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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20170803】久遠の観点について

こんにちは(´・ω・`)

創価学会の教学の原点、これは大石寺の教学である事は誰人も否定が出来ない事でしょう。初代会長の牧口常三郎が特高警察の逮捕され、そこで尋問を受けた際に答えた内容、これは「特高尋問調書」にありますが、そこで語られているのは大石寺の教学でした。(想学談林 特高尋問調書)https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/blank-92

第二代会長の戸田城聖も大石寺の教義を中心としていた事は誰人も異を唱える人はいないでしょう。「弘安二年十月十二日の大御本尊でなければ仏天の加護は無い」という事の講義を見れば一目瞭然です。
具体的には初級・青年三級試験の教材「大白蓮華2017年・6月号」の内容に少しづつ垣間見えていて、その事について某掲示板では『私は、この教材が「久遠実成までで完結」「永遠の仏は釈尊」「大聖人は上行菩薩」「南無妙法蓮華経は上行たる大聖人が末法に弘めた」との論調だと認識しています。』という論調も出てき始めています。

この大白蓮華では以下の様な記載があります。

「釈尊が今世で初めて成仏した(始成正覚)というこれまでの考え方を打ち破り、釈尊は実は五百塵点劫という、はるか久遠の昔に成仏して以来、この娑婆世界に常住する仏、つまり永遠の仏であることが明かされます」(大白蓮華80ページ)

今までの創価学会では日蓮正宗の教義に基づいていたので、日蓮は久遠元初の自受用報身如来であり、根本仏、永遠の仏であるという事を教えていましたが、今回の大白蓮華では「釈尊は…永遠の仏」と述べているのです。考えてみればこれまでの創価学会では釈尊を無縁の仏と扱い、御本仏日蓮大聖人の迹仏の様に教えてきたのですが、この段に来て、実は釈尊は「永遠の仏」であるという事を云うのですから、少しでも意識のある活動家であれば反論するのは当たり前かと思います。

先の某掲示板においてもこの事について『80頁の説明のタイトルは「永遠の仏―久遠実成」とあります。これは、久遠実成で久遠を完結させて、それより深い「久遠元初」は(文底にあたるので)用いたくないとの意図があるとも受け取れます。』と述べ、過去に池田名誉会長の対談「法華経の智慧」を引用し、その姿勢を糺そうとしていました。

僕はこの糺す言論を拝見した時、その自語相違を否定するという姿勢以前に、何故に法華経や大石寺の述べている「久遠元初」「日蓮本仏論」に立ち返り見直しが出来ないのか、その姿勢がとても残念に思えてなりません。確かに過去に「正論」「正法」と教えられたものが、その教えられた組織から覆される事は容易に受け入れる事が出来ない、それは理解できます。しかし、そこを一歩踏み込んで問題に関する根っこに迫るという姿勢が取れるのか、そこを今問われているのではないでしょうか。

例えば「久遠」という観点について。
創価学会では「久遠実成=釈迦の成仏」「久遠元初=日蓮の成仏」と教えてきました。久遠実成で述べる「五百塵点劫」という事については妙法蓮華経の如来寿量品第十六に述べられていますが、日蓮の御書の中で「五百塵点劫の当初」「久遠元初」はどの様に説明されているのか、まずはそこから確認をしてみたいと思います。

◆「五百塵点劫の当初」

①当体義抄P513
 「答う釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して」
②三世諸仏総勘文教相廃立P568
 「釈迦如来五百塵点劫の当初凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして」
③三大秘法禀承事P1022
 「建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり」

◆「久遠元初」
①百六箇抄P862
 「久遠元初直行の本迹 名字本因妙は本種なれば本門なり」
②百六箇抄P865
 「久遠元初の結要付嘱は日蓮今日寿量の付属と同意なり云云。」
③本因妙抄P875
 「此れは久遠元初の自受用報身無作本有の妙法を直に唱う。」

ここを見ると、「五百塵点劫の当初」とは釈尊の久遠実成の「当初(その時)」を指し示している内容であり、そこでは日蓮自身を指している記述は一切ありません。今までの創価学会では日蓮正宗の教義を踏襲している事から「釈尊」にも幾通りの解釈があって、ここの御書でいう「釈尊」とは「日蓮自身」を指し示しているのだと「忖度」して解釈していたに過ぎないと思われます。

また「久遠元初」について、その論じた箇所は三か所と極めて少なく、しかもその御書が「百六箇抄」「本因妙抄」と言った、昨今では後世に創作された「偽書」の疑いに強い、いわゆる「相伝書」に限られています。

こういった事から考え直してみた場合、「久遠元初」とか「五百塵点劫の当初」といった、従来の「永遠の仏=久遠元初自受用報身如来=日蓮」という主張の論拠は極めて薄弱なものであると思えますが、いかがでしょうか?

むしろ妙法蓮華経を中心として考えるのであれば、「久遠の仏=釈尊」と考えるのが普通であり、日蓮はその妙法蓮華経従地涌出品で登場した釈尊久遠の弟子、上行菩薩の再誕としての自覚であったという事の方が、道理が通るものと思われます。

いくら永遠の御大が、過去に対談集の中で述べた事を取り上げてみても、それは永遠の御大による一つの解釈論であるかもしれませんが、それが即ち日蓮の本意と同じであるとは言えないのではありませんか。

この事については、まだまだ続けていきます。
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