忍者ブログ

想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20161022】広宣流布とは何だったのか?

こんにちは( *・ω・)ノ

この間まで暑い日があったのに、一気に秋らしくなりました。
ちなみにこの時期に夏の様な陽気に成ることを「インディアン・サマー」というそうですが、もうさすがにあの様な暑い日は無いと思ってます。

季節の変わり目には何かがある。

「しをのひるとみつと月の出づるといると夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり」
(兵衛志殿御返事)

考えてみればここ四半世紀、様々な事がありましたが、人類の歴史で大きな変わり目を迎えつつあるのかもしれません。

さて今回のお題、広宣流布について書いてみます。
そもそも大石寺や法華講、そして創価学会はこの「広宣流布」という言葉を使ってますが、どの様な意味なのか。

大石寺では元々、日本人の大多数が弘安二年の大本尊を信じ、「大石寺」が「本門寺」と名前が変わり、時の天皇陛下が参詣に来て「不開の門」が開かれ大本尊の元を訪れる時が来ると云ってました。そしてその時こそが「広宣流布達成の日」なんだとか。
そして戸田会長はその模擬試験として、大講堂落慶法要の時に、総理大臣であった岸信介を招待したが叶わず、その息子である安倍氏(今の総理の父親)を代理で招いて法要を行いました。

多くの日本人と言いますが、どれだけの人々かという指標として「舎衛の三億」という仏教説話の話をあげてましたよね。
過去に舎衛国という国があって、その広宣流布の時には一億が信心して、一億は理解者で、残りの一億は信心してない状況だったそうです。

だから大石寺に正本堂を建立した時には、日本の人口は約一億二千万人、約二千四百万世帯として、その三分の一である八百万世帯に創価学会が拡大したという「理屈」で、「現時における広宣流布達成」と宣言したんですよね。

しかしその事について、同じ大石寺信徒であった妙信講(顕正会)は面白くなく、大石寺の中で大騒ぎ。「謳惑の戒壇」と言いがかりをつけて、もうあちらこちらで騒ぎだした訳です。
要は大石寺信徒内の主導権が取れなかった事に浅井親子が納得しなかったんでしょう。

でもこうして見ると、この広宣流布観とはあくまでも日本国内のローカルな話でしかなく、世界に開く理屈にならない。だから創価学会としては「世界広宣流布」という言葉を作り、大石寺臭さの脱却を目指し、「人間主義」という新たな仏教観点を打ち出して、まあ今に至るという処でしょう。

ここまで見てみると、広宣流布という言葉には「教勢拡大」という観点が付きまとっていますが、本来の意味はそうだったのでしょうか?

確かに日蓮はお題目を唱える人が増える姿と言うのを、各種の御書に書き残しています。

「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」
(諸法実相抄)

しかしこれが広宣流布の求めた姿かというと、そうではないでしょう。これは鎌倉時代に日蓮一門が小数孤独な戦いの中で、それを鼓舞するために述べた言葉として受けとるのが妥当だと思います。

この広宣流布について、法華経の薬王菩薩本事品には以下の言葉があります。(有名な部分ですが紹介します)

「我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむることなかれ。宿王華、汝当に神通の力を以て是の経を守護すべし」

ここでは後後の五百歳、これは末法を指すという解釈ですが、世界にこの経典を広く宣べ、語り広めて行きなさいと言ってます。そしてそういう活動を通して、悪魔や魔民といった、人を苦しめる存在の動きを封じていくことを求めています。

これが本来の広宣流布なんですよね。
何も組織を拡大しろとか、そんな事は本来の意義として求めている訳ではなく、もし組織的に拡大したといっても、それはそういう事を進める上で副次的に出てくる事というだけでしょう。

しかし創価学会や顕正会といった組織では、本来副次的に出てくる姿を求めてしまい、本当に目指すべき姿を理解せずにここまで来てしまいました。

残念な事ですね。

また広宣流布というのは、単に慈善事業や福祉的な行動、また反戦的な活動を云うのではなく、この法華経を語り広めるという中で、その社会の中の人々の中に芽生えてくる心から出てくる姿であり、それも主体ではありません。

広宣流布とは法華経の志を受け継ぐ言論戦であり、中核には思想と哲学が確立してなければなりません。そしてそういう思想や哲学を多くの人に啓蒙し、社会を常に触発する活動でなければならないでしょう。

しかし大石寺を始め、創価学会もそういった言論戦であり思想戦という事を、あまりに軽く見すぎて来たのではありませんか?

そういった中軸がずれたままの行動では、当然の事、その先にあるのは広宣流布ではなく「悪魔・魔民」が跳梁跋扈する社会であり、いまの信濃町界隈はまさにそんな姿となってますよね。

そして信濃町界隈が関わってしまった日本という国にしても、人を目的とせずに、人を手段としてしか観ない世の中になってしまいました。

そろそろ「広宣流布」という言葉を安易に使うのではなく、本来の意義について再検討を始めなくてはならないでしょう。

日蓮門下、いや、仏教徒としては、ここが一番大事なのかもしれません。
PR

プロフィール

HN:
運ちゃん
性別:
非公開

フリーエリア

バーコード

ブログ内検索

P R

忍者アナライズ

カレンダー

10 2017/11 12
S M T W T F S
3 4
5 11
12 15 16 17 18
19 24 25
26 27 28 29 30

最新コメント

[10/21 中]
[05/03 NONAME]

忍者カウンター

Copyright ©  -- 想学談林-管理者の部屋 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]