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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20160818】モザイクな指導者

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

暑くて体調崩す人も増えている様に思えますが、皆さんは大丈夫でしょうか?
僕なんかもお腹の調子が悪かったりして、どうも夏バテ傾向にあるように感じてます。
この夏は何とか健康で乗り越えたいものですね。

さて、今の創価学会で何より中心的な存在は、言わずとも知れた「永遠の指導者・池田名誉会長」ですね。

教学が大きくぶれようと、何があろうと創価学会の中で「池田先生と呼吸を合わせれば」問題無しと考えられている程です。





以前に青年部で活動していたとき、当時は「御守り本尊」という、ペンダント本尊を青年部幹部に一律授与しようという動きかあったとき、ある部長は納得かいかず、当時の幹部に指導を受けていました。

「お前な、こんな時に大事なことは、何があっても池田先生の事を考えることが大事なんだ」
これは指導していた幹部の談。

「教義的なこと、組織的な事など様々考えると遠心力が働き、組織から飛ばされてしまう。創価学会の中心に一念を置くためにも、常に池田先生の事を考えるんだ!」
その幹部はひたすら力説をしてましたよ。

これ、何言ってるか解りますか?

簡単に云えば、どんな組織的な矛盾があろうとも、池田先生を求めることが大事なんたという事なんですよね。

組織内に矛盾があり、組織に様々な事を感じてしまい、組織を離れてしまっては、絶対幸福の道から外れてしまう。外れないためにも、池田先生と共に戦う事を考えるなら、組織から離れることは無いんだという考え方なのです。

もっと簡単に云えば組織矛盾とか何かを考えずに、池田先生の事だけを考えろと言うこと。

これが今の創価学会の思考なんですね。

僕が組織と距離を置いたとき、一番知りたかったのは「池田大作」という人物の事でした。

組織内では池田名誉会長自著とされる「小説・人間革命」にある山本伸一という人物像が池田名誉会長の姿だと教えられましたし、それを信じてました。また本部幹部会の同時中継での「べらんめぇ調」の人物像もその延長にあると思ってました。

しかし組織内での活動を止める時気づいたのは、その矛盾点を一気に吸収させる人物、また自分が当時「師匠」と思い込もうと思った人物の実像について、実際の処、僕自身、何も解ってなかったのです。

だから知りたい。

そんな思いで様々な人に会い続けて、情報を収集していきました。
その結果、解ったのは「モザイクな人物」という事です。これはあくまで僕の主観ですけどね。

確かに青年部時代、「生々・池田大作」を「見た」というのは幾度かありました。

組織内ではこういう体験を「池田先生とお会いした」と珍重がります。確かに通常は書籍や本部幹部会同時中継で姿や声なんかを見聞きします。
普段は直接会えない人間が、わずか数メートル先に動く人間として居るわけですから、こりゃ興奮しますよ。

よく体験談では、こういった「一瞬の出会い」から何かを感じとり、より一層、創価学会の活動に励んだ結果、すごい信仰体験をして「池田先生に感謝せずには居られない」と、創価学会の活動家の道により強固に励むことを決意する人も居ますが、それはあくまでもその人の心の中の「偶像」を信じての事でしょう。

実際にその人物と対話して、親しく接していく中でしか、本当の人間関係というのは構築出来るはずないのですが、今の創価学会で、しかも組織末端の会員にはそんな事は絶対に出来ません。

「僕が求めてきた池田大作という人物は、一体どんな人間だったのか」

その為に僕は数年間費やして来ました。
そして解ったことは、以下の事です。

「周囲につく人で、言うことがコロコロかわる中身の空虚な人」
「出会った人の心を一瞬で掴む究極の人たらし」
「他人がまとめた文章を一読しただけで、自分の言葉で語る力は大したものだ」
「とても恐ろしい人」
「最大のジョーク」

まあその人物像たるや、いろんな言葉が出てきました。因みにこれはかなり近くに居た人たちから聞くことが出来たモノですが。

だから僕は「モザイクな人物」と感じたのです。

思うに創価学会の中でみれる「創価学会のダブル・スタンダード」という事も、その淵源はこの池田大作という人物に帰結するのでしょう。
また今の信濃町界隈の「心の中の汚さ、賎しさ」も、同じくこの池田大作という人物によるものだと思いますよ。

確かに本当の実像というのは、本人に直接会って交流することが一番です。しかしそれが叶わない時には、その周囲に居る人たちを観察すれば解るというものでしょう。

創価学会の中で「私こそ池田先生の弟子だ」という人は多く居ますが、その傾向として面白いことがあります。

それは人間的に距離のある人ほど、人間として全うな人か多いと言うことです。
末端組織で師弟を唱える人たちは、それはそれで純粋なもので、それこそ山本伸一を池田名誉会長に投影し、その姿に心酔して純粋に弟子の赤誠を貫こうとしています。
しかし他方で池田名誉会長に近く居た人たちほど組織を利用したり、会員を見下し利用したりしてますよね。

信濃町界隈なんて最たるものでしょう。

「玉泉に入りぬる木は瑠璃と成る大海に入りぬる水は皆鹹し、須弥山に近づく鳥は金色となるなり」
(九郎太郎殿御返事)

もし人格的に秀でた人の元で学んだのであれば、その人格は磨かれると思いますが、どうも永遠の指導者たる池田名誉会長に近づいた人たちは、得てして小間物の人間に成っているとしか思えませんが、これは僕の誤解なのでしょうか?

これは筆頭頭の原田某にしても谷川某にしても、失脚した正木某にしても同様です。
彼らは長年にわたり、池田名誉会長のそばでその言動を見てきたんですよね?

学会の幹部になると、どうも人間的にこのモザイクな性質を持つと思うのですが、その淵源はこの池田名誉会長にあるのかと、僕は納得しています。
だからこそ「池田先生のお心を」と述べ、如何にも創価学会は本来、素晴らしい組織であり、その教えも最上のものであったと云う言動には、大きな違和感を抱えて見てしまいます。

「本当にそうなのか?」とね。

だからと言って、池田名誉会長との師弟関係を切れとか、そんな人物なんて捨ててしまえとは言いません。
何故ならそう言ったことは、心の内面の話であり、僕はそこまで土足で踏み込む積もりも無いからです。

ただ思うのは「師匠は弟子が選ぶもの。師匠は弟子を選ばない」という事なので、しっかりと自分自身で「自分の師匠」については見極める必要があると言うことです。

師弟関係は自身の人生に大きな影響を与えるものであり、かつその関係から得られるものは自分の師匠との向き合いかたに依るのでしょう

しっかりと実像を探る努力をして、自らの頭で考えて行動をして欲しいものです。

師匠がモザイクならば、その弟子の人生もモザイクになってしまいますよ。
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