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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20170321】死というのはよーわからん

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

この連休はのんびりできましたが、その分、週明けのダルさがあります。
昨日はYoutubeで、過去にNHKでやっていた「チベット死者の書」に関する動画を見てました。

原始仏教では「無我」を唱え、輪廻転生からの「解脱(この舎婆世界へ生まれなくなる)」を説いています。この解脱というのは仏教独自の思想ではなく、古代インドにあった思想で、そこの影響もあるのでしょう。

チベット仏教はもともとチベットにあった土着宗教のボン教と仏教が融合して成立したものと云われ、過酷な高地の人々の中で生と死を間近に見続ける環境から派生しているので、こと死と生についての洞察は深いものになったのだと思います。

このチベット仏教には「バルト」という考え方があり、これは川の中州という意味があるそうです。

バルトには四つがあるという事で、生のバルト、死のバルト、中間生のバルト、再生のバルトというそうで、人間が死ぬときには生のバルトから死のバルトへと移行する過程だと言います。そしてこの時には「心の本質」が現れるので、そこで悟りを得られれば、輪廻転生からの解脱ができて、この世界に二度と生まれることなく、苦悩から逃れる事ができると言います。

チベット仏教は大乗仏教に分類されますが、この辺りは原始仏教の考え方に近いのかと思ったりしますね。

この世界を「舎婆世界」と呼び、苦悩の世界という事から、二度とこの世界に転生しない事を目指す考え方は南伝仏教等にも多くありますが、法華経はこの考え方とは一線をかくすモノかと思います。

特に如来寿量品では「我常在此 舎婆世界 説法教化」と、本来は解脱した仏が常に居る場所として「舎婆世界」だと述べてますからね。

このチベット仏教は、ヨーロッパの唯識派の人たち、代表的な人はカール・グスタフ・ユングに多大な影響を与えました。

しかし昨今の臨死体験学等では、人々はこの世界に「魂の成長」のために繰り返し生まれてきているという説もあったり、多くの臨終を看とり研究してきた、故・キュブラー・ロス女史等は、成長の先に「魂の羽化」の様に次の段階に移行するという考え方もあったりします。

要は生と死の問題とは、人類にとって抜きがたく、永遠の課題として存在してるんですよね。

この十九世紀から二十一世紀という時代は、人類にとって「物欲の時代」かもしれません。産業革命の機械化から始まり、パックス・アメリカーナでは「大量生産、大量消費」の世紀となりました。

しかし人間が普遍的に持つ「生と死の問題」については迷走を深めるだけで、なんら解決するばかりか、こちらも混迷を深めています。

だって誰もが正面から向き合えなくなりましたよね。

特に今の日本では、産まれるのも病院で、死に逝くのも病院という、社会から隔絶した場所となってます。

そろそろ、人間が普遍的に持ち合わせている、この問題について、思いを致さなければならない時期に来てるのでは無いでしょうか?

最近、僕が感じるのは、この世界の奥にある意思というか、そういった事ですね。これは何もオカルト的な事ではないですよ。

人々は何らかの意思により、この世界に産まれ、そこで一つひとつの人生を全うしているのでは無いかということで、これは単なる偶然の産物としての生などでは無いんじゃないかと言うことです。

答えなんて当然、持ち合わせているませんが、そんな事を感じながら、日々生活をしています。

あ、、そうそう。
こんな事について、今の創価学会では当然の事、答えなんてありませんから。

今の創価学会では師弟不二なんつー、下らん呪縛を教えているだけで、それによりまだ思考を縛られている人たちも沢山居ますからねー。

以上、とりとめ無い今回の記事でした。
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