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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20160413】戦うということ

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

自分の事ですが、今の職場に十年ほどいます。だからパートナー社員といえども、並みの課長よりも業務に詳しくなってしまい、他部署にも何故か名前が広まっています。

たまに全く知らない部署の人から電話やメールがあったりしたりして。

だからストレスが半端ありません。
本来ならば社員がする判断すら求められたり、しかもその判断で全国規模でサービスの販売内容にも影響が出ることがあるのですからね。

だから今日の朝は疲れて起きれなく、午前半休していま出勤中です。

今日はやることがあって、特に休めないんですよ。( o´ェ`o)

さて本題。
過去に時任三郎の「24時間戦えますか」という某スタミナドリンクのCMがありました。
Twitterの方でもレスを頂きましたが、やはり社会とは「戦いの場」なわけです。
戦いである以上、勝利と敗北、そして勝者と敗者がいます。



創価学会の中でも僕自身、四半世紀に渡り「戦い」を叩き込まれてきました。
選挙の「戦い」、折伏の「戦い」、結集の「戦い」、新聞啓蒙の「戦い」などなど。

常に「常在戦場」とばかりに、ひたすら「戦い」に興じてきた四半世紀でした。

まあ社会のなかでは富の争奪戦と言っても良く、各企業はおのが会社の利益確保の為に凌ぎを削り会います。これは営利組織として企業が存在するから、当たり前の話です。

勝てば儲かり利益が上がり、それは従業員に還元され、社会にも還元されます。
しかし負けてしまえば損害が発生、場合によっては経営者の財産もむしりとられてしまいます。

では創価学会は何に対して「戦い」をしているのでしょうか?
こういう質問を活動家に対して向けると活動家の多くは答えるでしょう。

「活動を通して自分自身の中にある弱い生命、また魔の生命を断ち切るんだ。そしてそれこそが求める勝利なのだ」

過去に永遠の指導者は釈迦や日蓮を「勝利者」と呼んでいました。
つまり自分自身に打ち勝つ事が出来た人。そして仏法の仏とはそういった自分自身に打ち勝ち、人生に勝利をした人なのだと。

この解釈、少し聞くと「なるほどなー」と思いますが、実際に例えば仏の備える三十二相という事を見ても、また十号の内容を見ても、実はそこに「大勝利者」という様な記述は見当たりません。
つまりこの「仏とは勝利者」という解釈は、創価学会としての解釈であり仏法一般で考えられているものではないという事ではないでしょうか。

確かに始成正覚という立場(この時代で仏になった)という事で言えば「降魔」というシーンもあったりするので、そこで「魔に打ち勝った勝利者」という解釈もあるでしょう。
しかし久遠実成(本来、仏であった)という事で言えば、そういった「勝利」「敗北」を繰り返しながら、久遠の昔から現在までの間に生きているという姿であり、そこに「勝利者」という側面はあるかもしれませんが、それがすべてではありません。

「勝つことは愉快」「勝ちまくれ!」
この様な言葉で創価学会は会員を扇動しますので、そこで活動する人たちの傾向としては「勝他(他に勝る)」という傾向性が極めて強くなります。
この事は創価学会の中で幹部と言われる人たちの人物像に良く表れてきます。

そういう活動を日常的に行っているので、社会の中で企業戦士として戦えば、より企業の活動にマッチする事でしょうし、そこで会社から信頼を勝ち取るという事も多いはずです。
特に幹部になれば、数字を負うことには鋭敏になりますからねー。

この事は創価学会でいう「社会の中で実証を示す」という事にもなるのでしょう。

しかし結果として「勝他」に走ると、そこは「修羅の世界」に通じます。
修羅とは勢いある時には帝釈天をもしのぐ勢いと大きさになりますが、敗北してしまうと「無熱池の蓮の葉」の影に隠れるほど小さくなります。

創価学会でもこういった大幹部、結構いませんか?
それこそ「修羅の世界」の姿だと思います。

確かに生きていく事は「戦い」です。
そこには常に「勝つ事」もあれば「負ける事」もあります。

僕は「戦い」という事は否定しません。人生の姿は「戦い」の連続であるからです。
しかし本来仏法が求めるのは「戦い」から「勝ちまくれ」という様な、勝利に貪欲になる事ではなく、その「戦い」を通して人生の真理の一部でも学ぶ事ではないかと考えています。

何故ならば、人生とは「学びの場」だからです。
生命とは久遠の昔から未来永劫に向けて「生死」を繰り返していくものです。
しかしそれは「歴劫修行」というものではなく、生命がその中で様々な事を学んでいく事が、目的の一つなのではないでしょうか?

では何故そうなのか、その先にあるものは??
それを考える事は「宇宙の果てはどこにあるのか?」の質問に近いかもしれませんし、今の僕には解りません。

ただ限りある人生を、ただ貪欲に「勝利」を求めるのは時間の無駄ではないかと思いますよ。

今の創価学会では参議院選挙で、もしかしたら衆参ダブル選挙かもしれないという中で、「ビクトリーグループ」だ「友好拡大」だと駆けずりまわっています。

そんな事は人生の時間の無駄ではないでしょうかね?

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