忍者ブログ

想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
カテゴリー「政治考」の記事一覧

【20170323】創価学会活動家の政治意識

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

昨日は何とか乗り気って、今日はまたまた説明会。直行で会場に向かってます。

ところで最近は「共謀罪」という事でいろいろ騒がしいですが、先の「秘密保護法」や「安保法制」等も、他の国では同様な法律がある場合もあります。なにも日本だけという事ではありません。

僕が考えるこの問題の核心は、国民の意識をお座なりにして政府が先に進んでしまっていることでしょう。良いとか悪いとかではなくですが。

例えば今の日本、国際的にはスパイ天国というのが常識です。国家の秘密なんてどこ吹く風です。
また武力として軍隊を持てば、軍事機密等もありますが、日本には自衛隊はあれど軍はありません。

そもそも軍と自衛隊の違いを答えられる人がどれだけいますか?

簡単に言えば、そういう「外交や戦争、そして国家」の核心部分を日本人はアメリカに依存し、その下での平和の世界を七十年間以上生きてきてしまいました。

一方、政府は否が応でも国際社会の中の日本として動かなければならない。この政府と国民のギャップを少しでも縮めないと、本当の国論はできないでしょう。

近代史も学んでませんしね、日本人は。

さて本題です。
この話題の共謀罪に関係して、牧口会長の獄死した事にかけて、公明党や創価学会を非難し、学会員は怒るべきとかいう話。また創価学会の中では公明党に対する不満が溜まり始めているという話が、あちらこちらにありますが、少なくとも僕の地元ではそんな話は聞いたことがありません。

どこだ辺の活動家幹部に、こういった危機感や不満があるのでしょう。

確かに地区部長や支部長といった現場幹部の中の極一部に、今の政治や公明党に対して危機感を持ったり不安感を持つ人も居るでしょう。極一部にね。

でも大半はというと、そんな事は考えてもいません。そんな事よりこの夏の東京都議会議員選挙や折伏の事で頭が一杯でしょう。中には衆議院の解散総選挙を恐れている人もいます。

選挙は大変ですからね~。

創価学会の活動家幹部は、選挙と政治は別物なんです。

確かに政治の動きに不満を漏らし、一家言を持つ人も居ますが、そういう人が公明党を支援しなくなるかと言えば、それはなく、選挙の「戦い」となれば公明党の票獲得に走り回ります。

だって票を取ることが信仰活動なんです。
創価学会の活動家にとって、選挙と政治は別物なんですよ。

だから今の政治や公明党に不満があっても、いざ選挙となれば知人の家を訪問し、また電話をかけて公明党の票を集め、その活動を座談会などて報告し、みなで喜び合いながら功徳を貰おうと頑張るわけです。

まあ世間の人達には理解出来ない感覚かも知れませんが、創価学会の信仰とはそんなものなんです。

だから自民党は創価学会をして「集票マシーン」と呼び、ある意味で冷徹な信濃町界隈は、そういった信仰により、己が権益を守れるわけです。

だから共謀罪とか安保法制とかに、平和組織だ何だと呼んで、創価学会や公明党に期待するのは大きな間違いなんですよ。

あと一つ。
牧口会長が獄死したのを如何にも反権威・権力で平和活動の為に亡くなったという雰囲気もありますが、これは間違いです。

確かに牧口会長は国家の平和と安定を求めていたかもしれませんが、それは大石寺に伝わる三大秘法と大本尊によって実現出きると信じたので、その大石寺の教えに基づき神札を拒否するばかりか、破却を行った結果、不敬罪となりました。

当時の大石寺は、そこはそこ、建前と本音があったので神札を承けたのですが、牧口会長は真面目に信じたので獄死してしまいました。

それだけの事で、それを歴史的に祭り上げてきたのは創価学会の信濃町界隈です。
だから今の共謀罪なんかも、信濃町界隈にとってはどーでも良いことだし、信濃町界隈がそうだから、それの指導で信仰している創価学会の活動家も、なんら考えもしないのです。

こういったカラクリを理解して欲しいものですね。

だから創価学会に政治の事を求めたりしないでくださいね。
以上、本日の記事はここまで。
PR

【20170213】貧困格差の拡大とか

こんにちは( *・ω・)ノ

日本国内の子供たちに見えない貧困格差が拡大しているという話がありますね。

僕も子供を持つ親ですが、確かに子育てにはお金がかかります。
かの田中芳樹氏の代表作「銀河英雄伝説」で、ヤン・ウエンリーが云う「子供は親を食べて成長するんだ」という台詞が何時も頭の中を駆け巡ります。

昔、僕が子供の頃。周囲の家族を見ると兄弟が二人もしくは三人いて、それぞれの家庭は大して裕福ではありませんでした。

中には病院の子供とか美容室の御曹司なんかいて、リッチな家もありましたが、殆どは「中流家庭」であったように思います。

昭和四十年代頃でしたから、確かに裕福とまでは行きませんが、日本という国や世界はまだまだ延び代があって、誰もが努力すれば、可能性を開くことが信じれる時代だったと思うのです。

また学費や物価もそれほど高くないし、父親の雇用も大概安定してましたし、生きていくのにあまり窮屈では無かったのではありませんか?

しかし現在はどうなのか。

まず雇用が安定していませんね。非正規雇用が増加の一途。安部総理は「雇用が増えている」と言いますが、生活できうる雇用はそんなに増えてないと思います。

そんな中で一部の大手企業のみ給与が若干増加していますが、多くの中小企業で給与が増えている所は、そんなにありませんし、寧ろ昇給率は下っている様に思います。

あと企業の倒産やリストラも珍しくないですね、未だにあちらこちら、耳にしますよ。

聞いていて悲惨なのは五十代まで真面目に勤務してきて、リストラ対象になる人たち。

子供が高校生から大学生になって、家のローンを残っているなか、多少のお手盛り増加した退職金で追い出され、路頭に迷ってしまう家族。

再雇用と言っても、いまの日本社会はそれほど甘くありません。大抵は収入の大幅ダウンを覚悟しなくてはなりません。

中には父親のリストラと共に、住んでいた家を手放して、奥さんと離婚で一家離散なんて話もそこそこ耳にします。

また仕事なんかも非正規雇用が多くなり、新規雇用でも、まずは非正規からという企業も増えて、いくら頑張っても年収四百万いけば良い方という様な世の中です。

これでは子供なんて産む気すら起きないでしょう。かくして少子高齢化の社会は拡大する一方です。

この日本の社会構造を変えたのはどの辺りの政権か、潮目はどこで変化したのか。

僕は小泉政権の時だと思います。

前にも何度か書きましたが、世界的に「市場原理主義(リバタ・リアリズム)」に舵切られ、日本国内でも竹中平蔵氏が大臣となり、この政策を推進していきましたよね。

この小泉連立政権を強く後押ししたのは、創価学会であり公明党なんですね。

「嗚呼、希望の21世紀」なーんて歌いながら、七つの鐘構想を終えて、どんな社会になるのと思ったら、こんな日本社会ですわ。

公明党を若いときに支持していた立場からすれば、もう慚愧の念しかありません。

こんな感覚を持っているのは、僕の周囲の活動家幹部に居ませんでしたけどね。

当時の多くは「小泉総理大臣から、創価学会の記念日に寄せて祝電が来た!」とはしゃぎ回り、「創価学会も時の総理大臣から祝電を貰える時代になった」と喜んで、「自民党も支援しなくっちゃ」なんてやってましたから。

問題は子供の貧困格差だけではありません。年金問題も深刻です。

先日、日本老年学会が「高齢者は七十五歳から。六十五歳は準高齢者だ」という見解を発表しました。政府は今のところ否定してますが、これは先々、年金支給年齢を上げる布石と考えてもよいでしょう。

以前にある公明党議員は、政治学習会で「年金安心百年プラン」を説明する際、その財源について自信満々に言ってました。

「今後十年間、国家公務員の新規採用を止めて、いまのリソースで公務員の仕事を見直せば年金の財源は確保出来るし、公明党はそれを推進する!」

しかしどうですか?

昨今、一番景気が良いのは国家公務員で、先日も昇給してましたし、ポーナスも増額してましたよね?

しかも年金基金は投資の資金にも充当したりして、そこで幾ら減ったんでしょうか?

また最近ではアメリカへの投資にも、この年金基金を流用する話まで、聞こえ始めています。

もう日本はあかんのじゃ無いかと思ってしまいますよ。今はバブリーに「東京オリンピック2020」なんて、アスリート達を担ぎ出してはしゃぐ雰囲気を作り出そうとしてますが、果たしてオリンピックが終わったら日本の景気はどうなるんでしょうね?

解決出来ない福一原発には、あとどらくらいの資金が必要なのか?
日本国内の雇用はどれだけ確保出来るのか?
年金はいったい全体どうなるのか?
若い世代や子供たちの貧困格差対策はどうなるのか?

あげたら切りが無いほど問題山積です。
因みにこの事を地元の創価学会の活動家幹部に話をするじゃありませんか。

答えはないですねー。
答えないまま「それより東京に友人いないの?」なんていう始末に、僕は呆けてしまいます。

ダメだこりゃ。( :゚皿゚)

【20170130】素晴らしきこの世界② 日本の高齢化社会

こんにちは(´・ω・`)

今回のお題も、アメリカの歌手、ルイス・アームストロングの歌「what''s a wonderfull world」からパクりました。これはシリーズ化しようかな。。。



結果は兎も角、日本では八百万もの人たちを擁した宗教団体が、この日本や世界を素晴らしい世界にしたいと一生懸命、動いた訳です。

そして組織目線で手前勝手な事を云えば、今の日本や世界とはそういった結果の元で現出した世の中であると言えます。ではこの「素晴らしきこの世界」とは如何なるものか、少し書いてみたいと思い、今回も記事にしました。

今回のお題は「日本の高齢化社会」です。

僕が子供のころは、子供がとても多かった時代です。

小中学校では急増する子供に設備が追い付かず、校庭にはプレハブが立ち並び、その中で授業が行われていました。朝学校に行って机を触ると、校庭の土埃がついていてザラザラしていた事が、記憶に残っています。

日本の未来には希望があった。
そんな時代を象徴するようなものでした。

しかし近年、急速に日本社会の高齢化が進んでいます。
僕の子供たちの学校にいっても、一クラスの人数が僕の時代の半数となっていて、近辺の小中学校も統廃合が進んでいます。

これは「少子高齢化」という事が目の前に現実の姿として現れでしょう。

この間、Youtubeで在りし日の国鉄職員の事を記録した映像を見ましたが、そこではある現場職員の定年が「55歳」とありました。いまから半世紀近く前の話です。しかし今の日本社会では定年は「65歳」と言われています。

本年初めに日本老年学会は「高齢者は75歳、準高齢者は65歳」と発表。
また安倍政権が掲げる言葉では「一億総活躍社会」というものがあります。
おそらくこの先、どこかのタイミングで年金支給額も「75歳」に引き上げられるのではないでしょうか。

僕の親の世代は「60歳」で社会をリタイヤし、それ以降は「第二の人生」という事で思い思いの生き方をしていましたが、おそらく僕の世代は「死ぬまで現役」を続けることになるのだろうと思います。

この「死ぬまで現役」「一億総活躍社会」という事の賛否には様々な議論があるでしょう。
一概にそれを「良い・悪い」と言い切る事は難しいかもしれませんが、一つ考えなければならない事があります。

それは個人の思いとか社会の制度とは関係なく、「老い」というのは万人に共通に訪れるという事です。

若い時にはできる無理も、年齢を重ねてくると出来なくなってしまいます。
また様々な事への順応性や対応能力は、年齢を重ねていく中で確実に衰えていくものです。
肉体的にも年齢が上がる事で「ガンの発症するリスク」が高くなりますし、否応なく肉体年齢もあがり、機能的にも劣化するもので、病気の発生リスクも上昇します。

これを仏法では「老苦」と呼びました。

こういった「老い」に関しては、今の日本社会は正面切って見つめておらず、その状態で「一億総活躍社会」を唱えて突入する事は、とても危険な事ではありませんか?

生きるにはお金が必要です。
しかし社会からお金を引っ張るには、それなりに社会の中で自身の価値を創出し還元しなければなりません。

「仕事」とはそういうもので、その創出した対価として賃金を得ることが出来るのです。

今の日本社会の中で、高齢になった人達が、どれだけの価値を創出していけるのか。いや、そもそも今の社会の中で、高齢者が創出していける価値が存在するのか。

難しいことを言っていますが、極めて簡単に云えば、高齢者になると賃金は激減します。その激減する賃金で、今の日本社会の中で生きていけるのか。

いま、僕の世代以降の喉元に突きつけられている問題は、そこにあると思いませんか?

このために社会にはセーフティネットが必要ですが、小泉自公連立政権で打ち出された「市場原理主義(リバタ・リアリズム)」以降、社会のセーフティネットは壊されてしまいました。

社会の公器である企業も、自らの利益を確保して維持しない限り、生きていけません。

その為に社会では人件費そのものが「コスト(経費)」とみられ、利益を上げるための削減対象ともなってしまいました。

「雇用を創出する」

こうは言っても、その雇用が果たして生活を保証するだけの収入になるのか、そこが問題です。

要は今の社会は人間の価値を見誤ってしまっているのではないでしょうか?

その昔、インドでは人生を成長期・修学期・家長期・出家期の四つに分類し、それぞれの年齢ごとに生き方を変えていました。

しかし今の日本社会は、「一億総活躍社会」というスローガンのもと、老いを無視した社会構造となり始めている様に思えます。

これはつまり日本社会の中で、人間を捉える哲学性が崩壊した証かもしれません。

皮肉なもので「人間革命」「人間主義」を掲げる創価学会が政権与党に参画している社会でこの様な時代を迎えています。

これも考えるべき事だと僕は思っています。

【20170128】素晴らしきこの世界① アメリカの求めたモノ

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今回のお題は、アメリカの歌手、ルイス・アームストロングの歌「what's a wonderfull world」からパクりました。



結果は兎も角、日本では八百万もの人たちを擁した宗教団体が、この日本や世界を素晴らしい世界にしたいと一生懸命、動いた訳です。

そして組織目線で手前勝手な事を云えば、今の日本や世界とはそういった結果の元で現出した世の中であると言えます。ではこの「素晴らしきこの世界」とは如何なるものか、少し書いてみたいと思い、今回は記事にしました。

お暇のある方は読んでみてください。

つい先日、正式にアメリカの大統領としてドナルド・トランプ氏は就任しました。

この二十世紀からの世界は「パックス・アメリカーナ」の時代であったとも言えるし、そのアメリカを中心として世界は動いていました。

僕が小学生の頃、夕方のテレビ番組では「奥様は魔女」というドラマをやっていて、それは1960年代の豊かなアメリカの家庭で繰り広げられる物語で、子供心にアメリカはリッチだなーと感じ、夜には「バイオニック・ジェミー」というドラマを見ては、アメリカの技術革新を感じたりもしていました。

少なくとも僕の中ではアメリカという国を日本は追いかけているんだろうなーという漠然な印象を持ち、自分なりに大人になった時の社会を思い描いてもいたのです。

今回、ドナルド・トランプ大統領は叫んでいます。

「アメリカに雇用を呼び戻す!」
「再び強いアメリカを!」

この大富豪で如何にもアメリカを体現した大男に、アメリカの中下層で生きている、けして裕福とは言えない白人達が自分達の苦しみの解決を託したのです。

ドナルド・トランプ大統領は言います。

「中国がアメリカの雇用を奪った!」
「日本はアメリカの車を買わずに、自分達の車を大量に売り込んできている!」
「メキシコ等からの不法移民がアメリカの雇用を奪った!」
「テロリストの可能性があるイスラム教徒は国に入れない!」

まあこうして言葉を並べると、如何にアメリカという国がヒステリックになっているのか、改めて感じます。

そう、アメリカは苦しんでいるのでしょう。

いや、正確に云えばアメリカの中下層で生きる白人達の苦悩はとても深いと言うことの現れとも感じます。

では何故この様になったのか。

「ラストベルト(操業をやめた工業地帯)ができたのは日本との競争に敗れた部分もありますが、本質的には米国がサービス業に向かう中で、従来型の製造会社を自ら潰してしまったに過ぎません。」

これはワシントンに駐在経験のある丸紅中国有限公司の鈴木貴元氏の言葉です。(ダイアモンド・オンラインから引用)

つまりアメリカは新たな産業構造へ向かうために、自分達が今までよって立ってきた産業を捨てたのであり、そこで捨てられた人達が今回のドナルド・トランプ大統領を誕生させたという訳です。

ある見方をすれば、ですが。

先日、国際NGO「オックスファム」が発表した「世界で最も裕福な8人ー保有する資産の総額は三十八億人の保有する資産と同額」という記事がありましたが、その8人のうちで6人がアメリカ人となっています。

世界的大富豪を抱える国、アメリカ。
その足元にある貧困。

詰まるところトランプ大統領を支持した人たちというのは、アメリカに捨て去られて放置された人たちだったのです。

トランプ大統領は雇用を取り戻すと公約しましたが、僕が考えるに大きな二つの問題があります。

一つ目は、既に構造が変化して久しいアメリカの産業構造を変革できるのか、という事です。

さきに述べたように、アメリカはサービス業に移行するために、製造業を捨て去ったのですが、その捨て去った製造業の人たちに再雇用の道を作ることが出来るのでしょうか?
一言で「仕事」とは言っても、例えばSNS関連企業に製造業しか経験のない人の仕事があるとは到底思えません。必要とされる知識と経験が異なります。

以前に僕が知人と会社をやっていた時、求人広告を出した事があります。
「未経験者歓迎」
当時は人が欲しくても、小さな企業ではなかなか経験者が募集してくる事はありません。ですから求人といっても、未経験者から育成する必要がありました。

そしてその求人に対して多くの応募がありました。
「ダンプの運転手」「土木関係から転職者」「フリーター」。
中にはインドで十年くらい放浪していて、「これからのインドに貢献したいのです」という長髪ジャンキーみたいな人まで応募してきました。

こういう場合に、すべてを雇用するというのは難しく、やはり年齢と将来性を検討して採用しました。

アメリカの中下層で製造業を主体としていた人たちはどうなるのでしょう。
あらたな産業でもチャレンジしていけるのでしょうか。

二つ目は賃金の問題です。

現代における企業というのは利益を追求する組織です。
そのために人件費すらコストとして計算し、企業経営をしています。

一度、低賃金で海外に出された仕事が再度国内に戻ったとして、その仕事が果たして労働者が求める賃金レベルに届くのでしょうか?

僕がいま勤務しているIT企業も、コンタクトセンターは中国にアウトソーシングしています。
そして現在でも、いかにコストカットをするのか検討し、より人件費の安い方途を探しています。

今ではコンタクトセンター要員の給料は低賃金で、それこそマクドナルドのアルバイトと同賃金とも社内では揶揄されている状況ですが、アメリカとて同じ事があるのでしょう。
過去の製造業などと同一賃金の雇用を、果たして創出する事が出来るのか。

日本の諺でも「覆水盆に返らず」というのがあるではないですか。
トランプ政権はどこまで出来るのか、そこが見ものだと僕は感じています。

このアメリカで誕生したトランプ政権ですが、日本には関係ないとは言えません。
保護主義的な色合い、また外交交渉においても従来のアメリカ政権とは異なる手法を用いてくるようです。
代表的な事はメキシコとの間に壁を作るという大統領令に署名した事にも表れています。

メキシコ大統領は大変困惑し、怒りあらわにしながら首脳会談を中止としました。

この政権と日本の安倍総理はどの様に渡り合うのか。
場合によってはかなりの譲歩を迫られる事も考えられます。

それは経済的な事だけではなく、国の安全保障政策についても考えられます。

これからの世界、先行きが見えなくなって切る様に思うのは、果たして僕だけなのでしょうか?
そんな事をふと考えてしまいました。

おいおい、都議選ばかりに現を抜かしている時ではないぞと思うんですけどね。

【20161219】政治家の質の違い

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

先日の事、地元の壮年部に聞くところによれば、東京都内の友人を探すようにという打ち出しがあったとか。
そしてこの年末年始にその友人を訪問し、まずは頭だしとして公明党をお願いするのが、年末年始の活動らしいです。

まあ良くやりますね。
今回の都議会自公分裂で、組織内では小池都知事と都政改革に取り組む公明党をアピールしているようですよ。

地元である婦人部から聞かれました。
「都議会公明党ば別れたけど、国政はどうなんでしょ?」

皆さんはどう思いますか?

僕は今回の都議会公明党の自民党からの分裂といつのは、ある意味で「出来レース」にしか過ぎず、都議会議員選挙を見たときに、今の自民党とくっついていては、それこそ公明党も自民党と共に沈没する事を避けたいという計算があって、自民党本部の了解のもとの行動にしか見えないんですよね。

小池都知事は選挙の時から、なんらスタンスは変わってない様に見えます。

しかし当の公明党、またその本体である創価学会は違います。

小池都知事が出馬したときに、自民党と一緒になって小池都知事を叩いてましたよね?

「小池都知事が当選したら、都議会が解散されて余計な税金を使う!そんな事は許せない!」

こういって、従来ならば首長選挙は自主投票というスタンスから一転、組織内では増田候補擁立で動いていましたよね。これは都内の学会員なら存じのはず。

それが一転、小池都知事が誕生したら、機を見るに敏感な東京都議会公明党は、さも昔からやっていたように豊洲の地下問題をとりあげ、今回は都知事を支えて共に都政改革だと自民党と決別しました。

まあ節操の無いというか、ノンポリというか、動きがとても軽いですよね。

まあ支援者は都政なんて関係ない人達が殆どなので、従来の政党が同じことをしたら、それこそ大騒ぎする処なのでしょうが、いとも容易く「小池都知事万歳」スタンスへと豹変出来る。

これは公明党の強みですね。

でも東京都に関わり無い他県の人間が、なぜ東京都議会議員選挙にこれたけ躍起になるのか、おかしな話です。

今頃は座談会で東京都議会議員のDVDなんぞを全国的に流して、いかにも庶民のために走り回る都議会議員達を紹介し、幹部辺りは都議会議員選挙の事で、会員に檄をとばしていることなんでしょう。

自分の住む地方自治体でもない議会の選挙に、それこそ手弁当で全国から支援をあつめるんですから、本当にゴクロウサンと思いますねー。

因みにお題の「政治家の質」について、少し。
これは公明党の議員の事ですが、おおよそ地方議会までは末端組織で分県総区幹部以上で、そこそこの大学卒の幹部。尚且つ本人が創価学会に生涯をかけていく腹積もりのある人間が推薦されます。

まあ実際に現場組織で揉まれているから、大概は人間的にもマトモでやれる人だと思います。まあ中には例外もありますが、それでも組織の中でも動いた来た、叩き上げが多いので、そんな人物はいると思います。

しかし公明党の国会議員は、大概が創価大学卒業か、それなりの大学を卒業して、弁護士や官僚をやっていて、それこそ泥臭い事は一切せず、創価大学の為に働ける人間を指名しますので、まあ組織の末端の泥臭い事も知らないし、そもそも政治家を志ている人も居ません。

「あなたは◯◯から出馬してください」

この様に創価学会の信濃町界隈から指名されて立候補している人ばかりなので、簡単に言えば庶民の事なんて知るよしもありません。

そんな人物が公明党の国会議員をやってるんですから、はっきりいって地方と国会では、同じ公明党の議員であっても質が違います。

まあ地方議会の公明党議員とて、もともと政治家なんて目指して生きていた人物なんか居ないので、他党の政治家に比べたら、どうしても「政治家の質」としては、不足している人物が多いですね。

そんな議員達を「信仰活動」として当選させる事に、どんだけの意味があるのでしょうか?

あー、アホらしい。

プロフィール

HN:
運ちゃん
性別:
非公開

フリーエリア

バーコード

ブログ内検索

P R

忍者アナライズ

カレンダー

10 2017/11 12
S M T W T F S
3 4
5 11
12 15 16 17 18
19 24 25
26 27 28 29 30

最新コメント

[10/21 中]
[05/03 NONAME]

忍者カウンター

Copyright ©  -- 想学談林-管理者の部屋 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]