忍者ブログ

想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20170801】お題目について考える

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

八月に入り、間もなく夏休みになります。

仕事はと言えば忙しいのですが、いま居る職場、コストカットの話が止むことがありません。僕が思うに遅刻して居眠りして仕事が出来ない人間に年収一千万を支払う事こそ、無駄な支出と思うのですが、実際に雇用調整として派遣社員が切られます。

先日、違う部署の派遣社員と話をしたのですが、彼は年度末で契約が終わり、派遣元でも有期雇用なので、次はどうしたらよいか途方にくれていました。

下手な社員より仕事をしてるのですが、単価も高い分、コストカットに目をつけられている様です。

恐らく国内の多くの大企業の中には同様な事があるでしょう。そこに居る社員達の多くの意識は「良い大学、良い会社に入るために頑張ったんだから、雇用の安定は当たり前」という意識がありますが、それは本当に良いことなのか、今の職場に居ると考えさせられます。

さて本題です。
「南無妙法蓮華経」というお題目の意義については、本サイトの想学談林にも書いていますが、このお題目には多くの不思議がありますよね。

創価学会としては、過去に世界的なバイオリニストのユーディ・メニューイン氏と永遠の御大が対談し、お題目のリズムの不思議さを語らせてました。要は「意味が解らずとも、兎に角唱えさえすれば功徳(御利益)が得られる」と言うことなのでしょう。

以前にある人に聞いたのですが、日蓮が唱えていたお題目のリズムは、実は現代に伝わっていないと言うのです。もし日蓮が、このお題目の唱えるリズムを大事にしていたと言うのであれば、これは致命的でしょう。しかし実際には伝承されていない。
ここから考えるにお題目を唱えるリズムというのは、それほど重要では無いと言うことを示唆していると思います。

創価学会では先の世界的なバイオリニストとの対談で、お題目に「妙なるリズムがある」と教えていますが、そうであれば永遠の御大のお題目「ナンニョーホーネンネキョー」も治す必要があったのではないでしょうか。

お題目の「南無」とは古代インド語の「ナマス」の音訳です。意味は「帰命」です。簡単に言えば「信じて従います」という事ですね。天台宗の勤行の中には「南無釈迦牟尼仏」「南無多宝如来」「南無妙法蓮華経」と唱える場所があります。
また「南無阿弥陀仏」は阿弥陀如来に帰命する意味がありますが、考えてみたら頭に「南無」を付けて唱えるのは、殆どが仏の宝名であって、経典の名前を付けているのはお題目だけですよね。 

つまりお題目だけ、仏という存在ではなく、経典のお題目(題名)という事に、何か特殊な感じがするのですが、皆さんはどう思いますか?

仏の宝名を使い、「南無ホニャララ」と唱えれば、人は仏の姿を思い浮かべ、そこに恋慕し、その仏の説く教えを連想することでしょう。しかし経典のお題目(題名)を唱える場合には、人は何を連想するのか。

法華経の内容を知らない人は連想しようもなく、恐らく日蓮在世の時代の在家信徒は、そこに日蓮やお釈迦様を思い描いたのではないでしょうか。

日蓮は唱題(お題目)について、どの様に当初は考えていたのか、それを知る手だては「唱法華題目抄」にあると思いますが、そこには以下の記述があります。

「所行は題目を南無妙法蓮華経と唱うべし、たへたらん人は一偈一句をも読み奉る可し助縁には南無釈迦牟尼仏多宝仏十方諸仏一切の諸菩薩二乗天人竜神八部等心に随うべし愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし。」

ここでは所行といい、自行ではお題目を唱え、余裕のある人は経典を読みなさいとあります。そしてお題目を唱える時に、助けとして釈迦や多宝、その他の仏菩薩や諸天を心に思い浮かべなさいと述べてます。
また仏法を知らない人が多いのであれば、観心を先にせず、観心をしたいとおもうのであれば、しっかりと学んでから行いなさいとあります。

またこの唱法華題目抄には、これ以降にこのお題目にどの様な意義があるのか、事細かに述べています。

ここから考えるのは、お題目を唱えると言っても、しっかりとその意義的な事は知る必要がありそうですし、本来の「観心の本尊」と相対して行う場合には、その観心の事は先に学んでから行いなさいという事でも述べています。

先日、YouTubeにGUCCIのファッションショーの冒頭にお題目の音声を流していることがありました。創価学会の中ではイタリアの学会員がこのショーの責任者で、その人がこの演出を行ったんだと、喜んで語ってましたが、お題目をそんなカジュアルに扱って良いものなのか、僕は個人的に疑問にも思っています。

また創価学会の中ではお題目を「宇宙のリズム」とか「宇宙の法則」なんて教えてますが、お題目の志向している法華経では、全ての人達は元来から仏であることを述べているのであって、法則だリズムだとかではありません。

お題目を唱える意義。
それは自身が元来から仏であるという事を、自身に言い聞かせるという事もあるのではないでしょうか。元々法華経にはその様な意義があり、それに「南無(帰命)」するというのは、そういう事ではありませんかね。

またお題目を唱えるには、そういう意義を正確に伝えなくては意味がありません。例えば仏法とは何の関係もなく、知識も無い人達に「ナムミョウホウレンゲキョウ」と唱えさせた処で、そこにどんな意味があるのか。また唱えさせるのであれば、しっかりと意義を伝えなくては意味無いと僕は思いますよ。

人の祈りは、その口に唱えさせる事の意義を理解させてこそ有意義な事になるのであって、言葉の発音とかリズムに意義があるわけではないのですからね。
PR

プロフィール

HN:
運ちゃん
性別:
非公開

フリーエリア

バーコード

ブログ内検索

P R

忍者アナライズ

カレンダー

07 2017/08 09
S M T W T F S
2 5
6 7 10 11 12
13 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

最新コメント

[05/03 NONAME]

忍者カウンター

Copyright ©  -- 想学談林-管理者の部屋 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]