忍者ブログ

想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20160620】学会の功徳なんていらない

こんにちは( *・ω・)ノ

梅雨本番で湿気が凄いですね。
こんな時期だから食中毒には気を付けなければいけないと思いながら、その辺りは嫁任せにもなってます。

あと一月位で梅雨が明けて夏本番になっていくんでしょうが、そういえば東京都の水瓶は大丈夫なんですかね?

「選挙の戦いは功徳が大きい」
こんなことをいつ頃から言い出したのか、よく解らないのですが、今の創価学会でこの指導は定番になってます。

僕の記憶によれば、選挙戦なんて組織の消耗戦でしかなかった筈が、いつの間にか功徳満開の活動の柱になってしまっています。

そもそも創価学会では「功徳」といって、これは御利益とおんなじであり、詰まるところ願望成就の実証を言ってます。

先日も地元の幹部か来て「功徳が無いと会員も動きませんよ」「運ちゃんだって功徳が欲しいでしょ?」と言ってたことは、このブログに書きました。
僕は「創価学会の云う功徳なんていらんわ!」と言ったのですが、幹部は苦笑いしてましたね。

まあ人間生きていれば苦悩は付き物で、逆に苦悩の無い人は居ないでしょう。苦悩には高低浅深ありますし、同じ事象であっても受ける人により苦悩は様々です。

例えば同じ借金の苦悩があるとしましょう。
それが一千万の借金だとして、経済的な力がある人にとっては大した苦悩にはならないと思いますが、それこそ日々の食べる事に苦しんでいるような人に取っては、それこそ首を括らなければならないほどの苦悩となります。

「人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり」
(曽谷入道殿御返事)

人に取っては単なる水も、天人にとっては命をつなぐ大事な甘露として見ると、ここで日蓮は述べ、果報に従ってとあるように、人が生きているなかで、置かれた立場で同じものでも見方が異なることを、ここでは述べています。

本来の仏教でいう「功徳」とは「六根清浄を得ること」を言いますが、この六根清浄とは物事のありのままの姿を見抜く感覚と言っても良いでしょう。

先に日蓮の述べた「果報に随がいて」とありますが、目の前の出来事や様々な姿を、しっかりと捉えられる人にとって、ただの水であっても、それは命をつなぐかけがえの無いモノと写るように、この人生の様々な事象を、やはり人生の瞬間瞬間のかけがえの無い出来事として捉えられるか、そこが大事な事なんですね。

これが本来の功徳の有り様かと、最近の僕は考えているわけです。

そこに比べたら、やれ就職が出来たとか、給料が増えたとか、ましてや彼女ができたや不倫相手が見つかったなんて、一時の事で喜怒哀楽振り回されていたら、それこそ時間の無駄だと思いますよ。

そらまあ確かに「初心の功徳」とかいう事で、そういうラッキーな事を喜ぶことは大事かもしれません。しかし長年にわたり御本尊をたもった人が、そんな事で一喜一憂してどうするのかと思ったりもします。

いま創価学会では近づく公示に向けて、活動家達はF取りやZ確認に奔走していることと思います。そしてその原動力は「創価学会の求める功徳」なのかもしれませんが、いまの日本社会はそんな事を求めている状況なんですかね?

もっと大事なことに目を向けて、意味ある人生を送ってほしいものです。
PR

プロフィール

HN:
運ちゃん
性別:
非公開

フリーエリア

バーコード

ブログ内検索

P R

忍者アナライズ

カレンダー

11 2017/12 01
S M T W T F S
1 2
3 4 6 7 9
10 16
18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

最新コメント

[10/21 中]
[05/03 NONAME]

忍者カウンター

Copyright ©  -- 想学談林-管理者の部屋 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]