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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20170118】本有の尊形

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今年の僕のテーマですが「一日一生」と決めています。これは先日、あるテレビ番組で紹介されていたあるプロ野球選手の言葉ですが、妙に気に入ってしまい、これぞ本年の僕のテーマだと決めた次第です。

歳が上がれば上がるほど、日々過ぎ行く速度が速くなっています。このままで行けば、今生も瞬く間に過ぎ去ってしまいますので、何とか日々爪を立てる想いで、何かしらをやりきったという日々にしようと、奮闘しています。

この年明けから僕は仏壇の前に座るように心がけてます。この「座る」というのは習慣として「座る」ではなく、常に意識を持って座る事に拘り実践しています。

祈る時間、勤行の内容はさておき、朝な夕なに仏壇の前に座り、読経・唱題をしていますと、先の「一日一生」と相まって、何とか日々空転せずに生きている感じがしますよね。

この御本尊ですが、日蓮は弟子の日女御前に手紙を認めて、その意義を説明しています。
以下にその部分を紹介します。

■日女御前御返事
「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、されば首題の五字は中央にかかり四大天王は宝塔の四方に坐し釈迦多宝本化の四菩薩肩を並べ普賢文殊等舎利弗目連等坐を屈し日天月天第六天の魔王竜王阿修羅其の外不動愛染は南北の二方に陣を取り悪逆の達多愚癡の竜女一座をはり三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神十羅刹女等加之日本国の守護神たる天照太神八幡大菩薩天神七代地神五代の神神総じて大小の神祇等体の神つらなる其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、此等の仏菩薩大聖等総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。」


ここで日蓮は、この文字曼陀羅はけして自作したものではなく、過去の人師・論師が知っていながら顕す事のなかったものであると明かします。

そしてそれを日蓮は「法華弘通の旗印」として顕したと言うのです。

文字曼陀羅を本尊として、また末法の法華経弘通の旗印として顕すとは、どういう事なのでしょう。
ここでいう旗印とは、戦の場で足軽などが印として上げるモノではなく、法華経を末法において弘通することを宣言する意味と捉えて良いかと想います。

ここでいう過去の人師でもある妙楽大師や伝教大師は、像法の末に生まれたことを嘆いていたともいい、その事を日蓮は撰時抄に以下の様に書いています。

「彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱うる癩人とはなるべし」

末法とはご存じの通り、釈迦の仏法の効力は消え失せる時代ですが、法華経がいよいよ広まるときだとも云われており、妙楽大師や伝教大師は、例え重病人であっても、この末法に生まれ、御題目を唱えたかったのだと云い、日蓮はその旗印として曼陀羅を顕したと言うのです。

そしてその文字曼陀羅では何が書かれているのか。

「されば首題の五字は中央にかかり四大天王は宝塔の四方に坐し釈迦多宝本化の四菩薩肩を並べ~」

これは法華経の虚空会の儀式をそのまま顕しています。そしてそこには善神から悪鬼まで様々な人々が収まっていることを述べています。

「此等の仏菩薩大聖等総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず」

そしてこの文字曼陀羅が表現する姿は、何を顕しているのかについても、日蓮はこう述べています。

「此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる」

妙法五字とは御題目を指す言葉といってもよく、それに照らされる事で、善神や悪鬼等も「本有の尊形」になる。つまり「本来あるべき尊い姿」になると云うのです。

この事が「法華弘通の意義・目的」であり、それを具体的に顕しているから「はたがしら」だと日蓮は述べたのでしょう。

この事について、より具体的にはどういう意義があるのか。

人間の人生、最近では八十年を越えるものとなってますが、この人生のなかで出会う人達や、関係する人達には様々な人が居ますよね。

自分を守る人、支えてくれる人、頼る人、頼られる人。また自分に害を為す人、悪意を持つ人、中には鬼のように命を食らうような人も居ます。

また出来事についても良い事、悪い事。それはもう様々あります。

これら全てが「妙法五字」に照らされると、「本来在るべき尊い姿になる」というのです。つまり人生にとってかけがいの無い大事なモノとなるというのです。

いいですか?
それらが「良い」とか「悪い」とかいう二元的な事ではなく、「かけがいの無い」という事として理解できる事が、「本有の尊形」という意味だと僕は理解しています。

そして「法華経とはその様な事が解かれており、具体的にはこの様な事なのだ」と顕しているのが、この文字曼陀羅だと云うのです。

だから勤行の意義についても、単に創価学会が教えている「御本尊ちゃま、お願い~」なんてすがる行為でもなく、この文字曼陀羅(御本尊)も「祈りとして叶わざるなし」という「幸福製造機」なんてものでもないのです。

法華経に説かれる「久遠実成」とは、その様な事を説いているのであり、そのより具体的な意義が形として表したのが文字曼陀羅なのです。

そして勤行とは、その姿を見つめながら自身を見つめ祈る事だとも言えるのです。

創価学会や宗門が唾競り合う「功徳体験」は、その祈る行為の副産物として、発生しているに過ぎません。

ちょっと難しかったでしょうかね。
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