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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
カテゴリー「教学随想」の記事一覧

【20170719】「立正安国論の指導原理」を拝見して④

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ
今回も続けます。

師弟不二ARCHIVE「立正安国論の指導原理について」

さて、先の論ですが、そこでは「また、国土という面からも、安国論が「自然と人間」という視点から説かれている、ということを忘れてはならないと思います。」とありました。

確かに立正安国論は経典を自在に紐説き、正法が失われて国で、如何なる災いがあるかについて説いています。そういう視点から「環境と人間」の関係性について明かしているという解釈が、以前から行われていました。

しかし一方で「ある特定の宗教が広まったからと言って、天災の類いが収まるのか?」という議論もあります。

この議論については、恐らく水掛け論という形にしかならないのですが、それは置いといて、ここで考えなければならない事は、なぜ日蓮は金光明経や仁王経を中心に引用したのかという点です。

これは、この二つの経典に法華経を加えたモノを「国家鎮護三部経」と当時の日本では定めており、官僧は国の災害を納めるために、それぞれの経典を「儀式」として講義し、敬っていました。

しかし日蓮は、そういった経典を「法華経の解説書」という位置付けにして立正安国論を展開しています。この発想の転換についても理解する必要があります。

つまり仏法の体系を理解して、単なる呪術の道具ではなく、その中身を法華経の解説書と位置付ける事により、新たな視点を提示したというのが、立正安国論なのです。

またもうひとつ。
仏法にはもともと鎮護国家という考え方は存在しません。恐らくこの金光明経や仁王経に記されている、いわゆる「自然と人間の関係性」に論究されているのは、中国の思想の混入に依るものではないないでしょうか?

つまり仏法の考え方ではなく、古代中国の「治世観」が経典漢訳、補填の際に混入した可能性が有ると思うのです。

例えば本サイト「想学談林」にも書きましたが、安国論にある「鬼神」という思想をみても、その奥には中国の墨家思想(老子)の考え方が背景にあると考えられる節があります。

つまり何を言いたいかと言えば、鎌倉時代であれば、この古代中国の思想を引用しても、例えば幕府の基本政策等には「貞観政要」といった、同じく古代中国の論文が用いられていたので親和性があったかも知れませんか、現代に於てその考え方のみでは通用しません。

時代が大きく異なっているのです。

確かに昨今の地球環境の変動は、とても激しいものがあり、それだけを見ると「ほらほら、日蓮の言う通りだ」と云うのは簡単なのですが、果たしてそれで人々は納得するでしょうか。

例えば異常気象にしても、最近では太陽活動と連動していることが解ってきましたし、それと共に地球の環境変化の大きなうねりの一つの事象とも云われています。またもっと大きな枠組みでは銀河系から到達する宇宙線も関係しているという話もあったりします。

そういう事を鑑みるとき、現代に於ては人間と環境という視点にプラスして、人間の住む星、地球と宇宙の関係性についても加味しなければならないのではありませんか?

それを単に「経典に書かれた通り云々」で安易に「人間と環境の事が書かれている指導原理」と言うのもいかがなモノかと思うのです。

詰まるところ、先の論文はもう少し考証を深くする必要があると、僕は考えていまし、その上で立正安国論から、何が取り出せるのかという話になるはずだと考えていますが、如何でしょうか?

読み取る側として、もっと知識を広げて思索をする必要があると考えます。
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【20170718】「立正安国論の指導原理」を拝見して③

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

師弟不二ARCHIVE「立正安国論の指導原理について」


「世界の知性は、創価三代の思想に共鳴し、池田先生の思想を求めています。世界広布新時代を迎えた今、池田思想はもはや学会だけの独占物ではなく、人類の共有財産であり、世界の至宝だと思います。」

果たして今の時代、本当に世界は「創価三代の思想に共鳴し、池田先生の思想を求めています」なのでしょうか?

まずアンチにしろ罵詈にしろ、創価学会に関わった人間は、この視点を改めなければなりません。

かなり以前の事になりますが、僕は某国の在日公館職員から聞いたことがありました。

「ミスター・イケダは最大のジョークだよ」

当時の僕は、この言葉を聞いて唖然としましたが、聞くところに依れば、その日も創価学会から「いくら出せばどの様な顕彰をもらえるのか?」と、その公館に問い合わせが入ったとの事でした。

またある社会活動家からも、某元公明党国会議員から「私の使命は池田先生に授章可能な顕彰を探すこと」と聞き、創価学会の中ではこういう現実をどこまで理解しているのかと質問をされました。

「池田先生に頂いた顕彰を金で買ったとか云うのは、賞を与える側へ大変失礼な事だ!」

僕は以前に先輩からその様に聞きました。
しかし現実には「寄付」という形でお金を渡し、その見返りとして顕彰され、それを聖教新聞一面にデカデカと掲載し、如何にも「世界の知性は池田先生へ教えを乞い求めている」と詐称している訳です。

僕は日蓮仏法を世界の指導的な思想にするのは、これからの働きであり、その哲学的・思想的な展開次第かと考えていますし、今の段階ではそんな状況では無いと考えています。

ましてや「池田思想・哲学」というのは「有名無実」なものでしかないと考えているのです。

「立正安国論の指導原理」と云うのは良いのですが、実際に原文のママの安国論に、どの様な指導原理があるというのか。先の論文にはその内容が漠然としか書かれておらず、そこは「池田思想・哲学なんだ」で終わっています。これは非常に中途半端な感じにしか思えません。

これは詰まるところ、そういう思想的・哲学的な展開を、池田会長一人に押し付けていて、「我こそ本門の弟子」と語る自らは、実は何も思索をしていない事を表明しているに過ぎません。

であるならば、「世界の知性は池田先生の思想を求めている」という様な与迷い事を語る以前に、自分達の言葉で日蓮を語り、仏教を先ずは語れるように研鑽すべきではありませんか?

こんな適当な賛辞で内容を濁して語っている場合では無いと、僕は思います。

【20170717】「立正安国論の指導原理」を拝見して②

師弟不二ARCHIVE「立正安国論の指導原理について」


そういう事で早速ですが、読み進んで行きたいと思います。

創価学会の平和運動の基盤は、日蓮大聖人の立正安国論の精神にあり、正法を根底において、世界の平和の繁栄を確立しようとするものです。大聖人は、法体の広宣流布を確立されるとともに、未来における化儀の広宣流布の時代のために、あらゆる指導原理を残されました。日蓮仏法は、一宗一派の独占物ではなく人類の至宝ともいうべき共有財産です。なかでも立正安国論は、日蓮仏法の最高峰にそびえ立つ「平和の思想書」とも言えるでしょう。

これが冒頭に述べられている言葉です。

この言葉は当に創価学会設立当初から、創価学会として理解している「立正安国論」について語っている内容であり、まさに模範解答ともいうべき内容です。

しかし昨今の公明党を通じての国内の動き、また信濃町界隈から漏れ伝わる組織としての在り方、これはこの冒頭にある言葉とは相いれない状況となっています。僕はその原因について、実際には創価学会の活動家の中の「思想・思索に対する軽視」というものがあり、自分たちが信じる思想哲学に対して、あまりにも真摯でない事があると考えているのです。

そしてその考え方が、実はすでにこの冒頭に現れているのではないでしょうか?

例えばここで「正法」と述べていますが、それは一体何を指していますか?
日蓮が立正安国論で述べている「正・悪」というのは、単に現代でいうところの「正義と邪悪」という二元論の事ではありません。

日蓮が述べて「正法」とは「正しい法解釈」の事であり、「悪法」とは「悪しき法解釈」の事を述べているのです。そしてその「法」とは間違いなく「仏法」の事であり、日蓮はこの仏法の骨髄には法華経があって、その法華経を中心として仏法を理解し解釈する事を「正法」と述べ、法華経に依らずに仏法を解釈する事を「悪法」と呼んでいるのです。

創価学会では単純に「南無妙法蓮華経」を宇宙のリズムとか、宇宙に遍満する法則とかのべて、その南無妙法蓮華経を「正法」と捉えたりする論もありますが、実は「正法」と安易に述べている軸がぶれている事に気付いていないのです。

またそこに気付きも無い事から、安易な「池田思想・哲学」を「正法」に組み入れ認識し、それも日蓮の説いた教えに通じると信じ、理解している事から、結果として創価学会の活動家の思考パターンとして、物事を深く認識・理解するというスタンスを取られ無くしてしまっています。

あと一つ。日蓮は現代の日本人が理解している様な「平和思想」を考えていたわけではありません。ここで「創価学会の平和運動の基盤は、日蓮大聖人の立正安国論の精神にあり」と安易に述べていますが、日蓮は戦争(戦乱)を単純に反対している訳では無いのです。

「国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か、」
(同、立正安国論)
「速かに蒙古国の人を調伏して我が国を安泰ならしめ給え」
(北条時宗への御状)

日蓮は立正安国論で「国」と述べていますが、これは現代の国家とは若干異なります。しかし民族の集合体として、また対外国に対する組織としての「国」を捉えており、他国から責められている事について「調伏して」と述べています。この「調伏」ですが、一般的には護摩祈祷を執り行う事と理解されもしますが、別の読み方としては「外からの敵や悪を教化して、成道に至る障害を取り除くこと。」と述べ、これは現代に言えば外交交渉にもつながる言葉となっています。

「戦争(せんそう)とは、複数の集団の間で行われる、国際紛争の武力解決である。」とある様に、現代においては「外交の延長」として国家間の外交問題の解決法とも言えますが、創価学会の平和思想というのは、実はそれほど深い思索に基づく事では無かったことが、昨今の公明党の取る一連の行動、またそれに反対する創価学会員の行動にも見て取れます。

創価学会も一時期は共同歩調をとった平和学の世界的権威であるヨハン・ガルトゥング博士は
「「日本には平和運動(Movement)がない。あるのは反応(Reaction)だけだ。憲法9条を安眠枕に寝続けている。起きて未来に向けてクリエイティブに何ができるのか右派左派を超えて考えねばならない」と述べ、「日本には何かに反対するムードで覆っている。政府が恐れるのは反対ではなく代替案を国民が出してくることだ」と先日来日の砌に述べていました。

そうであれば、創価学会として単に憲法九条の護持という事だけではなく、現実路線の上での「平和」をどの様に構築していくのか、しっかりとしたビジョンなり、ポリシーを公に発表しなければならないところ、そういった議論にすら行きつかない状況ではありませんか?

「平和」の対義語は「戦争」ではなく「騒乱」です。
そして「戦争」とは国家観の外交の延長戦上にある事であれば、当然現実の国際外交という事を認識せねばならず、その前提として「国家の平和」を語らなければならないところ、そういう事を語れる人材は、実際に創価学会の中にどれだけいるんでしょうか?

さみしい事に公明党の「遠山議員」が「平和博士」を詐称し、適当な事を述べ、活動家は無批判にその遠山議員の言葉を賛同し、それに反対する会員の多くは国内左派の言動の焼き写しの様な議論でしか、遠山議員の言葉に対して反論が出来ていない。

これが実際の創価学会の取り組んで来た「平和運動」の結果でしかないのです。
その事を理解できているのであれば、安易にこの様な冒頭の言葉は出ないと僕は考えているのです。

【20170717】「立正安国論の指導原理」を拝見して①

こんにちは(´・ω・`)

ツィッターで少し触れましたが、「師弟不二ARCHIVE」というサイトに「立正安国論の指導原理について」という論文が掲載されていました。総数30編から構成されている、それなりの論文です。

師弟不二ARCHIVE「立正安国論の指導原理について」

僕自身、立正安国論を幾度か読み返し、自分の目線で考えてみましたが、この安国論自体には日蓮の生涯を通しての想いが記されており、そこで提起されている内容は、よくできていると感じました。ただしこの日蓮の論文を、そのままダイレクトに文字面を読み進めたとしても、それは現代に役立つモノにはならないと感じています。その理由ですが、まず第一にこの立正安国論というのは鎌倉時代の社会に対して、鎌倉時代の仏法僧、また「法華経の行者」として書かれたものであり、現代の社会にそれが即ち当てはまるとは考えていません。

大事な事は日蓮がこの「立正安国論」を以って、何を論及したかったのか、その骨髄を読み取り、それを現代において一人ひとりが「自身の声」で語る事をしなければ、所詮は単なる「国宝・立正安国論」に過ぎなくなってしまいます。

またそういう点から考えた時、どの様な視点でこの論文を捉え、そして語るのかによって、その内容が異なってしまうと考えてもいます。

例えば日本において、昭和初期の時代に「日蓮思想」というものは隆盛を誇りました。
筆頭は田中智学の「国柱会」であり、そのほかで言えば、二二六事件を引き起こした皇道派青年将校の理論的指導者として名前があがった北一輝などがいます。また牧口常三郎もその中に入るでしょう。

この両名の思想の根底にはそれぞれの「日蓮思想」があり、そこには当然「立正安国論」への思想もありました。しかるに、彼らの思想というのは戦前の日本をけん引し、結果、日本を亡国の憂き目にしてしまったという事実を、日蓮の思想を学ぶものであれば、常に念頭に置かなければならないのです。

「教主釈尊の御使なれば天照太神正八幡宮も頭をかたぶけ手を合せて地に伏し給うべき事なり、法華経の行者をば梵釈左右に侍り日月前後を照し給ふ、かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」
(種種御振舞御書)

日蓮の思想に対しては、日蓮自身も述べている様に「あしくうやまはば国亡ぶべし」と云うように、「亡国の教え」にもなる危険性を秘めている事から、しっかりと学ぶ事が大事になってきます。ここで日蓮が「あしくうやまはば」とは何も粗末に扱い尊敬しないという形式的な事ではなく、「間違えた解釈で尊重してしまったならば」という事であり、まさに先の戦前に隆盛した日蓮思想とは、「あしくうやまはば」という内容であったのではないでしょうか?

そういう点から考えてみると、先に紹介した「立正安国論の指導原理」という事についても、僕の考えとしては同様に間違えた視点があると感じています。そしてここではその感じた事について、少し文面を以って考えてみたいと思います。

一点、お断りを入れておきますが、これから述べる事は「僕の解釈」であり、それが「正義」だとは主張致しません。何故ならば、正義とは所詮「相対的」な事でしかなく、それが故に理性的な対話を進められず、本質への理解が進められない事になると考えています。

創価学会の教学関係で残念な事は、会の持論を「絶対的な正義」と信じ、そこを軸として「折伏・破折」という視点にすぐ移ってしまいます。

それでは日蓮の教学を学ぶという事は出来ませんし、その立ち位置に拘る間、その思想というのは「ドクマ」にしかならないと考えています。

そういう点についてご理解頂き、読み進めて頂ければ幸いです。

【20170713】法華経の成仏観について

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

毎日酷暑。僕は内勤なのでトラブル何かがないときには、基本的に事務所内勤務なので、エアコンのある室内にいます。
でも毎朝毎夕の通勤時には、長旅でもあるので、そこで汗だくになることで酷暑を堪能しています。

さて法華経ですが、いま個人的に読み進めていて「提婆達多品第十二」まで来ています。
比喩品第三から学無学授記品第九までは、釈尊の主だった弟子達への「記別」、所謂未来世に於ける成仏の予言と、それに対する各種の比喩や因縁等が語られてます。
しかし提婆達多品ではいきなり龍王の娘で八歳の女の子が男になってその場で成仏してしまいます。

読み進んでいて「何故にいきなり小娘が成仏するのか?しかも男に変身してか?」と、唐突感が否めません。

真実はどうか解りませんが、やはり提婆達多品というのは、他の章とは異質なものですね。
また悪人成仏ということで、提婆達多の過去世の因縁を語ってますが、これもよく解らない事で、先々に久遠実成が説かれれば、悪人成仏なんて言葉を作らずとも、そこに包含されるとも思うんですが、よく解りません。

あと提婆達多品で異彩を放っているのが智積菩薩という、多宝如来の従者の存在でしょうか。

何せ虚空会が始まったばかりにも関わらず、まるで駄々っ子の様に「多宝如来さま~、もう国に帰りましょうよ~」と云い、釈尊に「暫し待て」と言われ、文殊菩薩と法華経を論じ、冒頭から「文殊菩薩さんは幾つ折伏やったんですか?」とか「法華経って即身成仏出来るの?」なんて場を弁えない質問をしてるんですからね。

日蓮はこの法華経をどの様に理解していたんでしょうか。今でこそ大乗仏教運動が起きるまでの過程や、法華経の成立に至るまでの事が明らかになってますが、鎌倉時代にどこまで判っていたのか。

日蓮自身、修学したのは比叡山延暦寺で、日本の天台宗でした。そして天台宗の開祖とは言わずと知れた伝教大師であり、伝教大師は唐代の中国の天台宗で学んで教えを持ち帰りました。

「法華経の一文字一文字は仏である」

この様に日蓮は語ってますが、これは法華経こそ真実の教えであるという事を述べているのでしょう。

しかし昨今の研究によれば、正法華経の訳者、竺法護が元にしたサンスクリット語版の方が、鳩摩羅什の元にしたサンスクリット語版より新しかった事、また鳩摩羅什の没後にも漢訳の妙法蓮華経で幾度か補完が為されていた楊で、先の提婆達多品はその時に組み込まれたのでは、とも言われてます。

つまり「一文字一文字が真実」という割には、その経典も添削が頻繁に行われていたりもしていました。

人とは信じきることで幸福にもなれば不幸にもなります。教えの中身が真実かどうか、そこにどの様な事実が隠れ、そこにどの様な真実があるのか。
その事については、単なる信仰体験で語り判別することは出来ません。

僕は何も「だから法華経や日蓮、また文字曼荼羅は偽物であり、無用の長物だ」なんて考えて云いませんが、そこに至るまでの事実はまず知りたいですね。

その上で志は本来、どこにあったのか、そこを掴み取れたら良いなと考えているのです。

法華経とは成仏の物語。まだまだ読み進めますが、今の段階で感じたことは、こんな処ですね~。

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