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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20161216】実相と相違せずとは?

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

我が家では嫁さんの立場もあり、大白蓮華を取ってます。
この間、なにげに「今月の座談会御書」として以下の御文が載ってたのを見ました。
まあ解説のところには、社会で勝利の実証を示そうとか書かれてまして、相変わらずの内容やなと思いながら、斜め読みをしてました。

「御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の冶生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり」
(檀越某御返事)


さてこの御書ですが、短くも大事なことが書かれてますよね。

「御みやづかいを法華経とおぼしめせ」。
これは仕事も法華経に説かれている事と理解しなさいという事です。

法華経とは何か、それは人々は元来、仏であるという教えです。仏とはこの世界を自由自在に生きていける人を言いますが、それを自覚するための活動の一つとして、しっかりと仕事に取り組むことを述べています。

その志で仕事に取り組めば、自分の思うがままに仕事が出来ていくということを「一切世間の治生産業は皆実相と相違せず」という言葉で述べているのです。

こういうと「本当かよ?仕事なんて大変だし、疲れるし、コキ使われるだけじゃん」という言葉が聞こえてきそうですが、人は本来は自分の思うがままに生きて出来るはずなのです。それが出来ないということは、また「法華経とおぼしめせ」となっていないという事です。

仏が愚痴をたれますか?
不満を述べるでしょうか?

仏とは自在に生きていける存在で、法華経とはその事を説き示した経典なのです。

それを自覚するための場として、「御みやづかい」もあると、まずは覚悟すべきなのですね。

車を運転するのにもメーターがあります。
信仰の世界では、信仰メータというものはありませんが、自身の理解度を測るのが社会という鏡なのです。その鏡を通して、自身が元来「仏である」という理解度が見てとれるのです。

「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」
(生死一大事血脈抄)


今から四半世紀前、僕はある女子部の人に会いました。役職こそは当時、その人はブロック担でしたが、社会の中では大手企業の中堅社員。学歴こそ高卒ですが、大手企業から引き抜かれる程の実力者でした。
その人から開口一番に聞かれたのが「生きていて楽しいですか?」でした。

「楽しくなければ信心していない事と同じだよ」

当時の僕には理解できませんでしたが、最近になって、この女子部の人の言葉が少し理解できてきました。

社会の中で生きていれば、そりゃ苦しいことも楽しいこともありますが、全てに於いてこの法華経の云う「元来、人は仏である」という事を学び知る場であれば、結構人生とはスリリングなアトラクションの様な場所で、退屈する暇はありません。

当に「自受法楽」の世界なのです。

この御書では、そんなことを言っているのではないでしょうか?

因みに大白蓮華の講義では「社会で勝利の実証」とか書いていましたが、そんな型通りのチンケな読み方しても、面白くないですね。

という事で、今日も一日有意義な日を過ごしましょう。
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