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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20160511】勤行について考えてみた

こんにちは( *・ω・)ノ

職場ではクールビズが始まりました。
今日なんかは南風が強く、湿度も高い陽気なので、背広の上着は着てません。
暦の上では夏になり、これから暑い日が増えるのでしょう。

さて、考えてみたら活動を止めて十年は過ぎました。
この立場になって、よく聞かれるのは「勤行はしていますか?」という事です。

まあ普通に考えると、学会活動を止めたのだから勤行もしてないだろうという事かもしれませんし、特に訪問してくる幹部は必ず聞いてきます。

最近の僕は五座三座の勤行をしています。
ただし御祈念文に関しては若干カスタマイズしていますが。

いまから十二~三年前からでしょうか、いわゆる「二十一世紀勤行」という、簡略化した勤行が始まったのは。

勤行を五座三座やると、朝は三十分、夜は二十分、時間が取られます。しかし簡略化したらそれぞれが五分程度で終えられます。
だから当時の男子部幹部は時間の短縮化もあり、多くがこの簡略化した勤行を受け入れました。

何と言っても活動に深夜まで取り組むと、やはり朝の三十分は大きな負担だったのでしょう。
みな「SGI勤行だ」とか言って、勤行の時間を減らしました。

まあ勤行の時間を減らし、簡略化することは時代の在り方として有りかと思いますが、それと共に勤行の意義自体、この事で忘却されてしまったのかも知れませんね。

今の青年部の活動家は、勤行の意義をどれだけ知っているのでしょうか。「長行」も読誦出来ないのではありませんか?

今回はその「勤行」という事について少し書いてみます。

まず勤行の成り立ちです。
創価学会の中ではこの勤行の形式を決めたのは牧口会長だという説も以前は流れていました。まあ在家信徒としてどう取り組むのかは確かに牧口会長が決めたのかもしれませんが、本来は大石寺の僧侶の勤めの内容から五座三座の形式が決まりました。

僧侶達は朝晩に場所を替えて読経唱題をしていました。詳しいことは今は解りませんが、御影堂や本堂など、それぞれ場所を替えては朝晩のお勤め(読経唱題)をしていたんですね。五座三座の「座」というのは場所を意味していました。

朝は五つの場所で、夜は三つの場所で、それぞれ行っていたから五座三座という形式が決まったと云います。

創価学会の創々期では、五座三座それぞれで方便品寿量品(長行)とお題目百篇やっていたので、朝はどんなに急いでも一時間はかかっていたそうで、それでは社会生活をする在家信徒は苦しいと、当初の五座三座の形式にしたと云われています。

さてさて、この勤行ですがやはり修行なので、それぞれの座に意味があったわけで、けして無意味な形式ではありません。

 初座、諸天供養
 二座、本尊供養
 三座、三師供養
 四座、広宣流布祈念
 五座、先祖供養

まあざっくり言えばそれぞれに、こんな意義が込められています。朝はフルの五座を行い、夜は本尊、三師、先祖供養だけとなります。

なぜ僕がこの五座三座をやるかと言えば、それぞれの意義は大事だと思うからです。
やはり祈念だけやるよりも、それぞれに経典を読み、お題目を唱えるのは、自分自身の心の中にしっかりとした「祈り」というものを植え付けられると考えたからです。

またこの五座にはそれぞれ意義を僕自身、見いだしているからです。

ではどの様な意義なのか、僕なりに説明をしてみますね。

まず初座ですが、これは「諸天供養」ですね。僕は諸天という存在は人々の心の奥底にある「善性」と捉えています。
過去の人達はこの事を擬人的に様々な「神」として表現してきました。
大梵天王や帝釈天王、天照大神や八幡大弁もそうでしょう。

この初座では、この世の中に生きている人々や普遍すればすべての存在に宿る善性に対して祈念をしていると思います。

かのカール・グスタフ・ユングという心理学者は、人々の心は奥深いところで繋がりを持ち、交流していると述べていました。だから朝一番に東の空を向いて祈念するという形式的な祈りは、そこに通じていると思いますし、意義があることと思うのです。

全ての存在の善性を心に浮かべて、そこに祈りを捧げることは、とても重要な事なのです。

続いて二座、本尊供養です。
本尊とは「根本尊形」の事ですが、自分が大事だと考えている形に対して、しっかりと向き合う意義があると思います。
だから二座では寿量品の長行を敢えて読み、供養という形を取っているのでしょう。

三座は三師供養。
三師とは日蓮・日興・日目という、まあ大石寺の元祖に対する人たちへの感謝を供養という形で表しているものかと思います。
実際にこれら三師がどの様な関係で、どう戦ったのかはあるでしょうか、この三座は三師に限らず、先輩諸氏に対する感謝の意義を三師を対象として現す意義があると思います。

四座は広宣流布への祈念です。
広宣流布とは、この社会の中へ仏法を展開し定着させる活動です。
この事から社会との関わりを決意する祈りの意義があると思います。
「その他、祈念がある場合、ここで行う」というのはこの為ですね。

最後の五座は先祖供養です。
この考え方はとても日本的ですが、自分達がいま存在するのは、やはり両親を始めとして先祖の人達の努力があった為であり、そこに対しての感謝の意義があると思います。

以上、簡単ですが五座のそれぞれの意義について書いてみました。

最近スポーツの世界で話題だった五郎丸選手や角界の琴翔菊。この両者で共通していた事に「ルーティン」という事がありました。まあ大事な勝負の時に取る決まった行動の事ですね。

それをすることで平常心を持ち、本来あるべき実力を発揮するための行動とも云われています。

朝晩の勤行というのは、ある意味で信仰者にとっての「ルーティン」だと思いますが、いかがでしょうか。

出家者や職業宗教家は知りませんが、社会で根を張り、生きていく信仰者に取っては日々が何かしらの戦いの場と言っても過言ではないでしょう。

その為に信仰という角度からのルーティンとしての勤行は、やはり大事な事なのかもしれません。

ここをお座なりにすると、結果として社会の中の活動が乱れてしまうという事があるのかもしれませんね。

勤行は「化義」であり形式です。
しかし形式をとって、常に意義を確認し、それをルーティンとして日々生きていく。
そこに重要な意義があると思うのです。

創価学会は今では何の団体なのか解らなくなりましたが、その理由のひとつに勤行を軽んじてしまったという事があるのではないでしょうか?

再度この点に付いては、活動家の一人一人は見直してほしいものですね。
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