忍者ブログ

想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
カテゴリー「政治考」の記事一覧

【20160418】支援の活動加速中

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

春ですね。
本来ならばボカボカ陽気だと浮かれもするのですが、熊本・大分方面の事を考えると、そうも言っていられないです。
未だに群発地震の様に地震は続いていますが、少しでも早く収まることを祈る気持ちで一杯です。

この土日、信濃町界隈は支援活動を本格化しているので、熊本方面から信濃町への問い合わせにも「休日御休」のようですね。
まあ彼らとて地元では「幹部様」ですから、忙しいのでしょう。

選挙活動に。

この土日、各地では「○○大勝利大会」とか、「○○ビクトリー大会」が活発に行われたようです。

つまりゴールデンウィーク前に、各公明党の参議院候補者の地域別にアジテーションを挙げるわけです。

ネットを中心として、創価学会や公明党の矛盾、おかしさが言われるなかで活動家達は、それらにみごと扮動される事なく、公明党の大勝利の為にも粉骨砕身しています。

これは何故なのか?

一つはネットに触れる機会が活動家には無いと言うこと。

活動家の大半は、機関誌の聖教新聞を熟読し、一般紙も熟読してはいますが、やはりネットの情報に触れることは、ほぼありません。

例えば先だっての学会員が公明党本部に「安保法制反対署名」を持っていったりしてる事は報道され、記憶はしていますが、それらの背景には「共産党が暗躍してんでしょ?」位の認識です。

ガルトゥング博士の声明や行動、またそれに対する公明党の遠山議員の言動なんて、殆どの活動家は知りもしません。

まあ一般紙や聖教新聞、公明新聞にはそんなことは掲載されませんからね。

やはり創価学会の活動家になると、日々馬車馬のように忙しいですから、自分から様々な情報収集出来ませんし、しようとも思わないですから、やはり統制された情報の中で動く傾向が強くあります。

あともう一つは「同調圧力」です。

創価学会の組織は、過去には「縦線」といわれ、人脈中心の組織構造でしたが、今は各地域に組織が構成されています。

活動家歴が長ければ長いほど、そういった地元組織の人間関係が強くなるので、そこには「同調圧力」が強く働きます。

だから多少の組織異常の噂が出ても、この「仲間内」で大きな話が出ない限り、「信心のおかしな人がやっていること」「それはデマ」という事で終わらせています。

そりゃ基本は「地元のご近所付き合いの仲間達」と仲良く快適に活動したいですからねー。

この傾向は、特に婦人部に強くありますが、この婦人部にブレが無ければ、創価学会は安泰です。

この事は池田名誉会長が一番理解していた事でしょう。

斯くして安保法制を乗り切った創価学会・公明党は、いまや万端整え、公明党や自民党の支援活動を加速化し始めているわけです。

自民党幹部が「集票マシーン」と述べるように、「信仰活動の本道」として、これから友人知人宅を訪問していく事でしょう。

いやね。
僕の嫁も活動家幹部なので、土日は疲弊しているわけですよ。そんな疲れているなかで、僕は一連の事を質問したところ、そんなことは聞いたことが無いし、組織内でも話題にすら当然の事、挙がらない。また幹部の誰もそんな話は当然の事しないので、誰も知らないという事でした。

それよりも日々の活動の事に一生懸命で、そこまで気も回らない様でした。

これが創価学会の現実です。

件の三名は横浜、関西、そして今度は東北で座談会なるものをやって、「創価学会の真実を!」なんてやってますが、それは創価学会の組織のなかに響くことは無いでしょう。

彼らの活動の目的は、創価学会の変革ですから、こういう現実にどう立ち行くのか。
支援者に囲まれれば囲まれるほど、組織の実態は理解することは無いでしょう。

また反安保法制で署名活動を創価大学の有志がやったという現実も、組織内では「異端者・反逆者がやってること」として、「彼は野干の吠えるなり、日蓮は獅子が吠うるなり」と考えて、耳も貸しません。

またガルトゥング博士の声明も、活動家に取っては池田名誉会長が数多く対談した著名人の一人の動きであって、意にも留めません。

そんなことより、耳障りのいい佐藤優氏の言葉に心寄せ、信濃町界隈の打ち出し通り、集票活動に動いてます。

そして今、来るべきゴールデンウィークに票をかき集めるべく準備中です。
やれやれ、なんて組織なんでしょうね。
PR

【20160413】戦争反対について

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

ところで尿管結石ってご存じですか?
実は僕、数年に一度、この結石の症状が出ることがあるのですが、昨日はどんずばでその日になってしまいました。

朝から何か調子悪いなーと思っていたら、帰宅の最中に痛みが走り、もう電車の中で冷や汗ダラダラ。倒れるかと思いました。

幸いにして二時間程度て石が出たようて、痛みも無くなりましたが、男子部時代の不摂生の付けがいまだに残っている事を感じました。

さて、昨日にTwitterで呟いていたことを少しまとめる意味で、今日は記事にします。

今の日本の政治に関する話題の中心は、安保法制に関することです。自民・公明の連立政権と、共産・民進を中心とする野党側の対立点の中心も、この話題になっています。

また先日、夜のニュース番組では普天間基地返還合意の事と辺野古移設を取り上げていましたが、これも根っこは日本の安全保障に関することです。

SEALDsなんて若者の集団の中心にあるのは「憲法九条死守」「戦争反対」であり、やはり今の政権がごり押しして成立させた安保法制に反対する運動を展開してたりして、その為に共産・民進を支持してますよね。

僕は何度でも言いますが、戦争反対です。

太平洋戦争時代の愚行は繰り返してはいけないし、やはり有為な若者を戦争なんかで失ってはいけないと思っています。

自分の子供や孫の時代に、そんな行為は止めさせたいと思っています。

しかしそれは「憲法九条死守」何かでは実現なんて出来ないのではありませんかね?

そもそも憲法の成り立ちには、当時、進駐軍と呼んでいた連合国の最高司令官であるマッカーサーを中心としたGHQの思惑があり成立しました。
ここには日本を非武装中立の国にしておきたかったという考えがあったと思います。

だから「戦争放棄」という、人類史でいまだかつてない憲法が出来たのだと、まあ簡単に言えば思うわけです。

しかし国際社会において、この憲法の問題点を認識していたのは、実は昭和天皇であったとも云います。だから昭和天皇は当時のアメリカに対して、日本の武力についての肩代わりを求めたという話もあるようです。

そして日本は戦後七十年間、アメリカ軍の傘のもと、自国を防衛するという思想を放棄、経済中心の平穏な時代を過ごしてきました。

この辺りは昨今の「サヨク」という非難にも顕著に指摘されてますね。

しかしこの間、日本は正面から国際社会の現実に目を向ける事をしてきません。

国際社会とは「こん棒を持った外交交渉」という事で動いています。

国家とは国民の利害の代表集団であり、やはり国の利益を優先にして動きます。そしてその利害が衝突すると外交交渉となり、それが決裂すれば戦争となります。

ただ第二次世界大戦以降は、正式に「戦争」というのは少なくなり、地域紛争という形のものが増加しました。

日本の周辺を見てみると、北朝鮮と連合国(国連)は休戦中とはいえ未だ戦争状態です。
中国は最近の経済拡大に併せて、もともと持った中華思想のもとで、南沙諸島では様々な軍事活動を強めています。
この中国という国はアメリカよりも多民族国家であり、人類の多くが属した国家です。
この国をまとめあげるには、国内の治安を収める為にも資源確保が最重要課題ということもあるのでしょう。また国家の敵として日本も利用されている節がありますね。

こんな状況なので、日本が竹島を取られ、国民を拉致され、しかも最近では尖閣諸島に関連して、沖縄・八重山諸島あたりの空自スクランブルも増加しています。

つまるところ、現行憲法条文にある「平和を希求する~周辺国の信義」というものは、既にない状態だと思います。

でもなぜ日本は平穏足り得たか。

そこにはアメリカという、まあ現代で世界最大の軍事国家の後ろ楯があったからだと思います。

これは否定できないでしょ?

そしてこのアメリカという国は「横田空域」という名称で日本の首都の上空の制空権を掌握しています。

そればかりではありません。

アメリカ軍の中枢と「日米合同委員会」という場を持ち、日本の政治家ではなく「国家官僚」も、密接な協力関係を持ち続けています。

なぜ東京六本木の場所にアメリカの軍事施設があるのか、また山王ホテルという、日本人お断りのホテルがその隣接地にあるのか、考えたことがありますか?

つまるところ、日本という国は未だアメリカから独立はしていないという事実がそこにはあるのです。

形式的にはサンフランシスコ講和条約により、日本は独立国になりました。
しかしその日本という国家のイニシアチブは、未だにアメリカの手の中にあるのではありませんか?

これが現実だと僕は思っているのです。

だから安保法制についても、背景にはアメリカの思惑があり、それに忠実な安部政権は、この思惑にそった行動をしているだけだと僕は理解しています。

また普天間基地移設にしてもそうです。
日本が完全なる自主独立ではなく、未だにアメリカの庇護の下にあるうちは、解決することは出来ないでしょう。

先の日米合同委員会には、政治家は参加していません。日本側は官僚中心です。

つまるところ今の日本の政治とは政治ショーにしか過ぎず、なんら国民の代弁者足り得るものでもないというのが実情なのではありませんかね?

以前に民主党の鳩山氏が総理になったとき、沖縄の普天間基地の県外移設という話がありましたが、結果として頓挫しました。
そこには霞ヶ関(国家官僚)による封じ込めもあったやに聞いています。

こんなことなんで、僕は単純な憲法九条死守や反戦デモには興味が無いんですよね。

腐ろうが何しようが、日本は未だに法治国家です。形式的とはいえ国民が国を動かす仕組みがあります。
だからこういった状況を打開することが出来るのは国民の意識です。

その為にも、戦争反対というのであれば、やはり近代史を一人一人が認識し、今の日本の状況を理解して、主権国家という日本の事を考える必要があると思うのです。

今のまま、アメリカ追従では何も解決しませんし、いずれはアメリカに引きずられて望まない紛争に巻き込まれて仕舞うでしょう。

単にデモンストレーションだけでは、国民の意識は変えられないし、憲法叫び反戦を叫んだところで、何も変わらないと思うのです。

まずは日本の国の背景にある仕組みについて、知る努力をすべきではありませんか?

【20160315】何か違うんだよね~・・・・

こんにちは(´・ω・`)

ここ最近、寒のぶり返しという感じの日々が続いています。
もう三月も中旬になるのに、この寒さは何たるチアという感じで一杯ですが、皆さんは体調を崩していたりしませんか?

先月の2月28日に、神奈川県横浜市の西公会堂で、件の元職員三名の方が中心となって「座談会」が開催され、なんでもブログによれば108名が参加したという事。

あれ??108と言えば一般的な仏教で言えば煩悩の数と同じだと思いました。
このあたりはユングの言うところの「共時性」に通じるものかと思ったりもしますが。。。

http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-30.html
(元創価学会職員3名のブログ)

まあ元々、僕は参加するつもりもありませんでしたし、「創価学会への問題意識」を持っていると言っても、立ち位置が全く異なるので共に行動するという事もありませんし、そもそも先方もそんな事なんて望んでいないのは百も承知です。

このブログもそうですし、香川大学の高倉教授についても同様なのですが、こういった活動を見るにつけ、個人的には「何か違うんだよね」という感想を持っています。

だからと言って、彼らの行動を「正義ではない!」とか「間違っている」という事を僕は大上段に振りかぶり指摘するつもりは毛頭ありません。

だからここから書く事は、あくまで僕の私見であり、彼らに対する意見などではありません。
それをお断りした上で、少し雑感的に感じている事をつらつらと書かせてもらいます。

まずはじめに、やはり池田名誉会長という「師匠」の呪縛というのは、これは中々取れないものなんですね。

でも創価学会の問題を乗り越えるには「師弟不二」の呪縛は超えなくてはならないハードルだと思います。

確かに現時に於ける創価学会の中で生きていた人にとっては、依って立つ処は池田名誉会長の言葉であり、その「実体が在るか無いか」解らない「池田哲学」なんでしょう。
だから今の創価学会の執行部に対して糾弾する事についても、池田名誉会長の言動を元に言う事しか出来ないのだと思います。

だから彼の元職員三名は以下の様に叫ぶのでしょう。

「学会本部よ!いい加減に、大恩ある師匠を使うことは止めるべきである!」
「師匠の真心を、自分達の都合で使うのは、金輪際、止めるべきである!」
「組織維持の為に師匠を使い、会員を苦しませた昭和54年。再び、あの師敵対の悲惨な歴史を、繰り返すべきではない!」

会社などの組織でもそうですが、問題が起きた場合に大事なことは「根問い」だと僕は思うのです。この「根問い」とは「根本を問い直す」という事を言います。

創価学会という組織であれば、そもそもの発端は牧口常三郎という大教育者でした。
この教育者は日蓮正宗大石寺の教義を根本として、その信徒団体として創価学会は設立されたのは誰もが知っている事でしょう。

そして牧口常三郎が創設した教育者の団体を、ここまで急速膨張させた戸田城聖が何を以て創価学会を宗教法人としたのか、それも牧口会長同様に日蓮正宗の教義ではないでしょうか?

そして三代の池田名誉会長は、途中からこの路線では世界に開けないという事で宗門から離れ、独自路線とも言うべき「池田哲学」というものを全面的に出して進めた訳です。

そして巨大化した創価学会の分派行動を避けるべく、正木前理事長などは「師弟不二」という、この池田名誉会長のカリスマ性を全面に出した結果が今の創価学会の姿であり、信濃町執行部の姿なのではありませんか?

この「師弟不二」の経緯について、僕は正木氏が副会長の時代に青年部幹部(彼らとは異なり「在家」信徒幹部でしたが・・・)として聞いていますし、この内容についてはその他多くの副会長からも同様の指導を聞きました。

まさか職員幹部であり学会中央の幹部であった彼ら三名についても、この大前提というのは聞いた事が無いという事はありえないと思います。

「仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり」
(諸経と法華経と難易の事)

信濃町界隈がオカシい。これは「影」ですね。
つまり「影」が斜めならば、その根本の「仏法=思想性」を問い直すべきだと僕は考えているのですが、その点の違いが僕の感じる「大きな違和感」となっているのでしょう。

いまの創価学会の思想性とは「池田哲学」であり、その淵源を辿れば牧口・戸田両氏の考えていた思考性にも向かいます。そしてそれは即ち大石寺の持っている「日蓮教学」にも行きつく事になるでしょう。

そこへの思索無くして、この創価学会の問題の根っこというのは見えてこない。

違いますか?

昨今では創価学会は「日寛教学も見直す」としていますので、その考え方は良いとして、ただやはり根底には信濃町界隈の「組織維持」の論理が先にあるので、劇的に新たな考え方になるという事は全く期待は出来ないと思いますけどね。

「谷川主任副会長の完全無視。その振る舞いに、今の創価の元凶を見た思いがしてならなかった。」

彼らはこの様に語ってもいますが、おそらく創価学会の「組織的な維持」については、谷川主任副会長の方が三名の人たちよちも真剣に考えていると思いますよ。
だって自分自身の「食い扶持」ですからね。

「何としても師匠の心が通う本部に変えていかなければならない。そのためには、自分自身がさらなる正義の声を上げていかねばならない。そして、心を同じくする同志の皆様と共に、さらなる正義の声を上げていかねばならないと改めて思った」

問題の本質をとらえた上で、しっかりとした言動を行わない限り、それは結局のところ枝葉末節の鍔迫り合いになってしまう事でしょうし、所詮は創価学会の中の「内紛」というレベルの事でしかないと思いますよ。

でもまあ、こうやって僕なんかはネットでちまちまとやっていて、ちょくちょくメール等で来る相談事に答え、必要であれば面談して対話して、その他、自分自身の持てる時間の中で創価学会の歴史だ文字曼荼羅だ法華経だと、ただ考えている人間とは違い、彼らの行動は勇敢であり、それなりに苦しむ中で動いている事と比較すると、大したことには映らないでしょう。

しかし僕は「広宣流布」とは「思想戦」だと思いますので、この行動スタンスを変えるつもりはさらさらありません。

創価学会から弾かれ責められ苦しむ人が多い中、彼らの行動が単なる「蛮勇」にならなければ良いんですけどね。

でもやはり彼らの活動は、「組織内組織」を作るための行動にしか見えません。
そんな感じを僕は受けています。

「師匠は針、弟子は糸」
これは池田名誉会長の過去の言葉ですが、そうであれば弟子とは師匠とは異なる行動と視点が必要なのではありませんか?

でわ。

【20160205】愛国を唱える創価学会

こんにちは(´・ω・`)

今日は週末、本当に一週間というものは早いものです。
普段の日は仕事に追いまくられながら、自宅へ帰りの道すがら、ネット上にある妙法蓮華経を読んでいたり、また御義口伝を拝見しながら思索を重ね、夜中に本編サイト「想学談林」を更新しています。

果たしてこれにどれだけの意味があるのか?
意味なんて関係ありません、だって僕自身の「ライフワーク」として行っている事なので、言い方変えれば限りない「自己満足」の為に行っているのです。

でもそういう行動の中で、日々少しでも自分自身、新たな視点を貰っている感じもしますので、僕の人生には役立っている行動だと実感しています。

話は変わって。
創価学会という組織は、ここ十年くらいに大きく変貌しましたね。
これを今の活動家幹部連中は「発迹顕本」位に考えているのでしょう。



『「自分自身が生きている国土や社会を愛し、より発展させていこうと願うことは、元来、自分の生命を慈しみ、生活を向上させようとする人間の本性に根ざした心情が、社会的な方向をとったものであると思います。」トインビー対談の中で池田先生は愛国心についてはきちんと触れておられるのです。』

こういう言葉を平気で言える人間が、創価学会の幹部の中にいるのですから、僕が青年部であった頃の創価学会とは隔絶の観があります。

今から十数年前の事、池田名誉会長は本部幹部会で「国家主義が台頭してきている」という事を言いました。当時は不沈空母発言や防衛費1%枠の撤廃などもあり、確かに日本という国が「いつか来た道」を後戻りし始めているのではないかと、青年部の先輩幹部なんかも「だから創価学会は既成の権力構造と戦わなければならない」という事も言っていました。

「護憲」「反戦」「平和勢力」
これは昔の公明党や創価学会のセリフでした。
当時の組織内で「私は愛国者だ」なんて言ったら、みんなからハブされていましたよ。
「あいつは右翼的な人間だ!」なーんてね。

そもそも以前にも書きましたが、僕が担当していた未来部員が「自衛官になりたい」という夢を聞いた時、当時の僕は職業選択の自由であり、国を守る仕事は立派だから頑張れ!と激励をしたろころ、当時の先輩幹部からは「お前は部員を人殺しにするのか~!!」なんて叱られた事もありました。

それが今や創価学会の活動家の口から「愛国者」という言葉が出てきたりして、そして「安保法制賛成署名」なんてかき集めて自民党に提出して嬉々として喜び自慢する幹部が出ていますからね。

確かに時代は変わったのかもしれません。

まあ過去の歴史を振り返ってみれば、創価学会の発祥は「平和勢力」「人権団体」ではありませんでした。
よく牧口常三郎を「反戦の為に当時の軍部勢力と戦い、獄死した大哲学者」と言っていますが、実際に歴史を調べてみると、そんな事はありませんからね。

「聖徳太子や桓武天皇は申すに及ばず、和気清麿でも、菅原道実でも、楠正成でも国史中の最大忠臣は皆法華経の信者であり、徳川光圀、加藤清正、大石良雄、大塩平八郎、相馬大作、佐久間象山、勝海舟等諸英雄なども悉く法華経の信者であったことを思ひ合せると歴史家の宗教に対する無識、歪曲から殊更に之に触るることを避けた為に教育社会には一向注意をされないで来たのであるが、法華経が日本国体といかに親密の関係があるかゞ察せられやう。「古今ニ通シテ謬ラス中外ニ施シテ惇ラズ」と仰せられた「神ナカラノ大道」と契合するからである、と断定するに異議はあるまい。」(新教 1935年12月号)

上記の文は本サイト「想学談林」に掲載した、当時の創価教育学会の機関紙「新教」に掲載された牧口会長の赤化教員のオルグに向けた「檄文」です。
ここで牧口会長は法華経と日本国体の関係について「紙ナカラノ大道と契合する」と述べていますよね。だから当時の内務省や警察庁と創価教育学会はタッグを組んで、共産化(赤化)した青年教員を創価教育学会にオルグしたわけです。

そして当時オルグされた人の中に、戦後、戸田会長の後に創価学会の理事長となった矢島氏もいました。(矢島氏は後の出家、正宗の坊さんに転向)

考えてみれば日蓮思想というのは戦前の国粋主義の中で利用されてきました。
その思想が一番端的だったのが田中智学の国柱会でした。この国柱会には石原莞爾や宮澤賢治など、当時の新進気鋭の人が多く集まっていました。

先日の国会で、三原じゅん子議員が発言した「八紘一宇」という言葉も、この田中智学が唱えだした思想です。

日蓮の言動には「国」があり「過激な言動」があります。
だから国粋主義者を鼓舞するには丁度いい言葉が多くあります。

だから戦前の日本の思想界をリードする国粋主義者の多く、田中智学もそうですが、例えば北一輝なども日蓮を標榜していたほどです。

つまるところ、太平洋戦争後、創価学会と名を変えて、牧口・戸田両会長を「反戦・平和の指導者」に祭り上げ、東アジアの布教の為に利用した。つまり仮面をかぶっていたという事なのかもしれませんね。創価学会という組織は。

だから先に紹介した発言を軽々しくする人物が、創価学会の中で幹部として活躍できる訳だと思いますが、どう思いますか?

僕は「愛国者」というのは大事だと思います。
でも真の愛国者であれば、今の政権与党の行動を苦々しく思う事があっても、それを前向きに支援するなんてありえないのではありませんか?

自公連立政権が誕生してからこのかた、日本国内の状況を見ればわかりますよね。
雇用が不安定な非正規雇用が増加し、人が「部材」の様に扱われる市場原理主義に舵を切ったのは誰なのか?

貧富の格差社会の中で、増税を行い推進したのは誰なのか?

先日の安保法制に至っては「護憲」を語りながらも、実際に憲法を換骨奪胎させたのは誰なのか?

「法華経の行者をば梵釈左右に侍り日月前後を照し給ふ、かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」(種種御振舞御書)

ここでいう「あしくうやまはば」とは「粗末に敬う」という事ではありません。「間違えた形で敬えば」であり、それを実践しているのは紛れもなく今の創価学会です。

その創価学会の活動家が「愛国者」を語りだした事を見て、僕は日本もこの先長くはないな、、という事を実感しています。

皆さんはどう思いますか?

【20160120】観心と難信難解という言葉

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

ここ最近、文字曼荼羅を中心に様々思いを巡らしています。
考えてみれば創価学会で「日蓮仏法」と教えられ、様々な活動に取り組んできましたが、根本的な事について、何ら理解していなかった事、今更ながらに感じています。

文字曼荼羅ですが、文永十年から弘安五年までの間に顕されたもののうち、様々な相貌のがあります。
これは「想学談林」のサイト上にも、ちまちま上げ始めていますが、題目と愛染・不動、そして花押だけのものから、大日如来や十方分身仏が書かれたもの。そして何等かのお札の様なものまでありました。

最近の創価学会では「日蓮直筆の本尊は全て本門の本尊」と言ってますが、本当にそれだけ言う事で事足りているのか。
そんな事さえ感じたりしています。

日蓮が本尊を明確にしたのは「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」でしたが、これは流罪の地、佐渡で書かれていました。

この時期の日蓮直筆の曼荼羅はというと、やはり御題目と梵字の愛染・不動明王、そして釈迦・多宝の二仏と日蓮花押といったものです。しかしこの観心本尊抄では概要としての本尊(文字曼荼羅)の相貌を語っています。

ここら読み取れるのは、日蓮の中には粗々な本尊のイメージというのが既にあったと言う事であり、それをどの様に表現すべきか試行錯誤を繰り返したのではないかと言う事です。

例えば初期には釈迦・多宝二仏のみであったのが、建治元年頃には十方分身仏と善徳如来が書かれていました。
この事についてネットで調べたら、法華講の某活動家の動画に行き当たり、内容を傾聴したのですが、そこで語られていたのは単に宗門が語る「日蓮本仏」に基づいた御内証の立場から云々という事です。
つまり建治年代に善徳仏が書かれたのは、文上釈迦の法華経の立場からであり、御本仏としての立場である弘安期では不要になったから書かれていないという理屈でした。

そもそも相貌として語ったのは観心本尊抄なのだから、そこで日蓮はそんな事を書いてますか?

そんなまやかしな論理は、江戸時代ならば兎も角、もう現代に於いては不要だろうと思いますし、僕が知りたいことでは無かったので、動画は途中でぶったぎりました。

この日蓮の文字曼荼羅は、日蓮自身が観心本尊抄で語っているように、自分自身の心を観るためのものです。

「観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり、譬えば他人の六根を見ると雖も未だ自面の六根を見ざれば自具の六根を知らず明鏡に向うの時始めて自具の六根を見るが如し」

でもこの時には信じがたい事、そして解しがたい事があると言います。

「教門の難信難解二には観門の難信難解なり」

教門の難信難解とは、法華経に対する難信難解の事であり、この法華経では全ての人は根本的に仏であると説きますが、そもそも仏教全般で成仏は難しいと説いていたことに対する哲学的な矛盾に対する事です。

観門の難信難解とは、そもそも自分自身が仏であり、それが自分自身だけではなく周囲の環境も切り離しされてないと言う事についての信仰実感としての信じがたさです。

この文字曼荼羅とは、自分の心の中の構造を図式化した「明鏡」であると日蓮は言うのですが、その日蓮の言う言葉にもこの教門と観心の「難信難解」が付きまとうのでしょう。

そもそも御題目を唱えるときに、認識できるのは文字曼荼羅の中にある御題目です。
言葉は悪いのですが、その他諸尊を理解して唱えている人は、普通の信徒であればそれほど居ないでしょう。

また御題目を唱える時に、たまに意識をして諸尊をみて、これにはどういう意味があるのか、そもそも自分にも同じ命があるのかと思ったとき、それに対する疑問をもったりしたこと無いですか?

様々な問題が起きたとき「湿れる気より火をいだし」と祈る人がいますが、実はその問題にも様々な意味があり、その意味を理解すれば乗り越えられるのですが、そういう事を信じて御題目を唱える人も居ませんよね。

大体が「どうにかしてくれー!」と半ばパニックの様に祈祷師みたいになったりしますし、何かこの文字曼荼羅に力があるかの様に考えて解決を祈ったりしてますよね。

今の時代、成仏だとかいう言葉で仏を語ったりするから、よけいに解らなくなったりします。

仏とは人生の達人であり、何事にも苦悩することの無い人格だと考え、本来全ての人はそういうモノを心に持ち合わせているというのが、今の時代では理解されやすいのかもしれません。

これ、願兼於業という観点からの見方ですけどね。
そしてそれを理解するための明鏡というのが文字曼荼羅だと日蓮は言っています。

鏡の本体とは御題目であり、様々な勧請されている諸尊は、その鏡の飾りなのかもしれませんね。

ちょっとまとまり無い文章でしたが平にご容赦を。
とりとめ無い話となりましたが、もう少しまとめたものは、順次、想学談林の本サイトにアップする予定です。

よろしくお願いします。

プロフィール

HN:
運ちゃん
性別:
非公開

フリーエリア

バーコード

ブログ内検索

P R

忍者アナライズ

カレンダー

08 2017/09 10
S M T W T F S
2
4
10 16
17 23
24 25 26 27 28 29 30

最新コメント

[05/03 NONAME]

忍者カウンター

Copyright ©  -- 想学談林-管理者の部屋 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]