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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20150526】創造者としての自身

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

さてさて「神との対話」について進めてみます。あー、そうそう、当体義抄もやりますが、少しの間はこちらを書かせてください。

このちまちま考えてしまうのは、僕の悪い癖だと思うのですが、こればかりはどーにも為らない性分のようですので。

さて前回の「祈りと創造」の続きです。
「②神は創造者だ」

この言葉が前回に続いてありましたが、これを読むとついつい「キリスト教の絶対神」みたいな事を想像してしまいます。
しかしこの本、こんな視点で読み始めてしまったら、これほど下らない本はないでしょうし、著者であるニール・ドナルド・ウォルシュ氏もがっかりすることでしょう。

この前段で、人々は「神に似せて創られた」とありますが、この神と言うのは、前回の記事に書いたように、この宇宙の始まりから存在していた生命の本源というものです。

つまるところ、この世界はそこから創り出されたものであり、この創造の源と我々一人一人も同じ存在であるという事から、この対話はスタートしています。

ここでは便宜上「神は創造者だ」と述べていますが、あえて仏法の理論的に言えば、総じて一人一人の人間も、環境(自分の周囲の世界)の創造者だという事に他なりません。

そしてこの思想は一念三千にもつながるモノだと思います。

ホームページ等にも「諸法実相」という事で書きましたが、ここで再度復習します。

仏法では瞬間の心を「一念」と呼び、それは三千羅列だと述べていますが、これをもう少し噛み砕いて読み進めてみます。

瞬間の一念の心は「相」として見た目に現れます。それは顔の表情であったり、言葉であったり行動であるわけです。そしてその心には性質も備わり、この「相」と「性質」が合わさり「体」となります。

この瞬間の一念から派生した「体」は周囲に対して作用する「力」があり、それが環境に様々な「作用」を起こします。

その作用により「原因」を作り出してしまい、その原因は心の奥底深くに蓄えられます。

ここまでは瞬間瞬間の働きですね。
ちょっとややこしいのは、この原因が結果として顕在化するには時間差があると言うことです。

ただ仏法では「因果倶時」と述べてますので、原因を作り出した段階で「結果」も既にそこに内在していると捉えます。

ただその内在した「結果」はと言えば、時の経過で何かしらの合致した「縁」により「結果」として顕在化して来るのです。

そして顕在化した「結果」は自分の一念に対して「報い」をもたらします。この報いには善悪はありません。善悪を判断するのは、受けた本人の心であり一念です。
「相」「報」までは一貫して一念の心から起きていることを「本末究竟等」と呼びます。

この一連の働きというのが、個人に止まらずに社会に、そして住んでいる場所等にも同様の関連性を持った働きがあると云うのが三世間の考え方であり、心の瞬間瞬間の動きが「十界互倶」という言葉で表現されています。

なぜ仏の別名を「如来」と呼ぶかと言えば「如如として来る」という様に、こう言った瞬間瞬間の一念の動きや働きを知り尽くしているからです。

この様に様々な瞬間瞬間の一念と、それが周囲に働きかけ、それがまた一念にフィードバックされるという事の繰り返しが人生であり、それはとりもなおさず「創造者」としての働きそのものであるといえませんかね?

だから「神は創造者だ」という言葉に僕は何ら違和感を感じることなく、将にその通りだと感じてしまいました。

「あなたがたは三つが一体となった存在だ。その三つをどう呼んでも良い。父と子と聖霊でもいいし、精神と身体と霊でもいいし、超意識と意識と無意識でもいい。」
「創造とはその三つの部分から生ずるプロセスである。言い換えれば、あなたがたの創造には三つの段階がある。創造の道具は思考、言葉、行為だ。」


ここでいう三つというのが、これまたとても興味深い言葉です。

仏法では仏の姿として「一身即三身」というものがあります。

法身とは生命の本質、過去から未来に一貫性を持つ身です。報身とは知恵の働き、応身とはこの二つの特性を備えた肉体です。

また「身口意の三業」ということもありますね。行動、言動、そして意識(心)です。これはさき言葉と一致します。
人生を作り出すのは身口意の業(働き)であり、その働き(プロセス)の実態は法報応の三身であるのです。

よく「祈りとして叶わざるなしの御本尊」と創価学会では言ってます。また宗門の人は「御法主上人貎下の認めた(許可した)正しい本尊」だから祈りが叶うと云います。

しかしこの「祈りを叶える(創造する)」は人間が本源的に持ち合わせた力用であり、それは身口意の三つの行い(業)により進むというのです。

得てして祈りの叶わないという人は、この三業のいずれかのプロセスを蔑ろにしていたりします。また当然の事、そこに「御本尊」という対境の真偽などは関係ないのです。

人生の環境の創造者たる自身。
なんとも興味深い言葉だとは思いませんか?
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