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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
カテゴリー「未選択」の記事一覧

【20170929】選挙を通して思う事

こんにちは(´・ω・`)

今週で9月も終わります。
来月は少し落ち着くかなと思っていたら、どうやらお客様先にトラブル対応で地方巡業の月間になりそうな予感です。
「働き方改革」
この言葉、安倍政権が言い出して、何か大企業の中でも残業を規制して「自己研鑽の時間を作ろう」とか「家族との時間を取る様にしよう」という風潮もあるやに聞いています。
でもですね、、、僕の今いる職場では、居眠りする社員や何もしない社員などもいたりして、結果、パートナーの仕事量は増えているんですよ。この仕事場に「働き方改革」なんてもしやられて、「残業するな」とか言われてもねー・・・その前に社員にしっかりコスト意識を受け付けた方がいいんじゃね?と思ってしまいます。

さて衆議院選挙です。
僕は僕なりに今の政治の事を様々考えています。
これは創価学会の活動家時代ではやっていなかった事ですが(とか言いながら最後の方では公明党に投票してなかったんですが・・・)、本当に種々考えています。

一方、僕の嫁さんはというと、日々「内票会議」や「地区活動者会」なんてのに走り回り、夜は遅くまで書類とにらめっこしています。

本当に地区婦人部長というのは、コキ使われる存在なんですね。

そんな嫁に、夜家に帰りニュースなんかを見ながら、僕なりの政治の所感を語り、公明党や今の創価学会への指摘なんてのもしたりします。

うちの嫁はあまり反論する性格では無いのですが、たまに意見の相違や、やはり学会への考え方の違いから、言い合いとまでは行きませんが、議論になる事もあったりします。

その場合、引くのは僕の方なんですね。
僕自身はというと、このブログでも書いている様に、過去には創価班の広宣部でした。
それこそ妙観講・法華講や顕正会などとも渡り歩いてましたので、それなりに理論的に詰めて話す事は可能です。またそれが故に僕の処には最近では後輩の地元幹部なんかも話をしに来なくなっています。

まあ幹部には結構辛辣に詰め寄ったりしていますから、最後には嫌われてしまうんですね。

僕自身、これは決めている事なんですが、基本的には僕よりも上位役職者に対してしか、そのような理論で「ぶった切る」事や「詰めまくる」という事はしません。特に高齢者で生涯に渡り創価学会と生きていて、未だ創価学会を信じてまもなく霊山浄土へ行きそうな人に対しては、人生を全て否定する事にもつながりますので、僕としてそれを否定する事までは出来ないんですね。

これは身内や家族に対しても同様で、最後まで理屈で詰め寄る事はしません。

そもそもですが、僕自身が創価学会を完全否定せざるを得なくなった時には、精神的にかなり追い込まれた時期もあり、個人的にそういった時期はとても辛い時期でした。

それを考えると、身内や家族に対して、本人が覚悟も出来ていない時期に理論的に追い込んでも、結果としては家庭内や親戚の間がぎくしゃくしてしまいますし、無用に相手の人生を混乱させてしまう事にもなり、それは避けたいという想いもあるんですね。

まあ甘いんですけどね。
確かに理屈で正しく理が通って入れば、人間とは反論できなくなりますが、それが即ち相手の理解になるとは限りませんし、場合によっては無用に心の傷を深めてしまいます。

今の僕はこの創価学会を自分の中で否定する事で起きる精神的な混乱を、何とか乗り越える事が出来ましたが、それでも偶にフラッシュバックの様に自己嫌悪に陥る時があります。それは自分自身も創価学会の中で、それなりの役職を以って人の人生に影響を与えてしまっていたという事への自責の念があるからです。

思うに創価学会に限らず宗教や思想にハマってしまった場合、それを気付く事も大変ですが、気付いた後に、それが自分に跳ね返り、心に深い傷を負う場合が得てしてあり、それを自分自身の人生の一部として消化するにも、それなりに時価を要します。

しかしある程度自覚ある人であれば、時間をかけて乗り越える事で、その生きてきた時間のメリットやデメリットも自分の中でしっかりと自覚して位置づけできる時が来ると考えているのです。

そういった事から、僕は嫁が活動をしている事についても、詰め寄る事はしていません。

まあ時間のある時に、少しづつ語る事、また僕の日常の行動の中ですこしづつ示す事が大事だと思いますので、そういう事に取り組んでいます。

人は理論的に判る事と、心の底で理解する事は違いますから。

この衆議院選挙は、僕自身にとっても精神的に来るのですが、そこは「聖」の精神で。

「聖」という字は「耳」と「口」の「王」と書きます。
良く耳を凝らして相手の心の中の声を「耳」で聴きながら、適切な言葉を「口」で伝える。そういう事を「王」の心がけで行きたいと思っています。

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【20170925】過去を知ることが大事

こんにちは( *・ω・)ノ

創価学会はすごいっすね、やっぱり。
この間まで教学だ総会だ未来部だと言っていたのに、もう組織は選挙モード。
切り替えの会合が立て続けにあるようで、うちの嫁も「内票会議」をやる準備で忙しそうです。

もうこれは「脊髄反射」の域ですね、活動家幹部達は。
何だかんだ言った処で「常在選挙」のパターンが深層心理に刷り込まれているとしか言えません。

こんな様子なんですが、何故今回の選挙をやるのと聞いても、恐らく答えはバラバラで、この間、公明党の斎藤氏が語ったという「政権選択の選挙」とでも答えるのが関の山でしょう。

でもね、所詮は自民党からは補完勢力としか見られてないのが解らないんですかね?

ここ数年、自民党の党勢は落ち込んでいます。要は党員が減少していて足元がグズグズになってる処を、補完の意味で創価学会を利用しています。

しかし利用される創価学会側は、そういう事で自民党にも貸しを作り、それで公明党や創価学会に有利に働いて貰えると勘違いしているんですよね。

政治権力なんて、そんな甘くないでしょう。現に安保法制では公明党は振り回され、その為に創価学会の中にも細かいヒビが入ったのが理解出来ないんでしょうか?

過去を学ぶ事は、未来を生きる事に通じる。

初代の牧口会長時代、創価教育学会は体制側として働いていました。まあ設立当初から各界多くの名士から支援を受けて設立された組織ですから、当然ですね。

何度も書きますが、長野赤化教員の事件では、彼ら共産化した若い教育者の受け入れを、内務省や警察庁と協力してあたった事は歴史的に記録されている事実であり、牧口会長も当時の機関誌「新教」で、真の愛国者に更正させるために、日蓮仏法の有効性を滔々と語っていた位です。

しかし戦時体制となり、軍部当局から国家神道の元につけと言われ、さすがにそこは創価教育学会として承服出来ない状況になった時、いとも簡単に潰されました。

いまは如何にも自民党と連携して、この世の春を公明党・創価学会は謳歌していますが、何時なんどき捨てられるのか、考えたことありますか?

自分達が票の力で自民党を利用していると考えたら、それは大間違いの大馬鹿者としか言えません。所詮は自分達の心を持たぬのは、利用されて価値が無くなれば捨てられ、モノを言ったら弾圧されるのです。

権力側にはそういった危険性を持つこと、自分達の組織の過去の歴史を知れば明らかではありませんかね?

しかし今の創価学会では、そんな事は教えられてないから解らないのかも知れないですね。

創価学会が自民党を代表とした、日本の権力側に従順であればよし。もし少しでも反旗を翻すことになれば潰される。

恐らく公明党や創価学会の宗教貴族、つまり信濃町界隈はこの事を理解しているでしょうか、末端組織の活動家幹部は理解してません。

だから今回の衆議院解散とそれに伴う総選挙も、なりふり構わず準備に走れるのではありませんかね?

でもねー、そろそろそう言ったカラクリに気が付かないとダメなのでは無いかと思いますよ。

だって日本の形がグタグダで、今ほどオカシクなった時代は過去にありますか?
何時までも権力側に追従する補完勢力で良いのでしょうか?

そんなこと、無理を承知で書いてみました。

【20170922】君は誰の弟子なんだ?

こんにちは( *・ω・)ノ

はー、今週も終わりで今月もあと一週間となりました。そうなると今年もあと三ヶ月ですが、みなさんにとって本年は有意義な一年だったでしょうか?

まだまだと思う人がいたなら、あと残り三ヶ月、めい一杯取り組んで欲しいですし、もうOKという人がいたなら、来年への準備に取りかかってみては如何でしょうか。

さて今日のお題。
これは未だ若かりし頃、とある先輩から投げ掛けられた言葉です。

「運ちゃん、君は一体誰の弟子なのか?」

僕は速答出来ませんでしたが、答えました。

「池田先生の弟子かと思ってます。」

この言葉に、当時の先輩は追求しませんでした。何故ならば師匠とは弟子が決める事であり、けして誰かに押し付けられるものではない。そういう関係だからだと聞きました。

当時の僕は池田大作という人物の事はなにも知りませんでした。というか情報が余りにも少ない状況のなか、ほぼ手探りで人物像を求めました。
青春抄、仏法西と東、敦煌を語る、若き日の日記、嗚呼人間山脈、小説・人間革命、仏法と宇宙を語る、法華経の智慧、その他様々なスピーチや書籍も読みました。
そしてその中にある言葉や箴言に心打たれた事も数知れず、勇気付けられた事も沢山ありました。

これらの中で、僕が生涯持とうと思った言葉は「二十一世紀の哲人たれ」という言葉で、これは未だに持ってます。

男子部から壮年部に移行する際、様々な事もありましたが、その時に求めたのも「池田大作」の実像でした。大きな疑問を持ち、その創価学会の原点でもある池田大作とは、本当にどんな人物なのか、本当の処を知りたい。

そう考えて様々な人に合い、様々な逸話を聞きましたが、その時に初めて人間としての池田大作の一端に触れた気がしました。

人間だから表も裏もある。
男子部の時、組織の中で触れられるのは、表の面ばかりで、裏の事は全てが「デマ」という事を教えられ、心の中で「本当かよ」と疑問を持ちながらも、そういった表の姿の池田大作を信じようとしてました。

しかし活動から離れ、様々な人に実像の一端を聞いたとき、それは驚きの連続でしたが、漸く人間としての池田大作に触れた気がしたのです。

今の僕に取って、池田大作という人物は師匠の一人です。人生には様々な局面があり、それぞれに教わる人が沢山居ました。多くは身近にいて、教わる人達でしたが、池田大作だけは身近ではなく、書籍の先に存在する人物です。

でも僕の人生に、大きな影響を与えたことから師匠の一人だと考えています。

「池田先生は本当に素晴らしい人だと思うんですよ」
「池田先生は裏切れないよな」
「池田先生が大好きなんだ」

僕の地元でも、創価学会の活動家幹部の多くが、その様に言いますが、僕はそう言った言葉にはリアリティを感じません。

「お元気な池田先生がいる内に、思い出に残る戦いを!」

こんな言葉を臆面もなく語る人がいます。
本当にお元気なんか?お前はどれだけの事を知っているんだ?

僕はこの言葉を聞くと、毎回イライラしてそう感じてしまうのです。

創価学会が推し進めている「師弟観」、これは狂ってるとしか言いようがありません。

弟子が師匠を決めるのであって、組織が師匠を決めるものではない。

師匠とて人間であり無繆という事ではない。

思うに池田大作という人物には、表もあれば裏もある。長所もあれば短所もある。
けして聖人君主なんかではありません。

僕は個人的に池田大作という人物を知りませんが、日中国交回復や当時の中ソ緊張緩和への貢献等々、人間としての実績は大したものだと思います。

しかし晩年になり、多くの顕彰に飾られて、しかも信濃町界隈が意識的に祭り上げられていく姿には残念な気持ちがあります。

恐らく今のままで行けば、池田大作という人間像は歴史には残らないと思うのです。
もし残るとすれば、昭和から平成にかけて急成長したカルト教団のぺてん師としての姿ではないかと。

人間、表もあれば裏もある。
その全てを評価できる様でなければ、歴史には名を残すことも出来ないでしょう。

池田大作氏を唯一の師匠と呼ぶのであれば、その考えを弟子と自称する人は持たなければならない。そういう時期に来ているのではありませんか?

創価学会が求める「本門の(池田先生の)弟子」と言うのであれば、そういう事も考えて欲しいものですね。

【20170920】大義なき衆議院解散で見えること

こんにちは( *・ω・)ノ

九月に入り、仕事関係が結構しんどいことになってまして、それを乗り越えようと日々奮闘しています。

社員には使えない人達が多く、それこそ三分の一は日がな一日ネットサーフィンし、三分の二は、それらの人を脇目にしながら多くの案件を捌き、僕のようなパートナーがそれを補助するという感じで、ここで補助と言っても実際には主担当として取り組んでいます。

今の職場を見ると、会社とは社会福祉団体の様な側面もあるんだなと感じます。要は仕事が出来ない人にも居場所を与え、年齢に応じた給料を支払うんですから。

僕の様な個人事業主の様な感覚で生きてきた人間には、理解できない事なんですが、今居る大企業には未だにその様な風潮を感じます。

さて、そんな職場にもご多分にもれず男子部員が居るわけで、昨日も今回の衆議院選挙について話をする機会がありましたが、正直、この男子部員は怒ってました。

「俺たちゃ選挙の手駒ではないっすよ、うちの支部長も怒ってました」

何でもその支部長は元広宣部らしく、いまの創価学会の教義改正や一連の動きは知っていて、もう堪忍袋の緒が切れたと言ってるとか。

「でも選挙は頑張るんだろ?」

そう話を向けると「なーにイッテんすか、それを口実に友人と遊ぶだけですよ。数字なんて適当にあげときゃ、あとは静かなんですから」と笑ってました。

今回の選挙に「大義」はあるか?
この大義について、政治家の大義と庶民の大義は異なります、また政治家でも様々でしょう。

日本は議会制民主主義と言ってるんですから、その今の政治家の大義が違うと思うのであれば、落選させれば良いのですが、それが中々出来なかったりします。

その理由は「権益」という言葉で、僕はこのブログでも書いてますが、多くは選挙民と政治家の利害関係です。

創価学会もご多聞に漏れず、この権益を政治活動により守る側の立場にいます。しかし会員たちはその信濃町界隈の持つ権益を理解せず、広宣流布という理想の為に創価学会や公明党は取り組んでいると夢想しているのです。

この二つの考え方の大きな隔たりの狭間に立っているのが今の原田会長を筆頭にした信濃町界隈なんですね。

政治や経済と言った「権益側」には、創価学会としてそれを維持すると伝え、一方の創価学会会員に対しては、そんな権益のドロドロしたことはおくびにも見せず、池田先生を中心とした麗しい広宣流布の為に政治活動が必要だと諭し、ハッパを掛けるわけです。

こりゃ精神的にマトモな人間には出来ない芸当ですよ。

恐らく原田会長にしても今の信濃町界隈にしても、創価学会に入り、そこで活動を始めたばかりの頃は、そんな姿や精神構造ではなかったはずですが、まあ簡単に云えば戸田会長や三代の御大の作り上げた信濃町界隈の中で、今の様な精神構造になったのでしょう。

よくネットの中や、創価学会の在野の中でも原田会長を中心とした信濃町界隈はケシカランという論調と、そんな彼らに利用されている池田会長を偲ぶ言葉が多くありますが、そこに欠落しているのは、そういう信濃町界隈の人達を醸成してきたのは池田会長自身でもあるという視点です。

僕は以前に池田会長の近くにいた人と話をしましたが、その人が云う池田会長とは「中身が空っぽ、周囲につく側近次第でコロコロ変わる人」だそうです。

僕が非活になってから十年以上経過しましたが、距離を置いて創価学会を見ていると、その実態は池田会長の姿そのままだと感じます。

要は周囲の社会的な状況で、コロコロと主張が変わり続けてますよね。

僕は池田会長と親しく会話したことなんてありませんが、この創価学会という組織を見る事で、その人物なりを理解しました。

「私が創価学会を作ってきたんです!」

ありし日の御大は、本部幹部会同時中継の席上で何度も繰り返してきましたが、これは本当だったんですね。

まあ三代の御大がコロコロと変わるのは勝手ですが、それに振り回される方は大変でしょう。そんな御大だからこそ、付き従うには思考を停止せざるを得ません。

今の創価学会の思考停止は、そういった事情から拡大したのかと僕は思ってますよ。

そして思考停止しない人達の中に、信濃町界隈の職員、議員や外郭団体の職員が居るのではありませんか?

今回の選挙に関しては、自民党から創価学会に対して事前に打診があり、信濃町界隈はそれを了承、直ぐに方面長会議を開きました。そして公明党代表の山口氏に対し、安倍総理は伝達したんですよね。

つまり創価学会との間で話はついたから、解散するよと伝えた訳です。

これ、外向きにしたら山口代表は良い面の皮という事が判ってしまうことですよね。

確かに公明党代表の立場は、組織こそ別れてますが、実態としては創価学会の政治部門の責任者に過ぎません。でももう少し対外的に配慮してやれば良いのにとも思いましたが、創価学会の政治担当であるピロシ氏にはそんな感覚は無いのでしょうね。

今ごろピロシ氏は「俺こそ日本の政治の中枢に居るんだ」と得意満面になっているのかもしれません。

まあ、とにもかくにも衆議院の解散風は強まる一方です。

創価学会の末端組織の人達も、少しは知恵ある行動をとってみてはいかがでしょうか?

【20170919】創価学会にとっての教学

こんにちは( *・ω・)ノ

ここ二~三日で日本の政治状況は動いてきました。それこそ末端組織の人達の本来の役目である集票活動がまた始まります。

ついこの間、東京都議会選挙が終わったばかりなのに、今度は衆議院解散と選挙なんて、よくやるもんですよ本当に。

今朝の報道ではロシアから帰った山口代表を安倍総理は私邸に呼んで協議したとありますが、もう今月の17日に自民党は創価学会の了承を取り付けたと云うんですから、山口代表には事後通達というものですね。

まあ信濃町界隈のピロシは確か、山口代表が青年部の末端組織の幹部の頃から、信濃町界隈の中央幹部だったんで、反論するなんて事は無いでしょう。もしかしたら昨今の山口代表の冴えない表情は、そのストレスに依るものだったりして。

まあ所詮、「党代表」と言った処で創価学会の政治部門の責任者に過ぎませんから、何ら実際の決裁権なんてあるわけないですからね。

そんな中、創価学会の行事の一つであった教学試験も選挙で飛びそうな話を聞きました。

僕の嫁も組織の中を走り回って啓蒙していたのですが、それが全ては「紙くず」として消え去るのでしょうか。

残念な事ですね。

今の創価学会にとって、教学なんてのはさして重要ではないのが、この一時をとっても理解できるというもの。
まあ2014年の会則改正から一連の教義改正について、未だに末端組織では徹底されてませんし、教学試験の教材についても良くできたもので、改正した論点はギラギラさせずにスルーできる内容でした。

未だに末端組織では大石寺の大本尊を恋慕し、それの図顕が出世の本懐。日蓮は末法の御本仏と信じている人が多数います。まあ多くは高齢者ですけどね。

一方で今の青年部は、教えの論理性や日蓮の説いた内容なんて、刺身のツマ程度で御書すらまともに読めませんから、池田先生さえ居ればどーにでもなるんでしょう。

だから池田会長の事は、表に出さないし出せないのだと思ってますよ、僕は。

日蓮は「大難出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり」と開目抄で述べてましたが、いまの創価学会、こと信濃町界隈にこの心意気はあるのでしょうか?

それとも、既に資金は唸るほどあり、自分達が生きている間は食いっぱぐれは無いことから、適当にやっているのかもしれませんね。

青年を育成するとか、教学を大事にするなんて、口先だけで言ってますが、いまの創価学会にはそんな事は関係ないのでしょう。
既に「お元気な池田先生」という事さえ言っていれば、末端組織の人達は「お元気な池田先生の元で云々」と、信濃町界隈のおかしさなんて忘れて集票活動もしますし、財務と言ってお金も貢ぎますからね。

こんなんが「宗教界の王者」「庶民の王者」と言うんだから、何とも嘆かわしい限りです。

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