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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20161108】折伏について思うこと

こんにちは( *・ω・)ノ

今週の木曜日には強い寒気が入り、関東近辺でも最低気温が一桁になると、朝の天気予報で聞きました。
暦の上でも立冬が過ぎたので、これから冬本番に向けて冷え込みが強くなるんでしょう。
皆さん、お体には充分お気をつけ下さい。

私事なんですが、まあウチの嫁は聞き流すのがとても上手く、僕が創価学会の事で様々な事を言うと、必用な処は聞いているのですが、聞き流されるところは、上手く流されています。

そんな中、先日は地区の唱題会があると云うので内容を聞くと、十時間唱題を皆でやるとのこと。輪番で導師を交替しながらやるそうですが、一人あたり三時間~五時間はやるそうでした。

「なんだ、坊主でも無いのに祈祷師のまねか?」

思わず口に出しましたが、うちの嫁は華麗にスルー。何でも地区で折伏が進まないから皆で御題目を唱えるんだとか。

まあ気持ちは解らないでも無いですが、それでも長時間の御題目を皆で一ヶ所に集まってやるなんて時間の無駄でしかないでしょう。
しかし何とか結果をと、活動家たちは必死にすがるんですよね、御本尊に。

このブログでも何度も書いてますが、創価学会の展開する折伏という「御本尊授与」や「新規会員の獲得」という活動は、広宣流布とは直接関係するものではありません。

「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし、釈迦仏多宝仏十方の諸仏菩薩虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり」
(諸法実相抄)


日蓮はこの様に述べ、御題目を唱える人たちが増える事を確信していました。しかしこれは単純に御題目を唱える人が増加する事だけを言ったのでしょうか。

恐らく「御題目を唱える人数」の増加という事であれば、日蓮亡き後、一番貢献したのは、身延山日蓮宗を中心とした宗派ではありませんかね?

恐らく日蓮正宗や創価学会より以前に、身延や国柱会の先達の人々の方が、はるかに貢献していますよ。
身延の日向師につらなる系譜の人や、戦前に一世風靡した田中智学や北一輝などといった人々です。

しかし先の諸法実相抄に於いて、主題にしていたのは「令法久住(この法が未来に渡り、人々の間に伝えられていく事)」であって、法華経に於いて釈迦や多宝仏が求めたの、その事であると述べてます。
そして日蓮が、その1つの現れとして「日蓮一人始め云々」という姿で述べたのではないかと、僕は解釈しています。

だから単純な「おまじない」としての御題目が弘まることを、日蓮は求めて無かったのではないでしょうか。

では「令法久住」とはどういう事なのか?

これについては、インドの哲人であったアンベードガル博士の言葉で、的確なものがあったので、少し紹介します。

「よく「人は死んでも教えは残る」というが、それは誤解だと思う。人がいつかは亡くなるように、その思想もいつか消えるのが自然の道理。残された教えが大地に根を張り、活力を保っていくには、植物のような水やりと伝播が必要だ。胸に花の種を秘めているだけでは、花は咲かない。」
(アンベードガル博士)


このアンベードガル博士はインドのバリア(不可触賤民)出身の人で、かのマハトマ・ガンジーと共にインド独立に戦った人です。
インド憲法を創るときに中心となった人で、憲法制定当時は法務大臣を勤めていました。

しかし亡くなった時、インドではバリア出身という事で、火葬場で火葬されることも許されず、その火葬場の脇の戸外で荼毘に付されました。

カースト制度というのは根深いもので、国に貢献した人であっても、その制度を越えられませんでしたが、実はガンジーとも、そのカーストの事で、常にぶつかっていたのもこの博士でした。

ガンジーは根っからのカースト制度容認者で、変えるつもりは無かったそうです。だから博士はガンジーを生涯「マハトマ(偉大なる魂)」とは呼ぶことが無かったそうです。

少し話がずれました。
この博士は仏教徒で、カーストを変革するのは仏教しかないと考えていたようですが
、博士は述べています。

「その思想もいつかは消えるのが道理」

この考えは大集経で述べられた「白法穏没」ですね。経典では「後後五百歳」といい、仏滅御二千年以降を「末法」と呼び、釈迦の教えはその時代に消えてしまうと説かれています。つまり釈迦の教法でも永遠性は無いという事でしょう。

博士は続けて述べています。

「残された教えが大地に根を張り、活力を保っていくには、植物のような水やりと伝播が必要だ。」
これは教えというものが、人々の中に根付くことを植物に例えて言ってます。

「水やりと伝播」とは何か。
それは常に思想に対して新たな解釈を与えることであり、伝播とは人々の中に、常に語り広げられる事だと僕は解釈します。

考えてみれば、釈迦の教えも今の時代に伝わったのは、天親、龍樹や妙楽、天台、伝教に代表される人師や論師が常に、新たな解釈を行い、それを人々の間に伝播したからに他なりません。

解釈が思索を呼び、思索が対話となり新たな解釈を生む。
そしてその思想が社会の中に冥伏し、社会の風土を醸成して行くのではないでしょうか。

これが広宣流布という事ではないかと思うのです。

この広宣流布ですが、何も法華経に限ったことではありません。

もともと広宣流布という言葉は、法華経の中に述べられた「広く宣べ流布すること」です。この事ですが、どの思想や宗教においても広宣流布は当てはまります。

極端に言えばキリスト教にも広宣流布はあり、イスラム教でも広宣流布はあります。
だから創価学会が新規会員を拡大し、そこに信濃町界隈の思惑を乗せた教えを広めることも広宣流布なんですね。

ただし日蓮が求めた広宣流布とは、法華経の広宣流布であり、そうであれば法華経を学ばなくてはならないでしょう。

「行学絶えなば仏法はあるべからず」とは日蓮の有名な言葉です。ここでいう行とは学会活動だとかいう事ではありません。
仏法で学んだことを、実生活において展開することも重要な「行」ですし、友人や知人と語らうことも「行」に相当します。

「学んでそれを生活の中で実践する」これはまさしく、先にアンベードガル博士の述べた「水やりと伝播」という考え方と符合してますよね。

だから創価学会が行う「折伏」という活動に翻弄され、そんな事で悩んで御題目なんか唱えるより、御書を研鑽するとか、他にやるべき事が沢山あるのではないでしょうか?

だって創価学会は法華経の広宣流布をするんですよね?

だったら先ずは法華経を学ばないと。そしてその法華経を日蓮はどの様に解釈しているのか、そこに肉薄しないとダメでしょう。

折伏なんていう活動は、止めたらどうでしょうか。

これは僕から、折伏に苦しんでいる人々ですへの提言です。少し思索をしてみてください。
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