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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20171012】暴力のコントロール

こんにちは( *・ω・)ノ

昨日の帰宅は午前1時半、なんだかんだうだうだしてるうちに寝たのは午前3時。起床は8時なので睡眠時間は五時間でした。

若いときには朝日を見てから、仮眠して仕事に行ったりもしましたが、やはりこの歳になると体が辛いですね。
年齢と共に無理は出来ない体になってますね。これも老化の一つでしょう。

さて、世の中は衆議院選挙でお祭り状態。
小池都知事がどうとか安部政権がどうとか、テレビを観ていても様々な論評がありますが、恐らく結果は「予定調和」で決まっているのかなと思ったりもします。

そんな中、主要な議論の1つに「憲法改正」がありますが、少し突っ込んだ事は現在まとめ中で、近々本サイトにもアップする予定ですが、ここではその考えの一端について少し書かせて貰います。

一昨年前でしたっけ?安保法制の事で国会前で大騒ぎをしていたのは。
SEALDsだなんだと出てきていて、従来のリベラル支持者に混じって一部の創価学会の人も三色旗を振り、安保法制反対を叫んでました。

結果、法律は可決成立、今度は憲法改正議論へと進んでいます。

そこでは現行憲法の原則の一つである「平和主義」に関して、どの様に改正するのか、議論が白熱していくのではないかと思ってます。

創価学会では「平和主義」を掲げ、池田会長は憲法擁護の立場を今まで述べていましたが、その弟子達の主流は今や改憲派へと動いています。
公明党は「加憲」という事で自衛隊に関する条項を追記する立場をとってますし、創価学会の中では「北朝鮮を叩け!」と言わんばかりの姿勢で、安易に日本の軍事強化を煽る風潮まである始末。

何なんですかね、この変節ぶりは。

僕が思うに創価学会の変節の奥底には、やはり池田会長の思想の脆弱性があると思ってます。
いやいや、悪いことは「信濃町界隈」とか「原田会長を中心とした執行部」なんて言うのは楽ですが、やはり哲学や思想を学んで居たのであれば、その奥底について思考しないとダメでしょう。

要は大石寺日蓮思想を中心に、西洋哲学をパッチワークした程度の思想では、人々は簡単にぶれているという事なのではありませんか?

僕はそもそも日蓮の思想や仏教は、単純な非武装人道平和主義では無いと思ってます。
日蓮自身、護身用に刀を所持していたのは有名な話。過去に仏教に帰依した阿育大王、カニシカ王、ミリンダ王が自国の武装を放棄したという話は聞いたことがありません。

仏教は「内道」と言いますが、例えば一念三千の中で「畜生」「修羅」といった傾向性について排除してますか?してないでしょ?

逆にそれら畜生や修羅にも「仏界」はあるし、仏界にも「修羅」や「畜生」があると述べています。

また有徳王と覚徳比丘の逸話では、覚徳比丘を襲う人たちを有徳王が成敗して必死に戦をする姿が書かれ、覚徳比丘はその有徳王を讃えていました。
これらを見て考えると、単に武装を放棄・拒否して、その先に平和という事を単純に示唆した思想では無いと思うのです。

「仏教とは生命尊厳の法ではないのか!」

確かに永遠の御大はその様に仏教を解釈しましたよ、それは生命は無上の価値がある事を法華経では「宝塔」で示している経典なので、その無上の価値の生命を軽視するものでは無いという事からの「平和主義」だと思っています。
しかしその無上の価値のある生命には「修羅」「畜生」という生命も内在している訳で、互いに相争うという性質も内在しているのです。そしてその性質が個人として顕在化してしまう事が、殺人とか傷害といった事件を引き起こしますし、国家というレベル(衆生世間)では戦争や紛争という事が顕在化してきてしまいます。

「仏教とは生命尊厳の法ではなく、生命探求の法である」

仏教に基づいて自身の中にある生命を探求し、その「実相」を掴むのが仏教であり、つかんだ「実相」を以てどの様に生きていくのか、それは一人ひとりに課せられる課題なのです。そしてその探求する行為に「現実逃避」という事はありえなく、その現実を如何に正確に認識するかが問われてくるのです。「如来実知見」という言葉はそれを指し示しているのではないでしょうか。

「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

これは日本国憲法の序文にある一節で、ここでは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とありますが、現在の人類社会において国家や国民に「公正と信義に信頼して」が出来るでしょうか?国家間にあるのは互いの権益の主張であり、隙あらばそれを狙うという事が常であり、そこに単純な「信頼」を寄せられる状況ではありません。

まさに国際関係とは修羅の世界であり、そこには偶に畜生の傾向性すら見え隠れしてしまう社会なのです。その人類社会の中で、自分たち日本人としての社会をどの様に守り、またその人類社会に対してどのような働きかけを行っていけるのか。
仏教思想を信奉するのであれば、そういう事をしっかりと一人ひとりが考えて意見を持つ事が大事であり、その上で「平和」と「武力(軍事)」についても考えていく事を求めているのです。

難しい事でしょ?

「軍隊を無くし、対話を以て世界平和を実現しよう!」
この様なスローガンで平和を論じる事が簡単なのですが、そういった単純な事では無いのです。
恐らく平和博士のガルトゥング博士が「憲法九条を安眠枕にした平和主義」とは、その様になにも思考をしないで、憲法九条に書かれている「非武装・戦争放棄」という言葉だけに依存した「平和主義」の事を言っているのかと思いますよ。

今の日本国内には「憲法改正」に伴い、とても安易な議論ばかりが目につきます。
本来、仏教を持って「平和主義」を提唱する団体であれば、こういった難しい難題について、一つひとつの課題を明確にし、それぞれについてより具体的な議論が出来る様に整える事をしなければならないのですが、そういった動きを取る事が出来てません。

「憲法改正」を安易に「賛否」で判断できる状況に、今の日本はありません。
その前段の事をまずは国民の中で議論できるようにしないとダメでしょう。

この後に僕の考えについては、近日中に本サイトにアップします。
皆さんも少し考えてみてはいかがでしょうか?

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