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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20171122】ネットの功罪あるけれど

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

毎朝寒くて布団から抜け出るのが大変です。
出来れば休んで昼過ぎまで寝ていたいと思うのですが、それでは家族を養えません。
かくしてオトーチャんは、毎朝戦っているのです。

僕がネット上での創価学会の話題を知ったのは、今から十二年ほど前でした。

当時は青年部卒業間近でしたが、ふとした切っ掛けであるブログを読み、そこには日常的に感じていた創価学会への不信に対する赤裸々な意見が溢れていました。

当時は主にブログが中心となってましたが、そのブログを通じてリアルに様々な人とも会うことが出来ました。

それから十年以上経過しましたが、今ではTwitterやFacebook、またネット上にも様々な掲示板もあったりして、マスコミでもタブー視され、あまり語られる事なかった事が、様々語られています。

時代は動いてますよね。

僕の母親の古い友人であり婦人部だった人が、今から三十年以上前に脱会、理由は地元婦人部幹部と折り合いが悪く、結果、脱会して法華講に入りました。

当時はネットもなく、創価学会の情報は信濃町界隈でも統制がうまく聞いていた事もあり、組織の中で疑問を持った人は、個人の信心がおかしくなったという扱いで本人も孤立、唯一受け皿となったのは法華講くらい。

大変だったんだろうなあと思います。

以前、第一次宗門問題当時、銀座のホステスとして働いていた婦人部がいて、その婦人部が勤める高級クラブに、山崎正友が宗門重役の早瀬日慈師と来店、早瀬師は高笑いしながら坊主頭をホステスのスカートの中に突っ込むなど、彼らの行動は常軌を逸していました。

「なぜ創価学会の大幹部と、宗門の御重役の方が、この様な下品極まる行動をするのか」

このホステスだった婦人部は、地元の婦人部幹部に指導を受けたところ、烈火の如く叱られたと言います。

「創価学会の大幹部や御宗門の御重役がそんな事するはず無いでしょう!あなたの信心が狂ってるからその様に捉えるのよ!」

真面目にもこの婦人部はその指導を真に受け、忸怩たる想いのまま第二次宗門問題までの間、この事を心の奥底にしまいこんでいたと言います。

僕が圏幹部時代にも、男子部の本部幹部が地元組織の婦人部と奥さんの不仲により、活動を停止するという相談を受けましたが、当時の僕にしても、その男子部にしても、またその奥方にしても、創価学会の現実を消化するだけの情報を得ることができず、それぞれが悩んでいたと言っても良いでしょう。

しかし今ではGoogleで創価学会と検索すると、様々な情報が溢れており、またネットを介しての交流も出来るので、昔と比べたら良い時代になったと思います。

恐らく僕の母親の長年の友人だった叔母さんや、先の件の本部幹部の男子部の奥さんなども、悩みの深さや取り得た行動も、ネットがあれば異なったのかもしれません。

瞬時に様々な情報にアクセスできて、しかも交流を広げられるネットというのは、とても便利なツールですが、こういった効果とは別に「罪悪」な側面もあります。

有名処としては「池田大作在日朝鮮人説」ですが、これは未だにネットの中にあります。
御大が在日ではないこと、またこのセツは既にかなり前に検証され、デマであることが確定しているにも関わらず、未だ真しやかに語られています。

こういう事があると、信濃町界隈あたりでは「ほら見たことか、だからネットはデマだらけなんだ」という言い訳も可能になります。

あと難しいのが信濃町界隈関係で、様々な風評憶測が飛び回り、それこそどれが本当でどれがにせ物なのか、その判断は最終的に個人に求められてきます。

だからネットが発達した今では、一人ひとりがネットリテラシーを持ち、自分のたち位置と考えをしっかり持たなくてはならないのです。

あともう一つ。
創価学会の暗部情報がネットの中には溢れかえってますが、こういった類いの情報は、始めこそ衝撃的で、インパクトがありますが、何時までもそこに留まるのではなく、創価学会で振り回されている事を理解したら、次はどの様に生きていくのか、考えることも大事です。

僕の場合には仕事に注力する傍らで、日蓮を学び、最近の世の中の思想や哲学等の状況を個人的に学ぶ事に重点を置いています。

ネットとは一つのツールですから、自分の人生の上で如何に活かして利用できるのか、組織力ではなく個人の力量が必要な時代になってきています。
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【20171121】念仏無間考②

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日は厚手のジャンパーを着てます。
冷え込みが12月並みと言いますが、どうも薄手のコートでは辛くて。
歳は取りたくないもんですが、やせ我慢しても仕方ないですからね。

さて、念仏無間という事について、もう少し書いてみたいと思います。

以前に宗門に対して、創価学会は「四箇の格言だけ言っても折伏にはならない」と言いましたが、これはその通りだと当時の僕は思いました。
しかし現代に至り、日蓮の行った他宗派批判は、どの様な本意があったのか、やはり考えてみなければならないと思うのです。

「日蓮直系」を自負するならば、そういう事も必要でしょう。

僕はだからと言って、日蓮の言葉が金科玉条で余人が言葉を挟む余地が無いとは思ってません。言葉の裏には想いが必ずあって、その想いを汲み取る事が、後世の人達に課された責任だと思ってます。

何も表にでた言葉尻、文字面を記憶して、それを頼りにしても意味ありませんよね。

さて念仏無間を考えるとき「他力」と「自力」について考える必要があると思います。

これは小説家の五木寛之氏が「他力」という著書で書いてます。

よく「人事を尽くして天命を待つ」という言葉に代表されるように、人は何者かの力によって生かされているという思想、これが五木寛之氏の云う「他力」です。

良く「他力本願」という言葉がありますが、これは単に自分では何もせず、為すがままに生きる事だと考えられてますが、法然や親鸞に感銘を受けたという五木寛之氏は「他力」については以下の様に述べています。

「「人事をつくして天命を待つ」という言葉を、「人事をつくすは、これ天命なり」と、私は勝手な読み方をしています。<天命>を<他力>の意味に受けとめるのです。死にもの狂いで人事をつくそうと決意し、それをやりとげる。それこそ<他力>の後押しがなければできないことです。そう考えれば、自分が<自力>にこだわるのが滑稽にさえ思えてきたのでした。」

この部分を読んだとき、単に「他力」という言葉を「念仏思想」に被れた内容だとか、所詮は法然の思想なのだと切り捨てる事は出来ないと感じたのです。

僕も半世紀以上、生きてきましたが、そこで感じている事は、五木氏の云う「他力」です。面白いですよね、半世紀のうち半分以上、日蓮の教えをもって生きてきたのに「他力」に共感を感じてしまうなんて。

日蓮の教えは「自力」だと言われてます。要は全てに於いて自分自身の責任なんだという事ですね。
創価学会では依正不二(依報である環境は、正報である自身の心の反映だとする思想)を教え、苦しい事や辛い事は、すべて自身の宿業が原因であり、だから自身が宿命転換しなければならない。

しかし一方で人間は周囲の人達や、社会、またその他の環境に依って支えられているという側面もあります。

「弘決の第八に云く「常に人を護ると雖も必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」」
(道場神守護事)


ここでは人の心の強さに依って、神(諸天)の守りも強くなると述べてますが、これは五木氏の云う他力であり、その他力も自身の心の強さという事では自力の発露とも言えたりします。

少し話が逸れ気味になっているので、少しまとめると、念仏宗では人の成仏は他力(阿弥陀仏)の功徳力に依ると述べており、人々はそれにすがり付く事、そして依存する事ばかりを考え、そこに癒しを求めました。
しかし日蓮はそれが仏教本来の教えとは異なるとし、しかも念仏宗が法華経を捨てよと言っている事を指弾して、念仏無間と言いました。

一方で小説家の五木氏はこの法然や親鸞の説いた教えから「他力」という事を読み取り、世の中全てが自分自身の力で乗り越えられるというのは滑稽であり、人事を尽くした後に他力の後押しで物事は成就するのではないかと言うのです。

そしてこの思想というのは、日蓮の思想と相容れないかと言えば、実は「心の固きに仮りて神の守り則ち強し」とあり、五木氏の考え方に近いものがあったりするのです。

考えてみれば、観無量寿経とて大乗仏教の一つなのであれば、そこには刮目して取りい出すべき思想があるのかもしれません。

「念仏無間」という言葉を以て、単に非難し排斥したら、それはそれで問題があるのではないでしょうか。

法華経は爾前経をも活かす事が出来る思想というのであれば、そんな観点も必要なのではありませんか?

【20171120】念仏無間考①

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

ここ数日でかなり寒さが本格化してきましたね。
この週末は「壬生義士伝」「大河ドラマ・翔ぶか如く」「シン・ゴジラ」などの動画を観て過ごしてました。途中、子供の用事にも付き合いましたけどね。

創価学会では11.18の記念行事等やっていたようですが、詳細は知りません。人事もあったようで、僕の地元組織でも後輩で階位が上がった人が居たようです。

組織の中で「責任職」という事で、それなりの責任を持つのは良いのですが、その思想・哲学性はどうなのでしょうか?

宗教組織の責任者であれば、本来、そんな処の見識も問われるべきですが、そういう事を求めては創価学会として「一枚岩」とはならないので、そんな幹部が登用される事はないでしょう。

さて今日は、「念仏無間」という日蓮の言葉について、少し考えてみたいと思います。

日蓮の生涯の根本は、法華経を中心とした仏教の再構築であり、それを「立正(正を立て)」とし、その上で「安国(国を安寧にする)」を実現するというものでした。

この「立正」を端的に表した言葉が四箇の格言と言われている「念仏無間・律国賊・禅天魔・真言亡国」ではないでしょうか。

その為にその一生は、常に日本の既成宗派との対決でしたし、その既成宗派の策謀による権力弾圧との戦いでした。

特に正嘉の大地震の後、その惨状を憂いて時の幕府に提出した「立正安国論」で最初に取り上げたのは、念仏宗と法然、またその著書と言われる選択集への痛烈な批判です。

何故、日蓮は念仏宗や法然に対して、あれほどまでに痛烈な批判をしたのでしょうか?

僕が思うに一つ目の理由は、法華経を重要だとしながらも、時代に合わないから捨てよ、閉じよ、さしおけ、なげうてとした事でしょう。大乗仏教において、法華経とは中心経典にも関わらず、それを軽んじて蔑ろにするという考え方に対して、日蓮は指弾しています。

次ぎにこの法華経を軽んじる思想が流布した事で、仏教と言えば念仏であり、仏と言えば阿弥陀仏だと人々に誤解をさせてしまった事。そしてそれらが結果として釈迦や仏教、そして釈迦の本意である法華経を、人々に忘れさせてしまったという事です。

法華経の方便品第二には「若し人信じずしてこの経を毀謗せば、命終した後に無間地獄へ入る」とあり、また念仏宗の依経である、観無量寿経に書かれている阿弥陀仏の誓願の中の「五逆誹謗の者は除き、人々を救済する」という事にも背いた教えです。
それに故に「念仏無間」だと日蓮は指摘したのです。

以上が日蓮の述べた「念仏無間」という批判です。

なるほど論理的には、筋が通っていますし、鎌倉時代には念仏宗が仏教の主流でしたので、この批判はとても痛烈なものであったと思います。

しかし現代に於いて、この日蓮の批判とは単に既成宗派である浄土宗や浄土真宗に対してのものとして捉えて良いかと言うと、それは少し違うと思うのです。

今の時代では、既に既成宗派は社会に大きな影響を与えるモノでなく、明治時代の廃仏毀釈運動で仏教各派は形骸化、葬式という儀式を執り行う存在に過ぎないものとなってます。

それでも戦後の創価学会では、各人が所属する宗派に対して批判を展開、それを「折伏」という事で実行しましたが、今の日本社会に於いて、この既成宗派への批判は既に意味の持たない言葉となってませんか?

それではこの念仏無間という言葉は、現代に於いてどの様に捉えたらいいのでしょう。

まず僕が想うに、宗教や宗派によって、そこに属している人達をまとめて切り捨てるという事は、現代に於いて意味が無いことだと思います。

これは四箇の格言や、日蓮が行った他宗教、他宗派への批判全般に共通して考えなければいけません。

そして例えば、宗教として正しい教えがあったとしても、その教えを実践したら、すべからくその実践した人達は間違いなく正しい人生、満足する人生を歩めるとは限らないでしょう。

何故なら教えというのは、受けとる人の心や生活状況、人生経験、また人となりによって変わってしまうからです。

であれば四箇の格言や他宗派等への批判というのは、現代に於いては一人ひとりの信仰という事、そしてその姿勢に対する批判という事になると思うのです。

念仏とは何か。
それはひたすら阿弥陀仏にすがり付き、その威光によって西方極楽浄土へ往生する事を祈る教えです。
この社会を「穢土(汚れた苦悩の世界)」と説き、苦しいことに堪え忍ぶ為に、人にひたすら念仏を唱え、阿弥陀仏にすがり付く事を説いています。

当日の社会は朝廷や公家、そして一部の公家武士達が中心の世界でした。

市井に生きる人達は常に重税に喘ぎ、戦乱や天災に苦しみ続けていたのです。
そういう社会にあって、念仏は人々に僅かでも慰めを与える教えであったからこそ、凌原に広がる火のように、一気に広がったのでしょう。

本来、仏教とは人々に慰めを与える為の教えではありません。人々に自覚を与え、自信の源になる事、自分の存在意義に気付かせる教えであったはず。
法華経の久遠実成とは、その事を説いた教えなのですが、念仏宗を信じることは、それとは真逆な事になっています。

そのために日蓮は念仏宗、そしてそれを広めた法然房源空を徹底して責め立てたのではないでしょうか。

つまり人生の苦しみから現実逃避して、本来、仏教が求める事を知ろうともせず、信仰の世界に閉じ籠り、そこに救いを求めようとする事は、念仏無間に通じるのではありませんか?

この姿勢は念仏宗という訳ではなく、日蓮門下に対しても言える事ですし、創価学会の組織信心についても、けして他宗派教団の事ではないのです。

「祈りの叶わざる事無しの御本尊」
「御本尊ちゃま、お願い!祈りを叶えて!」
「お題目百万遍唱えたら、恐れる事は何もなくなる」
「選挙戦で祈りを断じて叶えましょう!」

こんな指導にほだされて、苦悩が苦悩を呼び「祈りの叶わない」というスパイラルにはまり込み、苦しむ学会活動家の姿はまさに「念仏無間」そのものではありませんか?

この事については、もう少し書いていきます。

【20171114】民衆仏法とは何か

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

朝、自宅を出ると空気がヒンヤリしていて、いよいよ冬になるんだなと実感します。
個人的に冬という季節も好きなのですが、底冷えする様な寒さはとても苦手です。
これから空気が乾燥し、風邪やインフルエンザも流行するのかもしれませんが、体調管理はしっかりとしたいものですね。

さて、Twitterを見ていると、気楽さんの呟き等で「民衆仏法」という単語をよく見ますが、民衆仏法とは如何なるものか、そして日蓮の説いた教えは民衆仏法だったのか、少し個人的に考えたことを、今回は記事にしてみます。

先日の会則改正に伴い、創価学会では日蓮の出世の本懐観を変えました。

「農民信徒たちの不惜身命(仏道修行のためには身命を惜しまないこと)の姿に、大聖人は、民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられて、10月1日に著された「聖人御難事」で、立宗以来「二十七年」目にして、大聖人自身の「出世の本懐」を示されました。「出世の本懐」とは、この世に出現した目的という意味です。」
(Sokanet-教学入門 抜粋)


今までは大石寺の教学に基づいて、弘安二年大本尊の図顕こそ出世の本懐と言っていたのを、ここに来て名も無き農民信徒が弾圧に屈しなかった事から「私の説いた教えが人々の中に根付いた」と確信できた事を出世の本懐としたんですね。

これも読んでみたら変な話です。

前にも書きましたが、日蓮の門下に対する幕府の弾圧というのは、この熱原以前にもあったろうし、殺された信徒もいたと想います。これは日蓮の御書の随所に、日蓮自身が語っています。

「日蓮は法華経のゆへに度度所をおはれ戦をし身に手をおひ弟子等を殺され両度まで遠流せられ既に頚に及べり」
(妙法比丘尼御返事)


過去に殺された弟子達と、熱原で殺された三人とで一体何が違うのか、日蓮の御書には書かれていません。

創価学会の教学部として、その辺りの見解を是非とも示して頂きたいものです。
末端組織の幹部に聞いても、この辺りに答えられる人は居ないでしょうからね。

さて、そもそもですが、この熱原の法難に絡めて、創価学会では「民衆仏法」と言いますが、日蓮の時代に果たしてその様な言葉があったんでしょうか?

所謂、平安時代まで、僧侶というのは「官僧」であり、律令制度の元で出家という行為か国家で管理されていました。そして律令制度において僧侶の役割とは、仏教を学び、国家のために修法を執り行い、国の安寧を祈る立場でした。

だから一般の人々、こと平民や農民に僧侶が教えを説き、布教する事は法律で禁止されて居たのです。

そういう歴史の中で、平民にも仏教を広めた僧侶として有名なのは法然房源空であり、平安末期から僧侶の中で、その様な活動が顕著になったと言います。

鎌倉仏教とは、従来、皇族や公家、また武家に限られた仏教が、人々の中に広まり始めたものを指し、念仏などはその先駆けと言っても良いでしょう。

「専修念仏」とは、ある意味で平民であっても念仏を唱えれば極楽浄土に行けるという教えであり、仏教に疎い平民なども、特に学ばずとも仏の功徳に浴する事が出来ると説いたものです。

日蓮の教えもその延長線上にあり、お題目を唱えれば、法華経の功徳力により、仏となることが出来るというもので、僕はその意味から「民衆仏法」の先駆けの一つであると考えています。

「南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし、此の徳はたれか一天に眼を合せ四海に肩をならぶべきや。」
(撰時抄)


ここで日蓮はお題目を「一切衆生」、つまり人々に勧めたとありますが、日蓮の思いとしては上下選ばず全ての人々にお題目を教え、流布しようと考えており、そこに身分や門地による差別は無かったと想いますし、これは日蓮門下に於いても同様であったと考えられます。

そういう意味では「民衆にも開かれた仏法」であったと想いますが、御書の対告衆、つまり与えられた人々の多くは武家でした。これは布教の足場とした鎌倉という土地柄もあったでしょうが、平民や農民は文字が読めなかったと思うし、そんな彼らには甚遠な教理は理解できなかったでしょう。

「彼のあつわらの愚癡の者どもいゐはげましてをどす事なかれ、彼等にはただ一えんにおもい切れよからんは不思議わるからんは一定とをもへ、ひだるしとをもわば餓鬼道ををしへよ、さむしといわば八かん地獄ををしへよ、をそろししといわばたかにあへるきじねこにあえるねずみを他人とをもう事なかれ」
(聖人御難事)


この御書は熱原の法難の時の有名なものですが、ここで「彼のあつわらの愚痴の者ども」と言うように、農民信徒には難しい理屈はさておいて、生活に身近な事を例にとって教える事が精一杯だったと想います。

創価学会の云う「民衆仏法」とは、人々を覚醒させ、人々が自ら自立する為の教えと言ったニュアンスがあり、それは社会をボトムアップで変えていくという思想です。
(まあ実態はとりあえず置いといて)

しかし鎌倉時代当時の日蓮仏法とは、全ての人達に門戸を開いてはいましたが、現代流の「民衆」という考え方は、社会の中にすらありませんでした。

そこから考えても、今の創価学会が出世の本懐論として、「民衆の中に日蓮仏法が根付いた」なんて解釈はとても難しいと思われます。

この熱原の信徒の行動が「不惜身命」というなら、当時の社会にはそれ以上に法然房の念仏に「不惜身命」の人が居たはずです。

いや「国構えに民の文字を使っているから、大聖人は民衆を考えていたはずだ」なんて言葉もありますが、なら古代中国の貞観政要は既に民衆立を志向していたと云うのでしょうか?

鎌倉時代の社会を理解して、その上で日蓮の教えを理解して、そこから現代にどの様に展開するのか、よくよく考えねばなりません。

これは簡単な事ではありませんよ。

【20171113】王仏冥合か顕合か

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

この週末、特にすることもなくぼーっとしてます。子供がまだ小さい頃は近所の公園に連れていったり、散歩したりとしましが、ある程度大きくなると子供も親とは歩きたがらなくなります。

それだけ子供も成長したという事なんでしょう。

この子供達が大人になる世の中は、少しでも平穏でいい世の中であってもらいたいと念願しています。

今日のお代は「王仏冥合」について少し書いてみます。この考え方は「三大秘法稟承事」という御書に書かれている内容で、過去の記事にも幾つか書きました。

今回は宗教と政治、そして社会の在り方について書かせてもらいます。

まず三大秘法稟承事という御書ですが、これは以前から偽書と言われていたようです。しかし日蓮が自身の法の三大秘法、つまり本尊と戒壇と題目のうち、戒壇について論究した御書はこの御書以外になく、そういう意味では偽書ではないという論もあります。

しかし大石寺ではこの御書を真筆として捉え、広宣流布に関してあるべき姿を述べていて、創価学会もそうですが法華講や顕正会についても、この考え方に基づいています。

創価学会が公明党として政界に進出した根拠もこの御書であり、その政治活動は未だに続いている事から、やはりこの御書については大石寺や創価学会だけでなく、今の日本の政治状況にも影響を与えていると言っても良いでしょう。

さて王仏冥合の依所となる部分を紹介します。有名な箇所ですが。

「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり」

ここでいう戒壇というのは、天台大師滅後に建立された比叡山のような仏法の根本道場ともいうべき場所をいい、日蓮の場合には御本尊を奉掲する末法の道場の事を言います。
そしてこれが建立される時とは「王法(国を治める法律)が仏法に冥じ」とあり、仏法思想の中に治世の考え方が入り、「仏法が王法と同じ様に合わさって」と、要は仏法思想が国の治世の法となる時だと言っています。

ここで「冥じ」というのは治世の法に仏法が入り込むことを述べているのではなく、仏法に治世の法が入り込むことを述べており、その事を「王仏冥合」とのべているのです。

創価学会では「王仏冥合」とは、あくまでも政治の精神的な処に仏法が生かされ、目に見えない形で合わさると解釈してますが、実際に三大秘法抄で求めている姿は違うのです。

仏法そのものが王法(治世の法)になる事を述べているのです。

そしてその具体的な姿が「有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」とある様に、正しく仏法を行じる僧侶を、国の王が国の兵隊を引き連れて守る様な時代となり、「時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か」と、国の事業として最高の立地場所に建てられるものであるというのです。

どうですか。
創価学会が主張してきた「王仏冥合」とは逆な事を日蓮は求めていたという事であり、簡単に言えば政祭一致の社会を本来は戒壇建立の時だと云うのです。

しかしだからと言って日蓮を責める事はお門違いだと思いますよ。

当時の幕府の治世の根本思想とは、貞観政要を模した「御成敗式目」というものてあり、これは古代中国の思想で、恐らく道教とか儒教が根底にある思想です。日蓮はそうではなく、法華経を中心とした仏法思想による治世を考えていたであろうし、だからこそ今で言う「王法顕合」の様な冥合論を打ち出したのでしょう。

つまる処、政治と宗教の関係性は、時代と共に変わるものであって、今の時代で言えば、創価学会の主張する「王仏冥合論」何て言うのも、時代にはそぐわなくなっています。

昔の政体、それこそ鎌倉時代に於いては宗教と政治は不可分なものであったと思うのです。しかし最近の政治が治めるのは近代国家であり、そこには様々な思想の人々が国の元で生きています。

最近の流行り言葉で言えば「ダイバー・シティ」です。

この近代国家における政治家は、個人の思想信条として宗教を持つのはあったとしても、それを政治に反映するというのは別義でしょう。

多様性の社会では、異なった価値観を持つ人達が共同で社会を動かす事であり、だから互いに持つ思想信条には、尊重すれども干渉せずに、円滑に社会生活する事を求められるのです。

そこを考えていけば、あくまでも思想信条とは個人の内面の世界に留めておかねばなりません。そしてその思想信条は、自身で咀嚼した内容で社会に還元しなければならないのです。

既に「王仏冥合の楽土構築」なんて、いまの社会には受け入れられないでしょう。

何故なら近代国家では、宗教ですら多様化した社会になるので、そこに「仏教思想」を持ち込むことは出来ません。やるならば、個人の思想信条として展開するに留めなければならないのです。

こういう事を理解していない事から、公明党に関する多くの矛盾も発生しているのではありませんか?

そういう意味では、創価学会という宗教団体を体とした政党は、衰退して当然の流れだと思いますよ。

よくよく考えなければなりませんね。

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