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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

このブログについて

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内容は主に日蓮、創価学会、公明党、また時事関係など様々です。
よろしければ読んで見てください。

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【20170814】間もなく終戦の日

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

間もなく終戦記念日ですね。

本来の意味で言えば、降伏文書に大日本帝国として調印した日、つまり9月2日がその日に当たるのですが、日本の終戦記念日はポツダム宣言を受諾を日本として決定した日なんですよね。

昨日は朝からネットテレビで「日本の一番長い日」と「終戦のエンペラー」を二本立てで見てました。
映画とは言え日本から見た終戦と、アメリカから見た日本の敗戦。なかなか興味深いものを感じました。

戦後もう七十二年を経過してますが、この間、日本は「平穏なる時代」を過ごして来ました。だから僕の世代もそうですが、その上の世代もリアルな戦争を知りません。

そう言えば映画の「FURY」、ブラッド・ビットが主演していたものや、「プライベートライアン」、これはトムハンクス主演の映画ですね。あとは渡辺謙主演の「硫黄島からの手紙」を見ると、先の大戦の壮絶さや悲惨さは良く表現されています。

しかし最近の戦争というのは、また色合いが少し異なってきてますよね。ただ共通しているのは人が人を殺し会うという、ある意味で不合理な行為ですが、これは止むことは無いのでしょうか。

この戦争と言う行為ですが、国家間の外交活動の延長線上にあるもので、国家というのがそれこそ今のアメリカでいう「州」の違いほどであれば、戦争は無くなるのかもしれませんが、悩ましい事に人類には民族や文化、そして宗教の違いがあり、そこによって価値観や文化の違いが発生、国家として互いに中々融和を図ることが出来てません。

よく「地球人なんだから国は関係ない」という言葉がありますが、私達が常日頃社会の中で様々なサービスを享受してますよね、そのサービス元が国家ですよね。
また今の人類とは国家単位で利害調整をする仕組みにもなっていて、創価学会が大好きな国連も枠組みの単位は国家になってます。

だから個人個人が「国家は関係ない」と言った処で、結果としては国家に振り回されてしまうわけで、これはある意味で「社会的生物」としての人類の「業(宿命かも )」と言っても良いかと僕は思うのです。

これはある「仮定」の話ですが、昔にあった「オウム真理教」によるテロ事件ですが、あれは毒ガスのテロ攻撃により日本の統治機構を麻痺させて、その間隙に北朝鮮が日本を制圧するというシナリオがあったという、あくまでも「俗説」ですが、耳にしたことがあります。
「もし」それが現実となった場合、単なる「地球民族主義」と言った処で、なんら慰めにもなりはしません。

こちらは考えていなくても、相手が国として乗っ取りを考え、もし乗っ取りされたら、その支配の元に隷属を余儀なくされてしまいます。

考えてみれば、人類社会の中のルール。これは国際法と言っても良いでしょうが、そこに「戦争」という行為は容認されているわけで、人類は未だ国家間で殺し合うことを容認している訳なんですよね。

「戦争反対」というのであれば、この現在の国際社会の現実と、人類の「業」に対する直視、そしてその解決法を思索しなければなりません。

最近、法華経を読み進めていますが、仏法を基調として、果たしてこの問題を根本的に解決出来るのでしょうか?
例えば人間には「仏の生命」が普遍的にあるとして、それと同列に「餓鬼」「畜生」「修羅」といった生命も内在している事を述べています。創価学会の三代池田会長はこの思想から「人間主義」を標榜し、その思想を普遍的に広げることで「世界平和」の実現を目指したのでしょう。

しかし結果として、今の日本の社会を見ても解りますが、この思想は何ら役にも立ってません。

果たして人類はこの先、世界平和を実現できるのでしょうか?

日本国内は取り合えず「平穏」を未だ維持していますが、これとて薄氷の上を歩いているようなモノで、いつ大きな穴が開いて落ちてしまうか解りません。

「国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」
(立正安国論)

一国の安泰を願うのであれば、その周辺の事、いまで言うなら国際社会の動向を見据えなくてはなりません。残念ながら今の日本の中には、これは僕を含めてですが、国際社会の動向を見極める目が育ってません。

今の「憲法九条」に関する議論においても、日本国内の内向きな眼でしか議論が為されていませんが、これを広く人類に対して見開き、その人類の「業」を見据えながら議論の出来る人々が、日本国内に増えない限り、「何時か来た道」を再度、日本は歩んでしまうのではありませんか?

「広宣流布」というのてあれば、その様な人間に対する啓蒙活動であるべきだと、僕は考えるのです。

【20170809】教学試験に関する雑感

こんにちは(´◉◞౪◟◉)

いや~・・・暑いですね。
車で移動していますが、車のコントロールパネルに出てくる外気温が「36℃」でした。こりゃ殺人的な気温ですね。
先ほどから携帯電話にも、地元の地方自治体から「熱中症警報。原則、外での運動は禁止」という様なメールがビンビン届いてきています。台風一過の天気なんでしょうが、こりゃ人間にはきつい天候ではないでしょうか。

さて、創価学会では教学試験の真っ最中。
講師をする人も大変でしょうが、受験させられる人も大変ですね。仕事の都合をつけて勉強会に参加したり、講師する人もそれぞれ都合をつけて駆け付けたり。これはある知人から聞いた事ですが、昔、分県で教学試験の勉強会を行い、そこに全国幹部を招聘した事があったそうです。

受験者は時間になるとほぼ全員揃ったそうですが、肝心の講師である全国幹部が時間になっても連絡一つなく会場には来なかったそうです。そこで業を煮やした当時の県男子部長が講義を開始、三十分以上遅れて当の全国幹部は会館に来たそうですが、何を考えているのか、応接室にまず向かい、接遇の女子部から冷えた麦茶をもらいゆっくりと飲み。そこで十分ほど休憩してから会場に入ってきたそうです。

「あいつらは何を一体考えているんだ!!」

当時の県男子部長は怒り心頭に達していたそうですが、当の全国幹部は謝罪の一つもなく勉強会を終えたらさっさと会館を後にしたそうです。

この話を聞いた知人も、当時は役員で参加していましたが、所謂「信濃町界隈」のこういった行状には呆れ返ったと言っていました。

創価学会の会則改正をして、主要教義まで改正してからの教学試験。果たして創価学会は会員にどの様な事を教えようとしているんでしょうね。本来ならば過去の整合性を考えると、教学試験以前に、この教義改正の内容の事について組織内で周知があっても良さそうなものですが、僕の周囲を見る限り、その様な事を実施した形跡はありません。

まあ僕なんて地元の後輩である幹部が来た時に、この事について良く問い詰めますが、「運ちゃんさん、そんな事を言っても池田先生はしっかりお考えになっていると思います。それに幹部も馬鹿ではありませんから心配ないですよ。そんな事より”一人の人間を大事にする”という真心で、この信心の功徳を教える為に活動に励む事が大事なんです。」で終わりますからね。

本来、宗教団体というのであれば、その教え広げる「教義」はとても大事だと思います。だって宗教とはその「教え」により人々の救済を目指すのではありませんか?

今回の教学試験で「日顕宗を破す」なんてやってますが、その大石寺の教義でも、創価学会の様な適当さなんてありませんよ。善い悪いは別にして。これは富士大石寺顕正会とて同じ事。
創価学会ではこの教義を曖昧にしたまま、今回の教学試験を実施しているんですから、そのテキトウさには僕は辟易しています。教学試験を推進する現場幹部の中にも、そういった意識は一切なく、ひたすら受験生の応募に励んでいるんですからね。

まあ創価学会では「功徳(御利益)信仰」なので、要は「信心の功徳(御利益)」さえ出れば、教義なんて関係ないのかもしれませんが、果たしてそれで良いんですかね?

教材で「立正安国論」なんて取り上げていますが、日蓮がどの様な思いでどういった内容を認めているのか、講師をやっている人でも理解していないのが多くいます。せいぜい大白蓮華を棒読みして、試験対策として「こういう答えは〇(正解)」とか言って暗記させるのが関の山だと思います。

また法華経なんて学ばせていますが、どこまで法華経の事を理解しているのか疑問です。
僕自身、いま「妙法蓮華経並開結」に取り組みながら、法華経に書かれている内容を読んでいますが、はっきり言ってとても難解で、ちょっと読みでは単なる物語で終わってしまいます。問題はその物語の奥に何を語り志向しているのか、そこを読み解く事なのかと思いますが、それにはやはり仏教そのものの成り立ちを最低限知らなければダメでしょう。

しかしそういう事を踏み込んで語れる人の多くが、実際には創価学会の組織から離れてしまっていますので、結果としては単なるイベントとしてしか機能はしていない様です。

まあ「試験」でしかも「マークシート」ですから、そこには「思索」が入り込む余地は無く、あるのは信濃町界隈の考えている「模範解答」を暗記して、選択するときに見つけられる「直観力」を養成するのが関の山という感じだと思いますよ。

できればね、、、講師をやる人に、こういった事情を理解した上で講義を出来る人が居ればいいんですが、それは望むべくもない感じですね。だって、本気でそんな事したら、おそらく受験生も混乱し、試験的には「不合格者」を大量生産してしまいます。そして結果、下手すれば組織の中で睨まれる危険性もありますからね。

僕自身、数年前には講義の要請も地元でありましたが、そういう事情も関連してか、最近ではめっきり話が来なくなりましたよ。

まあその分、自己研鑽が進みますけどね。

講師の中にはそういう事に気づきつつ、少しでも受験生の為になればと取り組んでいる人も居ますが、そういう人はあまり気負いせずに、何か一つでも受験生の中に植え込める様に、よろしくお願いしたいと思います。

【20170808】御本尊をばら蒔く事

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

朝早く起きてしまい、ちょこちょことTwitterを見ていたら、アメリカのSGIUSAでイスラム教徒に改宗させずに御本尊を授与していることが書かれていました。

そういえば先日、YouTubeで「人間革命」の映画を観ましたが、最期のほうには戸田二代会長推戴式のシーンで七十五万世帯への拡大の決意で終わっていました。

僕の近所に住んでいる知人の御婦人ですが、以前に聞いたことがあったのは、若い頃に水商売していたとき、当時の同僚から御本尊を受けていたという事でした。
「今は巻いたまま、段ボール箱の奥の方にしまっているけど見てみたい?」と言われた事がありました。当然、その人の統監なんて地元にはありませんので、何処かの組織で統監があるのかもしれませんが、恐らく幽霊会員から退会処分されているのかと思います。

先のアメリカの話なんかでも、イスラム教徒が簡単に改宗なんて考えられないし、そんな状態で御本尊を安易に渡して、結果として御不敬に繋がるのであれば、それって意味があることなのでしょうか?

この様な状況がなぜ起きるのか?
それは活動に数字目標を設定して煽ることも、原因の一つですが、もう一つは御本尊を渡し、その文字曼荼羅の配布を広宣流布の指標にしているという、考え方の間違いに大きな原因があるわけです。

広宣流布という言葉は、法華経に書かれていますが、その内容は法華経を広く宣べ、この考え方を流布することを言ってます。
しかしその一方で法華経を読んでみると、その内容は釈尊の弟子たちが未来世において成仏する事を約束していること、またドでかい宝塔が出て来て、釈迦がはるか昔に成仏していて、その成仏した後も菩薩(この場合、仏教を修行する立場)として、有るときは虎に食われ、有るときは悩みながら修行し、またあるときには迹仏の元で仏法を修行したという事を明かした事でした。また法華経の中でこの経典を広めよと云う割りに、その法華経とは何なのか、具体的な話はありません。

簡単に言えば「法華経を広めよ」という経典を広めよと述べている様な事なんですね。ではその法華経とは何か?という事は「妙法蓮華経・仏所護念」と云う感じで簡単に言えば「仏しか理解してないな事」としか無いような感じ。

これに対して日蓮は「正法像法には此の法門をひろめず余経を失わじがためなり、今末法に入りぬりば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし、かう申し出だして候もわたくしの計にはあらず、釈迦多宝十方の諸仏地涌千界の御計なり」(上野殿御返事)と、その法華経すら意味がなく、ただお題目なんだと述べますが、そのお題目も文脈上は「法華経に帰依します」なんですね。

こう言うと、「南無とは梵語なり云々」と御義口伝の言葉を言い、そこにある因果倶時不思議の一法という事なんだとか、宇宙根源の法だとか、はたまた永遠の法なんだと言ってくるのでしょう。

では広宣流布で語るべき言葉とは、要は何なのか、どの様な事なのかと具体的に聞くと、そこの解釈については、創価学会の幹部によっても結構微妙にバラバラだったりしませんか?

「池田先生は人間主義、平和主義として仏法を現代に展開し、それを広める事こそが広宣流布なんだ」と言う人もいますが、それでは人間主義とは何か?そもそも人間と言う存在はどの様な存在なのかという事に論及してませんよね。

とても極端な事を言いますが、家畜の牛や豚や鶏から見たら、一方的に家畜化され、不本意に命を奪う人間は鬼の様な存在でしかないでしょ?
「宇宙根源の法」「永遠の法」とか「人間主義の平和思想」と言っても、要は生命の一種族の都合上の言葉でしかありません。

何も僕は議論を単純にシニカルに述べるつもりはありませんが、要はその様な根源的な議論なんて創価学会には出来ないと言う事をここでは言いたいだけなんです。そしてそんな状態で単なる組織拡大を広宣流布と定義して、日蓮の書いた文字曼荼羅をばら蒔く事が、本当に広宣流布なんですかと、問い直してみてはと常に考えているのです。

創価学会が七十五万になろうが、七百五十万になろうが、人類の愚かさは何ら変わることないし、日本人のおかしさも何ら変わってませんよね?

特に昨今に至っては、人をも部材化して経済活動に利用するだけという風潮も強くなってますし、そんな人間軽視の政策がまかり通る社会になってしまいました。

「いやいや運ちゃん、人々は幸福を求めていて、そんな難しい事を言っても糾合できないし、組織は成り立たないんだよ」

そんな訳知り顔で語る人が、とても創価学会の中で多くいますが、そんなんだったら辞めてしまえば良いのです。

結果、そこで出来上がったのは信濃町界隈に象徴されるような、人々すら経済的な手段や政治の駆け引き道具にするという風潮ではありませんか。

安易に御本尊授与なんてばら蒔きせずに、もっと根源的な事を考えてみろよと、僕は言いたくなりますね。

【20170804】五百塵点劫について

こんにちは(´・ω・`)

創価学会で行う初級・青年三級試験の期間というのは、学会活動の中で教学に触れる絶好の機会です。僕の場合、任用試験は先輩たちに教わりましたが、青年三級からは独学で勉強をしていて誰かに教わったという事はありません。
もちろん当時、この五時八教などについて天台教学であったという事は思いもよらず、天台は語っていたかもしれないが、その内容は日蓮大聖人の言葉であったと思っていました。

まあ誰が語っていても良い、そういった仏法の少しでも深い教義に触れる事が、当寺の僕にはとても新鮮であった事を憶えています。

さて今日も昨日に引き続いて「久遠」という事について考えてみたいと思います。

「久遠」とは如何なる時間なのか。それは如来寿量品に説かれていますが、それは一体どのような時間単位であるのか、具体的に少し書き連ねてみましょう。

 然るに善男子、我実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由他劫なり。
 譬えば五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界を、仮使人あって抹して微塵と為して、
 東方五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて乃ち一塵を下し、是の如く東に行いて是の微塵を尽くさんが如き、
 諸の善男子、意に於て云何、是の諸の世界は思惟し校計して其の数を知ることを得べしや不や。
 弥勒菩薩等倶に仏に白して言さく、世尊、是の諸の世界は無量無辺にして、算数の知る所に非ず、亦心力の及ぶ所に非ず。
 一切の声聞・辟支仏、無漏智を以ても思惟して其の限数を知ること能わじ。
 我等阿惟越致地に住すれども、是の事の中に於ては亦達せざる所なり。
 世尊、是の如き諸の世界無量無辺なり。
 爾の時に仏、大菩薩衆に告げたまわく、 
 諸の善男子、今当に分明に汝等に宣語すべし。
 是の諸の世界の若しは微塵を著き及び著かざる者を尽く以て塵と為して、一塵を一劫とせん。
 我成仏してより已来、復此れに過ぎたること百千万億那由他阿僧祇劫なり。

この内容は如来寿量品の長行の冒頭にある「五百塵点劫」という時間について釈尊が述べている箇所です。ここ十年程、勤行では「長行」を読まなくなり自我偈に飛ばして読んでいるので、最近の活動家では知らないかもしれませんね。

長行ではまず初めに釈尊は「私が成仏してから無量無辺百千万億那由他劫である」と語っています。これは簡単に言えば以下の数式になります。

無量無辺×百×千×億×那由他×阿僧祇×劫という時間になります。ここでは時間の単位として「劫」が語られていますが、実は仏教の中でこの「劫」という時間の長さは具体的に決まっていません。一節には一劫は四億三千二百万年という時間だとあります。

もうこの段階で僕なんかは「ギブ・アップ」なのですが、釈尊はここでより具体的に論及していきます。三千大千世界は古代インドの宇宙だと言いますが、まあこれを1つの銀河系としましょう。ここでは以下の数の銀河系を用意すると述べてますが、それはどれほどの数なのか。

「五百×千×万×億×那由他×阿僧祇」となり既に頭がパンクする数です。そのパンクするだけの銀河系を集めて、人の力で細かい塵にして、東に向かって「五百×千×万×億×那由他×阿僧祇」の国を過ぎる毎にその塵を一粒ずつ落として行きます。こうしてこの塵を落として行ったとき、塵を落とした国と落とさなかった国、その過ぎた国の数はどれぐらいであろうかと釈尊は問いかけます。

すると弥勒菩薩は答えます。「釈尊よ、それはもう考えも及ばないし、世の中のどんな智慧を以っても理解する事が出来ません」

当たり前ですよね。

すると釈尊は述べるわけです「その過ぎた国々を更にすべて集めて塵にして、一粒を一劫と数えた時間よりも「百×千×万×億×那由他×阿僧祇」という劫の時間が過ぎたほどなのだ。

もう訳がわかりません。つまり時間の概念では思惟の及ばないほど遠い過去に私は成仏したのだというのが「久遠実成」という事なんですね。

ここまでが法華経の言葉ですが、創価学会ではこの「五百塵点劫=久遠」という時間を以下の様に捉えているんですね。具体的には某掲示板であった言葉を以下に紹介しましょう。

「昔の教学は「五百塵点劫」は永遠の意味で用いられてはいません。過去の一時点でした。昔は「長遠」という表現だったのを記憶している方も多いと思います。無始無終の永遠ではなく、有限の「長遠」の過去として「五百塵点劫」を用いていました。」

この法華経では「算数の知る所に非ず、亦心力の及ぶ所に非ず。一切の声聞・辟支仏、無漏智を以ても思惟して其の限数を知ること能わじ。」と述べる時間であっても、それは「有限」、つまり人智の及ぶ範囲の時間だと創価学会では述べているのです。

創価学会教学、いや、これは大石寺教学と言っても良いかもしれませんが、既にこの段階で「久遠」という理解が法華経とは異なっている事に気付いてませんね。何故、弥勒菩薩をして「算数の知る所に非ず、亦心力の及ぶ所に非ず。」とわざわざ語らせたのか、そこに考えを及ぼさずスルーしている事が問題でしょう。

しかし何故、法華経の中で釈尊はこの様なまどろっこしい表現をして「久遠」を述べていたのでしょうか。それはインドの民族性にも関係するという説があります。インドは「0(ゼロ)」を発見した国であり、その民族が生きた世界です。つまり「数」という事に対して造詣が深い文化を持っていたと言っても良いでしょう。そういう民族文化の中で「永遠=始まりの無い」という事を理解させるためには、この様な表現が必要であったという説があります。

つまり「久遠=永遠=元来」という関係性が成り立つと言ってもいいでしょうし、この事から僕はこの「久遠実成=元来」という理解をしています。

この「久遠」という認識を「有限な数」と誤解している。いや詭弁を使ってその様な理解をさせてしまったのが、そもそも「久遠実成の釈尊」という事に誤解をもたらしていると言っても過言ではありません。

この事については法華経の智慧では以下の様に述べていますね。

斉藤:「我本行菩薩道(我れ本、菩薩の道を行じて)」とありますから、五百塵点劫以前は、菩薩の修行をしていたことになります。
名誉会長:すると、修行をしていたのだから「法」はあった。法はあったが「仏」はいなかった時代があったということになる。これでは「無始無終の宇宙と一体の仏」はいないことになってしまう。
須田:たしかに、途中から出現したのでは「三世常住の仏」とは言えません。
遠藤:始成正覚の釈尊は「本無今有〔本無くして今有り)」と破折されました。“根無し草”のようなものだと。しかし、「途中から仏になった」という点では、寿量品の「久遠実成の釈尊」も、ただ時間をはるかにさかのぼったというだけで、同じです。厳しく言えば「本無今有」であって「本有」ではありません。
斉藤:「本有」でなければ、三世常住の「本仏」とは言えません。

この法華経の智慧の解釈には、僕のいう「久遠」という事の誤解がより具体的に現れています。

そもそも「我本行菩薩道」ですが、ここでは久遠という有限の時間以前の釈尊が菩薩道を行じていたと解釈していますが、九界即仏界・仏界即九界という事で言えば、仏と云っても外向けに現れる姿や行動は菩薩となります。
また如来寿量品で説く「久遠実成」とは「自身が元来から仏であった」という事であり、修行の先に仏となる「成仏観」では無いはずが、名誉会長御大をして「すると、修行をしていたのだから「法」はあった。法はあったが「仏」はいなかった時代があった」という言葉を述べ、その成仏観が既に法華経とは異なっています。

久遠=五百塵点劫という理解の誤解から、「五百塵点劫の当初」の解釈に間違いが入り込み、その理屈の上に確立されたのが、創価学会が今まで大石寺から脈々と受けついできた「末法の御本仏・日蓮大聖人」という存在なのです。

こういう事を少し考え直してみてはいかがですか?
単純に「久遠実成の釈迦=永遠の仏」であり、だからその教学が身延よりになってしまったと言う様な、単純な内容では無いのです。

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