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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
カテゴリー「未選択」の記事一覧

【20170817】先輩達の訃報に接して

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

いやー、歳のせいかもしれませんが、昨日は一日仕事を休んで寝てました。

仕事に行っても暇なんですよ、本当に今の季節。だから何も忙しく無いのですが、それが故に緊張感が緩み、夏の疲れが出たのかもしれませんね。

三十代の頃は馬車馬の様に駆け回れたんですが、やはり五十代は違います。

そんな中、ちょくちょく青年部時代の先輩達の訃報に接する機会が増えている感じがします。まあ七十代に成ろうという人達もいますので、自然の摂理からすれば当たり前かもしれません。

ガンや脳疾患、その他諸々ありますが、訃報を聞いても青年部時代ほど驚きというのがあまりなく、どちらかと言えば寂しさを感じることが多いですね。

「この御本尊に祈って叶わない事は無い!」

男子部に成り立ての頃、この様に云われ、確かに祈祷師の様にお題目を上げ、不思議な事で祈りが叶った体験も多くありますが、その一方で本当に苦しくて何時間も祈ったに関わらず、全然叶わない事も多くありました。

またある時期は事業を立ち上げることに苦闘して、今から考えると毎日塗炭の苦悩にのたうち回っていた時、お題目を唱えるという事だけで踏ん張れた体験もあります。

そんなこんなで最近感じることですが、祈りとして叶うものは叶うし、叶わない事は叶わない。そんな事なのでは無いでしょうか。

最近僕は相談を受けることが度々あります。これは創価学会の関係有無に関わらずですが、そこで僕が必ず言うことは「人生は成るようにしか成らないかもしれない。たたその人生に対して、決してネガティブにならず、自分の人生を信じて最善を日々尽くすしかないよね」という事です。

僕の予定ではあと人生は四半世紀程度はあると考えています。ここまでの体験で思うのは、何かしらの筋書きでは無いですが、いわば「川の流れ」の楊な筋道があって、人生を投げ出さなければ、何れはどこかの河口から海に出ていくようなものなのでは無いかと言うことです。

だから祈祷師の様にお題目を唱えまくろうと、その筋道にあっていれば「叶う」であろうし、筋道に違えば「叶わない」という事になるのではないかと。

「運ちゃんも功徳が欲しいでしょ?」

この様な言葉もありますが、人の一人の人生において、本当に求める幸せの量や形なんていうのは、一人ひとりが違うもので、そこのさじ加減については、本人しか解らないと思うんですよね。だから他者がどうこう言うものでも無いし、言わせる事でも無いでしょう。

しかしそこがぶれてしまうと人生に大番狂わせが起きたりする事があるかもしれませんし、もしかしたらぶれる事も含めて実は人生の筋道かもしれません。

ここばかりは解らないですよね。

少し話は変わりますが、人に前世なるものがあれば、何故に記憶がないのか、また人生を選択して生まれてきたのであれば、何故にその事を覚えてないのか。こんな話を聞いたことがあります。

前世だ願兼於業だというのは、個人の確信の部分にしか過ぎませんが、逆に筋書きが見えない方が経験の醍醐味があるという事かもしれませんね。

人の人生は様々なものがあると思います。その人生が満足行くものか不満なものか、それは本人にしか解りません。

ただし自分の人生は自分の大事な経験ですからね、大事にしたいものです。
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【20170808】御本尊をばら蒔く事

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

朝早く起きてしまい、ちょこちょことTwitterを見ていたら、アメリカのSGIUSAでイスラム教徒に改宗させずに御本尊を授与していることが書かれていました。

そういえば先日、YouTubeで「人間革命」の映画を観ましたが、最期のほうには戸田二代会長推戴式のシーンで七十五万世帯への拡大の決意で終わっていました。

僕の近所に住んでいる知人の御婦人ですが、以前に聞いたことがあったのは、若い頃に水商売していたとき、当時の同僚から御本尊を受けていたという事でした。
「今は巻いたまま、段ボール箱の奥の方にしまっているけど見てみたい?」と言われた事がありました。当然、その人の統監なんて地元にはありませんので、何処かの組織で統監があるのかもしれませんが、恐らく幽霊会員から退会処分されているのかと思います。

先のアメリカの話なんかでも、イスラム教徒が簡単に改宗なんて考えられないし、そんな状態で御本尊を安易に渡して、結果として御不敬に繋がるのであれば、それって意味があることなのでしょうか?

この様な状況がなぜ起きるのか?
それは活動に数字目標を設定して煽ることも、原因の一つですが、もう一つは御本尊を渡し、その文字曼荼羅の配布を広宣流布の指標にしているという、考え方の間違いに大きな原因があるわけです。

広宣流布という言葉は、法華経に書かれていますが、その内容は法華経を広く宣べ、この考え方を流布することを言ってます。
しかしその一方で法華経を読んでみると、その内容は釈尊の弟子たちが未来世において成仏する事を約束していること、またドでかい宝塔が出て来て、釈迦がはるか昔に成仏していて、その成仏した後も菩薩(この場合、仏教を修行する立場)として、有るときは虎に食われ、有るときは悩みながら修行し、またあるときには迹仏の元で仏法を修行したという事を明かした事でした。また法華経の中でこの経典を広めよと云う割りに、その法華経とは何なのか、具体的な話はありません。

簡単に言えば「法華経を広めよ」という経典を広めよと述べている様な事なんですね。ではその法華経とは何か?という事は「妙法蓮華経・仏所護念」と云う感じで簡単に言えば「仏しか理解してないな事」としか無いような感じ。

これに対して日蓮は「正法像法には此の法門をひろめず余経を失わじがためなり、今末法に入りぬりば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし、かう申し出だして候もわたくしの計にはあらず、釈迦多宝十方の諸仏地涌千界の御計なり」(上野殿御返事)と、その法華経すら意味がなく、ただお題目なんだと述べますが、そのお題目も文脈上は「法華経に帰依します」なんですね。

こう言うと、「南無とは梵語なり云々」と御義口伝の言葉を言い、そこにある因果倶時不思議の一法という事なんだとか、宇宙根源の法だとか、はたまた永遠の法なんだと言ってくるのでしょう。

では広宣流布で語るべき言葉とは、要は何なのか、どの様な事なのかと具体的に聞くと、そこの解釈については、創価学会の幹部によっても結構微妙にバラバラだったりしませんか?

「池田先生は人間主義、平和主義として仏法を現代に展開し、それを広める事こそが広宣流布なんだ」と言う人もいますが、それでは人間主義とは何か?そもそも人間と言う存在はどの様な存在なのかという事に論及してませんよね。

とても極端な事を言いますが、家畜の牛や豚や鶏から見たら、一方的に家畜化され、不本意に命を奪う人間は鬼の様な存在でしかないでしょ?
「宇宙根源の法」「永遠の法」とか「人間主義の平和思想」と言っても、要は生命の一種族の都合上の言葉でしかありません。

何も僕は議論を単純にシニカルに述べるつもりはありませんが、要はその様な根源的な議論なんて創価学会には出来ないと言う事をここでは言いたいだけなんです。そしてそんな状態で単なる組織拡大を広宣流布と定義して、日蓮の書いた文字曼荼羅をばら蒔く事が、本当に広宣流布なんですかと、問い直してみてはと常に考えているのです。

創価学会が七十五万になろうが、七百五十万になろうが、人類の愚かさは何ら変わることないし、日本人のおかしさも何ら変わってませんよね?

特に昨今に至っては、人をも部材化して経済活動に利用するだけという風潮も強くなってますし、そんな人間軽視の政策がまかり通る社会になってしまいました。

「いやいや運ちゃん、人々は幸福を求めていて、そんな難しい事を言っても糾合できないし、組織は成り立たないんだよ」

そんな訳知り顔で語る人が、とても創価学会の中で多くいますが、そんなんだったら辞めてしまえば良いのです。

結果、そこで出来上がったのは信濃町界隈に象徴されるような、人々すら経済的な手段や政治の駆け引き道具にするという風潮ではありませんか。

安易に御本尊授与なんてばら蒔きせずに、もっと根源的な事を考えてみろよと、僕は言いたくなりますね。

【20170731】創価学会会員の分類

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日は何かと憂鬱な一日でした。
人間何かと生きていれば、楽しいことも憂鬱な事も、さまざまあるでしょう。要はそういう事に引きずられる事の無いように生きることが大事なのだと思ってます。

さて、Twitterを見ていると様々な創価学会関係者がいると思います。一口に創価学会の会員と言っても、そこには様々な人達が居るものです。

信仰の本尊について見てみると、まず中心に文字曼荼羅を置く人置かない人。文字曼荼羅を中心に置くけど、大石寺の大本尊が大事だと思う人、思わない人。これだけ見ても多種多様です。
まあその中で最近の活動家のマジョリティは、文字曼荼羅は大事だけど、大石寺の大本尊に拘泥しない人ですね。

また師匠を持つ人、持たない人もいます。この師匠観にも様々ありますが、日蓮と考える人もいれば、池田会長という人も居ます。ここでのマジョリティは師匠を持ち、それは池田会長だという人でしょう。最近の組織では日蓮とか、牧口会長や戸田会長という人は、ほぼ居ませんね。

まあ組織に対する意識としては、創価学会に付き従う人、従わない人がいます。末端組織の活動家のマジョリティは付き従う人ですが、付き従わない人もいます。

やや大雑把ですが、こんな三種類の分類を見ても、様々あるのが解りますが、この三つがそれぞれに入り組んだ組み合わせになると、それはそれでとても複雑なモザイクとなっていきまよね。

例えば文字曼荼羅を大事だと思うが、大石寺の大本尊には拘らず、師匠は池田会長で、組織に付き従うという人。恐らくこういう人が組織内の最大のマジョリティでしょう。

僕なんかは文字曼荼羅はだいじですが、大石寺の大本尊には拘らないし、師匠は池田会長だけではないという考え方。組織には付き従う必要性は、まったく感じない分類ですね。

考えてみたら、僕が男子部に入った頃は、この分類でマジョリティはありましたが、それ以外の人もまだ許容し包含していた感じもします。
しかし最近では許容せずにマジョリティ以外は排斥する傾向性がとても強くなっているように思えますが、どうなんでしょうか。

創価学会の根っことは、そもそも何なのか。

牧口会長の時代には日蓮正宗(当時は興門派とも呼ばれてましたが)であり、その解釈に価値論を置いていました。しかし戸田会長の時代には価値論は取り払われて、そこに功徳論と罰論があったと思います。そして池田会長はそれを敬承しつつ、功徳論や罰論よりも人間主義をおき、最後には日蓮正宗を抜き去りました。

三代の時代の中で、二代の間、土台としていた日蓮正宗と決別したのは良いのですが、そこに人間主義を持ってきて、日蓮正宗のエキスの一部を残して構築した人間主義を「池田哲学」として、自身のカリスマ性を背景に創価学会の背骨に位置付けたのです。

しかしながら、この様な哲学的・思想的な大改造を施した割りに、付け焼き刃的な方法で会員に学ばせるだけに留まった事から、いまの創価学会の様に、本来、中心となる思想性・哲学性が「有るようで無い状態」を産み出してしまったのではありませんかね?

創価学会の現場幹部の中で、論理的に語れない人を大量生産してしまった背景には、こういう事が関係しているのでは無いでしょうか。

でもまあ「御利益求める」という宗教を目指すだけなら、こういう事もありかも知れませんが、生半可な思想性があったりするから、逆に御利益による誘導で、一部の宗教貴族達の思うがままに、会員たちは操られてあると言っても良いでしょうね。

しかし人を道具として扱う組織が、長きにわたり存続した事は、人類史上に無いと思いますし、今の創価学会はまさに崩壊、消滅期に差し掛かっています。

そこに哲学性や思想性があるならば、組織は無くなっても、志や想いの敬承はあるかもしれませんが、今の創価学会のいう「池田哲学」には、それは求められないでしょう。

斯くして創価学会という歴史は、人々の間で百年程度の間、熱病のように発生した運動と言うことで、終焉を迎えるのでは無いでしょうか。

根っこが弱い運動とはそんなもので、創価学会はそういう存在なのではありませんかね?

【20170725】嗚呼未来部考

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

子供たちは夏休み。塾だなんだと有るようですが、自分なりに合間を縫って、友達と映画に行ったりしているようです。

僕が子供の頃は何をしていたのか、ふと考えました。
小学生の頃は、両親共働きだったので、なにかと兄の後ろに付きながら、遊んでいた記憶があります。中学生の時には、友人と自転車で走り回りながら、何かしら遊んでましたね。高校からは、夏休みの大半は部活動で忙殺されていた記憶があります。

そんな中で、高等部の活動は合間を見て参加、夏期講習会や部員宅への訪問なんかやってた記憶があります。
たまに当時の男子部の本部長の自宅庭で夜にバーベキューやるからと呼ばれ、行ったこともありました。

当時、高等部だけでみたら本部で約四十名ほと居たでしょうか。支部の未来部(男女の中等部と高等部)でも同じ人数はいたと思いますよ。

そして青年部の未来部支部責がいて、未来部の面倒を見ていました。

記憶にあるのはこの支部責。支部の良き兄役の様な立ち位置にいて、当時の僕はそんな先輩たちの社会の中の話を興味深く聞いていました。

それから三十年以上経過した現在、僕の地元では未来部は希少価値の様になってます。既に支部や本部単位の青年部で、未来部の面倒を見れる陣容ではなくなり、各支部では壮年部や婦人部か「未来部長」という新設された役職により担当してますが、嫁を通して見ていると、どうも機能はしてないようですね。

主に旗降り動いているのは本部単位の様ですが、組織によっては七十代の壮年部や婦人部あたりがやっているようです。

一昔前ならば「指導部」とか「多宝会」の人たちが未来部の面倒を見ています。
まあ小学生あたりなら孫を面倒見る感覚なのでしょうが、中学生や高校生になるとしんどいのでは無いでしょうか。

そもそも支部の未来部陣容も、統監で男女合わせて何とか二桁いく程度。昔の陣容からしたら四分の一程度でしょう。

しかも多くが親は活動をしてませんから、子供なんて出てくるわけが無い。

僕が少年部支部責の時代、20~30名の子供達が少年部員会に来てましたが、今では未来部総出でも支部で数名しか出てこないでしょう。

創価学会では威勢の良いことを言いますが、現実はこんなものです。

団塊の世代が居るから、今の創価学会はまだ威勢の良いこと言えるのでしょうが、あと二十年もしたら、閑古鳥が鳴くことは、この状況をみれば明らかです。

未来部を見ることで、組織の未来が見えますよね。

【20170721】広宣流布した社会

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日も酷暑な日となってます。
毎朝の通勤だけで、グロッキー。職場に着く頃は汗だくで、直ぐに仕事なんかに取りかかれません。
地球温暖化とか、いやいや寒冷化とか、様々な議論がありますが、この一断面だけを見ると、温暖化の方が説得力ありますよね。

さて最近、マスコミは騒いでます。
まあマスコミは騒ぐのが仕事なので、毎度の事だとは思いますが、内容が下らなすぎます。
加計学園、稲田防衛大臣の日報隠蔽指事疑惑、あと最近静かになりだした森友学園。あとは魔の二期生国会議員にまつわる様々な事。
そう言えば北朝鮮問題はどうなったんですかね、あと先日、津軽海峡を中国公船が通過、領海侵犯もありましたよね?
尖閣に竹島、あと民進党の蓮舫代表の国籍問題。そうそう、一番深刻な福島第一原発事故はどうなってますか?まだ終息なんてしませんよ、これは。

よくもまあこれだけ色々な事が起きるもんだと感心しきりですが、これだけ問題がありながら、その根源の問題が良く解りません。ただ思う事は日本の中でいま起きている事は立正安国論の一節の言葉に表されているのではないでしょうか?

「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱ると」

幾度も書きますが、ここで言う「鬼神」とは「社会の善悪の基準」を言い、それが乱れる事で人々が混乱してくるという事を述べています。もともとは中国墨家思想の中にある「鬼神=悪食らう鬼」を指すので、僕はこの様に解釈をしています。

日本社会の中で、社会にとって何か「正義」なのか、そして何が「悪」なのか、その基準が混乱している事が今の社会の混乱の要因の一つではないでしょうか。

先日の東京都議選、公明党は早々と自民党と袂を別ち、都民ファーストの会の小池都知事に付きました。小池女史が立候補した時の都知事選挙では「小池都知事が当選すると、選挙が続き税金が余計にかかる」と、本来、首長選挙は自由投票であるはずの創価学会の組織内でも、小池女史をこき下ろしにしていたにも関わらず、都知事に当選して人気があがるや態度を豹変させた事も驚きでしたが、この公明党の変わり身の早さはある意味で関心すらしました。
この状況の中の都議選で、安倍総理は当初「創価学会抜きでも勝って見せる」と述べたという事が実しやかに流れていて、結果としては自民党は歴史的な大惨敗。同じ与党の公明党は全員当選となり、創価学会の中でも大勝利と喜び、自民党幹部は「やはり公明党なしでは勝てない」とぼやいたと言います。

そんな事を聞いて、さそかし信濃町界隈は喜んだ事でしょう。
何故ならこれまで以上に日本の政治に対して影響力を持てるという事になるからです。

創価学会では、僕が未来部の頃から「2001年5月3日」を目標として進んでいました。そして二十一世紀こそ「平和と幸福の歓喜の法戦の時代」とも言っていて、未来部の中では「ああ希望の二十一世紀」という歌をよく歌っていました。

そして今や創価学会の政治部門の公明党は政権与党に入り、都議選を通して政治への影響力を示し、次回の内閣改造では閣僚を2名、公明党から出すのではないかという事も言われています。

組織としての創価学会を見るならば、これぞまさしく昔から夢見てきた「広宣流布の姿」ともいえるのでしょう。しかし社会の様相はと言えば、まったく真逆な状況になっています。

社会の状況は先に述べたような大混乱。そればかりか北九州でも大災害が発生しましたし、地震も各地で起きています。また都心部でも先日、大きな雹がふって御騒ぎとなりました。考えてみれば熊本大震災の傷も癒えておらず、東日本大震災の傷も癒えてません。また福島第一原発では汚染された排水の捨て場でもめています。
国内ばかりではありませんよ、北朝鮮とアメリカの関係もありますし、世界中でも様々な事が起きています。

要は日本は大変な状況に置かれていますが、それでも何故か「2020年東京オリンピック開催」へとお祭り気分を盛り上げようとしていますよね。

これのどこに「広宣流布」の姿があるというのでしょう。

創価学会は間違えました。何時から間違えたのか、それは牧口初代会長の時代から既に間違えたと言っても良いでしょうし、そもそも教団組織の趨勢を「広宣流布」とした二代、三代会長の指導も大きな間違いでした。

つまるところ、法華経や日蓮の言っていた「広宣流布」を理解せず、組織の都合の手前ミソな「広宣流布」という言葉を広げたに過ぎないわけで、これでは日本社会に好い影響を与えるわけがありません。

現に今の姿。
創価学会は組織力としては社会の中で注目の位置づけとなっていますが、その創価学会の思想性が社会の中で良い影響を与えたものがありますか?

何もありません。池田思想なんて組織内で語っていますが、それでは日本人の中で「池田思想」を知っている人がどれだけいるでしょうか?
中国でも「池田思想研究所」なんて随所に立ちあげられたと記憶していますが、その中国がいま一体どのような姿をしていますか?

創価学会に疑問を持つ人達が、会員の中でも最近になり微増してきていますが、その人たちの多くもこういった根源的な問題に気付く人はごくわずかです。多くは「池田創価学会の再生」を夢見ているだけという、なんとも言葉にできない状況です。

「法華経に云く「皆実相と相違背せず」等云云、天台之を承けて云く「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」等云云、智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」
(減劫御書)

日蓮仏法を学ぶと言いますが、この日蓮の言葉を知らないで広宣流布なんてよく語れるものですよね。

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