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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
カテゴリー「教学随想」の記事一覧

【20170328】祈りの事について、僕の場合

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

いやー、那須のスキー場脇の雪崩事故。悲劇ですね。朝の報道番組は一番にこの話題で持ちきりでした。
事故とは得てして人災だったりします。
僕が創価班で教わったのは「安全は強制的に作ること」でした。
考えうるリスクを常に見極め、リーダーとして決断する。そこに強制的に安全を作る秘訣があるとも教わりました。

でも事後には人は好きなことが言えますが、この事故防止というのは難しいですよね。
亡くなった方々のご冥福をお祈りすると共に、怪我された方々の一日も早い回復を祈ります。

さてさて今日のお題です。
もうね、仏教の歴史とか釈迦の事とか調べていたり、学んだりすると、創価学会で教えられた教学というのが、結構、破綻して来るんですよ。

ある意味で創価学会が云うがまま、信じきって活動する方が、祈りを叶える確立は高くなるのかもしれませんし、人生アドレナリン放出度合いは高かったのかもしれません。

「祈りとして叶わざる事なく、罪として滅せざる事無い御本尊」

この言葉を言ったのは彼の日寛師でしたよね。
何はなくとも御本尊に全てを任せて祈りきり、婦人部幹部流に云えば「御本尊ちゃま!お願いー!」と祈れば全ての祈りが叶うんだと信じきり、それこそ祈祷師の如く仏壇ノ前で必死に何時間でもお題目を唱え続ける。

人の願いの成就とは、その人の「信じて祈る」という行為を引き金として起きる現象であるのなら、そういう信心をした方が叶う事は多いんでしょう。

逆に歴史を知ると、仏教とは哲理であって、それこそ創価学会が教える様な「絶対的な正しい法則」とか「大勝利の法則」なんてものではなく、過去の哲人達が思考し紡ぎ明けてきた自身の心や生命への洞察であるという事がよく解ります。

代表的な例を挙げれば、法華経とは釈迦の直接説いた教えなどではなく、釈迦が説き残した教えから、より多くの人を救う教えの中軸として紡ぎあげられたものだと思われます。

恐らく釈迦が残したのは原始仏教だったんでしょう。それは今でいう小乗の教えが一番近いものです。しかしそこに釈迦仏教の教団は凝り固まってしまっていたんでしょうね。
本来、自灯明・法灯明と云い犀角独歩だと云い、釈迦の思想は発展する要素を持っていましが、上座部を中心とした出家者たちは、そこで止まって安住していた。

そこで在家の人々の中でジャータカ伝説を基にして大乗仏教運動が発生し、仏という概念も変わってきました。

そんな中で誰が紡ぎだしたかよく解りませんが、法華経という経典が発生してきたわけです。この大乗仏教の最高峰として。

それは壮大な物語りという形式を取りながらも、大乗仏教の求めていた事をしっかりと網羅していたのでしょう。

作られた壮大な物語りだから、釈迦の晩年には既に亡くなっていた舎利佛とか目連も登場しましたし、提婆達多や空想の竜女も登場してきたのです。

しかもこの法華経、成立時には提婆達多品が無かったとかで、今の内容に成ったのは鳩摩羅什三蔵の漢訳でした。
また仏教が中国に流入し土着する際には、道教の一つである墨家思想も混入しましたし、その他、中国の古代思想が入り込んでいます。

そして日蓮はこの法華経を「皆是真実」と捉え、大乗仏教の中心的なこの経典に帰命する意味である「南無妙法蓮華経」というお題目を唱えることが末法の教えであると宣言したわけです。

恐らくこれが仏教史としての概略になると思いますが、これは創価学会が教える事とも違いますし、日蓮の教えにも当然の事、書かれてない内容です。何故ならば日蓮の時代には、いまだ判明していない事実、また日本に伝わっていなかった事が沢山ありますから。

こういう事が解ったので、今の僕は「勤行」「唱題行」と言っても創価学会の活動家や法華講の人たちと形は似ていますが、やっている目的が異なります。

僕は「祈りが叶うからこの信仰に力がある」とか「御題目は宇宙のリズム」なんて考えていません。また究極な事を言えば、何も祈りを叶えて現世利益を主体として捉えるのであれば、お題目である必要も無いと考えています。現世利益を得たいのであれば、その得たい事を常に心の中に強く念じて、それを自分が必ず実現できるんだという事を刷り込む様な祈りをすれば良いでしょう。何もそれが勤行や唱題である必要は無いのですが、創価学会や日蓮正宗の人たちが、勤行唱題でそれが実現できると信じるならば、やれば良いだけで。ただしそんな祈りをしていたら、日蓮の文字曼荼羅や御題目の意義は理解できないのかもしれません。

そもそも祈りの形式として勤行という形式も不要なのではないかと思いますし、ただ御本尊の前に端座して、自分自身、その日一日を振り返りながら、自分自身を見失わない様にする場所であり、その行為として勤行を行っているという感じです。

日蓮自身、「観心の本尊」とこの文字曼荼羅を呼んでいる通りのものだと思うのです。
このブログでは同じ事を何度も言っていますけどね。

僕は僕自身が「信じるに足る自分自身であるため」に、勤行唱題を行います。
何故ならば、人生にとって一番大事なことは自信を持つことであり、その自分を知るため学ぶための人生だと考えてるからです。

そんな処でしょうか。
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【20170327】二乗不成仏について

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

国会の動き、最近では「森友学園」こ事ばかりですね。野党にしたらこの問題を政局化して「政権奪取だ!」なんて考えていたりするのかもしれませんが、今の日本では悲しいかな自民党政権を覆せるだけの政治勢力は無いでしょう。

この森友学園の事では、安倍総理夫人なんかの名前も出ているので、従来であれば大事なんですが、やはり野党にもろくな政治家が居ないことから、安倍内閣の支持率は50パーセントをキープしてますよね。

誰も安倍内閣が良いなんて思ってないのですが、代わりが居ないという日本の政治貧困が、今の日本を支えています。

なんたるちあですなー。

さて今日のお題は「二乗不成仏」です。
これは大乗経典の中にある言葉であり、もともと原始仏教では「阿羅漢果(声聞の最高位)」は、悟りの境涯という感じでした。しかし大乗仏教に於いては、目的が仏を開くことになり、その為には阿羅漢果を得ても大したことなく、逆にこれが障りとなって成仏出来ないという話になってます。

これは仏教の定説の様に僕も昔は思ってましたが、仏教伝播の歴史を学んでみると、これは大乗仏教運動の発生に起因するものであったと思えますが、どうでしょうか。

大乗仏教運動が起きた頃の仏教教団、主流は上座部仏教に言われる出家者たちで、在家は彼らに供養を施す事で徳を積み、仏縁を結ぶという存在でした。やはり成仏を目指すなら出家者となり、そこで修行をして阿羅漢果を先ずは得なければならないと。

そんな感じでしたよね。

しかし一方で、その出家者達は世俗を省みることなく、ひたすら空理空論に没頭していたり、またもしかしたら在家の信徒たちを見下していたりしていたのかもしれません。
まあ今でいう宗教貴族ではありませんが、特権意識は持っていてもおかしくないでしょう。

そんな既成仏教に対するアンチテーゼとして大乗仏教運動がおきたのであれば、当然の事、阿羅漢果を含む二乗に対する風当たりは強くなることが想定できます。

「お前らなんて、空理空論ばかり弄び、人々の幸不幸なんてどこ吹く風だろう?そんな奴らがお釈迦様のいう衆生救済なんて出来るわけねーし!!」

今流に云ったらそんな感じがあったのかもしれません。だから爾前経典と言われる経典なんかでは、その代表格であった釈迦の十大弟子達を釈迦がひたすら弾訶する様な物語になったのではありませんか?

ただし、やはり全ての人々には仏の生命が宿る。そういう大乗の教えを成り立たせる事、しかもそれを劇的に語る為にも、法華経の初めの方で、舎利佛や目連、迦葉と言った十大弟子を始め、多くの弟子達に成仏の記別を与えたという展開にしたのでは無いでしょうか?

仏教歴史を振り返る中で、ふとそんな事を考えてしまいました。

いやね、この「二乗不成仏」という考え方。これが今の創価学会の中でも、よくない風潮を作り出してますよね。何かと言えば、余りにも学ぶという事を軽視する風潮や、あと会員からの意見を軽く見るというのも、実はこの「二乗不成仏」という考え方から来てますよね。

例えば教学。
学んでいても「頭でっかちで信心が解るかよ!」という様な話は組織の随所にあります。理屈を学ぶ前に、ガッチリと活動して体験をする事が大事で、その体験をあくまで補完するのが教学だという感じの指導が、組織内にはまかりとおってませんか?

僕なんて広宣部でしたから、活動に関する組織内指導に対して、御書を通して意見をしたら、当時の先輩方はあからさまに嫌な顔をしてましたよ。
「信心なんて理屈ではねえんだよ!」という感じでね。
「理屈いうなら折伏の結果や新聞啓蒙、選挙で票をもぎ取ってこい!」
これに近いこと、よく言われました。

あともう一つ。組織活動に対する意見もそうでした。
創価学会の時の指導性に合わない理屈を言うと、「めんどくせー奴だな」という雰囲気になることもよくありました。

これらの根底には「二乗不成仏」という言葉があって、要は学ぶことを軽視し、そこから出る意見も、あくまで活動の中で理屈抜きの言葉であれば、組織幹部は聞く耳を持つかもしれませんが、教学的に理論を言っても「二乗根性の強いやつ!めんどくせー!」みたいな扱いになってしまいます。

それが故に、今でも僕が御書や経典を元に、組織の有り様を指摘しても、組織幹部なんて、誰も耳を傾けないし、反論できずに訪問してこなくなりますよ。
そして影ではごちゃごちゃ言ってるみたいですけどね。

しかし最近の組織幹部の話は紋切り型で、上部だけの話をする人も多くなりましたが、これも「学ばなくなった」事の弊害だろうと僕は思ってますよ。

仏法とは本来、演繹法なので、教義の展開はその解釈する人の、仏法の理解度に基づく引き出しの多さに依存すると思いますが、やはり学ばないひとたちは得てして引き出しの数は少ないですし、それこそ紋切り型の言葉に終始してしまいますからね。

「二乗不成仏」

この言葉を安易に使う前に、しっかりと背景と大意を理解して欲しいものだと思いますよ。

【20170322】広宣流布の見直し時期

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

昨日は夜中の23時までお客様先のデータセンターに篭り作業。帰宅したのは午前様。
今日はこれから社内のシステム説明会。
システムの一部を更改したので、全国の営業拠点と電話会議で説明せないかんとです。

全くもって疲れる仕事。
でも給料分の働きはしないといなんので、会議する拠点に移動中です。

あ~鼻ホジルだけで給料貰える仕事は無いもんですかね。

さて今日のお題。
件三名のブログもそうだし、某掲示板の議論もそうですが、今の創価学会では全てに於て「池田哲学」という、実態の無い論理で議論してますよね。

思うに池田哲学の中心的な考え方は「人間主義」であり、それに基づいた平和主義でもあるわけです。そしてその根っこには日蓮仏法を置いていますが、実際に日蓮仏法をどれだけ理解して構築しているのか、そこが大きな疑問です。

まあ過去の言葉はとても綺麗な箴言に飾られてますので、これこそ現時の正法とか、絶対正義なんて誤解している人が多くても不思議ではありません。

でもいい加減に気付かなくてはいけない時期に来ているのでは無いでしょうか?

日蓮は御書の中で以下の様に語っています。

「夫れ天地は国の明鏡なり今此の国に天災地夭あり知るべし国主に失ありと云う事を鏡にうかべたれば之を諍うべからず国主小禍のある時は天鏡に小災見ゆ今の大災は当に知るべし大禍ありと云う事を」
(法蓮抄)


この御書は過去にも引用した事、幾度かなのですが、再度、語らせてもらいます。

日蓮の思想では、国やそこに住む民が災いに巻き込まれ苦しむ根本には「正法を蔑ろにして悪法を信じているから」と考えていました。
だから立正安国論で時の幕府を諌暁した訳です。

そこで日蓮が確立しようとしたのは、自分の宗派ではなく、法華経を中心とした仏教の統合であり、その法華経も釈迦が説いて当時の人々が理解していたモノではなく、御題目を中心とした、より法華経の核心に近い考え方を指していました。

よく「文底秘沈」なんて難しい言葉が使われ、さも難信難解で普通の人には理解できない不可思議な教えの様に捉えられますが、要は法華経の文字面の事ではなく、その文字面が表現している事柄を文底と云うのでしょう。

日蓮が著した「生死一大事血脈抄」。これは日蓮の持つ血脈観を述べたものですが、この御書は最蓮房という元天台僧から「血脈」について問われた事についての日蓮の解答です。

天台宗では「法灯連綿」と何か不可思議で、我々が預かり知らないモノとして血脈が語られていたのに対し、日蓮の持つ血脈観は簡単なものでした。

法華経と教主釈尊と私達はなんら変わることの無い存在だと信じて御題目を唱える事が血脈なのである。

とてもシンプルだと思いませんか?
日蓮の説いた教えというのは、ある意味でとてもシンプルなものであったのかもしれません。

しかしこの日蓮の教えも時間と伴に変質してしまい、今の時代では中々掘り出すことが困難です。

そんな中、創価学会では牧口会長や戸田会長、そして池田会長の三代が、大石寺教学の中から、その日蓮の教えをほっくり返して、大きな大衆運動として戦後に広げました。そしてその結果が、今の創価学会なんですね。

しかし戦後七十年。実践してきた結果はどうですか?

東日本大震災で二万人以上の国民が亡くなり、福島第一原発の事故で放射性物質は日本に止まらず世界に拡散。いまだその拡散を止められてませんよね。
また国内では社会のセーフティネットが機能不全に陥り、貧困格差は広がる一方。
また過去の亡霊の様な国粋主義の萌芽が見え始めているなか、人々は何ら有効な手だてを講じられない状況です。

一方、世界を見渡すとグローバリズム化は頓挫して、あちらこちらに保護主義が活発化してきています。

まあ創価学会の教えがどうとかで、この世界が変わるというのはありませんが、少なくとも公明党を介して創価学会は日本の政治に関与してるんですから、完全に無責任とは言えません。

であるならば、自分達がやって来た大衆運動としての広宣流布はどうだったのか、そろそろ検証しても良いのではありませんか?

これは単に運動内容だけでなく、それを支えた創価学会の思想。ひいては池田会長の言動と伴に「池田哲学」とやらの思想性についてもです。

「池田先生はこの様に云われていた」
「池田先生のお言葉に反している」
「池田先生のお心が解ってない」
「今こそ本門の弟子たちの戦う時である」

もうやめろっつーの。
その池田哲学が招いたモノが、今の創価学会であり公明党なんだと、そろそろ理解すべきでしょ?

そしてその思想が信濃町界隈を産み出し、日本各地で下らん査問だ処分だやってるわけでしょ?

これだけ創価学会という組織や、日本国内の混乱を招いているんだから、いい加減に「庶民の王者」と自称するような爺さん言葉から目覚めなければあかんでしょ。

日蓮の説いた教えはどうだったのか。
その志とはどんな事だったのか。
大石寺が伝えてきたと云う内容はどうだったのか、それを牧口会長や戸田会長婆どの様な事から、何を中心に創価学会を作ったのか。

そして池田会長の行動はどうだったのか。

考えなければならんことは、山ほどあるはずです。

そろそろ「師弟不二の弟子ごっこ」を卒業して、「哲人」としての行動をとるべきではありませんか?

ほーんと、そんな事を感じますよ。

【20170319】仙波檀林跡を歩いてみて

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

昨日は物好きにも川越にある中院(仙波檀林跡)に行ってみました。

陽気的には昼間は暖かく、いい散歩日和でしたが、夕方には日差しも隠れ少し肌寒い感じになりました。

さて、中院を見て回った感想は本サイトに書きましたので、そちらを見て欲しいのですが、ちょっと訪問した思考の道筋についてここで書いてみます。

僕なんかが創価学会で活動を始めた頃、日蓮は末法の久遠下種本仏という扱いで、年に何回かは、その本仏の日蓮が一閻浮提総与で顕した大本尊参詣に、大石寺の正本堂へ登山ということで参詣にも行きました。

手元に今でもある写真では、当時の男子部仲間と正本堂前で撮ったものがあり、皆が笑顔で写ってます。

しかし壮年部の年代になり、創価学会の組織とは様々あって距離を置き、再度教学についてむきあってみたら、まあ仏教を学んでいた筈なのですが、実は仏教の事についてあまりにもわかって無い自分という事が解りました。

創価学会で教えられたのは、確かに日蓮の御書を中心として学んでは居たのですが、日蓮の教学とはそれまでの日本の中の仏教の流れ上にあるもので、そういった事を知らないと解らないことも沢山ありました。

しかし創価学会では日蓮こそが本仏て、釈迦とは脱益の仏、天台や龍樹その他諸々も末法の我々には「無縁の仏」とばかりに軽く扱う精神的な土壌が作り上げられていたのです。

この精神構造の原型は紛れもなく日寛師の教学であり、創価学会に至っては、そこ思考回路の上に最近では創価学会師弟三代の血脈という様な、こりゃまた陳腐な教学を構築し始めています。

創価学会で活動を止めて、あまった時間の中でそんな事を学ぶことができたので、その日蓮本仏論の根源と云われてもいる天台宗別格本山であり、江戸時代初期には関東八檀林のひとつ、仙波檀林があった場所を見てみたいと思い、昨日訪れた次第です。

ここで目を引いたのが「日蓮上人伝法讙頂の地」という、山門入り口左側にある碑でした。

縁起によれば建長五年に天台宗僧侶である尊海僧正から恵心流の伝法讙頂を日蓮が承けたというのです。
建長五年といえば、四月二十八日に日蓮が立教開宗した年で、そのあと安房小湊から逐われる形で鎌倉へと移り住んだ年です。
果たして日蓮が尊海僧正と面談したのかどうか、それは解りません。

この尊海僧正とは喜多院中興の祖と呼ばれた人物で、この当時は川越の中院にも居た様です。この尊海僧正は天台宗の改革を考えていた人物という事なので、日蓮と会っていたらどんな話をしていたんでしょうね。

面談や讙頂の実不実は置いといて、この恵心流というのが、本仏を天台大師とした体系を持つものであり、これが後に大石寺に入り日蓮本仏論の元になったと言われているので、もしかしたら日蓮恵心流讙頂の話は、後世に言われた事だと僕は個人的に感じています。

中院を散策し、そのあと川越東照宮から喜多院までぐるりと回りながら、そんな事をつらつらと考えたりしてました。

【20170307】折伏について思索する

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

いやー、やっぱり今の人類社会はおかしな方向に向かってますね。
その一番の現れはアメリカのトランプ大統領だし、北朝鮮のファビョリ様もそうですが、韓国なんかもおかしいですよね。

間違えてはいけないのが、トランプ大統領がおかしいのではなく、あの様な大統領が出てくるというのが、おかしいのです。

過去に心理学者のユングが自身の見た夢を分析し、世界大戦の勃発を予想してましたが、要は人類にも共通の意識基盤があるんですよね、多分。その基盤のザワツキをユングは自身の夢を通して感じたと言いますが、今のトランプの件や北朝鮮のファビョリも同じなのではないでしょうか?

果たして今の人類はどうなんでしょうね。

さて、今日のお題。
僕の嫁に聞いたら、今は折伏の活動をしているようです。もちろん東京都議会選挙も進めていますが、間延び防止みたいな事ですかね。
婦人部なんかはリレーの十時間唱題なんてやってるようですが、僕から言わせれば、そんな時間を使うなら家事とか自分の時間として使った方が良いということ。

「お前ら祈祷師じゃ無いんだから~云々(でんでん)」

この様に嫁に云うのですが、婦人部というのは善くも悪くも真面目ですから、旦那の言葉は馬耳東風です。

でも最近はどう言ってんのでしょうね、折伏の意義について。

僕の時代には「下種」というのがあって、その先に「折伏」、いわゆる御本尊授与がありました。だから「下種台帳」を幾人に作らせるのか、そこが幹部の一つの活動の目安でした。

この「下種」ですが、この考え方の根本には「本已有善」と「本未有善」という考え方があります。
恐らく今の創価学会はそんなことも忘却の彼方かもしれませんので、この事について話してみますが、まずこの言葉の意味について。

「本已有善」とは久遠の昔に釈迦が弟子たちに仏の種を落とし、そこで不信の人達は三千塵点劫や五百塵点劫過ぎて、釈迦の元に生まれたという考え方です。だから釈迦はそういう既に仏の種を持った人に対して説いた教えなので「熟脱の仏法」というそうです。

一方で末法に生まれてくる人々は「本未有善」といって、仏の種を植えてない人達で、だから「熟脱の釈迦の教え」では救えないそうです。だからまずは仏の種を植えないと、つまり仏法の話を耳に入れないといかん。という事でこの種を植えるのが「下種」という行為で、この事から日蓮の仏法を「下種仏法」と云うんだそうです。

この内容、聞けば解ると思いますが、変でしょ?改めて聞くと。

そもそも末法に生まれでる人と、釈迦の時代に生まれる人は、根本が違うというのですが、では一体何時までお釈迦様ならOKで、何時からNGなんでしょうか?

またこの「仏の種」と言いますが、そもそも釈迦が解き明かしたのは「人は元来、仏である」という思想であり、なんも家庭菜園で作る野菜の様に、種を植えたら出来上がる「仏様」ではありません。

創価学会の「折伏」という活動の原理、実はこのような稚拙な理屈の上で展開していたんですよね。

この教学、根本を辿るとやはり「日蓮本仏論」が関係しているので、もしかしたら仙波檀林あたりから混入したものなんですかね?

仏法に釈迦仏法と日蓮仏法の立て分けがあると言います。しかし何故宗門や創価学会が、そもそも仏法の基本に疎いのかは、ここにも原因の一つがあるんでしょうね。

「釈迦は私達とは無縁な仏だし~( ̄з ̄)」てな感じ。

次に「折伏」です。
この言葉は「法華折伏・破権門理」という言葉で語られ、日蓮も法華経は折伏の経典だと言ってます。

これ何故かと言えば、法華経以外の経典からは想定出来ない内容が法華経だからだと僕は最近推察しています。

だって仏教の目指す目的は「成仏」ですよね?
その目的が既に達せられていると云う教えを、仏教を学んだ人がそう易々と受け入れられる訳がありません。

また法華経が優れているというのは、「無量義経」という開経の「四十余年・未顕真実」という事だけですよね。
つまり釈迦本人が「わりーな、実は今まで本当の事は言うて無かったんよ!」という事でしょ?

そりゃ人々は受け入れられる訳がありません。だから「とにかく理屈はえーんだよ!法華経が第一なんや!」と言い切ること、これを折伏と呼んだのではありませんか?

かなり粗っぽい話にしましたが、骨子としてはこんなもので、だから折伏とは法華経を仏教の範囲の中で語る場合に折伏なんだと言っていたんだと想います。

では広め方はどうなのか?

これはねー、やはり膝詰めの対話になると思いますが、それとて何か「俺らの組織の教えが正しくて、しゃーわせになるんやから、理屈はエエから入りやがれ!」という事では無いでしょう。

しっかりと法華経の意義を語り、法華経にある志や真意を相手に理解させていく。そういう事が大事なんだと想いますよ。

この点については、観心本尊抄にある「この四菩薩は云々」という事に併せて、別の機会に話をしたいと思うのですが、少なくとも創価学会に強引に入れて、文字曼荼羅を押し付けることは、本来ある折伏とは違います。

だから創価学会の新規会員獲得に、そんな目を血走らせて取り組む必要も無いと思うんですがねー。

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