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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
カテゴリー「教義改正」の記事一覧

【20151118】日蓮世界宗創価学会と勤行要典の変更

こんにちは(´・ω・`)

いやー、いよいよ出ましたよ。「日蓮世界宗」という名前。

http://www.sokanet.jp/info/kaisoku01.html
(創価学会公式サイト―会則(1))
「世界の会員は、国籍や老若男女を問わず、「大誓堂」に集い来り、永遠の師匠である「三代会長」と心を合わせ、民衆の幸福と繁栄、世界平和、自身の人間革命を祈り、ともどもに世界広宣流布を誓願する。
池田先生は、創価学会の本地と使命を「日蓮世界宗創価学会」と揮毫されて、創価学会が日蓮大聖人の仏法を唯一世界に広宣流布しゆく仏意仏勅の教団であることを明示された。
そして、23世紀までの世界広宣流布を展望されるとともに、信濃町を「世界総本部」とする壮大な構想を示され、その実現を代々の会長を中心とする世界の弟子に託された。」



以前から特許庁に商標登録されていたのは、この日の為だったんですね。さぞかし現場末端の創価学会のバリ活動家達は歓喜の渦に包まれる事なんでしょう。

今や創価学会は「創価三代の師弟」の宗教と言ってもいいでしょう。
しかしこの「日蓮世界宗創価学会」という名称を、二代会長の戸田会長は「にっこり笑顔でほほ笑んだ」となりますかね?

ちなみに「宗」というのは「宗派」を意味し、以下の意味があります。

「宗派(しゅうは)は、教義・信仰対象などの違いや歴史的経緯により生じた分派である。主に仏教において用いられる。」(ウィキペディア「宗派」参照)

つまり創価学会とは仏教の分派の一つであり、日蓮正宗とは別の宗派であるという事をここに鮮明にしたという事なのでしょう。

でも一つ疑問が・・・
先の会則の中で「池田先生は~揮毫されて」とありますが、そんな事を書くならば、その池田会長が揮毫した「日蓮世界宗」という文字をネットに早々と掲載すれば良いのに、いまだそんなものは出ていません。

いつ・どこで・どの様に揮毫したのか?

例えば創価学会の重宝と言われる「正義」という揮毫。これは揮毫のいきさつが極めて明確です。では「日蓮世界宗」というのはといえば、会則で紹介はされていますが、その詳細については出ていません。

できれば早めに出して、揮毫というものについても「筆跡鑑定」位、受けてみてはいかがでしょうか?

そもそもですが、今の創価学会、果たして日蓮門下なのでしょうか?

例えば今回、「御祈念文」についても改正を発表しましたよね。そこでは「御本尊に報恩感謝」と述べていますが、実は創価学会として「御本尊」については明確な決着を着けていません。日蓮正宗の言う「戒壇の大御本尊」を認めず、その御本尊を書写したと言われる日昇師書写の「創価学会常住」の御本尊を板曼荼羅として大誓堂に安置。また会員の各家庭にある御本尊は日寛師がこれまた大本尊を書写した形木御本尊を奉掲しています。

聖教新聞紙面で原田会長は「法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊」という事で述べていますが、この根本尊形の御本尊については未だ曖昧なままではありませんか。

また「末法の御本仏・日蓮大聖人」と呼んでいますが、日蓮大聖人がどの様に自身の御書の中で「末法の御本仏」と述べているのでしょうね?所詮は中古天台の流れの中でできた宗門教義をそのまま踏襲しているだけでしょう。

先日の宮田教授が日本宗教学会で述べた「日蓮本仏観」は「久遠元初」という観点からずれた「人間の生き方の手本としての御本仏」という様な珍説を述べていたりしていましたよね。そしてそれに対して言論が叩きつけられ、それに明確な反論すらできていません。

ちなみに宮田教授は創価学会の「本部教学部アドバイザー」なんですよね。

また三師供養の中から「日目師」が消えている様にも見えたりします。

こうなると「日蓮世界宗」なんて言っていますが、どこに「日蓮」があるというのでしょうか?

僕も一応、創価学会の会員の端くれですが、「日蓮世界宗」の「門徒」ではありません。
でも創価学会の末端活動家幹部の人には、今回の「日蓮世界宗創価学会」という事と、御祈念文の改正について、一体どのように考えているのか聞いてみたいものです。

「池田先生が決められた事だから、大事な事だ」

こう思うのは自由ですが、そもそも「いつ」「どこで」「どのように」池田会長は今回の事を決めたというのでしょうね?
そんな事、実は信濃町界隈が「池田会長」の名前を勝手に使っているだけかもしれませんよ。

これは全般に言える事かもしれませんね。

「池田大作」
こういう固有名詞を付ける事で、どんな横車でも通す事の出来る宗教団体。
それが今の創価学会である事を如実に示しているのが、今回の事ではないでしょうか?

そんな感じに僕は考えているのです。

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【20150529】宮田幸一氏の「本尊認定権について」を読んで-私的考証

連投ですが、本日はこれが最後です。(´・ω・`)

さてここまでで僕は宮田氏の論文については肯定的に取り上げてきました。
しかしここからは僕自身、この論文を読んだ際に感じた事を書かせてもらいます。



確かに創価学会は日蓮正宗から破門され、既に四半世紀近く経過をしています。
でも授与している御本尊は元日蓮正宗寺院からもらい受けたものを印刷し、その相貌で不要な箇所を削除したものです。

日蓮正宗にしてみたら面白くないでしょう。

だって彼らにとって御本尊とは唯一信徒を縛り付け、振り向かせる言わば「道具」であった訳です。それを創価学会が独自に授与すれば、宗門側に創価学会の会員たちを「寺信徒」として戻す事がとても困難な事になります。
だからこそ、以前に学会が言った「衣の権威」ともいえる「血脈相承」という事を殊更取り上げて創価学会に攻撃をしてきた訳ですが、最近では大石寺という事すら組織の中で薄らいできているので、この衣の権威すら「強力な打ち手」とならない状況であると思われます。

そこえきて創価学会が会則改定をして、弘安二年の大本尊や出世の本懐という、日蓮教学の根幹にかかわる事を変更してきたのです。宗門側としては願ったりという事で「創価学会百問百答」とか作り、チラシを印刷して創価学会側に攻勢をかけてきているという処なのかもしれません。

正直言って、僕自身もこの会則改正で組織の中に波紋が起きてほしかった。
そしてそこに宗門の法華講や妙観講などが来て、少しでも御本尊や日蓮の出世の本懐の議論が出てきてほしいとも願ってきました。

でもですねぇ・・・もう違ったんですよ。創価学会は。

昨年11月に原田会長が会則改正を発表しましたが、会員はそんな事には見向きもしません。まあ信濃町界隈がこぞって「今回の会則改正は大変重要なものなのだ!」とアナウンスをしたら、もう少し違った事になったかもしれませんが、そんな事は当然するはずもなく、会員活動家達はと言えば「日蓮」とか「仏法」には関心が無くなっている状態だったんです。

創価学会は第二次宗門問題勃発以降、四半世紀をかけて活動家達を、日蓮そして仏法というものから剥がしていきました。その結果、今の活動家幹部たちは仏法と言えば「師弟不二」であり、教学的な事よりも、お題目をあげて活動し、自分たちの生活が良くなる事だけを求めるという存在になっています。

妙法蓮華経は宇宙の法則。
知ろうが知るまいが、信じようが信じまいが、その法則にのっとって生きれば幸せになるし、法則から外れたら、軌道を外れた星のように宇宙船のように、人生という旅の中で迷子だ。
そして、あなた方のような慢心の輩に限って、いざ死ぬときにじたばたして見苦しい醜態をさらす。生にしがみつき、周りを困らせる。

これはある罵詈活のブログ記事の抜粋ですが、こんな事を平気で語る人間を大量生産している組織になってしまいました。

だから会則改正で弘安二年の大本尊から決別し、日蓮の出世の本懐の解釈が変わり、日寛師の扱いを今後変えると言っても誰も驚かなくなっていたのです。

だから今回、創価大学の宮田氏が論文を発表したとして、会員の中でその論文を学ぶ人は全くもっていません。もう活動家たちには日蓮も御本尊の意義も関係ないのです。

それが証拠に活動家幹部に「広宣流布とは何か?」という事を聞いてみてください。おそらく「世界中へ平和の胤を植える事」とか「広宣流布とは、世のため人のため生き、自分らしさを発揮し、人を幸せにしていくことだ。」とか胸を張って答えるはずです。

違うのです。

広宣流布とは「法華経を社会の中に展開する事」を言います。そして法華経と万人に仏性があると説く経典であり、人間の生命の尊極性を説いているのです。その思想を如何に現代社会の中に展開できるのかという、いわば思想戦が広宣流布であるのです。

だから常に学ばねばならない。
だから常に市井の人と交わり、社会の動向を知らねばならない。
だから常に思索を続けなければならない。

これが広宣流布であり、その途上で「自分らしさを発揮し、人を幸せにしていくこと」にもなっていくのです。

しかし今の創価学会の活動家は、単に単純な社会運動として「世のため人のため生き、自分らしさを発揮し、人を幸せにしていくことだ。」と広宣流布を理解しているので、結果として活動の軸がぶれまくっているのです。

でもこの事に気付く活動家は皆無でしょう。
既に創価学会はラッピングこそ「日蓮仏法」となっていますが、中身は完全に「池田哲学」と名前の付けられた古今東西の哲学思想のオジヤになっているのです。

だから宗門がいくら揺さぶりかけようと、思った以上に影響なんて与えられるわけがないのです。

そう考えると宮田氏もずいぶんとご苦労な事をしたと思います。
まあ論文としては短文ですが、それなりに良くまとまっているものだと思います。

この論文をきっかけにして、幾人かの学会員が気づき、そして起動修正の動きが出てきたら、その時にこの論文の価値というのは出てくるのかもしれませんね。
でもそれは当分ないと思いますし、そもそも創価学会がそういった人材が出てくるまで持ちこたえる事が出来るのか、そこも大きな疑問です。

まったくもって嘆かわしい限りではないでしょうかねー。

以上で宮田氏の論文考察を終わります。

【20150528】宮田幸一氏の「本尊認定権について」を読んで-⑤

さて本日は連続更新で進めます。( `ー´)ノ

宮田氏が「5 本尊作成の様式、資格者の問題に関する日蓮真撰資料について」という事で論及している事は、御本尊書写の権能にもあたる事で、先の記事でもその件については述べたのでここでは割愛します。(日興師存命中の日華師書写本尊など)

もう「御法主上人猊下様の御内証」なんて言葉を勿体ぶって述べている事を、これ以上あげつらってもしょうがないですからね。

6 曼荼羅作成に関する歴史的考証

ここで宮田氏は日蓮没後、その弟子たちが御本尊をどの様に書写したかについて述べています。まずは以下の長文ですが引用します。

日蓮の直弟子で曼荼羅を作成したのは、菅原関道の「日興上人本尊の拝考と『日興上人御本尊集』補足」(『興風』第11号 p.344以下)によれば、六老僧の中では、日昭、日朗、日興、日向である。これらの老僧には、自筆曼荼羅が現存している。さらに六老僧の一人日頂に関して、『富士一跡門徒存知事』には「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由・諸方に其の聞え有り所謂日向・日頂・日春等なり。」とあるから、日頂は真蹟曼荼羅を原型にして形木印刷した曼荼羅を作成したと思われる。
したがって六老僧の間でも、日昭、日朗、日興は、自筆で曼荼羅を作成し、日頂は形木印刷で作成し、日向はその両方で作成したという作成方法に大きな相違がある。日興は上述の文で、日向、日頂などを「軽賤する」として批判しているが、その論拠が「不信の輩に授与」することのみなのか、「御筆の本尊を以て形木に彫み」も含まれるのか、ということに関して、文脈においては明確ではないので、形木印刷をどのように判断していたかは、不明である。(日興の直弟子日尊は形木印刷の曼荼羅を作成するように指示しているから、日興が形木印刷を全面的に禁止したとは考えにくい。)しかし日向、日頂が形木印刷を行い、日興はそれを「軽賤」という理由では批判したが、日蓮の教示に背く行為としては批判しなかったということは、形木印刷を禁止した日蓮の指示はなかったということであろう。

まあ簡単に言えばここでは六老僧の中でも御本尊を書写したり、形木で印刷したりと様々おこなってきたという事が紹介されています。
宗門では「御法主上人猊下、もしくは御隠尊猊下だけ」と述べていますが、実は日蓮没後に弟子たちが思い思いで御本尊を書写しており、その書写や形木にした事自体、日興師が「付法当代は私である!」と責る言葉を残していません。これはつまり御本尊書写については、かなり緩いものだったという事に他なりません。

実は御本尊書写の権能として当代法主に限られたのは最近の事であり、明治期や江戸期では末寺の住職が御本尊の形木を作り、信徒に下付していたという記録すら残っています。

つまるところ宗門の理屈というのは、ここ最近になって成立したしきたりを述べたに過ぎないという事でしょう。

この宮田氏の論文では、こういった事実を取り上げて以下の様な結論を出しています。

曼荼羅が書写されたということは、それを書写した人を中心にして、独立した信仰集団が成立したということの歴史的証拠であり、そこには「付弟一人」を否定して信仰集団を自立させるという歴史的事情しかない。本尊書写権は単に「賞法燈以為立根源」という教団統制上の問題から生じた議論であり、信仰集団が分立してしまえば、意味を失う議論である。日尊は分立した日尊門流のために「付弟一人」の日興の遺戒を守り、曼荼羅書写はしなかったが、代わりに形木印刷の曼荼羅を授与するよう指示して、教団の分立を維持しようとした。現在創価学会は新たに曼荼羅を書写様式で作成することはせず、既存の書写曼荼羅を形木印刷することにより曼荼羅を作成し、本尊授与を行っているが、創価学会が日蓮正宗から独立した教団である以上、それは当然のことであり、独立以前の議論を展開して、その非を唱えることにはそれほどの意味はない。

つまるところ御本尊の件については、既に破門されて別教団になって久しい創価学会に対して宗門側からの言いがかりであるという事なのでしょう。



7 結論

ここでこの宮田氏の論文としての結論を述べています。

出世の本懐と弘安2年の本尊とを結びつけた議論は、日興から日有、左京日教に至るまで見られず、江戸時代の日寛になってようやく見られる議論である。出世の本懐について述べている真蹟御書である『聖人御難事』には弘安2年の本尊に関する言及は全くなく、日蓮教学と日寛教学には差異があることは明白である。創価学会が、日寛教学を含む日蓮正宗教学から離れて、自立した教団として、日蓮教学を独自に究明しようとすることは、日蓮を継承する教団としては当然のことであり、今回の会則改正はその第一歩を宣言したものと見ることができよう。

まあ簡単に言えば「別教団で独立した日蓮教団であれば、御本尊認定というのは”第一歩”を宣言したものなんだ」という事なのでしょう。

【20150528】宮田幸一氏の「本尊認定権について」を読んで-④

こんにちは(´・ω・`)

さてさて、宮田氏の論文を考察はじめて第四回となりました。
何故この様に考察を進めているのかと言えば、別に今の創価学会の会則改正を肯定するとかいう事が目的ではありません。今回、宮田氏が「創価学会の御本尊認定権」について、まあ原田氏の言い分について教学的な論文で裏付けを行おうとしていますが、まずはその内容を考察し、本来、創価学会としてどうあるべきなのか。その点について考えてみたいと思ったからです。

という事でもうしばらくお付き合い下さい。



4 戒壇本尊書写という主張の初出

さて宗門側ではさも弘安二年大本尊を書写(書き写したもの)が下付している御本尊であるという事を述べています。しかし実はこの奥底にある考えと言うのは、日蓮正宗として信徒を繋ぎとめる最大の武器が弘安二年大本尊でしかないという事があると思えます。
前回までの記事でも書きましたが、教学的に考えてみれば、また歴史を少しでも紐解けば、弘安二年大本尊という存在自体が危ういものです。しかし宗門としてはこれが最大の武器になっている訳で、そこには日蓮の御本尊という事への宗教者としての探求心は既にありません。

宮田氏はこの「弘安二年大本尊の書写」という事について論究していますので、まずはそこを見てみます。

板本尊形態の戒壇本尊について明白に言及したものは1561年保田妙本寺日我が『観心本尊抄抜書』において「久遠寺の板本尊今大石寺にあり大聖御存日の時造立なり」(『富要』4-170)と記述されるまでないようである。日我が直接板本尊を見たとは思われないが、この大石寺にある板本尊が戒壇本尊を指すと解釈されている。

実は弘安二年大本尊に関する記述が、歴史上記録として出ているのは西暦1561年、室町時代に入ってからであり、日蓮没後279年も経過してからとなっています。
宗門としては秘宝中の秘法なので当たり前と言うのかもしれませんが、堀日亨師が富士宗学要集で相伝書をほぼ公開した中でも、そういった記載がありません。
この事について、宮田氏は論及をしています。

それ以前の資料では『日興跡条々事』に「日興充身所給弘安二年大御本尊」という記述があるが、大石寺は日興直筆の『日興跡条々事』原本があると主張しているが、外部の鑑定を受けたわけではないので、学者の間では、信頼されていない。なお『富士年表』によれば、『日興跡条々事』に関しては、1559年に要法寺日辰が日郷系の小泉久遠寺で『日興跡条々事』の写本を書写しているが、それ以前の情報は記載されていない。またこの「日興充身所給弘安二年大御本尊」が板本尊、あるいは戒壇本尊であるということも『日興跡条々事』では示されていないので、この本尊と現存の戒壇本尊が同一であるということも分からない。

つまりそれ以前には「日興跡条々事」という古文書こそ存在していますが、その子文書自体の真贋性も極めて低いと述べています。
この真贋論議に陥ると、宗門側では「相伝はすべて明かしていない」という様な逃げ口上を挙げるのでしょうが、そもそも日興門流は大石寺だけではありませんし、それぞれの寺院間でも交流がある中、270年間誰もが論じないという事実を見ても信用性を疑われても仕方がない事です。

つまり日蓮没後三百年近く経過した時代に保田妙本寺の日我が大石寺で「板本尊を見た」と述べていますが、それしか歴史上に記述もなく、しかもこの板曼荼羅が弘安二年大本尊であるのかも解りません。

そもそも弘安二年の大本尊が本当に板曼荼羅であったのかも不明であり、そこを確認するために、実は以前に板曼荼羅の文字彫刻が「丸ノミ」か「角ノミ」であるのか、そこを鑑定できれば江戸時代に彫刻されたものが鎌倉時代に彫刻されたものが判明するのですが、宗門では「不遜だ」とそれを拒否。つまり真実性を追及されると問題があり、そのために「信仰」という美辞麗句に逃げているという事ではないでしょうか。

この弘安二年の大本尊の議論について、宮田氏は今回の論文で以下の様に結論づけています。

「だが書写曼荼羅作成は日興以来700年以上の歴史があるのに、戒壇本尊を書写したという議論がたかだか100年しかないというのは、この議論が後世に作られた議論であるということを雄弁に物語っている。」

この言はまったくその通りであり、むしろ宗門は信徒の「盲信」の上に自己の正統性を打ち立てているに過ぎないというのが現実の処ではないでしょうか。

【20150528】宮田幸一氏の「本尊認定権について」を読んで-③

こんにちは(´・ω・`)
さて昨日に引き続いて宮田幸一氏の論文について、引き続き書いていきたいと思います。

深夜で仕事から帰って、家族は皆寝静まっている中で一人PCに向かい、、、なにをしているのかと、思ったりもしますが、この宮田幸一氏の論文については重要な事が提起されていると思いますので、まあ自己満足の為かもしれませんが、おつきあい下さい。

2)『御本尊七箇相承』

この書は一般の創価学会の活動家の人は存在すら知らないと思います。
いわゆる「相伝書」という類のものであり、富士宗学要集第一巻に収録されているもので、この富士宗学要集が出版される以前には、宗門の奥深くにあり信徒は目にする事もできないものでした。

しかしネットというのは便利なもので、今ではこの相伝書については見る事ができます。

宮田氏はこの七箇相承に以下の記載がある事を紹介しています。
「又本尊書写の事予が顕はし奉るが如くなるべし、若し日蓮御判と書かずんば天神地神もよも用ひ給はざらん」
この相伝書、法華講あたりでは自宗派の正統性を語るために良く文証として対論のたびに得意げに出してきたものです。しかし実は相伝書という性格上、この書がだれが何時ころに書いたのか、その詳細については明確にわかっていません。
簡単に言えば、日蓮正宗が「私たちの中に秘密に日蓮大聖人から伝承してきたものだ」と主張しているだけで、学問的に客観性を持った文書とは言えないという事をまずは理解する必要があります。

ここでは「予が奉し奉るがごとくなるべし」と書かれています。ここでの「予」とは一体誰なのか?
宗門の解釈としては相伝書である事から、「予」は日興と捉えており、この文書は「予(日興)が顕した様にしなければいけない」という事となります。そしてその手本となるのが、先の「之」と合わせるのであれば必然と「弘安二年の大曼荼羅」となるわけです。

ちなみにこの宮田氏も取り上げている様に、この相伝書では以下の様に書かれています。

「一、仏滅度後と書く可しと云ふ事如何、師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるゝ儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり。」

創価学会が授与している御本尊も、以前に宗門から下付された御本尊も、その賛文については、これに基づいて書かれています。

しかし一方、宗門が言うところの「弘安二年の大本尊」ではこの賛文が異なっている事を宮田氏は指摘しています。
「戒壇本尊には「仏滅度後二千二百三十余年」ではなく、「仏滅度後二千二百二十余年」とあるから、戒壇本尊が手本となったとは推測しにくい。現存する日興の書写曼荼羅はすべて「二千二百三十余年」で統一されており、「二千二百二十余年」の書写曼荼羅はない。」

ここで少し補足をすると。

つまり弘安二年大本尊には「二千二百二十余年」とありますが、日興以降の書写の曼荼羅などでも「二千二百三十余年」と書かれています。ちなみに弘安二年ころの日蓮筆の本尊では「二千二百二十余年」というものがありますので、弘安二年大本尊が「二千二百二十余年」という記載でも矛盾が発生するものではないのかもしれませんが、そうであれば別にこの賛文だけを見て「弘安二年大本尊」が書写の原本という事にはならないでしょう。

では日興師はどの本尊を手本として書写したのか。
宮田氏はこの事について「3)日興が手本とした真跡曼荼羅」という項で若干の考察を加えていますが、簡単に言えばそこでも弘安二年大本尊が原本とはならないという結論を出しています。
ちなみにここで宮田氏の論文とは少し離れてしまいますが、御本尊書写について少し書いてみたいと思います。

先の「創価学会「ニセ本尊」破折100問100答」の中の「51 御法主上人以外の人が御本尊を書写したという例はありますか。」という問いに対して以下の事を述べています。

「御本尊書写の権能は、唯授一人の血脈を受けられた御法主上人お一人に限られるというのが、日蓮大聖人の教えです。」
「したがって宗門七百年の歴史において、御法主上人以外の僧侶が、たとえ高徳、博学、能筆の方であろうとも、御本尊を書写したということはありません。」

しかし実際には日目師は日興師の亡くなる七年前に、また弟子の日華師は日興師の亡くなる八年前に御本尊を書写し、日華師の本尊は形木(版画の原本)にもなっています。まあ日目師は日興師の跡目をついだとしても、日華師は跡目ではなく、且つ日興師の在世の時に日興師の弟子とした立場で御本尊を書写しています。
またこの日目師の書写本尊については「日蓮在御判」とは書かれていないもので「日蓮聖人」と書写されているのです。これは御本尊七箇相承とは異なります。この事からこの相伝書が日興師の本意であるとか、日蓮から日興師への相伝だとかいう事は出来ません。
また宗門の言うように「御本尊書写の大権は法主のみ、場合によっては御隠尊法主が云々という論点は、先の日華師(非法統の弟子)の書写を日興師が黙認していたという事から、「法主一人の権能」といった事も、歴史的事実の前ではすでに破たんすらしている事は知っておくべき事だと思います。

御本尊七箇相承の件を振り返ってみる時、ここにおいても理論的(理証)としては宮田氏の論が正鵠を得ているという事は間違いないと言えるのではないでしょうか。

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