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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20160729】活動の目的だったこと

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

昨日は関東地方も梅雨明けらしいのですが、考えてみれば来週は八月なんですよね。
また酷暑が来るのかと思うと、それはそれで気が滅入りそうな感じもするのですが、曇りでジメジメした陽気よりはなんぼもマシかと思ったりもします。

さて先日、Twitterでもボツボツと呟きましたが、こんな僕の処に使命感をもってタマに来る人たちが居ます。
まあ僕なんかは青年部で分県幹部だったので、再度復帰を祈っているのかも知れませんが、ほっといて欲しいものだと思ったり。

どうせ圏幹部あたりから三下り半つけられ放置かれているし、本人もやる気がないんですから、足しげく通うだけ無駄と言うもんです。

でも末端組織では人が居ないんで、必死なんでしょうね。

僕が活動を始めたのは19歳の頃でした、前にも書いたように、周囲の幾人かの友人が様々あって早世したのを見て、人生について考える事があり、そこから日蓮仏法を学びたいと活動を始めたのが切っ掛けでした。

確かに当時、個人的にも様々な問題を抱え、それらも解決したいと思ってもいましたが、僕の信仰の目的とはそれだけではなく、やはり人生や社会については常に考えていました。

また僕らの世代は「ノストラダムス世代」で、20世紀から21世紀を跨ぐなかで、社会の中には多くの不安要素があって、それを乗り越えるには人類普遍の思想が必要であり、そこは日蓮仏法及び創価学会が担うのではないかと真剣に信じてもいました。

しかし21世紀になり、まもなく中盤に入ろうとしていますが、現実は異なりましたよね。

いま世界を見渡すと、東西冷戦後の国際社会は民族や宗教の対立で、まるでモザイクの様な状態になり、以前にもまして不安定感を増しています。
これは極東アジアでも同様で、北朝鮮や中国の動きで、日本も従来の考えを改めなくてはならない時期に入ってきてますが、その日本では、そんな議論を出来る状況にありません。

この日本も、僕の親の世代は「年功序列」「終身雇用」が社会の規範の考えだったのですが、グローバル化のもと、小泉政権の時には「リバタリアリズム(市場原理主義)」に舵を切った結果、日本の雇用の空洞化と、人の部材化ともいいますか、様は企業が人件費をコストとして考え、コストカットといつことで非正規雇用が増加しました。

結果どうなったかと言えば、企業は営利目的を前面に出していき、昔あった社会の公器という側面、これは雇用の確保という意味ですが放棄してしまい、結果としては格差社会をもたらしてしまいました。
まあこの格差社会と言うものの出現した要因はこれだけではありませんが、少くとも大きな要因の一つでしょう。

また社会保障関係も縮小形骸化が激しく、その最たるものが年金関係の構造ですね。今や僕の世代では、老後生活で年金だけを当てには出来ません。

公明党が掲げた「年金安心100年プラン」なんてどこへ行ってしまったか、最近では「一億総活躍社会」とか云ってますが、これは要は「死ぬまで働け」以外の何者でもありません。

本来、宗教と政治は別のはずです。
しかし創価学会は信仰活動として選挙を行ってにました。そしてそこには「選挙は現代の国家諫堯だ!」という主張がありました。
結果、多くの先輩諸氏達が努力して公明党は政権に入りましたが、その日本はこの体たらく。

本来ならば怒りを覚えても良いはずなのではありませんか?

「創価学会はこれだけ拡大したのは社会から信頼を受けたから」
「国会議員をこれだけ輩出出来たのも、創価学会の力ですよ」

活動家幹部達は口を揃えて言いますが、そもそも信仰の目的とは創価学会という組織わ無闇やたらと拡大して、その権限を大きくすることだったのですかね?

組織が拡大発展しようとも、個人個人が人生の問題について解決できなければ、それこそ本末転倒な事を、なぜ活動家幹部達は理解できないのでしょうか?

しかも創価学会が発展し、公明党が政権に参画して日本という国は良い国になりましたか?

今の日本が日蓮が立正安国論で述べた「世は義農の世となりて」という状況ですか?
また今の日本を取り巻く状況は「四俵の静謐」という事ではどうなのですか?

かなり違うと思うのは僕だけなのでしょうか。

これを指摘すると活動家の多くは「まだ経過の途中だから」としたり顔で答えますが、戦後数十年間やって悪化したことが、先行き良く変わるなんて、それこそ夢物語でしかありません。

「一丈の堀を越えぬもの十丈二十丈の堀をこうべきか」

これは日蓮の言葉ですが、この事を真剣に考える活動家は今の組織には一人も居ません。

思うに信仰の目的が組織として大きくずれていることに、誰もが活動家の誰もが気づこうとしていないのです。

宗教とは本来、人間を屹立した存在にもしますが、同じように従属し思考を停止させる側面を持っています。

これは人間の性格と同じであり、両方の側面をあわせ持っているという事です。

人の性格であれば、例えば短気と云われる人は、逆の側面が出ると、物事を主体的に進める人にもなると言うことがありますが、それと同じでしょう。

そして今の創価学会は当に宗教が持つ負の面が前面に出ている状況なのです。

ここには活動家達の持つ信仰の目的感のずれが大きくずれていることに関係しているのですが、誰もがその事から目を背けてますよね。

要は「無懴」、つまり省みれないという事です。

だから僕が今の組織に戻ることはあり得ません。何故ならそんな組織で活動することに、なんら意義なんて見いだせません。
僕の信仰の目的とは、人生の諸問題を解決することであって、信濃町界隈の小飼の家畜になることではありません。
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