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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20170907】死後の生や霊魂について

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今回のお題、おもいっくそオカルト臭がぷんぷんしますが、やはり僕自身の思考の枠内にこういった項目もあるんで、お付き合いして頂ける方だけお付き合い下さい。

さてこの夏なんですが、夏と言えば「怪談」という事で、YouTubeに上がっていた怪談を暇があると聞いてました。僕が好きなのは北野誠とか西浦和也なんかですね。稲川淳二の話はガチ過ぎて長くは聞けません。

かくいう僕も人間五十年以上やっているので、理屈では説明できない不思議な事は幾つか経験していたりしますし、それこそ学生時代には肝試しなんて言って、夜中にドライブがてら彼方此方に行きました。

こうやって怪談などを見ると、この世界には霊魂なるモノが存在し、それが場合によって祟りをなし、不幸になっていくという事もまんざら嘘とは思えないのですが、その一方で釈迦は霊魂の存在を否定していますし、輪廻転生というのも原始仏教では否定しているとか。

でも日本にいる霊媒師とか霊能者という人の中には仏教関係の人も多く、その辺りの整合性はどうなんだろうと考えたりもします。

釈迦は在家信者への比喩の意味もあって、輪廻転生とかを説いたという説もありますが、それは人それぞれの解釈の問題であると僕は考えています。
また釈迦が死後の事や霊魂を否定したのも、そんな訳のわからんこと議論するより、いまある生を真剣に捉え、生きるための事を考えろという事だったのかも知れませんし、日蓮も同様だったと思うのです。

最近、欧米では臨死体験学(Near Deth Experience)というものがあり、これは単にオカルトという事ではなく臨床例の中から得られた臨死体験をもとに研究する学問で、なかなか興味深い事が多くまとめられています。

これは以前にも書きましたが、故キュブラー・ロス女史やレイモンド・ムーディ氏といった医学者が様々に研究し本を著作、日本に於いても京都大学のカール・ベッカー教授がいます。
カール・ベッカー教授に於いては日本の臨死体験の文献の多さを取り上げてますが、これらの多くは過去の念仏宗の僧侶の体験を筆記したものを言ってまして、それを聞くと日蓮を信じる人には特に拒否反応を示すかもしれません。

世界各地には「前世記憶」を持つ子供の記録も多数あり、またこの臨死体験学においても死後の体験、またそこから転生に至るまでの症例も多数あり、そこから察するに単純に否定する事も困難ではないかと思います。

しかし一方で、霊魂とかの話のなかで地縛霊だ浮遊霊だ生き霊だという話もありますが、それは一体どうなのでしょうか?

人は所謂死ぬときに「死有」を通過して「中有」に入ると仏教の中では説いています。これはチベット仏教でも同じですよね。しかし先の霊能者などは、人が死んだ時に強い執着をもっている為のこの世界に縛られる霊がいるという話を真しやかに語ってたりします。

ましてや生き霊なんて、生きている本人とは別に霊として現れるというもので、これは論理的に理解するのは大変に困難です。
だって生霊飛ばしの本人は、そんな事を意識もしていないケースがほとんどですから、そもそも生霊と言われる存在の意思と、その飛ばしている本人の意思はどの様に理解したら良いのでしょう。

ここからは僕の私見なのですが、霊として存在する意思や、恐らく自我というものは生死を問わず存続するものではないかと思いますし、その自我が経験した事も記憶として継承されるのではないかと思います。

ただ厄介なのはこの個別にあるという自我というモノが絶対的な存在なのかと言うことは疑問がありますね、何故ならこの世界に絶対的な立て分けというのが、実は存在しないからです。

男性や女性の境目、これもアナログ的であり、緩やかな立て分けであり中間的な性も存在します。また有機と無機の間にもウィルスという、どちらにも分けられない存在があります。

これと同様に自我と他者という存在も、実は明確に立て分ける事ができない存在なのてはありませんかね?
昨今の深層心理学でも個人個人は意識の置く深くで共通な基盤を持っているという話があります。

だから霊魂とか生き霊とかも、そういった心理学上の考え方にあった存在なのかと思ったりします。まあ具体的な事で言えば「念」という、人々の意識の間を行き来する波の様なものかもしれませんね。

そしてそれがあたかも生き物の様な意識をもっている様な働きは、その念を受け取る人の意識というか、自我というか、そういう事が関係しているのかもしれません。

実はこういった事についても、何かしたの「理屈としての整理」が出来ないものかなと考えたりしています。まあ答えがあるという事では無いのでしょうけどね。
でも恐らくそういった思考の整理というか構築は、今言われている仏教の枠内だけでは難しいでしょうし、それこそもしかしたら欧米の神学という分野の内容も参照しなければならないだろうし、心理学という世界や、当然の事NDE(臨死体験学)という分野にも踏み込まなければならないテーマであって、一朝一夕に理解出来たりするものでは無いでしょう。

という事で、またこの件について何か考え着いたら書き連ねていきたいと思います。
それについて、興味のある方はお付き合い下さい。
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