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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20160330】師弟の遺伝子とやら

こんにちは(´・ω・`)

この記事は帰宅した夜中に書いています。
まあ本当はいつも通り、通勤途中でモバイル端末からブログを書けば良いのでしょうが、おそらく明日あたりは仕事も立て込み、朝方にはそんなに考えを巡らせられないと思われますので、深夜に家族が寝静まった頃に書く事にしました。

さてさて件の3名のブログ。
元創価学会職員3名のブログー4月2日の関西座談会に参加しようと思っていらっしゃる皆様へ

またまた更新していて、その事をわざわざ拙ブログで取り上げるのもなんですが、このブログ周辺の事なんかを読んでみて、少し考えるところがあり、今回は記事にします。
(別に宣伝しようとか思わないんですけどね。実際に僕は彼ら元出家とは行動を共にする事もありませんし、先方も迷惑でしょうから。)

この中で以下の様な記載がありました。ちょっと抜粋。

「師匠の仰せ通りの創価を取り戻す!」「民衆が主役の創価に変えていく!」
今の創価を憂う民衆の声を結集し、創価変革の端緒としていく座談会にしていきたいと決意しています。

件の3名は創価学会を一体いつの時代に戻したいのでしょうか?
僕が思うに創価学会の異常さというのは、淵源をたどれば会の創設当初からあるわけで、創価学会がここまで大きくなったのは、戸田会長が時代の潮流に乗った中で上げ潮を作った事が要因だと僕は考えています。



しかし急速膨張した事もあり、結果としては人材育成や組織整備などが追い付かず「礎のもろさ」が潜在的にあり、それが三代会長の時代の末期となって、表面の噴出してきたという事だと捉えています。

以前に僕も「過去の創価学会の方がまだマシだった」と考えていたのですが、創価学会の歴史などを詳らかに振り返ってみると、けして昔がマシだったという事ではなく、時代の中でそれほど顕在化してこなかっただけだと思えるのです。

そういう意味で件の3名は一体何時の時代に戻したいのでしょうか?
単に自分たちが未来部時代、問題がまだ潜在化していた時代の創価学会。未来部時代に考えていた組織に戻したいという事なのでしょうかね?

いまいち良く解りません。

あともう一つ。
件の3名の周辺で、同様に「3名の熱き理想??」にほだされた人たちもいる様ですが、そういう人たちは以下の様に考えていると見えます。

「どうやったら本部を疑わない大多数の学会員に疑問意識を持たせられるか」
「いかに真実を裏付ける根拠が重要か」

要は今の信濃町界隈の「悪事」を根拠ある証拠のもと白日の下にさらし、もって今の創価学会の活動家達を覚醒させようという事なんでしょうね。

でもこれはまったく「甘い認識」でしかなく、いかにも創価学会の現場を知らなさすぎる事だと僕は感じました。

まず第一に、創価学会の活動家幹部の人たちも、既に現場でさまざまな矛盾を感じたり見たりしているのです。しかしそれに対して何故目をつぶるのか、何故反旗を翻さないのか。
それは活動経歴が長ければ長いほど、そういった現実を自分自身が認めるという事がとても困難だからです。

「解っていても認めたくない、いや、認められない。だからデマなんだ(そうあって欲しい)」

そういった深層心理が働いているからこそ、あえて耳を貸さない。そういった事実が目の前にあっても、それを直視しないし出来ない。様々な「心理的合理化の理論」をもって心の安定をはかる。

そういった心の動きというのがある事を、どれだけ理解しているんでしょうか。

いくら「根拠」があったとしても、こういう表面には見えない深層的な事を考えると、そう易々と今の創価学会の活動家たちが雪崩をうって「反信濃町界隈」に代わる事は無いでしょう。

まるで「アラブの春」の様に劇的な動きを夢想しているんでしょうが、そんな事は起きないと僕は考えているのです。

そして第二に、もし「根拠」を示して活動家幹部に知らしめたとした場合、そこで起きる思想的混乱と会員たちの中に発生するであろう「心理的に不安定な人たち」をどれだけ彼らは受け入れる気構えがあるのでしょうか?

僕も彼らほど大風呂敷を広げている訳ではありませんが、創価学会の事実を懇談的に話をしてきました。しかし話をした人たちの中では高い確率でこういった人たちが現実に居ました。
「信じていたものが足元から崩れだす」
そういった人たちを単に「(今まで創価学会が言っていた)師匠の慈悲の言葉」で対応できると無邪気に信じているとすれば、あまりにも浅慮であるとしか言えません。

いまの創価学会は過去に比べて「カルト臭」が増しているのです。
その様なカルトの団体というのは、「革命的」に変革できるというほど根が浅い問題ではないと思いますが、そういった事は考えていないんでしょうね。

何故社会の中で「カルト宗教」が大きな問題となっているのか、そこにはこの様な根深い問題があるという事を本来は理解したうえで行動を起こすべきではありませんか?

またそうであれば行動も違ってくると思います。

と、、、ここまで書いて思ったのですが、考えてみれば件の3名も、そのカルト集団の中核に生きていたわけであって、その周辺の人たちも同様です。
であればそういった事を理解する事を求めるのも酷なのかもしれないですね。

このブログでは前の記事で「四劫」の話をしましたが、今の創価学会は全てが壊れ始めている「懐劫」を迎えていると感じています。そしてそれを一番実感しているのは、実は信濃町界隈の中枢だと思います。だから外部コンサルを入れて、何とかそういった壊れて始めている組織でも「収奪」できる組織の在り方を模索しているのではないでしょうか。

「懐劫」が果たして「成劫」や「住劫」に逆行して戻る事があると思いますか?
「懐劫」を迎えたならば、やがて一度は「空劫」を経ない限り、新たな息吹というのはあり得ないでしょう。

そして組織が「空劫」を迎えても残るもの。
それは日蓮が述べている「日蓮が慈悲広大ならば」とある様に、その「志」でしかありません。そうであれば今の時代、組織的な問題とか俗人的な指導者幹部の姿など指摘するのではなく、もっと根本的な処に立ち返る事こそが重要なんではないでしょうか?

以上、殴り書きしてみましたが、これは飽くまでも僕個人の私見なので、無視して頂いてもかまいませんし、放っておいてもらっても結構です。

所詮は個人的な戯言かもしれませんからね。

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