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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
カテゴリー「政治考」の記事一覧

【20160704】選挙関連の雑感ですが

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

昨日の夜に我が家のポストの中に壮年部からチラシが入ってました。
宛名は「運ちゃん地区幹事殿」とあり、中を読んでみると「頼み残しはないか!」とか「終盤戦にもう一歩拡大の戦いを!」とかが羅列しているわけです。

僕は公明党なんて支援しないと公言しているにも関わらず、こんなチラシを入れるとは。
やはり相も変わらない価値観のもと動いているんだなと思いました。
さぞかし「この大法戦に参加させたい!」なんて思っている慈悲深い人がいるんですねー。

余計なお世話だ。

さてさて、今回の参議院選挙では、三宅氏の主催する選挙フェスに三色旗をもって参加し、「公明党はおかしい!」という声を挙げる学生部もいれば、まあ様々な動きが、今まで以上に創価学会の組織内に起きているのを見かけます。

でも公明党の方針に賛成にしろ反対にしろ、共に理屈の根拠にしているのは「池田哲学」といわれる、まあありし日の永遠の指導者たる池田会長のお言葉な和氣です。

面白いですね、同じ人間の言葉の解釈で、これだけ人の中の理解が分裂するのですから、全くもって思想そのものが「頭破作七分」と言っても良いでしょう。

例えば賛成派にすれば、池田先生が作られた公明党は、いまや政権与党にも参画して久しく、池田先生が作られた創価大学の卒業生から多くの国会議員も輩出し、日本の政治の舵取りを行うまでになったと誇らしく思うわけです。
そして同じ信心をしている仲間を国政の場に送り、尚且つ政権与党内で発言力を強めるべく、多くの票を取らなければならいと考えています。

「池田先生が作られた創価学会を、盤石足らしめる為の活動」

これこそが今の活動家の思いでしょう。

一方、反対派は「過去の池田先生のお言葉や精神と違う方向に日本を進めている」と考えているわけです。
そしてそんな公明党のおかしさは、信濃町界隈に巣くう「歪臣達の仕業だ!」とばかりに公明党を攻め立て、信濃町界隈を攻め立てる訳です。

賛成派にすれば反対派は組織分裂を狙う「獅子身中の虫」と写り、反対派にすれば「思考停止で信濃町界隈の歪臣から騙された人たち」として映るわけです。

どちらも共にありし日の永遠の指導者のお言葉や箴言をもとに、この様なのの知り合いをするんですね。

いやー興味深いのは、かつて正木某氏が「組織分裂を防ぐには師弟しかない!」なんてやってましたが、いまやその師弟の解釈合戦で組織が弱体化するんですから、どうなんてすかね?

そもそもですが、賛成派にしろ反対派にしろ、今の日本や国際情勢をどの様に読み取っているのでしょうか?

政治の世界の話なんですから、んな池田先生がウンたらかんたらと能書きを垂れる前に、日本の国民としてどう考えるのか、そこを問わなければダメでしょう。

果たして今の日本国憲法のままの戦争放棄や、国防の主力がアメリカ依存のままで良いんですか?

戦争を放棄しただけで、今の日本の平穏というのは、どこまで維持できるんですかね?
中国や韓国、北朝鮮は信頼できる国家・国民なんですか?

日本のエネルギー事情と原子力発電、そのた諸々の課題はどう考えるのですか?

本来ならば、そういった事柄について、創価学会は独自の視点を持ち、世の中に問うべきでは無いかと思うのですが、賛成派にしろ反対派にしろ、そんな議論なんてなく、ただ池田先生が~池田先生が~しか言ってないように思えます。

こんな考え方を持つのは、僕だけでしょうか?

もともと信仰の世界だけで、世界や平和、そして日本の政治を語ってきてしまったから、こんな風になったのかもしれませんが、まあ今の議論を見てみると、どっちもどっちという感じが否めないですね。

あと一週間を切りましたこの参議院選挙。
日本はどんな答えを示すのでしょうか?
そして創価学会や公明党に翻弄される人達は、一体この活動で何を知るのでしょうか?

そんなところを見てみたいものですね。
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【20160703】参議院選挙と創価学会の今後

こんにちは(´・ω・`)

今日はメチャクチャ暑かったですね。
こんな陽気にもかかわらず、僕は今日は昼間に子供と外に遊びに出てました。
おかげで少し脱水症状気味。
その後、家に帰って風呂場の掃除なんかしたもんなんで、よけいにばててしまい、先ほどまで横になってグダってしまいました。

ツイッターを見ると以下の事が書かれていましたね。

「@三宅洋平・選挙フェスに創価大学有志が応援に来た。ハチ公前を埋め尽くした人たちから歓声、拍手が。「ひいばあちゃんのときからの学会員です。男子部に所属しています。でも今の創価学会、公明党は間違っている」と若い創価大の学生は訴えた。」



ここで創価大学の学生有志が「創価学会、公明党は間違っている」という事を主張しているとかあり、選挙フェスには三色旗があったと言います。

しかしその一方で、今日も日本各地には「公明党をお願いしますね」と、友人宅に創価学会の活動家が訪問をしている姿もあるんですよね。



これだけみると、創価学会は既に政治の主張では「また裂き状態」と言えるのではないでしょうか?

安保法制に反対しているのは、何も学生だけではなく、日本中の創価学会の組織の中に疑問を持っている人がいます。まあ組織的にはマジョリティではありませんが、やはり公明党の行動がオカシイと考えている人はそれなりにいます。

その一方で、先のブログでも書きましたが「創価学会は間違えていない」「現実路線で最大限に働いている」と信じている人もいます。組織的にはこちらが圧倒的にマジョリティだとおもいますけどね。

そして今回の参議院選挙は、投票率も低迷しているようなので、おそらくは自民党と公明党の議席数に激的な変化が起きるとは思えません。

おそらく組織票がそれなりに効果を見せる結果になるでしょう。

過去、創価学会は選挙のたびに「異体同心」という事を言い、活動家が内部の未活動家の票(いわゆる内票)を掘り起こし、公明党の票を積み上げてきました。
これが今世紀初頭までの「800万票」という公明党の票数に表れていました。

そして現信濃町執行部は、今世紀初頭と同じ感覚で、同じ活動を継続する事で、創価学会の票というのは出せると踏んでいるのかもしれませんが、ここ近年で創価学会の票数は上昇する事なく落ち続けています。
その中で公明党の議席数が確保できているのは、やはり昭和三十年代から積み上げてきた選挙の手法による処も大きかったのかもしれませんが、やはり政治不信に基づく投票率の低迷に助けられての事であるのは、昨今のいろんな選挙の結果から読み取れる事です。

とは言いながら、最近ではスマートフォンの普及もあり、ネットで創価学会や公明党の情報が様々拡散しはじめている事もあり、創価学会として情報統制が取れなくなってるのも事実。
そんな中で先の創価大学生に見れる様な活動も、静かではありますが、組織内に確実に広がり始めています。

おそらくこういった事は創価学会にとって、ボディブローの様にじわじわと効いてくるのではありませんか?

昭和時代であれば、組織に疑問を持った人の横のつながりというのは持てませんでした。情報も拡散するという事はなく、創価学会としては情報統制もしやすかったのでしょうが、やはり近年において情報統制というのは難しい事なんでしょう。

かつて信濃町界隈は「選挙戦は組織の引き締めに役に立つ」と言っていましたが、ここ最近ではこの選挙に関連する政治的な活動により、創価学会という組織の随所に細かいひび割れの様なほころびの姿が見え隠れしています。

さて、創価学会はこういった動きに今後、どの様に向き合うつもりなんでしょうね?

信濃町界隈ではアクセンチュアという外資系コンサルタント会社と導入し、今後の組織の在り方を検討しているという話も聞いていますが、そもそもこういった外資系のコンサルタント会社は企業のコンサルタントは行えても、信仰組織のコンサルティングなんて出来るわけがありません。

安保法制賛成派も反対派も、公明党支持派も不支持派も、ともに「池田哲学」を持って行動していますよね。

昔から言われていた「創価学会のダブルスタンダード」とは、この「池田哲学」が潜在的に持つものですが、それがいよいよ顕在化してきたという証左ではありませんか?

創価学会は迷走していますが、これからどこへ向かおうとしているのか。
そんな事をふと考えてしまいました。

【20160701】政治の季節、雑感

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

七月になっちゃいました。
もう一年も半分過ぎたんですね、早いものです。
世の中は参議院選挙と云いますが、あまりヒートアップしてはいないように見えます。これはどうなんでしょうか?

僕の地元では先日「壮年部突撃大会」があったようで、こんな僕にも声がかかりましたが、行くわけがない。
そもそも公明党候補が信用できるかと云えば、僕は全く信用しません。

地方議員の多くは、それぞれの地域で青年部幹部をやってました。だから僕も地元の公明党議員の事はよく知ってます。

まあ男子部時代の先輩や仲間だった人達ですからね。

しかし国会議員になる人間なんて、僕は聞いたことがありませんよ。
そんな知らない人間を、単に政党が「同志で素晴らしい人物」なんてラベル貼った処で、どこまで信用できるのか。

少くとも僕はそんなもの、信用しません。

公明党の国会議員の多くは創価大学を卒業し、そのあと官僚や弁護士をしていた人です。こういう人達は組織活動に翻弄されることはなく、それぞれの仕事に没頭していいた人達です。
通常、活動家と言われる人は、何よりも組織都合優先で活動することを求められますが、マスコミ関係者とか、官僚、弁護士といった人達は、組織のなかでは無理強いした活動はやらされません。

だから国会議員になった人たちなんてのは、実は創価学会の現場なんて知ることもないのです。

無茶な新規会員獲得のための「折伏」も経験無いでしょう。無理難題の聖教新聞拡販の「新聞啓蒙」も同様です。ましてや裏選対の様な事や法華講、顕正会なんかとの鍔迫り合いも知らないと思います。

「この○○さんは苦労している」とよく組織の人達は候補者の素晴らしさを語る際に云いますが、果たしてどこまで信用して良いのやら。

そんな人間を、組織をあげて支援するなんて、まったくナンセンスで馬鹿げていると思いますけどね。

僕地元の地方議員には票を投じます。
だってそのの人となりや実績はよく知ってますからね。
男子部の先輩で、まあ良く解ってます。
この人は地道な人で、地元組織票の数以上に得票できるのも、この人だからでしょう。

しかし国会議員は信用しません。

そもそもですが、公明党の国会議員の中で、どれだけの人が政治家を元から目指して、努力してきた人がいるのでしょうか?

恐らく皆無ですよ。

では何故、立候補したのか。
それは単に信濃町界隈から「はい、君は国会議員をやってください」と言われたからです。
そこにあるのは「政治への志し」ではなく、「信濃町界隈への忠誠心」だけしかありません。
しかも先に述べたように、これ等の人の多くは官僚もしくは弁護士で、今の創価学会の末端の泥臭い事なんて知りません。

あっても池田会長への思いだけでしょうね。

過去に国会議員やってた人に聞きましたが、国会議員は当選したら信濃町に詣でて、池田会長に面会して「御礼」をするそうです。

今では永遠さんもあんな感じなんで、こんな事をやっているのか知りませんが、これも変な話ですね。立法府の人達が宗教団体のトップに御礼という事。

公明党の事をよく「下駄の雪」と言いますが、そりゃ当たり前ですよ。政治への志しもなく、あるのは「信濃町界隈への忠誠心」だけですから。しかも「政治への志し」もない元官僚や弁護士あたりに何ができるというのか。

ちなみに創価学会では「共産党の勢いが凄い!」と吹聴し、危機感煽りまくりで、活動家達にムチを入れているようですが、恐らく今回の参議院選挙の投票率は過去最低に近いものになるでしょう。

だって争点が表に出てないんだから、誰も感心を持ってないようです。

だから組織票を手堅く押さえている公明党と自民党は、それなりに議席を確保すると予想しています。

できればこの予想は外れてほしいんですけどね。

後一週間少し、この選挙の季節は続きます。

【20160627】衆愚政治を増長する創価学会

こんにちは( *・ω・)ノ

創価学会の中では参議院選挙まっさかり。
僕のところにも「壮年部突撃大会」とか、なんやらわけわからん会合の案内チラシが入ってました。
まあ一応地区幹事ですから、結集対象に入っているのでしょうが、選挙戦なんてやらんちゅーのに、壮年部活動家の人達はご苦労様なこったと思います。

しかし今、組織の中では何を論点として選挙をしているんでしょうね、本当に。

Twitterでもすこし呟きましたが、公明党が正義とか、池田先生が正しいとか、そんな言葉で政治を語ることは止めて欲しいと思うのですが、活動家達が政治を語る本当の切り口はそこしかないんですね。

世界で賞賛される池田先生がお作りになられた公明党は頑張っているとか、創価学会の人達は知恵豊かに考えて行動しているとか云うのですが、本当にそう思っているのか、この思考の純真無垢さにどこまでが本音で語っているのか、たまに疑いたくなるほどです。

いやね、こんな時期ですから僕の処に無謀にも「公明党の票を拡大してください」と訪問してくる活動家がいるわけです。
僕は「政治信条ですから思案中」としか答えないのですが、「福運ある戦いなので是非」と来ます。

本来ならば適当にあしらうのですが、あまりにしつこいので、安保法制の立ち居地の問題、これは主に安部政権の行動についての指摘。また憲法改正についての公明党及び創価学会の立ち居他のおかしさ、そして何よりも全く人間的に知らない公明党候補なんぞに安易に票を入れられない事を指摘します。
まあ簡単に文献等を諳じたり、過去の歴史を紐解きながらですが。

すると反論が信仰論で帰ってくるわけです。
例えば「福運が人生では大事なんです」とか「池田先生は我々弟子の戦いをご覧になっている」とか、まあ様々なことを云うんですね。

この僕にこれだけ突っ込んでくる根性は、ある意味大した事だと思いますが、結果としてそんな思考が衆愚政治を増長させているという事に気づかないんですね。

僕のスタンスは集団的自衛権は異論無いがか、やはり国民の議論を経なければならないという事。当然それは憲法改正という手続きを経なければならないし、現行の憲法を蔑ろにしては法治国家としてあってはならない。

そんなことを云うと、公明党は現実路線を最大限池田先生の思想で走っていると来るわけです。

んで僕が「いやいや、公明党や創価学会は池田先生の思想から反しているでしょう?」と、いま日本各地で起きている一部活動家の反発や、それらの人たちが論拠としている過去の池田会長の論説を示します。
すると「そういう事の確たる文献はあるのですか?」と来るわけです。
だから詳細について指摘しますが、「いやいや、その言葉の池田先生のご真意は解りませんよ」と、デモ行動をしている人たちの批判が始まります。

また婦人部が安易に政治の事を理解していないことを指摘すると、「いや、運ちゃんさん。婦人部は本当に賢いですよ」と来ます。
政策を理解しない婦人部(これウチの嫁も入るのですが)について話をすると、「肌実感で政治を語れるのは婦人部だけですよ( ̄^ ̄)」と来ました。

「戸田会長が言っていた政治を監視せよ!という遺言はどうなるの?」と話を向けると、戸田会長の御発言の真意は解りませんが、池田先生がしっかりと受け継いでますし、その池田先生が作られた公明党ですから。と話してました。

いやーまるで「鰻との対話」でしたね。要点が解らず話の筋もなく、その場その場でぬるぬるとすり抜けていく感じ。

要は根本的に芯がなく、思想や哲学という事ではない、全くの信仰という世界で政治に関与しているのが良く理解できました。

日本国内には公称八百万世帯の規模と云いますが、実質的には二百~三百万人の活動家がいて、それらが集める票数はおよそ七百万前後。
これだけの票数があれば、日本を動かす勢力とも云えますが、今の創価学会には哲学は皆無、要は信濃町界隈の言われるままに信仰により政治活動を行っています。

つまり創価学会の票とは、信濃町界隈を握った勢力の思いのままだということです。

創価学会の取る政治活動が、実は選挙という行動のうさんくささに通じていたりして。またその活動を行う人達も、実は政治にはとんとうとく、信仰で福運欲しさに活動しています。

こんな組織が政治に関与しては、本来いけないのではないでしょうか?

つくづく実感してしまいました。

【20160525】僕が考える信仰の意味

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

暑いようですねー。
と、他人事の様に言うのも、仕事柄内勤の為で、もし外回りならば今ごろはバテていると思います。

事務所の中は涼しくて、しかもビル群の中なんで、外があまり見えないんですよ。

さて、様々な事を考え思索し日々を過ごしていますが、ふと思ったのは、なぜ僕が日蓮の信仰を続けているんだろうと言うことです。

先日に地元幹部と話したとき「運ちゃんだって功徳は欲しいでしょ?」と聞かれたときに、即答で「功徳なんていらんし、福運にも興味なんてないわい!」と言いました。

翻り考えてみると、僕が信仰を始めたのは十九才の頃で、当時、僕の友人知人の幾人かは若い年齢で急逝したのに出くわしました。

「人は死んだらどうなるんだろう」

これが当時の心象でした。
その時にある先輩と出会い、そこから創価学会の活動を始めたんですよね。
まあ当時はそれ以外にも様々な問題を個人的に抱えてもいて、それを解決したいというの事もありましたが、心の奥底には常にその思い、心象がありました。

「死ぬのは恐い」「人生とは有限の時間を生きること」「死ぬときには笑って死ねる人生でありたい」

こんな想いは常にありました。

だから御本尊の事も知りたかったし、日蓮の事も知りたかった。そして仏法を知りたかったのです。
その為に御書も読み、法華経真訓両読の書籍も購入しました。

思うに創価学会の活動の動機が他とは異なっていたのかもしれませんね。

確かに苦しいとき、行き詰まりそうになった時、それをまるで「頓服薬」の様に解決できるものがあれば欲しくなります。

僕も以前に事業を立ち上げようとして失敗したことがありますが、まあ当時は本当に心が壊れ駄目になりそうな日々でした。

家に帰ると嫁と生まれたばかりの乳飲み子もいましたし、独身時代の様に簡単にケツを割る訳にもいかない。追い詰められ夜中まで題目を唱えた日々もありました。

でもね、祈っても僕の場合は体験談のような劇的な物語なんて出やしませんでした。

当時はひたすら、自分自身を持ち続けるためにお題目を唱えていた気がします。

それから結構な時間が経過しましたが、今から考えてみると、お題目を唱えて自分自身を持ち続けられたことが良かったのかと思います。まあ創価学会流に言えばこれも「功徳」なんて言われるんでしょうね。

「人生塞翁が馬」これが最近の僕の座右の銘の一つです。

人生生きていれば「良い時」もあれば「悪い時」もありますよ。でもね、それら現実から逃げないで生きていけば、その意味というのが解るときが来るのではないでしょうか。

以前にメールで相談を受け、実際に面談した人がいましたが、この人はひたすら自身の人生を怨み、嘆き悲しみ、まったく自分自身を妄失している状況でした。

六時間くらいですかね、話を聞くだけでした。

この人も創価学会に入会していますが、地元では「祈れば必ず叶う!」と指導され、確かに幾つかの祈りは叶ったようですが、結果としてその「功徳体験」が、よりその人を苦しめているのが良く解りました。

信仰の目的として「功徳」とかによる「成功体験」を求める人は確かに多いのですが、それって結局は人生の大事なことを見過ごす事になりはしませんかね?

【ブッダの妻ヤショーダラー最期の言葉】妻は夫より先に亡くなった。享年78歳。死の直前、彼女は実に落ち着いていたという。そして他の弟子や信者のように「帰依佛」と唱えることをせず、「私は、私自身に帰依します。ありがとう、あなた。わが師よ…」と言って息絶えたという。

これはインド初代法務大臣、アンベードカル博士の言葉です。この人は仏教徒です。

僕は今でも朝晩の勤行をしていますが、それは「誓願」でもなければ「決意」のためでもありません。
自分自身に立ち返る為の行為として行っています。

そろそろ功徳になんて振り回されない人が、活動家の中に出てきても良いように思ったりします。

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