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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
カテゴリー「政治考」の記事一覧

【20161110】変わるかアメリカ、そして日本は

こんにちは( *・ω・)ノ

寒いですねー。
昨日、ようやっとアメリカ大統領選挙が終わり、次期大統領はトランプ氏に決定しました。

マスコミは大接戦としながらも「ヒラリー女史が若干有利」と報じていましたが、ふたを開ければ確かに接戦だったのかもしれませんが、トランプ氏が勝ちました。

「アメリカ人も本音と建前があるのかな?」

そんな感じを受けましたが、長い民主党政権に、アメリカ国民の本音はうんざりしてたのかもしれません。

このトランプ氏は数々の暴言を吐いてきたと言いますが、それが結果としてアメリカ人の心の琴線に触れたから、今回の結果になったのではありませんか?

アメリカは確かに移民の国ですが、昨今、その移民に仕事を取られているとも感じている様です。しかし何故、移民に仕事が取られるかと言えば、それは企業の多くが利益を上げたいから、経費である人件費を押さえる目的があるのでしょう。

白人アメリカ人を雇うより安く、そして必死に移民たちが働くのであれば、そちらにシフトするというものです。

また外国に雇用を奪われると言いますが、こちらにしてもアメリカ国内に、工場なんかを置くより外国に置いた方が安くすむからでしょう。ボランティアでは無いのですから。

企業とは営利団体であり、利益が上がる方向に動くのは、ある意味当然であり、前にも書いたかも知れませんが、グローバリズムとは「富の平準化」をもたらします。
結果として、企業は利益を得るために、より経費の下がる方に動くのは自明の理でしょう。

ただでさえ格差が激しいアメリカ国内で、下層の白人アメリカ人にしたら、安い労働さえも、より安い移民や外国に行ってしまい、結果としてそんな下層の仕事さえなかなか得られない。
そんな不満も今回のトランプ氏当選の背景にはあると言います。

「覆水盆に返らず」

これは有名な諺です。欧米では「零れたミルクはコップに戻らない」という同義の諺がありますが、一度、グローバリズムに晒された社会は、果たして自国優先に戻すことができるのでしょうか?

トランプ氏の手腕が問われるのも、そこかも知れませんね。

まあアメリカに対する素人談義はそこまでにして。

アメリカはまごう事なく日本の宗主国です。
「日米合同委員会」は霞が関を牛耳り、そこに日本の政治家さえも介入することができません。

かの宇宙人宰相であった鳩山氏もそれを述懐してましたよね。アメリカの意に反する行動は、霞が関官僚からサボタージュされるということを。
以前に辺野古の県外移設を唱えたら、霞が関がその意向を無視し、結果として頓挫させられたと。

まあ官僚を使いこなすのも政治家の力量ですので鳩山氏の言い訳でしかない言葉ですが、でもいまの日本は確実にアメリカの準保護国です。

しかしそのアメリカの軸が揺らぎ始めた昨今、日本として独立国の様な動きが出来るのでしょうか?

要はアメリカ向きではなく、日本独自の方向性を持って、世界に相対する覚悟があるかということ。

そろそろそれが問われるような気がしてなりません。

彼の昔の哲学者、中江兆民は日本を評して「哲学なき国」といい、同時代の新渡戸稲造はそこは「武士道」と答えました。

しかし太平洋戦争で日本は滅び、そこからはアメリカの準保護国として、アメリカを宗主国の様に見て、半世紀以上、生きてきたわけです。

そのアメリカが変わろうとしているのですから、日本も変わらなくてはいけない時期なのかも知れませんね。

しかし変わるというのは「良く変わる」「悪く変わる」の両面があるので、どちらへ倒れるのか。とても気になります。

あと一つ。
世界には表に見えないコンダクター(指揮者)がいると言います。これはあくまでも都市伝説レベルの話ですが。
「もし」コンダクターが居たとして、今回のアメリカ大統領選挙の結果に、どの様な意図があったんでしょうか?

そんな事も、ふと考えてしまいました。
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【20160906】また分断の世紀に入るのか

こんにちは( *・ω・)ノ

また台風が来そうですね、今度は台風12号です。
しかし何ですね、ここ近年、確かに台風が強大化してますよね。何でも米海軍合同台風警報センターと日本の気象庁のデータを分析した研究者が言うには、ここ37年間で東アジアや東南アジアを襲った台風の強度は12~15%増大していると発表したそうです。
この増大の要因は海面水温の上昇という事で、地球温暖化の影響としてますが、なぜ地球温暖化が起きているのか、そこが実はまだ不透明なんですよね。
世間一般では「炭酸ガス増大に伴う温暖化」というのが定着してますが、これはゴア元アメリカ大統領が大々的に取り上げただけであり、実際のところ世界の学者の中では結論は出てないそうです。

まあ炭酸ガスもそうかもしれませんが、太陽活動の影響の線はないのか、個人的に気になるところです。

さて今回は少し世界情勢の事で考えたことを記事にします。

僕が生まれた昭和の時代、世界は「冷戦」のまっただ中でした。
世界は二大超大国のアメリカとソ連(今のロシア)を中心として二極化していて、資本主義(自由主義)陣営と共産主義陣営の二つに別れてました。
日本は当然、資本主義陣営でしたが、ソ連や中国と海を隔てて接することもあり、極東の資本主義陣営の脅頭堡的な国でした。
世界の各地ではこの米ソ二大国の代理戦争があり、共に核大国なので、いつ核戦争が起きるのかと言われてもいました。

しかしソ連でゴルバチョフ氏が首班となり、ペレストロイカ(改革)を唱え出してから急激に変化を起こし、1989年にはベルリンの壁も壊れ、世界は融和へと変化を起こしました。

ヨーロッパでは欧州連合が拡大し、旧東欧諸国も変化、まさに「分断の世紀」から「融和の時代」へと変化を起こしたと感じもしました。

しかしそれから四半世紀が経過した現在、また世界は至るところで分断の時代に向かっているように思います。

それは中国の台頭という事でも見てとれます。先日、中国で行われたG20の会議の様子では中国とロシア、アメリカとヨーロッパという縮図も見えれば、その欧州連合からイギリスは離脱を決めました。またフィリピンの大統領のロドリゴ氏は中国に寄りそう言動を行い、アメリカのオバマ大統領に侮蔑の言葉を投げ掛け首脳会談は中止になったそうですが、このフィリピンも南シナ海では領有権問題で、その中国と争ってたりもします。

まあ簡単に云えば東西冷戦時代の世界は「二色分け」であったものが、ここ近年の世界はまるで「万華鏡」の中の模様の様なバラバラ感がありませんか?

核拡散もしているので、恐らく東西冷戦時代よりも人類社会は危険な状況だと僕は感じています。

「世界平和」

世界中の人々が戦争や戦乱に怯えることなく、日々平穏に仲良く暮らせる時代の到来を願っていると思いますが、現実にこの願いとは違う方向に人類社会は突き進んでいますよね。

果たしてこういった人類社会を、今後どの様に捉え考えていけば良いのでしょうか?

創価学会では「日蓮仏法を普遍化し、世界宗教化する事」が、人類社会の平和と安定に導くとか言ってますが、たかだか戦後七十年程度で腐敗するような組織、またその組織の自浄化さへ呼び起こせない思想が世界を語れるわけもなく、誰もそんな事に期待なんてしてやしません。

まあ聖教新聞や関連雑誌に、創価学会はお金をはたいて御用学者の言葉を載せてたり、如何にも世界が創価学会を称賛しているやに見せてますが、こんな事は少し組織から距離を離して俯瞰すれば解ってしまいますからね。

阿呆な話ですよ。

日蓮仏法は確かにそれなりに深淵かもしれませんが、悲しいことにそれを現代社会に展開できる人材がいません。
あとそもそも単なる宗教の力だけで、この万華鏡の様なモザイクな世界を平和に導けるわけもありません。

おそらく今の人類にとって、従来の感覚で言う宗教とは、おそらく有害なモノにしかならないのではないでしょうか?

ある角度でみたら、今の人類が取っている行動は「レミングの集団自殺」を彷彿とさせてしまいます。

人類には様々な矢が刺さってますよね。

ある矢は「民族」というもの。
ある矢は「国家」というもの。
ある矢は「宗教や文化」というもの。

そしてこれらの矢には様々な毒物が塗り込まれていますので、時間がたてば立つほど毒が回っていきます。

また矢を抜きたいのは山々ですが、それらの矢には「資本」「利権」という、様々に複雑な蔦類が絡み合い、それらを堡退くことはほぼ不可能な感じです。

これから人類は何年、生きていけるのでしょうか。百年、千年後も人類社会は文明を持ち、この世の春を生きているのでしょうか。

何か暗嘆たる未来像が近づいてきている様に感じている人は、多いと思うのですが、どうなんでしょうね。

【20160719】まずは政治活動を止めろ

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

暑い、暑すぎる。
この三連休は殆んど家の中で過ごしてましたが、とにかく暑すぎる。
太陽の活動が落ちているとも聞きますが、やはりこの陽気では地球温暖化の方が説得力ありますよね。

そんな中、東京では都知事選をやってますが、鳥越氏は論外として、増田氏と小池女史の一騎討ちの感じがしています。

増田氏には自公と日本のこころだっけ?相乗りしてますが、先の舛添氏も相乗りでしたよね。そこから見ると増田氏は舛添氏の「正統後継者」の様に見えるのは僕だけでしょうか?

まあ僕は東京都民ではないので、都知事選は枠外ですが、日本の首都の東京都民がどの様に判断するのか、興味があります。

それはそうと、創価学会の皆さんもそろそろ政治活動から距離を置いた方が良いと思うんですが、そういう事を組織内では言えませんね。いや、正確には言っても話が通じないので、言っても無駄という処でしょう。

自公連立政権となって、十年以上経過していますが、日本の状況は良くなる処が悪化の一途です。毎回の様に書きますが、この状況が「希望の21世紀」なのでしょうか?

先日、とある用事で地元の会館に行きましたが、昔であれば多宝会に居たような白髪の初老の人が、会館正面に立ってました。このくそ暑い最中にですよ。しかも見たことが無い人だったので、最近になって活動を始めた人のようでした。

組織の衰退は否応なく進んでいるんですね。

僕の地元でも広宣長だかなんだか知りませんが、要は昔でいうプロック長が不在となり、婦人部がプロックを仕切っているようです。これは青年部だけではなく、壮年部も人材が枯渇している事を表しています。

信仰とはそもそも何か?

これは単に功徳を頂くという事ではなく、自分がこの人生をどの様に意義付け、生きていくのかという事も含むと思います。
だから社会の現象に対しても、本来は信仰を元にして自分の見解をもち、それにより生活を営みますし、もっと広く言えば生きることや死ぬことも、どの様に折り合いつけていくのかという根元的な事にも関係してきます。

しかし今の創価学会に、それが出来ますか?

末端幹部は何も信仰を語れず、政治も語れず、ただ功徳論を振り回し集票マシーンの様に振る舞うだけ。
会員の中には仕事で問題を抱えている人、家庭で問題を抱えている人も多いのですが、そういった人生全般に亘ることを語れる人が少なくなっています。

それもそのはずで「日蓮直結」と云いながら、本尊についても語れず、日蓮という存在についても語れず、その日蓮が生涯通して何を目的に生きてきたのかすら語れません。

「いや、熱原の法難を契機に御本尊は出世の本懐として現した。また日寛師は教学として中興の祖である。だから日々、日寛師の御本尊を拝している」

なんて語る人は多分、組織の中には未だに多い様ですが、この考え方は既に昨年の会則改正で創価学会は捨て去りました。

要は根本に何を信じている組織なのか、解らなくなっているのです。

唯一あるのは「池田哲学」だと云うのでしょうが、それも本来は「日蓮大聖人仏法」の範疇であったはずです。

「本尊に迷えり」

これは日蓮が当時の仏教界を辛辣に指摘した言葉ですが、いまや創価学会こそ「本尊」に迷っています。

因みに本尊とは「根本尊仰」であり、信じている教えを指すことを忘れては行けません。

信濃町界隈は選挙活動を「組織の引き締めによい」と言ってます。確かに組織としてはいいでしょう。しかしその組織の「心」を無くしてしまっては、そもそも何のための組織であるのか?

いま、仏法者というならば、まずはそこと向き合う必要があるでしょう。

何も政治の世界で躍り狂っている時ではありませんよ。

先の安保法制に関連して、創価学会や公明党を責める人は多く居ますが、信仰本来の事から創価学会に対して疑問を投げ掛ける人の少ないこと。
んな師匠とかいって、過去の永遠の指導者の箴言やきれいな言葉に振り回されず、本来の日蓮、または仏教という視野から見つめ直すべきなのです。

創価学会は疲弊を深めてます。
だから政治とは距離を置き、信仰と向き合わなければいけないのです。

しかし創価学会に期待を持つ人ほど、そんな事にはお構いなしではありませんか?

見るべき視点、語るべき内容が違うんだよなー。

【20160715】改憲に憂慮しない活動家たち

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

昨日の都心はゲリラ豪雨で大変だったようですが、これは日本の都心部も熱帯化しているせいなのでしょうか?

なんか雨の振り方が南方そのものという感じがしました。

人間というのは、つい今の状況が無限に続くという錯覚を持ってしまいますが、この世界の中で一時たりとも同じ状況でいるものなどなく、常に有異転変するものだという事を、こういった事象から感じていたりします。

先日、ツイッターでもリツイートしましたが、朝日新聞に「改憲勢力「違和感がある」 悩む創価学会員」という記事が掲載されていましたね。

記者が信濃町に行き、そこにいた学会員を捕まえて「改憲勢力と云われていることについて、どう思うのか?」と質問をしたところ、「違和感がある」とか「公明党は平和勢力なのに~」という様な意見が多かったことをとりあげて、この記事にまとめたのでしょう。

まあ普通に考えても、やはり結党時から「護憲、平和」をかかげ、その理念で動いてきた政党と、それを熱烈に支持してきた人たちが、やはり昨今の安保法制の動きに見える自公政権の動静をそのまま受け入れるわけがないと思うでしょう。

しかしこれは、創価学会の活動家たちの行動原理を理解していないという事ですね。

かなり時間を戻しますが、創価学会の中で池田会長の「偉大なる実績」として、今も語り継がれている事に「大阪の戦い」というのがあります。これは人間革命という小説の十巻に記載されている話です。

そこには当時の参議院選挙の支援活動の事が書かれており、池田会長に模した「山本伸一」が大阪の選挙で真っ先に取り組んだのは「御書講義」であったことが記述されていて、未だにそれを選挙のバイブルの様に、創価学会では行動しています。

つまり「選挙運動は信仰活動である」という行動原理ですね。

昭和三十年代当時、選挙運動には金が付き物でした。つまり利権闘争という事から、お金が乱れ飛ぶのは当たり前。
そんな中で創価学会の活動家たちが、熱烈な支援活動をするものだから、当時の司直からすれば「裏には大きなお金の流れがあるのは間違いない!」と踏んだわけで、だから池田会長は検察に拘禁され、取り調べを受けたわけです。

しかし結果としては些末な買収行為が一部
にあっただけで、想定していた「巨額な資金と買収行為」が認められなかったから、池田会長は釈放とあいなり、無実になったというわけです。

つまり創価学会の選挙運動は従来の権益確保というものではなく、信仰エネルギーにより、会員たちが動いていたということですね。

お金の付き合いは打算を産みます、しかし信仰のエネルギーはより強力な行動力を産み、団結を強くします。恐らく池田会長は、そう言ったことを肌実感で知っていたから、大阪の戦いを御書から始め、信仰活動として展開したのでしょう。

その結果、まさかが実現し創価学会は大阪の選挙に大勝利して、世間の度肝を抜きました。そしてこれは「常勝関西」の異名の礎にもなりました。

公明党・創価学会の「選挙運動」の原点はここにあり、この基本方針は今でも脈々と創価学会の末端組織の中に生きているのです。

さて先の朝日新聞の記事に戻りましょう。
確かに創価学会の末端組織の幹部や活動家の多くは常識人です。だから昨今の公明党の動きについては「違和感」や「怒り」そして「不安感」を持っている人たちは、それなりに居ます。特に社会と接点が多い壮年部や男子部には多いと思われます。

しかしそういった感情を公明党に持ったとして、その人たちが公明党を支援しないか、選挙で他の候補を応援するかというと、そこは別物である事は理解しなければなりません。

解りますか?

政治とは打算と駆け引きの世界です。
だから皆が様々な理で動きます。しかし創価学会は「理」ではなく、「信仰心」で動くのです。
だから理屈で「違和感がある」とか「不安感」「憤り」を感じていても、いざ選挙になれば、その事とは別の理屈で活動家たちは動き出すのです。

人は心の中に、常に「幸福に生きたい」「今の苦悩から抜け出たい」という願望があります。創価学会は所謂「現世利益」を前面に出して信仰を薦めます。いわゆる「功徳論」ですね。

その信仰活動の一環として「選挙」があるのですから、そこに世の中の理論はありません。自分が信じている信仰組織の指導のまま、選挙運動を進めていきます。

特にここ十年から十五年、公明党のとる政策の変異は驚くばかりです。

市場原理主義に自民党と供に舵を切り、年金安心百年プランという絵に書いた餅を進め、自衛隊のイラク派遣に時の党代表が防弾チョッキを着て入り「ここは紛争地ではない」と言い切って派兵しました。
また昨今では増税の推進役となり、据え置き税率を「軽減税率」とたばかって、子宮頚ガンワクチンの被害者を「単なる副作用」と軽く見て、安保法制にも協力し、憲法を無視。

挙げてみたら切りがありませんが、そんな事をしても票数は減ってもそれほど議席が減ることにはなってません。

普通の政党であれば、とっくに無くなっていると思うのですが、そこはそこ、自民党幹部から「集票マシーン」と揶揄されるが如く、選挙の度に活動家たちは駆けずり回っています。

そういう事なんです。

だから世間がいくら公明党の政治行動に対して、その支援者たちに意見を言おうが、彼らの耳に届くのは公明党への賛美と協力だけであり、その他の事が届くことはありません。

恐らくこの先、憲法改正についても、公明党と創価学会の活動家たちは、尻尾をふりふり信仰の世界で、功徳に釣られて着いていくでしょう。

日本国内に有権者は1億人ほどいます。その中で創価学会活動家は200万から300万人ですが、それで700万票を集めてます。

そしてこの組織票が今の日本を実質的に動かしているのです。そしてその軸となる活動家の大半は、選挙に政治を見ることはなく、そこに信仰の功徳を求めているのです。

まずは日本の社会の中で、そういう現実を理解して欲しいものですね。

【20160712】民意と改憲

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

先日の日曜日は投票日でしたが、皆さんは投票に行かれましたか?

今回の参議院選挙、ふたを開けたら自公政権に白紙委任状の様な結果となってましたが、果たして投票率はどうだったのか、今回から十八歳以上も投票権が与えられたのですが、その影響はどれだけあったのか、等など。
省みて分析が必要と思いますが、取り敢えず選挙の結果としては、自公政権が勝利した形となりましたね。

以前にも書きましたが、今回の参議院選挙のこの結果で、表にこそあまり出てませんでしたが、いよいよ日本国憲法の改正議論も出てくるのでしょう。

しかし変なものですね。

僕が青年部の頃の創価学会及び公明党は、自ら「護憲勢力」を自認していたはずですが、ここ十年ほどの間に組織内では「改憲をも致し方なし」という雰囲気に変わっているんですからね。
いや、しっかりと会員同士が議論して、組織内にその意味とか内容とか、そういったものがあった上ならまだしも、誰もが公明党に対して政治的に白紙委任状を大人しく渡している感じで、この改憲に関する事を誰も話すらしないという事に、僕なんかは大きな疑問を持つわけです。

だから僕かなんかは組織からハブされているわけで、創価学会の末端組織では、そんなことで公明党の行動に意見を述べたら、「信心おかしな奴」とばかりに外される事「間違いない!」です。

この「改憲」ですが、僕の個人的な意見としては、絶対反対とかいう事ではありません。

「日本国憲法」とて不麻の大典では無いのですから、世の中の情勢に合わせて変更するというのは有りだと考えています。

確かに戦争放棄を詠い、基本的人権を定めた内容は、それなりに高尚なものですが、だからと言って、そこに定めている内容、例えば戦争放棄について、議論を一切封じるというものであったら、そんな憲法観は間違ったものと成りはしませんか?

いや憲法の問題ではなく、これは国民の政治的な意識の問題なんでしょうけどね。

日本の中にあっても、歴史観や社会観など、異なる人々が沢山いるわけで、憲法の議論となれば、それこそ百鬼夜行さながら様々な議論が噴出してくるでしょう。

そうであれば、やはりそろそろ国民の中に、戦後七十年続いた平穏の世から目覚め、自分達の国家をこれからどの様にすればよいのか、議論ができる状況が出来なければならないでしょう。

しかし現実には、そう言った議論が可能な土壌が出来上がってないません。

今回の参議院選挙を見ても、その事を痛切に感じてしまいました。

果たして今回の参議院選挙で、この憲法改正という事を意識していた人は、どれだけいたのか?

僕はほぼ居なかったと思いますよ。

選挙の当日、深夜にかけて行う開票報道番組で「改憲勢力」なんて言葉を前面に出してマスコミは囃し立ててましたが、それ以前の参議院選挙の報道で、この改憲そのものを扱ったマスコミは居なかったと思います。

だから国民の大多数は今回の参議院選挙の結果で、安倍政権が改憲論議に拍車をかけるなんて、あまり意識がなかったのではありませんかね?

よくリベラルな人が言いますよね。
「数の論理で民主主義が殺された」なんて言葉を。これは自分達が主張する「護憲」の動きが盛り上がらなかったから、ぼやく言葉以外の何者でもありません。

現実には、国民のなかで、投票を行うような意識ある人の多くが、いまの安倍政権の行動を容認しているという現実、そして投票を放棄した人たちは、現政権に対して白紙委任状を提出したわけです。

そういった事も「民意」という事ではありませんか?

だから「数の論理で民主主義が殺された」という言葉はお門違いも甚だしいと、僕は感じています。

また昨年の安保法制からの一連の動きのなかで、いわゆる「左翼(サヨク)」的な人たちは、何がなんでも「戦争反対」を前面に出して「野党共闘」なんてやってましたが、結果としては議席をそれほど得られませんでした。これも民意です。

考えても見てください。
太平洋戦争という、いまで言えば日本にとって愚かな戦争も、当時の国民の「民意」によって突き進んでしまったのです。これは東条首相の自宅から見つかった、戦争遂行を願う国民から送られた多数の手紙からも推測出来ますよね。

その「民意」が、いまどの様な方向性に動いているのか、そこを見極めないとダメでしょう。SEALDsだ国会前のデモ示威活動だ何だと騒いだ処で、結果として今回の参議院選挙の結果を見たら、共感層が少なかったことが解ります。

実は「戦争反対」というならば、今回のような雰囲気に漂うような「民意」こそが一番危険なのであり、安倍政権や日本会議というようなモノが危険という事ではないという事実を、是非とも理解してもらいたいものですね。

過去の阿呆な戦争も「民意」であり、安保法制も「民意」で決まりました。

こういう事態に一番大事なのは、単純な行動等ではなく、事の本質を射抜く思想と、共感を得る対話ではないでしょうか?

そして思想には過去の歴史を学ぶ事が必要であり、共感を得る対話とは志に依ります。

「そんなことをやっていたら、時間がかかり手遅れになる!」

そういう人も居るでしょう。
僕なんかは既に「手遅れ感満載」であり、逆にいまの日本が突き進む方向は、そんな五年や十年、二十年程度では変えられないと感じています。
しかしだからこそ、その次を見据えた事が必要だと痛感しているのです。

今回の参議院選挙の結果を見て、改めてこの思いを強くしてしまいました。

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