支部」とかあって、これらは法華講のチャーターしたものなんでしょう。

バス停から山門までの間を走る時の風景を見ていたら、三十年前にやっていた登山会を思い出しました。

当時の僕は輸送担当もやってましたし、その後、本山担当もやりました。
大石寺には二か月に一回、仕事を休んで担当についてましたが、精神的にも肉体的にもこの本山担当というのは過酷でしたね。でも今から思い返すと、それはそれで良い思い出でもあるんです。

輸送センターが取り壊されて今はなく、総坊裏手や塔中裏手の店舗街が無くなっているのは寂しいものですが、なにか懐かしい思いにかられました。

その後、北山本門寺に行きましたが、巡っているのは僕だけで、境内はもの凄く静かでしたが、境内案内板には縁起が書かれていて、そこには端的にいうと世界広宣流布と世界平和という内容がありました。

創価学会も同じことを思い描いていて、人間革命では戸田会長が、山本伸一に「お前は世界へ行くんだ」と語るシーンが書かれています。

戸田会長亡き後、池田会長は世界広宣流布へと旅立ったのは昭和三十年代。それから半世紀以上が経過しましたが、今の時代ほど世界が不安定な時期は無いでしょう。

1980年代末、東西ドイツのベルリンの壁が崩壊し、ソビエトが解体、世界は新たな時代へと進む姿を見せました。
そしてそれから数年後から、元々はアメリカの軍事技術であったインターネット技術が解放され、世界は情報網で繋がり始めました。

このインターネットを介して今では世界経済が繋がり、経済の世界で言えば国境は無いと言っても良いでしょう。

ヨーロッパではEUが拡大し、世界はブロック経済圏でまとまる動き、何れ世界は緩い共同体へと進むように思われましたが、どうも昨今の世界を見ると、そうはならないようですね。

アメリカではトランプ氏が大統領になり、フランスでは昨日の選挙の状況では、ルペン女史がかなり勢いがあるみたいです。
アメリカもフランスも、共にイスラム国のテロ行為に晒されていて、それに合間ってイスラム排斥というものを掲げています。

イスラム地域は得てして貧困地域が多く、今の時代に一番教勢拡大している宗教ですよね。

ある試算によれば、あと半世紀したらアメリカやヨーロッパもイスラム教圏になるのではないかとも言われています。

人間にとっての一番のウィークポイントは何かと言えば、これはやはり宗教でしょう。どんなに文明が進歩しようと、どんなに原始的な文明であろうと、何れの場所にも神聖な存在を信じて、そこに依存しようというものがあります。

この宗教とは何も日本の神社仏閣の様なモノだけではありません。例えば北朝鮮とて主体思想(チュチェ思想)も宗教ですし、資本が昔の共産主義とてその一分です。

先に北山本門寺の事を書きましたが、日蓮門下の教えでは、日蓮の教えを世界に広めることで世界平和が実現すると言っており、その思想を元にして創価学会の世界平和という考え方も出来ています。しかし昨今の創価学会の内情を見ても、それが幻想であったことが理解できます。

罵詈活と灯活も共に創価学会の思想を信じていたはずが、互いに争う状況で、その中でも池田思想という事でさえ、師弟原理主義者同志で罵り合う状況が生まれていますよね。

こんな思想が広がったとて、人間の持つ宗教のウィークポイントは乗り越えられないのは自明の理です。

だから単純な広宣流布観というのは、夢幻であったと理解すべきであり、その上で今の人類がどの様にしたら理解し会えるのかを考えた方がナンボも効果的だと思いますよ。

経済には既に国境はありません。
しかし政治の世界では国境や国家の利害が存在します。先の経済に国境が無くなった事で、昔に比べてより国家間の動きが複雑怪奇になっているように思えます。

そろそろ人類が互いに知慧を出し会わないと、取り返しの付かない事態が発生するのではありませんか?

そしてその始めとして、宗教は乗り越えなければならない壁の様に思えます。

【20170417】戦争は避けたいけど

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

いや~、日々仕事に取り組みながら、家族と過ごせるのは幸せという事なんでしょうね。
ふと最近の北朝鮮の動向を見ていて感じました。

日々の単金が安いとか、これから五年先、十年先が見えないとか云いながらも、毎日ヨメや子供達の顔を見てれ、下らんことで笑い、怒り、悩んでいます。

しかしながら人類の歴史の中で、この様な生活を送れた人は、今までの歴史の中の人類のうち、いったい何割居たんでしょうか。

永遠ならざる平和の一日は、戦乱の百年に勝るという言葉、たしか銀河英雄伝説の中にもあったと思いますが、本当にそうなんでしょうね。

昨日、北朝鮮はまたミサイルを発射したそうですが、幸いにして失敗しました。

しかしこの先、北朝鮮が核実験を行ったり、再度、中長距離の弾道ミサイルを打ち続けたらどうなるのか。
いまこのある「平凡な平和」というのは、いとも容易く崩れていくのではないかという、漠然たる不安が拭いきれません。

「憲法会正反対!」
「憲法九条死守!」
「安保法制反対!」

昨年、あれだけ大騒ぎしましたが、よくよく考えてみれば、戦争は自分達の国の意思とは関係なくやって来る可能性があるわけです。
この様な人類社会に於いて、一体どの様にしたら「平凡なる平和」を守り通す事が出来るのか。

今回、北朝鮮は過去同様に瀬戸際外交に勤しんでいます。彼らにすれば、未だに戦争は継続中、何時なんどき戦争が始まるのかという事でいる訳なんですね。これは彼の国の指導者たちにとって、ですが。

だからアメリカと直談判して、一刻も早く自国の独立した立場を守りたいわけでしょう。

一方のアメリカにすれば、東アジアの小国なんぞ、本来は眼中に無かったのですが、その小国が核弾頭を持ち、ミサイル技術を持つことは容認出来ない。しかも自国が射程に入るミサイルはとんでもないという処でしょうか。

しかも代わった大統領は未だに国内を掌握しきれておらず、そこでやはりパフォーマンスではないですが、行動を必要としていて、この小国に圧力をかけ始めました。

そして、どちらもどちらで、振り上げた拳の落とし処が無い状況になりつつ在るのではないかと感じています。

北朝鮮とアメリカ。ここに宗主国として中国も介在してきますが、彼らにすれば今の緊張関係は小国のいう事聞かない跡取りボンボンが暴走して作り出した訳で、手をこまねいている感じでしょう。
いや、もしかしたら何か奸計を持って推移を見ているのかもしれません。

因みにお隣の韓国ですが、本当は北朝鮮との戦争の当事者なんですが、南北停戦が合意してから、ハンガンの奇跡という、日本からの経済的な支援に依っての経済復興で、戦争当事者としての緊張感はあまり持ってこなかったのではありませんか?

恐らく韓国民の心は穏やかでは無いはずです。

そして日本。
ある意味で韓国よりも病巣が深いと思いますが、どうなんでしょうね。
戦後七十年以上、アメリカの軍の傘の下の安寧を、憲法九条によりもたらされた平和だと信じきり、この世界情勢が変化した事にも正視出来ずに、危機感なく過ごしています。

この北朝鮮の危機、三十年近く前にもありました。当時は細川連立政権で、五十五年体制の崩壊に、日本全体が浮かれてました。
しかしその一方でアメリカ政府から、間もなく北朝鮮との戦争が始まるとの連絡を受け、国民の知らない場所で秘かに警察庁と防衛庁が、現行法制の中で、とこまで対応できるのかを検討していました。

この事は二十年ほど前のドキュメンタリー番組で放送され、僕は大きな衝撃を受けた事を記憶しています。

「知らない場所では、戦争の準備が進んでいた」

当時はアメリカの報道関係者が、すんでの処で両国の仲を取り持つ事が出来ましたが、今回はその様に上手く行くのでしょうか?

もしアメリカが平壌を攻撃したらどうなるのか?
もしアメリカが北朝鮮の核施設の攻撃をしたらどうなるのか?

北朝鮮からミサイルが、日本の米軍施設を攻撃したら、そこではどの様な惨状が繰り広げられるのか。

そんな事を、ついつい考えてしまいます。

やはり日本は、ガルトゥング博士の云う「憲法九条を安眠枕にした平和主義」
これを放棄して、本当の日本を守る。また現実的な平和について考えなければならない時期に来ているのではありませんか?

そんな事をついぞ考えてしまいます。

【20170413】日蓮仏法で平和になるか

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

暖かくなったと思ったんですが、やはり今朝は冷え込んだのでコート着ての出勤です。
いやー、極東アジア情勢。緊張感が増してきましたね。いつドンパチ起きても可笑しくない状況の様にも感じますが、なんとか平和俚に落ち着いて欲しいものです。

多くの人が傷つき亡くなるのはゴメンですからね。

でも歴史を観ると人々の表面上の想いとは裏腹に、些細な事から戦乱へと突入してしまう場合が多いんですよね。それこそガスが序々に充満し、満タンになった頃、ちょっとした火花で「大爆発」という様な感じでしょうか。

思うに人間とは複雑なもので、表面上の想いや考えとは別に、心の奥底には得たいの知れない心を隠していて、実は表面上からこの奥底の存在は制御し難い処があるようです。

そして人が起こす行動は、この心の奥底にある存在が大きく関与してますからね。
ましてやこの多くの人の間でこの奥底は連動していますから、雪崩をうって動きが見え始めた時には、もう止めることが出来なくなっているのです。

ある意味でたち悪い。

創価学会は「日蓮仏法を基本にした平和主義の団体」と言ってますが、そもそも日蓮仏法とやらで平和を作り出すことが出来るのか。

創価学会では「煩悩即菩提」と呼び、平たく言えば欲望の昇華を掲げてます。創価学会が極めて現世利益主義と呼ばれるのはそのせいなんですね。

「祈りとして叶わざる無しの御本尊」

この言葉をよく言うのも、その思想の現れと言っても良いでしょう。

僕はこの「祈りを叶える」という行動を通して、一人ひとりが自分の中にある心の仕組みというか、動きを学ぶのであれば、それはとても意味あることだと思うのですが、どうもそう上手くは行かないようです。

「祈りを叶えよう!」→「叶わない!」→「信心の問題、もっと励め!」

「祈りを叶えよう!」→「叶った!」→「この御本尊は凄い!もっと頑張ろう!」

こんなスパイラルな思考を繰り返していき、結果として心の動きを学ぶとか、心の性質を知るなんてレベルに行けない人が多くなってしまいましたね。

あ、僕はここで敢えて「生命」という言葉は使わず「心」と言ってます。

日蓮仏法について、最近歴史を振り返りながら感じたのは、天台教学を基本にしたものですが、そこには当然、唯識派の思想の流れを汲んでいると思うのです。いわゆる世親や無着と言った人達の考え方です。

「観心」として己が心を観じる、つまり観察して理解するという事が、やはり大事にされていると思うのですが、今の創価学会のやり方では、暴れる心の動きに振り回されていますよね。

「煩悩即煩悩」にしか成ってないと思えてなりません。

それは兎も角。
この創価学会が云う処の日蓮仏法、これは法華講もある意味で同じ土俵に乗ってますが、これで平和が招来出来るかと言えば、恐らく出来ないでしょう。
何故なら先に述べた様に功徳論や罰論なんて拘っているようでは、心が観れて無いと云うことになりますから、人の心を理解できない思想が、この戦争や争乱と言った、太古の昔から営まれてきた人間の負の行為を制御出来るとは思えません。

現にこの功徳論で、創価学会は公明党という政党を無条件に支援して、政治に関与しています。これじゃあねぇ、、、。
昨今のチープな公明党の動きにはうんざりですし、そのチープさに無頓着な活動家の言動にもうんざりです。

僕は日蓮仏法を平和思想にするには、もう一捻りも畉田捻りも必要だと思いますし、その展開も単なる政治関与とか、新規会員募集なんかで事足りるとは思ってません。

考えてもみれば世界197ヶ国地域でしたっけ?今の人類社会。

それらは民族も文化も持ち合わせている歴史も異なります。ある人類学者が言ってましたよね?

「石器時代のままの人たちと、最先端で宇宙まで出ていく人たちが同居した社会。」

詰まるところ思想以前に思考までの範囲が幅広く、それらの人達を「平和」という概念に近付けることも難題だという社会が人類社会というものです。

そんな世界へ向けて単に「御本尊は凄い!」「池田先生は凄い!」なんて云うだけの思想がなんの役にたちますか?

だから知慧を絞って、更に一捻りも二捻りもしなくてはならんのです。

ある意味で釈迦が説きいだした教えを、様々な人たちが一捻りも二捻りも悩みながら構築したのか仏教という思想なんですよね。そうであれはその仏教を広宣流布する団体を自称する創価学会は、何故に選挙や内向きな権益維持の闘争に明け暮れているのか、またその活動家は何故に何も考えないのか?

もうこのままでは日蓮仏法とか云う前に、平和思想の団体としては終わってますよ。

そもそも一つの思想を流布して人類社会が平和になるなんて、そりゃー大いなる夢想に過ぎません。
単に広めるとかではなく、その奥の方には何があるのか、まずはそこから探究しないと、この日蓮仏法とて霧散してしまいますよ、本当に。

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