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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
カテゴリー「教学随想」の記事一覧

【20170712】法華経雑感なんだけど

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

法華経を改めて読み始めて、やっとこさ見宝塔品までたどり着きました。
創価学会や宗門では、法華経というと一般信徒は触れたがりませんよね。これは以下の日蓮の言葉の影響なんでしょう。

「答う此の経は相伝に有らざれば知り難し所詮悪人善人有智無智有戒無戒男子女子四趣八部総じて十界の衆生の為なり」
(一大聖教大意)


ここで「相伝に有らざれば」とあるので、「嗚呼、相伝無い俺らが読んでも真意は理解できないんだ」となり、読まないんだろうと思います。しかしこの文言の後に「十界の衆生の為なり」と有るように、所詮、法華経も私たちの為ならば、読んで悪いという事は無いはずでしょ?

ここでいう相伝とは、何か唯仏与仏的な不可思議な相伝を受けないとかいう事ではなく、法華経が誰のために、どの様に説かれたかを理解しないと解らないという事であり、読んではいけないと云うものでは無いのです。

また創価学会では、第二代戸田会長が出獄後、法華経講義から始めて、えらい仏罰を受けたなんて逸話もあるので、余計に読みたがりません。

しかし戸田会長が御書からとか、日蓮大聖人の仏法からと言ってましたが、その信じていた大石寺の教義でさえ、偽書や変な解釈が混じりあってましたよね。だからここで法華経を読むことに、何の躊躇が必要なんでしょうか?

ただ法華経については、釈迦滅後の西暦二百年頃に成立した経典であり、釈迦の直説ではなく、ある意味で当時の部派仏教に対するアンチテーゼもあって成立した経典であり、その事を念頭に読まなければならないと思いますけどね。

さて本題です。
法華経を読み進むと、そこここに様々な教理も語られてますが、法師品第十まで目につくのが、弟子たちへの記別の多さです。

間違えてはいけないのが、法華経に於ての記別、特に迹門と言われる前半十四品の記別とは、そこで弟子たちが「即身成仏」をしてる訳では無いという事です。ここで語られた記別とは「これから先の長い長い時間に渡り修行に励み、無数の仏について修行した後」という条件付きで「成仏の可能性」を語っているだけなのです。

しかも成仏の記別を与えられた多くの人は、釈迦の十大弟子や、釈迦の元で修行に励み阿羅漢果という悟りを得ている人達とか、学無学と言われる出家や在家の人達で、多くは大乗仏教の中で「お前らなんて成仏叶わず!」と言われ続けた声聞や縁覚といった二乗の人達でした。

でもそもそも実在の釈迦が阿羅漢達を弾呵していたかどうか、それは解りません。原始仏教の経典では、釈迦自身も自分の事を阿羅漢として語っていた箇所も在る位ですから、真意は解りません。

また一番最初に記別を受けた「智慧第一」の舎利佛は、実在の釈迦が亡くなる八年前の時期には既に亡くなってましたから、亡くなってしまった人間が、その会座に登場するのも変ではありませんか?

要は釈迦滅後二百年経って、仏教教団が形骸化し、その教団の中心者達が本来、釈迦が考えていたであろう人々の救済を考えずに、空論の様な地に足の着かない教理に埋もれ、しかも出家者しか成仏出来ないと云うような、人々から遊離して権威化著しい中、純粋に釈迦を求め、恋慕した人達が経典を紡いだとして、彼らはこの法華経の物語を通して何を語りたかったのか、そこを考えなければならないと思うのです。

その視点無しに、単に文字面を読みふけり、そこに書かれている内容をトレースしたとしても、それこそ「文上読み」でしかなく、法華経の心は理解できないのでしょう。

という事で、今の僕はそんな事を考えながら、今は先ず法華経に展開されているものがたりを読み耽ってます。読めば読むほど疑問も募りますが、恐らく法華経を「理解する」とかの前に「知っておかない」と、日蓮は解らない気がしていて、文字曼荼羅についても解らないと思ってます。

まあ「観心門(信心・信仰)」という事だけを求めるのであれば、こんな労力も必要ないんでしょうけどね。

法華経の話題は、不定期にこれからも書いて行きますので、よろしくお願いします。

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【20170710】余経も法華経も詮なし

こんにちは( *・ω・)ノ

最近になって考える事なのですが、昨日まで常識となっている事が、明日も果たして同じように常識足り得るのか。今日の朝も日常の様に迎えましたが、果たして明日の朝も同じように迎えられるのか。

人は昨日までの日々が当たり前の様に、今日も明日も続くと考えてしまいますが、それを当然と考えてはいけない様に思うのです。

最近、無量義経から法華経へと、読み進めていたりしますが、無量義経の中で大荘厳菩薩という人が釈尊に「どの様な法を修行すれば良いのか?」という質問に対して、釈尊が答えたのは「無量義経を修行すべきである」と答えたのですが、その際に「一切の現象は自ら過去、現在、未来に渡り現れる姿や性質は空であり、それが調和したものであり、大小、生滅、住動、進退というものではなく、虚空の様に二つは無く一つの真理であると観察する事である」と述べています。

ここで「空」とありますが、これは物事は縁起により生じ、確定した実体が有るものはないという「空観」について述べたもので、それが「寂」、つまり調和を保ち落ち着いた状態にある事を言います。そして無量義経ではこれが真理であると観察することを述べていました。

創価学会では「永遠普遍の大法」とか「永遠の指導者」という事を教えられ、やもすると「常住不変」という事を刷り込まれたりしますが、そういう事を法華経を含めて教えては居ないんですよね。

そういえば日蓮は門徒の上野殿に与えた御書の中で、以下の様に語ってました。

「今末法に入りぬりば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」

これは末法に入ったのであれば、他の経典を含めて法華経ですら、意味ないものであるという言葉です。末法になったなら、ただ御題目しか無いのだという言葉ですね。
婦人部あたりはこの言葉を聞くと「だから御題目しか無いのよ!」と言って祈祷師に早変わりしそうですが、この解釈も少し難しいと思います。

今いま法華経の事を調べてみると、改めて法華経は釈迦の直説ではないと実感を深めたりしますが、これは当時の人達が仏教本来はこうあるべきという中から紡ぎだされたものだと思います。要は当時の仏教指導者の不甲斐なさから派生したと言っても良いでしょう。

日蓮が仏教を学んだのは、釈迦滅後二千二百年経過した時代でした。そして日蓮が学んだ中では、既に法華経を学ぶといっても形骸化著しく、そこで御題目という七字の中に、そのエッセンスが凝縮されているとして、他の経典はすでに意味ないという考えを述べたのかと思うのです。

物事で永遠不変のものは無い。
そこには「空観」という概念も関係しての言葉なのではないかと思います。

翻り今の時代。
天台教学も既にかなりの時間が経過しており、例えば一念三千という教理にしても、そのままでは現代にそぐわない内容かもしれませんし、九識論にしても、その内容はユングの心理学やシュタイナーの心理学の方がより進んだ部分があるかも知れないのです。

つまりこういう時代になってきたからこそ、様々な事を観察しながら、形式とか過去の理屈にのみ囚われる事なく、新たな思考というか考え方が必要になっているのではありませんかね?

聞くところによれば、人工知能はかなりの進歩をしているようですし、医学の進歩も著しく進んでます。

時代は刻一刻と動き、変化しているのですから、そこには何が求められているのか等、考えることがとても大事だと思ったりしました。

【20170706】法華経雑感

こんにちは( *・ω・)ノ

福岡県の朝倉では記録的な豪雨だったとか、被災者が無事であることを祈るばかりですが、最近、この季節になると必ずどこかで記録的な豪雨があって、災害となりますね。
「雨土塊を砕かず世は義農の世となりて」と日蓮は法華経流布した国の姿を語ってましたが、今の自称「日蓮直系の組織」が与党に入り、閣僚として国土交通省の大臣が信徒で居ますが、まったく酷い状況ですよね。
まあ例え経典が多くの人から信じられたとして、国や地域は何ら変わらないという事なのでしょう。

さて最近、法華経の歴史を調べ始めてます。理由は文字曼荼羅を語るにも法華経を知らんと語れないと思い、調べ始めているのですが、中々興味深いものですね。

法華経は大乗仏教の最高経典ですが、大乗仏教とはジャータカ伝説という、雪山童子等の所謂釈迦の過去世の話がまとめられた伝説を元に、誰でも仏になれるという、謂わば仏教の中で起きた思想運動から起きました。

これは西暦100年前後の事です。

そして法華経が成立したのは西暦200年前後と云われてますが、実は誰が纏めたのかという事が明確には判ってないのです。ひとつの仮説として興味深いのでは、当時の仏教徒の中では釈迦を恋慕して瞑想することが流行っていて、その瞑想の中で釈迦に会い、そこで聞いたことを散文的にまとめ上げられ、それが経典として成立したという話がありました。

法華経非仏説論は、ある意味で正鵠を得ていた訳ですが、法華経はそういった釈迦を求める人達の間で語られ、経典となったんですね。

そしてこれを中国語に漢訳したのは三名いたのですが、有名なのは竺法護という西域出身の僧と鳩摩羅什という僧でした。
竺法護が訳したのは「正法華経」と言われ、鳩摩羅什が訳したのは「妙法蓮華経」ですが、この二つは構成が異なります。

一つは提婆達多品が竺法護の正法華経にないこと、また嘱累品が正法華経では最後になってること。

これについて最近の研究では、恐らく訳経元(梵語)が竺法護が新しく、鳩摩羅什のものが古かったという事があり、その過程の差ではないかと云われています。あと鳩摩羅什版は師の死後にも追加補填が行われていた様で、けして全て鳩摩羅什が記したわけではない様ですね。

この「正法華経」と「妙法蓮華経」ですが、理解しやすかったのは妙法蓮華経の方で、その事から過去の人達は妙法蓮華経を参照し、そこで解らないことの補完として正法華経を参考にしていたとのことでした。

この法華経が実経として釈迦の本意だと説明するのに「無量義経」が法華経の開経としてあって、そこで「四十余年・未顕真実」とある事からだと言われてますが、実はこの無量義経と法華経は訳者が違いますし、元々は別の経典だったのです。しかし中国の天台大師と妙楽大師などが無量義経こそ法華経の開経であると定義して、今に至るわけです。

だから法華経が歴史的に存在した釈迦の本意であったのかどうか、そこは定かではありません。

しかし法華経がなぜここまでして多くの人達の間で賛嘆され、大事にされてきたのか。そこにはやはり「仏性は万人に備わる」という事と、「人は修行をすることで成仏することが出来る」というメッセージが有ったからではないでしょうか。

日蓮はこの法華経こそが仏教の真髄であり、それを中心とした仏教の再構築を指向したのではないかと思います。
日蓮の居た時代、世の中には念仏の哀唄が蔓延してました。あまりの悲惨な世の中に、人々は早くこの世を去って西方極楽浄土へ旅たつことを夢見ていたのでしょう。
一方、時の幕府は、そういった庶民の心とは裏腹に、自分達の権益のみ求めて争いを繰り返し、宗教家の僧はそこで私腹を肥やしていた。

「お前らが信じている仏教とは、そんなモノではない」

という思いが、日蓮をして苛烈な戦いへと駆り立て、あの様な舌鋒鋭い言葉を以て行動したのでは無いでしょうか。

日蓮は何も形としての経典に実は拘りを持っておらず、だから「文低秘沈の下種仏法」と語らせたのかもしれません。

文上とは経典の上に書かれた話、文低とはその書かれた話が指し示す本義。つまり経典そのものが大事なのではなく、経典がそこまでして語ろうとした物事が大事で、その事を一人ひとりに種を下すように教えていこうという事が下種仏法と呼ばれた理由では無いでしょうかね?

「末法に入ぬれば余経も法華経も詮無し」

日蓮のこの言葉にその様な思いを感じました。

さて日蓮の直系を自称する創価学会や宗門は、この事についてどこまで理解しているんでしょうね。

理解する人が居て、始めて広宣流布は始まると思いますので、道のりはまだまだ長そうですね。

【20170621】日蓮の本尊について

こんにちは( *・ω・)ノ

今日は少し小難しいこと書いてみます。
それは「日蓮の本尊」の事です。

「何を今更、いよいよ運ちゃんは悩乱しはじめたか!」と言われそうですが、とりあえず書いてみます。

2014年の会則改正で、創価学会は戒壇の大本尊を「受持の対象とはしない」と宣言し、日蓮直筆の本尊は全てが「本門の本尊」としたことは、先日の記事で書きました。

この事は既に二年半近く経過しているのに、創価学会の中では徹底されておらず、先日も長年の友人である会員に話をしたところ、目を真ん丸くしてました。

その友人も元創価班で総県幹部をやってましたが、色々あって今は広宣長をやってます。

「いやいや、運ちゃん。戒壇の大本尊が偽者というのは、昔、日顕が言っていたけど、あれは本当の事と創価学会は認めたんか?」

そう言われたので僕は語りました。

「まあ今の処、創価学会としては正面切って偽者とは断じてないが、大本尊としての位置付けは大きく変えた事は間違いないだろ?」

彼自身、やはり未だに大石寺の大本尊は一閻浮題総与の本尊だと信じてましたので、この会則改正に伴う大本尊の位置付け変更には驚いて居たようです。

もともと日蓮は文字曼荼羅を本尊と呼んでいたのは、四条金吾等の御書を見たら解ります。しかし日蓮の考えていた本尊観とはどの様なものだったのか、実はあまり解ってないんですよね。

いま出先なので正確な文献の名前は出てきませんが、日蓮がある女性門徒に授与した曼荼羅が発見された時、その曼荼羅は和紙に認められていましたが、丁寧に畳まれた形で見つかりました。
この状況から見ると、常に奉掲されていたのでは無いようで、恐らく今で云う会合の時に掲げられて居たと考えられ、それ以外、普段は丁寧に畳まれて保管されていた様子だったとの事。

「問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし」
(唱法華題目抄)


日蓮は題目を流布し始めた当初、本尊についてはこの様に述べていましたが、ここでは釈迦像や多宝如来を法華経の左右に奉ることを述べてました。またその他十方の諸仏や普賢文殊等の奉る事もありだと述べています。

日蓮は亡くなるまで釈迦の随身仏を所持してましたが、これは恐らく文字曼荼羅を顕した後も、その前に安置されていたものと思います。

また御書を見てみると、冨木常忍や四条金吾といった有力門徒から釈迦仏像を造ったので開眼供養の相談が日蓮の元にあった事が書かれたものもあります。

日蓮の本尊観、その中心にあったのは法華経であり、その法華経の虚空会の様子を顕したのが文字曼荼羅です。だから本尊として中心になるのは文字曼荼羅であって、そこには何ら疑義を挟むも事はありません。

しかしその文字曼荼羅をどの様に奉安するのか、その形式はと言うと、実は日蓮正宗自体も明確では無いんですね。

創価学会や法華講の人たちの安置形式は「一幅式」です。それは文字曼荼羅だけを安置する形式です。
一方の大石寺本山塔中寺院、また古刹寺院等は「一幅一体式」と言って、文字曼荼羅の前に日蓮座像を安置しています。
今はどうなのか分かりませんが、以前の学会寄進の大客殿では「一幅二体式」という形で文字曼荼羅を中心に日蓮と日興師の座像が左右に安置されていました。

日蓮は仏像として釈迦仏を安置することはやってましたが、果たして自身の座像や弟子の日興師の座像を文字曼荼羅の場所に安置される事を意識してましたかね?

奉安形式とは、その御本尊の意義という事から見ると重要な意味があって、日蓮門下では釈迦仏像を安置していた形跡が多くあり、日蓮もそれに対して何ら否定する言葉は残してません。

そこから見ると、身延山や他の日蓮宗寺院で行っている釈迦仏像の安置というのも、もしかしたら日蓮時代からあった事なのかもしれませんね。

そういう中で一幅式は略式の奉安形式という事かもしれませんし、大石寺がやっているような日蓮座像を文字曼荼羅の前に置くのは、少し違うような気もします。

因みに今ある宗派で釈迦像を自宗派の本尊としているのは日蓮宗派だけという話も聞いたことがあります。

天台宗では薬師如来を本尊としてますし、真言宗では大日如来、念仏宗は阿弥陀如来が本尊となってますからね。

昨年に宮田教授が日本宗教学会で講演し、日蓮の文字曼荼羅と共に釈迦に対する認識を創価学会では変えようとしている様に思います。

その事について、アンチ創価学会の中にも「身延と与同する大謗法」という意見が多くありますが、そもそもその思考は大石寺の教義の「残滓」とも言うべき考え方に囚われた思考です。

この本尊のいう事については、日蓮の歴史を正視しながら、過去に囚われない解釈で思考をした方が良いと思えますし、もしかしたら大石寺貫首で要法寺から派遣された日精師が釈迦仏を造立したのも、日蓮門流ではそれほど変な事ではなかったのかもしれません。

大石寺の様に釈迦を認めない事から、創価学会でも一般的な仏教に疎くなり、結果として「似非仏教」とも言うべき創価学会の教義も、そんな処から発生しているという事を、理解すべきではありませんか?

この事はもう少し考え直す必要があるのかもしれませんね。

【20170619】死生観について④

こんにちは( *・ω・)ノ

この間までの国会中継と、それに関連する公明党の動きや創価学会の都議選への姿勢などを見るにつけ、あきれ返りを通り越して、悲しさに基づく苛つきが沸々と沸き上がって来る感じがします。

なんでこんな情けない政党を応援していたのか、またそんな状況を知らずに支援していたのか。

この感覚は例え家族であったとしても、理解をしてもらうことは出来ないもので。そこが大変に辛いとこですね。

さて本日のお題。
前回の記事で「人は死んでもその先がある」という事がもし確定したとして、それで果たして、納得の人生を送れるのでしょうか?

僕が考えるに、例え死後にも自分の「自我」としての存在が継続したと確定しても、やはり「死」という事に対する恐怖とかが軽くなることは無いでしょう。

その昔、日本では織田信長が「人生五十年~」と平家物語の敦盛の章にある歌を読んだ時代、平均年齢は四十歳前後でした。しかし現代においては八十年を越える人生を送る人も多くなり、そこから見たら倍の時間を生きれる時代になったと言います。

しかし変わらないのが、人間、死ぬときには一人で死を越えて行かねばならない事、また死を越えて持っていけるモノは何もないという事は、何ら変わることがありません。

以前に故キュブラー・ロス女史の「死ぬ瞬間の書」を読んだ時、そこに書かれていたのは亡くなる際に現れる様々な苦痛(身体的な痛みなど)は、その本人の心の中から出てきているという話がありました。

つまり人間の死に対する恐怖もそうですが、多くの苦痛というのも本人の心の中に問題は存在するということであり、それは即ち死に対する認識と、本人の人生のそれまでの生き方が大きく影響を与えるという事に他なりません。

人間がこの世界に産まれてくるとき、そこには何ら物を持たず、しがらみや肩書き、そして人間関係すら持たずに産まれてきます。

しかし産まれてから成長し、社会生活の中では、物を求め、所有し、人間関係を深め、肩書きなども着けていきます。そしてそれはには多くの執着も生まれてくることでしょう。

しかしいざ死を迎えた時には、それらを統べてこの世界に置いていき、また産まれたときと同様に何ら持つことも叶わずに、この世界を去らねばならないのです。

そこには多くの苦痛を産み出す元がありますよね。
財産、地位、名誉。そして何よりも愛する家族とも別れなければなりません。

確かに死後の世界では、身内に再会できるという話もおおくありますが、この現実世界の中での人間関係は、すべて終わってしまうのです。

そうであれば、やはりそういったこの世界の中ので経験し、身につける様々な執着との折り合いをどの様に着けていけるのか、またその様な生き方を模索することが、実はとても重要な事だと解ります。

単に「私は遠い久遠の昔から、未来永劫に向けて永遠の存在なんだ」と理解したとして、それで全てが解決するという事ではありません。

と言うことで、まだまだこの話は続けます。

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