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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20160513】組織化のジレンマ

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

もう今週も終わってしまいます。
そんなこんなしているうちに、もう六月にもなるのでしょう。

僕はサラリーマンではないので、来年の今は何をしているか、解りません。
ただ必死に生きているという事だけは確かだと、常々自分に言い聞かせながら、日々の仕事に取り組んでいます。

「もし七十五万世帯の折伏ができなければ、私の亡骸は品川沖の海に投げ捨てよ!」

戦後の創価学会は、第二代戸田会長の熾烈な叫びから始まりました。そして戸田会長は言葉通り七十五万世帯以上の組織を構築し、亡くなりました。

その後を継いだ池田会長は、戸田会長が亡くなった後も戦い続けて、三百万世帯から八百万世帯まで組織を膨張させ続けたのです。

「私の命よりも大事な組織」

この言葉は両会長の言葉ですが、今でも言われ続けていますよね。
今の創価学会は活動家の減少傾向に歯止めが掛からず、いくら「折伏だ!拡大なんだ!それが広宣流布なんだ!」と信濃町界隈がアジテーションを挙げようと、組織末端の現場では活動家が減り続けています。

「Mさんは冴えないよねー。だって未だに支部長だよ」

これは僕が壮年部に移行した頃、男子部で先輩だったS圏書記長の言葉でした。

このSさんが云うMさんも僕の先輩で、男子部時代の最終役職は分県書記長。書記長のSさんは男子部当時本部長でよく絞られていたのを見てました。

このSさんですが、圏幹部時代にある壮年総県幹部に気に入られ、青年部最終役職は総県青年部長。壮年部には支部長で移行したのですが、トントン拍子に役職は上がり、当時では圏書記長となってました。

「何を言ってんだ?この人は」

しかしSさんの顔を見ると、本当に尊大な表情を浮かべ、僕に言いました。

「ほら、僕がさ、男子部の時なんてよくMさんに詰められたけどさ、今は立場が逆なんだぜ」

あー、この人も実に下らない人間になってしまったもんだと、当時の僕は呆れながらも苦笑いしてました。

婦人部はどうなのか、そこは解りませんが、壮年部には役職(立場)への拘りは結構あります。これは役職が上がれば上がるほど目につくことです。

僕が創価班当時、四者の分県幹部会の檀上役員の責任者をしていた事がありました。
この時に気を使ったのは副県長クラスの席次表です。

「何故俺が○○の下座なんだ!今日の運営責任者は誰だ?」

良い年こいた壮年幹部が会合が終わってから役員室に来て怒鳴ることは度々ありました。つまり役職は同じ副県長でも、そこには序列がしっかりある訳なんですね。

お前ら共産党幹部か?

いつもはにこやかな表情で座談会なんかで、さも人格者らしく振るまい、口を開けば池田先生は~なんてやってる姿からは想像も着きません。

そんな事も幾度か思ったことかありました。まあ口には出さずに、形上は謝ってましたけどね。本当に下らない思い出です。

男には「立場を得て認められたい」という欲求が強くあります。これは僕でも持ち合わせていますのて否定はしません。

そういう人たちに取って、創価学会の組織というのは、欲求を適度に満たしてくれる存在でもあるのです。

なまじ大きな組織になり、それこそ地方議員や国会議員を出している組織なので尚更の事なのでしょう。

こういう人は組織に依存してしまい、よく内弁慶的な性格が強く前面に出てきてしまいます。

外には弱く、内には強く且つ尊大。

まあ零細町工場の従業員も、創価学会の中では沢山の会員にかしずかれ気を使われ、○○長なんて言われてしまうものですから、致し方ないですね。

以前に小林まさのり氏の漫画「ゴーマニズム宣言」で薬害エイズの運動の事が書かれていました。
そこでは組織活動により自己実現を図ろうとする学生たちに辛辣な言葉がありました。

「現実に帰れ!社会の中で生きろ!」

当初の薬害エイズの支援活動は、純粋な被害者支援だったそうですが、それがいつの間にか集まる学生の中で「活動から本当の自分を見つけた!」とか「この活動を通して成長出来た!」みたいな傾向が強くなり、いつの間にか組織に依存する若者が増えたことからこの発言になったようです。

本来、組織の目的と云うのは何かしらの人々の支援であるはずが、気がつけば組織運営が目的に成り代わることはよくある話です。この傾向が出ることは創価学会とて例外ではありません。

そしてそこには組織への依存が出てきますし、ドグマ的な事から組織への縛りも強くなるでしょう。

今の創価学会は、そういった事から成り立っていると言っても過言ではありません。
創価学会や公明党が幾らおかしな事をしても、その問題の本質から目をそらす会員が多いのは、奈辺に原因があると思います。

「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(佐渡御書)

ここで日蓮が云う師子王というのも、組織に縛られない独立独歩の人を指しているのでしょう。

果たして広宣流布を行う組織は大きな組織である必要があるのか?
よく云うではありませんか。舎衞の三億という説話から三分の一の勢力とか。

そんな巨大な組織は不要だと思いますよ。

広宣流布が思想戦であるならば、それの実行組織は緩やかな繋がりのコンパクトな組織で十分でしょう。例えるなら幕末の松下村塾のようなものでしょうか。

かの塾は極めて小さな私塾でしたが、明治維新の思想の中核でした。塾生はここで学んだことを元に、それぞれが維新へと身を投じていきました。

だから創価学会も巨大化する必要は、本当はなかったはずです。
思想戦であるならば、そこで学んだ事を元に、一人一人が社会の主役になれるよう、屹立した人間であるべきなのです。

「功徳や福運がなければ、会員は動かないですよ」

こんな言葉もありますが、本来その様な会員なんかは必要ないわけです。極論を云えば。

思想の団体であれば屹立した信仰者が緩い繋がりを持てる組織でも十分でしょう。

何故戸田会長は組織を巨大化したかったんでしょうね?

でも結果として組織を膨張させたから、様々な組織依存を産み出してしまい、結果としては人間性をその組織が抑圧するというジレンマを産み出してしまいました。

そんなところではありませんか?
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