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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20160607】創価学会奪還なんて意味あるか?

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

先日の土曜日に、横浜の地で件の元職員三名が、小林節教授を呼んで、安保法制反対と信濃町界隈を糾弾する会合を開いてましたよね。
結果としてどれだけ集まったのか、そして彼らは何をしようとしているのか?
そもそもですが、彼ら元職員達は、どこから収入を得て、あれだけの行動が出来ているのか、とても不思議です。

また以下のホームページも何だか立ち上がりましたよね。

SOKADAKKANのホームページ

この人たちに共通するのは、以下の考え方でしょう。

三代会長の、池田先生の、「創価学会」を取り戻そう!

この思考ですが、実は何も新しいことではなく、昔から言われ続けていることを、一体どれだけの人が理解しているか、たまに不安になります。

僕が青年部時代にも、創価学会の組織に不満を持つ人、反感を持つ人の大半は同じことを常に言ってました。

「池田先生はご存じのはずだ」
「池田先生のお心を側近幹部は知らない」
「悪いのは池田先生ではなく、幹部たちだ」

まあこんな感じでしょうか。
脱会した人たちの中にも、この様な思考を持っていましたし、脱会せずとも組織から離れた人のなかに、こういった思いは多くありました。

以前にもこのブログで記事にしましたが、僕が非活になりはじめの頃、ある先輩が僕の事を心配して訪問してきました。

この先輩も組織から降格人事を受け、やはり活動から身を引いていましたが、この時の先輩の台詞がこうでした。

「今の組織は官僚化して人間味が無くなってしまった。幹部たちが池田先生の心を解らないからこうなっているんだ」

それに対して当時の僕は答えました。

「いや、これは池田先生がどうとか、組織の官僚化という前に、創価学会の思想性にこそ問題があるのでは?」

この考え方は今でも変わらずで、個人的に様々な情報を付き合わせてみた現在、よりこの事に確信を深めています。

昭和後期の頃の創価学会では、池田名誉会長に対する思想的な依存度はかなり高くなっていました。
僕が男子部に成りたての頃は、池田名誉会長の事について先輩に質問をすると「池田先生とは信心の大先輩だ」と教わりました。
まあ当時は宗門と共にあったので、御法主猊下は信心の師匠、池田先生は人生の師匠とも言われていました。

しかし現在に至っては、創価学会歴代三代の会長は「永遠の指導者」であり、創価学会の信仰とは三代会長(池田名誉会長)と師弟不二と教えています。

そんな組織に成ればこそ、やはり組織に様々な矛盾や異常さを見たときに「池田先生は悪くない」という思考が安直に働き、悪いのはそれこそ秋谷議長や原田会長、谷川副会長等だという論点に陥りやすく、そこから「不逞な信濃町界隈から池田先生の描いていた創価学会を奪還するんだ」という様な思考へといってしまうのでしょう。

そしてそれこそが「池田門下の本門の弟子としての使命だ!」とかいう言葉も出てきたりして。

僕は違うと考えますよ。

確かに今の信濃町界隈は救い様の無い宗教貴族達が蠢いています。しかしこの信濃町界隈を育て作り上げたのも、まさしく池田名誉会長に間違いありません。

簡単に云えば、池田哲学が今の信濃町界隈を育成したわけですね。

何故、皆がそういう視点に立てないのか?
それは信じていたモノへの執着とも云えます。

僕の場合、この「信じていたモノからの離脱」は第二次宗門問題の時に経験しました。

それまでは先輩からも事ある度に「富士の清流年」と教えられ、法灯連綿の正しい教えだと日蓮正宗の事を教えられ続けてきましたが、蓋を開けたらそんなものは大嘘だったわけです。

では何故、池田名誉会長がその代わりとなり、その哲学性が絶対正義であり得るのか。

広宣部で宗門や顯正会との対論の中で培われたのは、実はそういう思いでした。

「池田名誉会長の膝元が一番危うい」
「最後は必ず信濃町界隈が問題となる」

その事を常に考えても居たので、やはり問題が眼前に見えてきたとき、浪花節の師弟論ではなく、創価学会の歴史の「事実」を追い求めることに主眼を置くことも出来たし、教学的な視点で考えるべきだと考えもしました。

また「創価学会は発迹顯本すべきだ」と池田名誉会長が言ったとありますが、何故、発迹顯本が池田名誉会長への回帰になっていくのか、僕には理解できません。

もし池田名誉会長がその様に言ったのであれば、極端な話、活動家幹部達は池田名誉会長の哲学や思想から飛躍すべきであり、いつまでも未練たらたら、過去の池田名誉会長の綺麗な言葉や箴言にしがみつく必要なんて無いでしょう?

日蓮が述べた発迹顯本とは何か。
それは従来の釈迦仏教といわれたものからの飛躍であり、ある意味で云えば訣別でもあった訳です。
発迹顯本とは、より釈迦仏教への回帰とも言えるし、そこには従来無かった発想と行動でもありました。

しかし今よくいう「創価学会の発迹顯本」とは、云わば単なる池田名誉会長への回帰でしかないですよね?

何が発迹顯本なんでしょうか?
そしてそんな原点回帰の先に一体何があるのか?

池田名誉会長が今の創価学会や信濃町界隈を作り出したのは、誰もが認めるところであり、そこへの原点回帰は同じことを堂々巡りさせるだけでしかありません。

創価学会のオカシさに気付いたならば、足元を見るのではなく、目線をもっと上げて視野を広げるべきでしょう。

創価学会奪還。

そこには何ら意味あるものなんてありませんよ。
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