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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20170905】臨終の事

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

最近個人的に思うのは、創価学会が会憲を制定しようが、何に大勝利しようが、永遠の御大が亡くなろうが、僕の人生にはあまり関係ないかなと言う事です。

会憲の有無に関わらず、嫁やその身内は学会活動を続け、創価学会を無擬曰信で信じて活動を続けますし、公明党へも支援を続ける事でしょう。
本人たちが、この先疑問を感じれば、僕の話にも耳を傾ける事があるかもしれません。

一度信じたモノを覆す事は至難の技であり、人は自分が信じて人生をかけていることを、容易く否定する事は出来ないものです。

しかしそれは兎も角。
日蓮の御書を少しここで引用します。これは有名な部分です。

「夫以みれば日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし風の前の露尚譬えにあらず、かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべしと思いて、一代聖教の論師人師の書釈あらあらかんがへあつめて此を明鏡として、一切の諸人の死する時と並に臨終の後とに引き向えてみ候へばすこしもくもりなし」
(妙法尼御前御返事)


これは日蓮が仏法を学び始めた動機について述べたものです。ここで日蓮が述べているように、どの様な人であっても「臨終=死」というのを免れる事は出来ません。だから臨終の事を何よりも先に学ぶべきであると、この様に言っているわけです。
しかしその一方で日蓮の御書と呼ばれるモノの中には、臨終とはどの様な事なのか、それについて言及されたものはありません。臨終は大変な事だから、今をしっかりと生きる、その様な事に重点が置かれた内容となってます。

さて少し話を変えて、僕の片親は既に鬼籍に入っていますが、この親が死んだ事を通して、「死」についてはリアルに感じるようになりました。

数時間前まで生きていた親が息を引き取る。では逝った親は今どこにいるのか?何を感じ何を見ているのか?

考えますが、想像することしか出来ません。

死は全てを無くします。親子の繋がり、社会との繋がり。またこの世界で築いた地位や財産も何もかも、死の前には関係ありません。そこから先に持っていく事は出来ないのです。自分の体でさえ持っていく事は出来ません。

こういう事が自身の身の上にも確実に訪れる。そういう事の実感を、親の死は僕に与えてくれました。

日々現実と実感しながら家族と過ごし、仕事場の同僚と過ごす。この現実が自分自身から切り離され、一人乗り越えていかなければならないイベントが死であり、これを逃れる事は出来ません。

それに対峙したとき、果して僕は何を感じ、何を見るのでしょうか。そしてその死の先には一体何があるのか。

こういった事に思いを馳せていくと、いまの創価学会の事なんてのは、ある意味でどうでもよく感じてきます。それよりもこの問題を自分自身の中でどの様に消化し、生きている内に理解していけるのか、そちらの方が大事に思えてくるのです。

結論はありませんが、ちょっと考えた事を今回は書かせてもらいました。
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