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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20161118】創価学会の日に想う

こんにちは( *・ω・)ノ

今日は11.18といって、創価学会では記念日になってますね。
僕の人生の中では、遥か彼方な記憶の中で、この日は毎年何らかの位置付けを持った日付でした。

ある時は折伏の決着日であったり。
ある時は組織の大結集の決着日だったり。
ある時は新聞啓蒙の決着日であったり。

要は「戦い」と呼ばれる活動の期日として、この11.18というのは常にありました。そしてその戦う理由とは。

「広宣流布する事で家族は和楽で暮らせる」
「広宣流布で日本は良い国になる」
「広宣流布で世界は平和となる」

そんな永遠さんの指導を胸に、必死に活動して、いまや公明党は政権与党に参画し、大臣まで出て、末端組織の幹部は「創価学会が日本の要だ」という時代にすることが出来ましたが、結果としては永遠さんの語った事の真逆な世界になりましたよね。

「学会活動で崩壊する家庭」
「より生きづらくなった日本社会」
「不安定さを増し、紛争絶えない国際社会」

法華経には「三車火宅の譬」がありますが、そこに説かれる子供たちよろしく、いまのこの状況においても活動家幹部の多くは「創価学会た素晴らしい組織だ」といい、既に人前に出ることが叶わない永遠の指導者を賛美し、月一回行われる本部幹部会同時中継で流される過去のビデオに残っている映像を、笑顔と拍手で見つめています。

「源遠ければ流れ長し」
これは日蓮の言葉です。

今の創価学会、表看板には「日蓮」を使ってますが、実は日蓮の事を知りません。
しかし日蓮のこの言葉は的確でしたね。

考えてみれば創価学会とは、組織としての屋台骨がもろい組織です。

始まりは「初代会長」にありますが、そもそも11.18の意義付けなんて、「創価教育学体系」という書物の出版日であり、組織として何かあった日ではありません。

恐らく牧口会長が考えていた創価教育学会と、今の創価学会は別物なんですよね。
それを無理矢理「初代」に位置付けしたから、こんな無理な記念日が出来てます。

もうね、始まりからして歪(いびつ)です。

そして二代目の戸田会長。
本来、今の創始者はこの戸田会長だと想いますが、その戸田会長はけして自分を初代とは言いませんよね。牧口門下の筆頭として、創価学会を立ち上げました。

「もし七十五万世帯の折伏が出来なかったら、私の葬式は出して下さるな!遺骸は品川の沖に投げ捨てよ!」

この大号令を出して、終戦直後の日本から駆け出しました。
この戸田会長の思想と終戦混乱期の時流はマッチしたのでしょう。創価学会は急速に膨張を始めました。

しかしその思想面はどうだったのか。
教義は大石寺の教義のまま進み、初代会長の「価値論」を「訂捕版」で出版し、内容は改竄していたりして。

「折伏教典」。こういう本もありましたが、これは今で言えば対論のマニュアル化したものであり、けして「最高の哲学・思想に基づく法論」などと言えるモノではありません。

現に「小樽問答」では、教義の議論ではなく、当時の会場を埋め尽くした創価学会の活動家と、池田(当時)参謀室長の強引なまでの仕切りによって、「勝った!」といつ形を演出しただけです。

恐らくマトモにやったら、身延にやられてたのではありませんか?

そして戸田会長の最期を飾った「大講堂落慶法要」では、現・安部総理の祖父である岸信介(当時)総理大臣を招くも失敗。
そもそも一国の総理を呼ぶことに、法義的にどの様な意味があったのか。また戸田会長と岸信介氏の間に誰が介在していたのか、組織の中で明確に語れる人はいませんよね。

そして三代会長は池田会長になりましたが、石田氏との間はどうだったのか?
後継指名なんて本山のエレベーター前だと言いますが、実はこれも不透明。
でもカリスマ的に考えてみたら、池田会長がダントツだった事もあり、三代に就任したのではありませんかね?

その三代会長は世界に拓こうとしましたが、そこで足枷になったのが、日本独自の寺信仰だったのでしょう。
これは何も海外布教だけだはなく、日本国内で政治に取り組む際にも、障害になりました。これ、王仏冥合とか国立戒壇です。

だから宗門にも取り下げさせ、教義的にも宗門から離れる必要性も生じてきた。そしてそれが淵源で宗門問題も勃発。

まあ戸田会長は根っからの大石寺信徒でしたから、創価学会は外郭団体にしていたのですが、さて独自色を鮮明にしようとしたら、宗門からそれを逆手にとって、してやられてしまった訳です。

当時の会員は、寺の信徒でもあったので、ここを利用して大きく揺すられた訳ですね。

斯くして三代会長は、この時を「雌伏の時」として、組織の中に深く入り込み、「文化祭運動」で当時の青年部と会う機会を増やし、「同時中継」によって会員との距離を一気に詰めていきました。

そして平成の御代となって、第二次宗門問題が勃発、この時は既に「寺信心」の体質も薄くなり、無事に宗門と袂を別つことが出来たのです。

しかしここで「戒壇大本尊」という、大本にある大問題にぶちあたり、それとの決別に四半世紀を費やして今があります。

創価学会はいま、末端組織で急速に組織力が低下しています。
従来あった広布後継なんて、消えかかってますから。

またこの激動期に組織を牽引してきた三代会長も、すでにヨイヨイで人前に出ることもままならず、この三代会長の元で宗教貴族として育成された信濃町界隈は、人を率いるだけの能力もありません。

ここに来て露呈したのは、宗教としての根っこの浅さと、組織体制の杜撰さです。

だから「源浅ければ、流れ短し」となってしまったのでしょう。

もう日本における創価学会は役割を終えました。あとは過去の恐竜よろしく衰退に任せて、表舞台から消え行くだけです。
できれば静かに消えて欲しいものですが、これだけの組織になると、やはり社会の中に様々な問題を振り撒きなが収束していくのかもしれませんね。

創価学会の日、11.18。
そんな事を考えてしまいましたよ。
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