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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20171114】民衆仏法とは何か

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

朝、自宅を出ると空気がヒンヤリしていて、いよいよ冬になるんだなと実感します。
個人的に冬という季節も好きなのですが、底冷えする様な寒さはとても苦手です。
これから空気が乾燥し、風邪やインフルエンザも流行するのかもしれませんが、体調管理はしっかりとしたいものですね。

さて、Twitterを見ていると、気楽さんの呟き等で「民衆仏法」という単語をよく見ますが、民衆仏法とは如何なるものか、そして日蓮の説いた教えは民衆仏法だったのか、少し個人的に考えたことを、今回は記事にしてみます。

先日の会則改正に伴い、創価学会では日蓮の出世の本懐観を変えました。

「農民信徒たちの不惜身命(仏道修行のためには身命を惜しまないこと)の姿に、大聖人は、民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられて、10月1日に著された「聖人御難事」で、立宗以来「二十七年」目にして、大聖人自身の「出世の本懐」を示されました。「出世の本懐」とは、この世に出現した目的という意味です。」
(Sokanet-教学入門 抜粋)


今までは大石寺の教学に基づいて、弘安二年大本尊の図顕こそ出世の本懐と言っていたのを、ここに来て名も無き農民信徒が弾圧に屈しなかった事から「私の説いた教えが人々の中に根付いた」と確信できた事を出世の本懐としたんですね。

これも読んでみたら変な話です。

前にも書きましたが、日蓮の門下に対する幕府の弾圧というのは、この熱原以前にもあったろうし、殺された信徒もいたと想います。これは日蓮の御書の随所に、日蓮自身が語っています。

「日蓮は法華経のゆへに度度所をおはれ戦をし身に手をおひ弟子等を殺され両度まで遠流せられ既に頚に及べり」
(妙法比丘尼御返事)


過去に殺された弟子達と、熱原で殺された三人とで一体何が違うのか、日蓮の御書には書かれていません。

創価学会の教学部として、その辺りの見解を是非とも示して頂きたいものです。
末端組織の幹部に聞いても、この辺りに答えられる人は居ないでしょうからね。

さて、そもそもですが、この熱原の法難に絡めて、創価学会では「民衆仏法」と言いますが、日蓮の時代に果たしてその様な言葉があったんでしょうか?

所謂、平安時代まで、僧侶というのは「官僧」であり、律令制度の元で出家という行為か国家で管理されていました。そして律令制度において僧侶の役割とは、仏教を学び、国家のために修法を執り行い、国の安寧を祈る立場でした。

だから一般の人々、こと平民や農民に僧侶が教えを説き、布教する事は法律で禁止されて居たのです。

そういう歴史の中で、平民にも仏教を広めた僧侶として有名なのは法然房源空であり、平安末期から僧侶の中で、その様な活動が顕著になったと言います。

鎌倉仏教とは、従来、皇族や公家、また武家に限られた仏教が、人々の中に広まり始めたものを指し、念仏などはその先駆けと言っても良いでしょう。

「専修念仏」とは、ある意味で平民であっても念仏を唱えれば極楽浄土に行けるという教えであり、仏教に疎い平民なども、特に学ばずとも仏の功徳に浴する事が出来ると説いたものです。

日蓮の教えもその延長線上にあり、お題目を唱えれば、法華経の功徳力により、仏となることが出来るというもので、僕はその意味から「民衆仏法」の先駆けの一つであると考えています。

「南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし、此の徳はたれか一天に眼を合せ四海に肩をならぶべきや。」
(撰時抄)


ここで日蓮はお題目を「一切衆生」、つまり人々に勧めたとありますが、日蓮の思いとしては上下選ばず全ての人々にお題目を教え、流布しようと考えており、そこに身分や門地による差別は無かったと想いますし、これは日蓮門下に於いても同様であったと考えられます。

そういう意味では「民衆にも開かれた仏法」であったと想いますが、御書の対告衆、つまり与えられた人々の多くは武家でした。これは布教の足場とした鎌倉という土地柄もあったでしょうが、平民や農民は文字が読めなかったと思うし、そんな彼らには甚遠な教理は理解できなかったでしょう。

「彼のあつわらの愚癡の者どもいゐはげましてをどす事なかれ、彼等にはただ一えんにおもい切れよからんは不思議わるからんは一定とをもへ、ひだるしとをもわば餓鬼道ををしへよ、さむしといわば八かん地獄ををしへよ、をそろししといわばたかにあへるきじねこにあえるねずみを他人とをもう事なかれ」
(聖人御難事)


この御書は熱原の法難の時の有名なものですが、ここで「彼のあつわらの愚痴の者ども」と言うように、農民信徒には難しい理屈はさておいて、生活に身近な事を例にとって教える事が精一杯だったと想います。

創価学会の云う「民衆仏法」とは、人々を覚醒させ、人々が自ら自立する為の教えと言ったニュアンスがあり、それは社会をボトムアップで変えていくという思想です。
(まあ実態はとりあえず置いといて)

しかし鎌倉時代当時の日蓮仏法とは、全ての人達に門戸を開いてはいましたが、現代流の「民衆」という考え方は、社会の中にすらありませんでした。

そこから考えても、今の創価学会が出世の本懐論として、「民衆の中に日蓮仏法が根付いた」なんて解釈はとても難しいと思われます。

この熱原の信徒の行動が「不惜身命」というなら、当時の社会にはそれ以上に法然房の念仏に「不惜身命」の人が居たはずです。

いや「国構えに民の文字を使っているから、大聖人は民衆を考えていたはずだ」なんて言葉もありますが、なら古代中国の貞観政要は既に民衆立を志向していたと云うのでしょうか?

鎌倉時代の社会を理解して、その上で日蓮の教えを理解して、そこから現代にどの様に展開するのか、よくよく考えねばなりません。

これは簡単な事ではありませんよ。
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【20171113】王仏冥合か顕合か

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

この週末、特にすることもなくぼーっとしてます。子供がまだ小さい頃は近所の公園に連れていったり、散歩したりとしましが、ある程度大きくなると子供も親とは歩きたがらなくなります。

それだけ子供も成長したという事なんでしょう。

この子供達が大人になる世の中は、少しでも平穏でいい世の中であってもらいたいと念願しています。

今日のお代は「王仏冥合」について少し書いてみます。この考え方は「三大秘法稟承事」という御書に書かれている内容で、過去の記事にも幾つか書きました。

今回は宗教と政治、そして社会の在り方について書かせてもらいます。

まず三大秘法稟承事という御書ですが、これは以前から偽書と言われていたようです。しかし日蓮が自身の法の三大秘法、つまり本尊と戒壇と題目のうち、戒壇について論究した御書はこの御書以外になく、そういう意味では偽書ではないという論もあります。

しかし大石寺ではこの御書を真筆として捉え、広宣流布に関してあるべき姿を述べていて、創価学会もそうですが法華講や顕正会についても、この考え方に基づいています。

創価学会が公明党として政界に進出した根拠もこの御書であり、その政治活動は未だに続いている事から、やはりこの御書については大石寺や創価学会だけでなく、今の日本の政治状況にも影響を与えていると言っても良いでしょう。

さて王仏冥合の依所となる部分を紹介します。有名な箇所ですが。

「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり」

ここでいう戒壇というのは、天台大師滅後に建立された比叡山のような仏法の根本道場ともいうべき場所をいい、日蓮の場合には御本尊を奉掲する末法の道場の事を言います。
そしてこれが建立される時とは「王法(国を治める法律)が仏法に冥じ」とあり、仏法思想の中に治世の考え方が入り、「仏法が王法と同じ様に合わさって」と、要は仏法思想が国の治世の法となる時だと言っています。

ここで「冥じ」というのは治世の法に仏法が入り込むことを述べているのではなく、仏法に治世の法が入り込むことを述べており、その事を「王仏冥合」とのべているのです。

創価学会では「王仏冥合」とは、あくまでも政治の精神的な処に仏法が生かされ、目に見えない形で合わさると解釈してますが、実際に三大秘法抄で求めている姿は違うのです。

仏法そのものが王法(治世の法)になる事を述べているのです。

そしてその具体的な姿が「有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」とある様に、正しく仏法を行じる僧侶を、国の王が国の兵隊を引き連れて守る様な時代となり、「時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か」と、国の事業として最高の立地場所に建てられるものであるというのです。

どうですか。
創価学会が主張してきた「王仏冥合」とは逆な事を日蓮は求めていたという事であり、簡単に言えば政祭一致の社会を本来は戒壇建立の時だと云うのです。

しかしだからと言って日蓮を責める事はお門違いだと思いますよ。

当時の幕府の治世の根本思想とは、貞観政要を模した「御成敗式目」というものてあり、これは古代中国の思想で、恐らく道教とか儒教が根底にある思想です。日蓮はそうではなく、法華経を中心とした仏法思想による治世を考えていたであろうし、だからこそ今で言う「王法顕合」の様な冥合論を打ち出したのでしょう。

つまる処、政治と宗教の関係性は、時代と共に変わるものであって、今の時代で言えば、創価学会の主張する「王仏冥合論」何て言うのも、時代にはそぐわなくなっています。

昔の政体、それこそ鎌倉時代に於いては宗教と政治は不可分なものであったと思うのです。しかし最近の政治が治めるのは近代国家であり、そこには様々な思想の人々が国の元で生きています。

最近の流行り言葉で言えば「ダイバー・シティ」です。

この近代国家における政治家は、個人の思想信条として宗教を持つのはあったとしても、それを政治に反映するというのは別義でしょう。

多様性の社会では、異なった価値観を持つ人達が共同で社会を動かす事であり、だから互いに持つ思想信条には、尊重すれども干渉せずに、円滑に社会生活する事を求められるのです。

そこを考えていけば、あくまでも思想信条とは個人の内面の世界に留めておかねばなりません。そしてその思想信条は、自身で咀嚼した内容で社会に還元しなければならないのです。

既に「王仏冥合の楽土構築」なんて、いまの社会には受け入れられないでしょう。

何故なら近代国家では、宗教ですら多様化した社会になるので、そこに「仏教思想」を持ち込むことは出来ません。やるならば、個人の思想信条として展開するに留めなければならないのです。

こういう事を理解していない事から、公明党に関する多くの矛盾も発生しているのではありませんか?

そういう意味では、創価学会という宗教団体を体とした政党は、衰退して当然の流れだと思いますよ。

よくよく考えなければなりませんね。

【20171110】法難再考

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今週もあっという間に週末となった感じがします。
学生の頃の三日くらいの感覚で、一週間が過ぎてしまうからたまりませんね。
一週間を振り替えると、何だかんだとやってたんですが、やはり短いです。

時間は大事にしないと。

さて、今回は「法難」について少し考えてみましょう。ここでいうのは「法難」と言うよりも、人生の中の難という事かもしれません。

よく創価学会で活動してた人は言いますよね。「難に逢ってない人は信用できない」とか「難に逢ってないから云々」という言葉。

確かに牧口会長は獄死して、二代目戸田会長も投獄され、三代目池田会長も大阪事件で拘留されてました。
かつて池田会長は「難に逢ってない人間は信用できない」という様な発言もしてましたよね。

確かに歴史的に事を為した人間の多くは、大なり小なり権力側から迫害されていますので、そういう人は信用に値するというのはあると思います。なにせ自身の信念の為に殉じた行動をとった訳ですから。

でもそうであれば、創価学会としては法然房源空(いわゆる念仏宗開祖の法然です)も尊敬して良いのではありませんか?

立正安国論では、主人は法然を責めています。それに対して客人は、何故そんなに責めるのかと問いただし、法然を責めた人が京都から鎌倉の間の人々にもいなかったではないかと言うと、

「其の上去る元仁年中に延暦興福の両寺より度度奏聞を経勅宣御教書を申し下して、法然の選択の印板を大講堂に取り上げ三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしむ、法然の墓所に於ては感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしむ其の門弟隆観聖光成覚薩生等は遠国に配流せらる、其の後未だ御勘気を許されず豈未だ勘状を進らせずと云わんや。」(立正安国論)

と、1224年(元仁元年)に延暦寺と興福寺(共に天台宗)からの奏聞(朝廷への意見奏上)により勅宣と御教書(朝廷からの命令)を下され法然の史跡や墓所、また弟子達が島流しにあった事を述べています。

何故この様になったかと言えば、法然の説いた念仏により、従来の既成仏教が衰退したからであり、これは当時の天台宗が「正法が廃れる」という事よりも、いまだ勢いが衰えない念仏宗を権力の力を借りて既成の仏教勢力が潰しにかかったとみても良いでしょう。

また法然自身も晩年の時に讃岐に島流しにもあってますが、これも法然が念仏を広めた行動の故です。

確かに法然の説いた教えというのは、法華経を下げるものであったかもしれませんが、自身の信仰により権力者から迫害にあったという事では、むしろ創価学会の述べる「難にあった人」という事に通じるのではないでしょうか?

だから「難にあった人は正しい」「難にあっていない人は正しくない」「信用できない」という事であれば、法然房源空も信用して良いという事になるのではありませんかね?

「いやいや、、、単なる難ではなく正法を広めた事での難を言うのであって、法然房源空は邪宗を広めたのだから、それは違う」

そんな事を云うのであれば、牧口会長や戸田会長は大石寺の教義が故に難にあったわけであって、いまの創価学会からすれば、それもオカシナ事になりはしませんか?
牧口会長が目指した広宣流布とは、弘安二年大本尊を日本国民が信じ、大石寺の法主の下に天皇陛下が参詣にくる時代を目指したものでした。しかし昨今、創価学会では弘安二年大本尊を受持の対象から外しています。

特高尋問調書を良くみてみましょうよ、、、そこで牧口会長が主張していることを読んでみてください。この尋問調書は公立図書館であれば入手が可能なのですから。

ここで僕が言いたい事。

それは「権力側に迫害されたから正しい」とか「難にあっていない人は信用できない」という事は、安直に言ってはいけないのではないかという事なのです。そしてもしその様に言うのであれば、しっかりとその「難」という事の本質を理解してから、語って欲しいものだと思っています。

池田会長の大阪事件の拘留について、あれば「法難」ではありませんね。
あれは難というよりも、選挙を通じて出てきた新興勢力を毀損の権力側が潰しにかかったという事、そして創価学会側でも基本的に公職選挙法ギリギリの事をやった結果としての犯罪嫌疑があった訳で、責任者の池田会長が拘留される事自体、何らおかしな事ではありません。

要は「脇が甘かったから拘束された」という事であり、しかも法難という割に、池田会長は東京蒲田の自宅まで大阪府警の警察が来て逮捕・拘留されています。人間革命でいう「激流に飛び込むごとく、自ら大阪へ向かった。」なんかではありません。
詳細は日本経済新聞の1957年7月4日の夕刊記事を見てください。

日蓮の法難でも「小松原の法難」は、単純に法華信仰によるものではなく、領家の尼と言われる東条御厨の荘園をめぐる地頭(東条景信)との争いに日蓮が関与した事が発端として起きた事件です。だからこれは「法難」と言っても少し違いますよね。

また松葉が谷の法難においても、日蓮を襲ったのは鎌倉大仏の造立に携わっていた仏師だと言われていますが、その理由も日蓮の念仏批判に対して自分たちの仕事が奪われるという、彼らの不安を煽り立てられたからであり、単純に法華経を広める日蓮の行動憎しというものでは無いようです。

歴史上、「法難」と言われ信仰が故に迫害される。
そういう様に語られている内容についてもしっかりと考察し、その内容については理解する必要があるし、その上で「難にあったから信じれる」「難にあってないから偽物」を語る必要があるでしょう。

人を評価するのは「難にあったか、あわないか」以前に、人間としてどの様な立ち位置で生きているのか、行動してるのか。

まずはそういう視点も忘れないで欲しい無いもんです。

【20171109】御本尊の相貌と効用

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日は関西に出張に来ていて、これから東京方面に戻ります。

そう言えばトランプ大統領、今度は訪中ですよね。習近平氏とはどんな話をするのでしょうか。
極東アジアが平穏の為になる内容なら良いんですけどね。

さて本題です。
日蓮の文字曼荼羅。創価学会では日蓮直筆のものではなく、大石寺の第二十六代貫首・日寛師の書写したものを「謹刻」してます。まあ第一次宗門問題でいう処の「模刻」ですが、実際には製版による印刷物です。

製版なので、栃木県浄圓寺所蔵の日寛師曼荼羅を写真に撮り、データ上で脇書きを削除して製版してますが、大石寺関係者にはこれが気に食わないらしく、「偽造本尊」とか「贋本尊」と言っていますね。

何でもあの本尊は日寛師が浄圓寺に対して「一機一縁の本尊」だとか、何だかんだ難癖を付けています。そもそも「一機一縁」なんて考え方、日蓮にはなく、これはあくまでも日蓮没後の後世の弟子が言い出したことです。

この脇書きを削除した事、なぜそれほど騒ぐのか僕は理解できません。

大石寺では、本尊書写の権能は、代々付法の法主の権能であり、御本尊は法主の開眼無ければならぬと言いますが、既に今までの宗門問題の論争の中で、そんな事は無かった事が明かになりました。

例えば池田会長の御本尊謹刻についても、第一次宗門問題に関する裁判記録に、時の藤本日潤総監が「手続きの問題だ」と証言してますし、もともと法主にのみ特別に流れる「別の血脈」なんてのもありません。

だから日蓮の文字曼荼羅は、何もオカルト的な事なぞ無く、首題のお題目と、愛染・不動の梵字、また十界の諸尊の姿に意味があるという事でしょう。

要はあの相貌に意味があるという事であり、あの姿は法華経で説かれている虚空会の儀式の姿を、日蓮が自身の感得したものとして顕したものです。

宗門では歴代貫首が、弘安二年の大本尊を、貫首の「御内証」に基づいて書写したと言いますが、この書写されている内容も貫首によってバラバラです。また「御本尊口決七箇相承」という相伝書があり、それに基づき書写しているとも言いますが、第三祖の日目師の書写した文字曼荼羅は、その相伝書をまったく無視した相貌となってますので、この相伝書に至っても日目師以降の後世の創作と言っても良いでしょう。

まあ日蓮直筆の文字曼荼羅にしても、細かい処が当初はバラバラなので、そもそも細かい事は決まってなかったのかもしれませんね。

だからやれ「脇書きがない」とか「賛文で二千二百三十余年」になってないとか、そんな事は大きな問題ではないという事でしょう。

例えば御本尊にお題目を唱えている時、脇書きだとか賛文だとか目につきますか?
恐らくそんな文字の細かい処まで意識している人はいないでしょうし、気づかないと思うのです。

先に書きましたが、法主の開眼なければ、悪鬼が文字曼荼羅に入り、その文字曼荼羅にお題目を唱えたら不幸になるという話ですが、これは恐らく祈る本人がその文字曼荼羅にどの様な思いを持っているかに依るのではないでしょうか。

創価学会の文字曼荼羅は宗門のいうように「贋本尊だ」と、心の片隅にでもあれば、結果としてそのいのりは不幸を呼び寄せ、宗門の日顕師の書写曼荼羅を「気持ち悪い」と思ったら、それが結果を呼び寄せる。

そういう事ではありませんか?

これは身延で販売している、日蓮直筆を製版した文字曼荼羅についても同じことが言えるでしょう。

でもそんな事を考えたら、果たして日蓮の文字曼荼羅とはどの様なものなのか。日蓮は観心の本尊と言ってますが、あの相貌とは虚空会の儀式の姿を、一幅の文字曼荼羅の形式に顕したものであり、それが自分自身の心の奥底にあるよという事を示したものかもしれませんね。

そういう意味で「根本尊形」としての本尊なのかもしれませんが、過去に戸田会長が言った「幸福製造機」でもありませんし、日寛師が言った「祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなし」という本尊でも無いのかなと、僕はそう思ってます。

日蓮の文字曼荼羅は、あの相貌に意味があり、脇書きだとか諸尊の数、また賛文等にはあまり意味が無いのかもしれませんね。

【20171108】悟達という考え方

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日は午後から関西方面に出張です。
やること多くて良いのですが、最近疲れが取れなくなってきまして、翌日に出張先から事務所に戻るのが辛いです。

でも仕事ですからねー。
致し方なしです。

さて最近の若い会員は知らないかも知れませんが、戸田会長の獄中の悟達という事について少し書いてみたいと思います。

戸田会長は巣鴨拘置所に拘留されている間、二つの悟達をしたと人間革命なる小説で紹介してますよね。

一つは「無量義経」にある三十四の否定から「仏とは生命なんだ!」という事。二つ目はお題目を唱えているうちに虚空会を体験して、自身の人生の意味を理解したという事。

ある意味で創価学会の存在意義はとは、この戸田会長の二つの悟達にあると言っても良いのですが、これを皆さんはどう思いますか?
でもまあ最近の創価学会ではそんな事は言あまり語らなくなりましたね。でも永遠の御大のいう「生命論」の根源は、この戸田会長の悟達から来てると言っても良いでしょう。

さて、まず無量義経。これは言わずと知れた出所不明の経典ですが、天台大師が法華経と結びつけ、法華三部経の開経とされました。そこで述べられる「其の身は~」という仏の賛文から、戸田会長が悩みに悩んで閃いたのは「仏とは生命の事なんだ!」という事なんですね。

これはぱっと直感的に納得してしまいますが、チト待てよと。ここでいう「仏」とはどの様な事を言うのでしょうか?

大乗経典に説かれている仏なのですか?
それは釈迦仏か阿弥陀仏か、それとも大日如来の事なのか。いやそもそも三世十方の仏を言うのか。
それとも一人ひとりに内在する仏性を、ここでいう仏と呼ぶのでしょうか?

この仏教で呼ぶ仏を「生命」と呼ぶ事は、感覚的にはとてもフィットしますが、では具体的な事はとなると、途端に様々な事が交錯してしまい実体がぼやけてしまいます。

これは悟達というよりも、戸田会長の「閃き」に近いものであり、まだまだ考察が必要な事だと思うのです。

あともう一つ、虚空会の話。
これについては、このブログでも過去に書きましたが、僕も当初、小説・人間革命で読んだとき、戸田会長はどの様な情景を見たのか興味があり、その話から戸田会長の辿り着いた境地に思いを馳せました。

霊鷲一会・厳然未散

さぞかし素晴らしい体験なのだろうと思ったのですが、これについて青年部時代にも似たような体験の話を部員の中から聞いたことがありました。

悩みに悩んでお題目を唱えていたら、仏壇が光輝いて目が眩んだ話、御本尊が金色に光輝いていた話。ネットでも法華経の虚空会を体験したと広言して憚らない法華講員までいました。

ではこれ等を体験した人達は、悟りを開いたのかと言えばそうではなく、どちらかと言うと逆にその体験に縛られ思考が膠着化していたりします。

こういう体験は一般的に「宗教体験」とも呼ばれ、例えばキリスト教でもイエス様を見たとか、マリア様を見たなんて話もある位なので、要は人間が祈るなかで内面体験として起きることなのでしょう。

戸田会長にしても、光輝く大御本尊に対して多くの人達と共にお題目を唱えていたといい、その場には日蓮大聖人も居たであろうと述べ、生涯、法華経の流布に勤める決意を固めたと言ってました。

しかし戸田会長の広めようと決意した教えは大石寺の教えであり、実際にどこまで日蓮と同意であったのか解りません。

こういう事を考えたとき、これは戸田会長の内面的な体験の話であって、仏教でいう悟達と同列に扱ってよいものなのか、僕は個人的に疑問を持ってます。

思うに仏教では、釈迦は悟りを開いたと言いますが、その悟りの内容について具体的な記述はありません。

例えば釈迦が菩提樹の下に座して、瞑想の中で一つ前の人生、二つ前の人生、十前の人生、百前の人生、そして幾つもの宇宙の誕生や消滅の中で、自分はどの様な存在であったか、思い返す中で、夜明けの空に光輝く金星を見て、悟りを開いたとも言われています。

では一体、何を悟ったというのでしょうか?
一説には「悟りを開いた」ではなく「知った(知見した)」のであり、後世の弟子が釈迦を権威付ける為に、あえて「悟達した」という形を作ったとも言われています。

考えてみれば、末法の御本仏と大石寺では呼んでいる日蓮にしても、例えば文字曼荼羅について見てみると、龍ノ口の法難後、相模国依知で初めて「楊枝本尊」を顕しました。しかしそれから弘安五年に亡くなる前まで、様々な相貌の物があります。

形式として大枠は後年になると固まって居たようですが、僕はその文字曼荼羅を拝見したとき、日蓮も生涯思索を止めなかったのではないかと思いました。

ある意味で「悟達した」とした場合、そこを到達点として人は安住してしまうものですから、本当は「悟達」なんて必要ないと思ったりもします。

人生は十人十色、百人百景、一人として同じ人生を歩む事はありませんからね。

恐らく戸田会長の悟達とは、創価学会が自らの組織の奥深さを述べるために、そんな個人的な体験をあえて利用したのかもしれませんし、戸田会長もそういう事を考えたのかもしれませんね。

仏法に悟達は必要ないと思いますよ。

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