忍者ブログ

想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20160619】「異体同心」と「分派活動」について

こんにちは(´・ω・`)

いやー、仕事で大トラブルに見舞われてしまい、毎晩深夜帰宅となりはじめ、日々憔悴の中、本日は久しぶりの息抜きの一日でした。

もう若くも無いので、何かと疲れが溜まってしまい、どーしよーも無い感じですね。

さてそんな中、彼の創価学会お抱え元官僚、佐藤優氏の話で面白い言葉を見つけたので、この言葉から今回は少し考えてみたいと思います。お時間のある方はお付き合い下さい。



佐藤優氏の事は、あえて詳細を述べるまでも無く、とても有名な人ですね。
「外務省のラスプーチン」と呼ばれていた人で、外務省のノンキャリアの専門職として仕事をしていた人で、かの鈴木宗男氏から先の仇名をつけられたそうですが、まあとても頭の切れる人物です。

創価学会では過去に様々な人を擁護する言論人として抱え込み、聖教新聞や各種会合などに呼んでは、その言論人の「威光」を借りて創価学会を正当化する力として来ました。

ここ最近ではこの「佐藤優氏」を創価学会は重用し、彼の氏も創価学会を「優良なスポンサー」と考えてか、様々なリップサービスをしています。

創価学会の出版部門の外郭企業「潮出版」のウエブサイトに、この佐藤優氏と芸人のナイツの対談が掲載されていました。ご覧になった方もいるかと思いますが、一応、URLを以下に紹介させて頂きます。

作家・佐藤優氏✕芸人ナイツ スペシャル対談
今を生きる幸福論「第七回 平和安全法制と創価学会」
http://www.usio-mg.co.jp/archives/1458/2


恐らく活動家幹部などは、このウェブサイトを読み込んで、参議院選挙のF取りに奔走している事なんでしょうね。まあ潮出版社を介して創価学会の思惑がそこに見えてしまう様な対談ですが。

ここで少し佐藤優氏の発言内容について確認をしてみたいと思います。

「平和安全法制に反対するのも、デモ行進に参加するのも個人の自由です。公明党支持者であろうが創価学会員であろうが、個々の政策への評価は人それぞれでしょうから。議論は自由にやればいい。
ただし、それはあくまでも自分の判断でやるべきことです。
ところが一部の平和安全法制反対派は、しきりに「公明党は池田先生の考えに反している」などと、主語を池田SGI会長にするでしょう。「池田先生だったら絶対こういう判断はしない。いまの創価学会執行部も公明党も判断を間違えている」。こんな言い方はキリスト教徒の私から見れば「宗教的分派活動」そのものです。」



ここでは佐藤氏は「反対するのも、デモ行進に参加するのは個人の自由」という大前提をしています。つまり自分自身の判断としてやることは構わないんだという事です。
しかしその根拠を「自分の判断」ではなく「池田SGI会長の言葉」を根拠とした場合には「宗教的分派活動」になってしまう。そこが問題だと言うのです。

ここで佐藤氏は「キリスト教徒の私から見れば」と言っていますが、この言葉を見た時に、佐藤氏の考える信仰と政治の関係が見て取れます。
つまりキリスト教においては「宗旨としての理念」と「個人としての理念」は分離しているものであるというのでしょう。

だから創価学会の会員が、自己の主張をするのに、その宗教の「教主」たる「池田SGI会長」の過去のご託宣を持ち出すのは、罷りならない行動だというんですね。

いやいや待ってくださいよ。
キリスト教に於いても、例えば「中絶反対運動」などを行う人間とか、あとはいまのIS(イスラム国)との戦いの根拠の一つとして聖書の言葉を使ってませんか?

そしてキリスト教圏においても、それらの行動が宗教の中では議論を起こしていますが、それは果たして分派活動と指摘される事なんですかね?

この記事では「主語を履き違えている」と言いますが、少なくとも創価学会の活動家達は、過去の池田会長の「ご託宣」によって日々の生活を行っているのですから、ここでそんな指摘をしても、そりゃ無茶な事だと思いませんかね?

恐らくこの佐藤優氏の発言の裏に隠れているのは、信濃町界隈の思惑であり、要は創価学会という組織を巻き込むことはせずにヤれという、まあ宗教貴族都合の主張なんでしょう。

過去に正木前理事長は、池田会長のカリスマ性に依存して組織の結束を図ることを考えていたようなので、そのカリスマの主体である池田会長の過去の発言の矛盾点を突かれることに、今の信濃町界隈は組織分裂の危機を感じているのでしょう。

全くもって阿呆な話ではありませんか。

でもまあ僕なんかは思うわけです。
生きている思想・宗教であれば、こういった議論は組織内で大いにやるべきであり、むしろ「異体同心」等といって、そういった事に「付和雷同」を求め、指弾するというのは如何なものかと。

そんなことで分裂してしまう宗教が、果たして世界に受け入れられると思いますか?

世界の人達の多様性なんて、国内の創価学会の比では無いでしょう。

そんな世界の中に「我々は世界宗教を目指す」というのであれば、こんな事でわざわざ御用ライターを持ち出して、そんな下らない論説を出すこと自体、ナンセンスです。

よく創価学会では「異体同心」と、組織の人間であれば皆が同じ考えに立つことを求めますが、これも単語の使い方が間違っているというものです。

日蓮が「異体同心」を語ったのは、多勢に無勢の日蓮門下の中で、兎に角、迫害の打ち続く状況を乗り越えるために語った言葉です。

しかし今の創価学会は、政権与党にも与して、組織内の不穏分子には査問や除名を言い出しているような組織であり、国のあるべき方向性も「権力側」に都合よく誘導するような組織です。

こんな組織で「異体同心」なんてあり得ますか?
あるのは単なる「付和雷同」でしかありません。

むしろ今の創価学会に必要なのは、それこそ分派活動とも思えるくらい、教義や思想に対する議論であり、そこから出てくる普遍性を持った思想なのではありませんかね?

まったく芸人・ナイツを使い、しかも太鼓持ち作家の佐藤優氏を利用して、一体何をやっているのかと、僕なんかは呆れてしまいました。

こんな低レベルな事で良いんですかね?
「本門の池田門下」の皆さん達は。

よくよく考えて欲しいものですね。
PR

プロフィール

HN:
運ちゃん
性別:
非公開

フリーエリア

バーコード

ブログ内検索

P R

忍者アナライズ

カレンダー

11 2017/12 01
S M T W T F S
1 2
3 4 6 7 9
10 16
18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

最新コメント

[10/21 中]
[05/03 NONAME]

忍者カウンター

Copyright ©  -- 想学談林-管理者の部屋 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]