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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20160323】組織の四刧、そして創価学会

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

間もなく三月が終わります。
早いですねー、もう一年の四分の1が終わってしまうんですよ。
僕の方は「何とかこの一年を」と爪を立てる思いで日々生活しています。

僕はフリーランスなので、ぬるま湯のような仕事ではありませんが、考えてみればこの立ち位置にいるから、日々一生懸命になれるのかもしれません。

さて話は変わり本題です。
僕の日常の中に創価学会というのは、かなり比率が減りました。もう「大勝利」だとか「誓願」なんて言葉もありませんし、創価学会のいう「師弟」なんてのもありません。

ただ嫁が活動家幹部なので、そこを窓として眺めている感じがしています。

青年部時代の仲間や先輩、後輩が「○○長」になったり、中には議員にもなってたりしてますが、それは彼らの人生なんでしょうね。

まあ端から見ていて大変そうですが、彼らにとってはそれこそが「我が使命の人生」という事だと思います。

でもまあ、たまに町中で見かける表情は疲れきっていて、なんら僕なんかと代わり映え無いように思ったりして。

そういう姿を見るたびに、彼らは何でそこまで創価学会に尽くすのか、そう思わずには居られません。

さて「四刧」について。
これは仏法の中で説かれている、この世界の繰り返す時(相、姿)を言いますよね。これは少し創価学会で教学を学ぶと教えられる事です。

成刧、成立期であり成長期。どの様にでも成り行く可能性が備わる時期の事。
住刧、形として整い、その姿で様々なことを行える時期。
壊刧、形が崩れだし、様々なことをが消えていく時。
空刧、形が無くなり、潜在的な見えない姿になる時期。

この宇宙の森羅万象、全てがこの「四刧」を逃れることはできません。しかし仏法ではこういう一連の変化する姿の奥底に、普遍的な事が存在するとのべ、それを仏性とも法華経で説かれる当体とも言ってます。

しかしこの事を人が理解できる内容として、帰納的に説明するのは不可能です。だからこの事については「以信得入」と述べ、信じることを述べています。

この四刧ですが、例えば人間の一生で例えるならば、生まれでたときから二十歳位までが「成刧」、それから四十代までが「住刧」、五十代から死ぬまでが「壊刧」、死んだ後が「空刧」となりますよね。

これは恐らく、あらゆる組織や社会、そしてあまねくもって言えば、この地球や太陽系、そして銀河系に至るまで該当することです。

つまり真理の一つだということ。

然るに創価学会とて例外ではありませんが、今の活動家幹部の中で、この事について認識しているのはどれだけいるのでしょうか?

人生の場合、今の自分自身が人生の中でどの位置にいるのか、これを正しく理解していないと、こりゃとんでもないことになりますね。

違いますか?

例えば齢八十歳過ぎのじい様が、「人間には無限の可能性があるんだ!だから俺はこれから勉強して世界を変えて見せる!アメリカの大統領になる!」とか言ったとしたら、どうでしょうか?

「おいおい、それよりも死ぬ準備をしっかりしろや」

となりませんか?

「諦める」という言葉があります。これは全ての事に目を閉じろという意味ではなく、仏教から派生した言葉だというのは、以外と知られてません。
法華経の如来寿量品の長行、最近の創価学会では読まなくなりましたが、そこに
「諸善男子。汝等当信解。如来誠諦之語」
とあります。

これは「如来の言葉を諦かに信じ理解しなさい」という言葉です。

つまり「諦める」の本来の意味は「明らかに見る」という事であり、これはしっかりと認識し理解なさいということ。

つまりその時々の状況、状態を認識して理解することを「諦める」と言います。

つまり創価学会が大事だという活動家幹部は、創価学会という組織がどのフェーズにあるのか、しっかりと認識をする必要があるのです。

「創価学会を諦める(明らかに観る)」

何故ならば、それをしない限り組織自体がいびつな動きをしてしまい、より崩壊の速度を早めてしまうからです。

成長期には成長期なりの活動を、安定期には安定期なりの活動を、崩壊期ならそれなりの準備が必要でしょう。

しかしそれが出来てないですね。
未だに昭和三十年頃のスタンスでいるんですから、致し方なしでしょう。

僕は今の創価学会という組織は「壊刧」に差し掛かっていると思います。
それは組織の新陳代謝と、昨今の公明党に現れている一連の行動。また活動家幹部という主軸の構成員達の言動から明らかです。

みな共通しているのは「組織利用」に他なりません。つまり出来上がった組織を利用することしか考えていないという姿から見てとれます。

さて、この「四刧」の流れですが、これは不可逆的なものです。

住刧から成刧にはならないし、壊刧は住刧に戻ることはありません。

これはつまり「壊刧」に差し掛かった創価学会組織は、今後成長することはなく、組織としては崩壊の方向へと進むことが決まったということ。

あとはタイムスパンの問題でしょう。
アクセンチュアという、信濃町界隈がコンサルティングファームに助言を求めようと、可能な事は崩壊の速度を緩めること位だと思いますが、どうでしょうかね?

空刧を迎えたら創価学会は消え去るのか?
いや、組織としては無くならないでしょう。
しかしそこにある姿は、例えば星の終演の姿の中性子星かブラックホールの様に、中心に向けた強力な求心力のもとで、全てを飲み込み破壊していく組織の姿かもしれません。

日蓮が起こしたは「日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は万年の他未来までもながるべし」と述べたように一つの思想潮流です。そしてこれはこの先も姿を変えて社会のなかに出てくるのかもしれません。

それは如何なる姿となって出てくるのか。

ただ言えることは、創価学会というのはそういう日蓮が起こした思想潮流の大きな一つのうねりでしかないということです。

池田会長は過去に「創価学会に尽くし抜く人生」を賛嘆してましたが、この「四刧」という事をしっかり捉えて付き合うことが大事なのではありませんかね?

まあ活動家幹部に、こういった言葉は通じないんですけどね。
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