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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20160722】心の本質と叶わぬ祈り

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

関西は酷暑で関東はじっとり雨。
どっちも嫌ですが、敢えてどっちか選べというなら酷暑を選びます。
これだけじっとりしていると、頭の中までカビて来そうな感じですからね。

さてさて東京は都知事選挙真っ只中。
有力三候補のうち、都民は誰を選択するのかとても興味がありますが、本来、首長選挙は自由投票であるはずの創価学会が、増田候補を支援しているというのも変な話だと思いました。
舛添前知事も自公推薦で、今回の増田氏も自公推薦。
果たして都民はそれで納得するんですかね?

あ、そうそう。
この事、創価学会の活動家はどう考えているんでしょうね。

まあ政治の話は脇に置くとして。
「祈りが叶わない」とか「祈ってた結果と違う」なんていう話がちょくちょくあるので、こう言った事についての雑感を今回は書いてみたいと思います。

そもそもですが、御本尊(文字曼荼羅)は祈りを何でも叶える道具ではありません。それと同様に御題目もおまじないでは無いのです。
戸田会長は「幸福製造機」と呼んでましたが、それは単なる比喩としてでしょう。

この事はこのブログの中で様々書いてきました。

華厳経にもあるように、人とは恒に心の中に心象風景を持ち、それが周囲の環境を作り出していると言います。
法華経にある一念三千の法理も同様で、十如是にはこの事が細かく書かれています。

この思想は欧米にもあり「神との対話」という書籍の中にも同様にあり、そこには人は常に創造する存在だとありました。
同じく「ザ・シークレット」という本の内容もそれに関する事が書かれてます。

そう考えると人とは物凄い存在だと思うのですが、現実には人生を不如意に生きている人が大半であり、誰もが思い通りの人生を生きている訳ではありません。

実は人生の多くの苦悩はここから始まっているのかもしれませんね。

何故人は人生を不如意に感じてしまうのか。そこはやはり「思う通りに生きられない」という実感が付きまとうからだと思います。

必死に働き少しでも豊かに過ごしたい。しかし現実には薄給で爪の上に灯をともす様にしか生活が出来ない。
健康で生きていきたいが、次から次に病に襲われてしまう。
人間関係をより良くしたいが、なぜかいつも拗れてしまう。等々。

人が日常で考えている事は様々です。
まあ上げたらキリがありません。

「人は願望を叶える力があると云うが、そんなの嘘っぱちだ!何故ならこれだけ不如意な人生なんだから!」

日常で思う事と違えば、こういう言葉も当然あると思いますが、ここで考えて欲しいのは、普段様々な事を思う「心」とはどんなものなのか、「自分」とはどんな存在なのかです。

人は常に「意識」して生きています。
ちょっと仏法的に語るなら、「眼耳鼻味肌」といった感覚識(五識)から入る情報により、自分がどこにいるのか、そしてこれから何を為して、その先に何を見るのか。

こう考えることを「意識」と言います。これは六識ですね。

しかしこの「意識」の根本には「自我」というものが常に存在していて、自分と他者の違いというのを常に捉えています。この心、自我ですが普段から意識して生きている人は殆ど居ないでしょう。

「コギト・エルゴ・ズム(我思う故に我あり)」とは「方法序説」で哲学者のデカルトが至った結論ですが、日常の中で立ち止まって心を観察すると、この自我という奥底の心を静かに感じることができます。

通常の心理学でいう無意識とは、だいたいこの辺なのですが、仏法では永遠の生命観というのがあって、この自我の奥底に、単なる自我を越えて、時間をも越える心の本質があると説いています。そしてそれらが無意識の自我にも影響を与え、それが日常の生活のなかに様々な形をもって現れてくるわけです。

宿業論はそういう理屈ですね、単純に謂えば。

人が周囲の環境を作り出す「心」とは、単なる意識だけではなく、こういった更に奥深くにある心の働きにも影響されています。

皆さんの中には勤行をしたことがある人、多いと思いますが、この勤行・唱題すると、様々な「念」が沸き上がることを感じた人は多いのては無いでしょうか?

「あー、一念が定まらないで雑念ばかりが出てきてしまう!」

勤行・唱題とは観念観法の修行でもあるので、それに取り組めばやはり無意識下の活発な動きを実感することが出来るし、その証左がこの雑念であると思います。

「されば経文には一人一日の中に八億四千念あり念念の中に作す所皆是れ三途の業なり等云云」
(女人成仏抄)

この無意識下の心の働きの活発さは、日蓮もこの御書に書いていますが、天台大師は「暴流の如し」と、その荒れ狂うさまを表していました。

つまり「祈りが叶わない」という言葉は正確ではなく、自分自身の意識下にある無意識、そしてそのまた奥底にある心の働きの本質も含めて考えたとき、実は今いる自分の状況とは、自分自身で作り上げているという事なのです。

人は心の表面にある「意識」が自分自身だと思い、そこのみの視点で捉えてしまうから、「祈りが叶わない」とか「自分自身の人生が不如意だ」となるわけですが、日常感じる意識とは、大きな無意識の海原に浮かぶ筏(いかだ)のようなものであり、この筏は無意識の心のうねりに常に揺り動かされているのです。

だから目の前に起きている事象の一つ一つで、喜怒哀楽を感じてしまい、そこに振り回されてしまってはいけないのではありませんかね?

人生「塞翁が馬」です。
一人ひとりが異なる目的を持って、課題を背負い誕生してきました。
こういった心の表面のうねりの中で漂うという事ではなく、その奥底に眼を向けて、信仰を考えてみてはいかがでしょうか。
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