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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

このブログについて

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内容は主に日蓮、創価学会、公明党、また時事関係など様々です。
よろしければ読んで見てください。

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【20171023】嵐の選挙があけて

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

朝からうちの嫁の機嫌が悪かった。

理由は公明党の議席が減った事からだ。比例得票数も七百万票を切ったので、退調傾向が止まらないと見た方が妥当だろう。

昨日の夜に嫁とは少し話をしたが、やはり今の創価学会や公明党のおかしさについて、理解を得ることは難しい感じがした。理由は前提条件として持ち合わせている情報の差と、選挙という行為に対する認識の違いだ。

「法華折伏・破権門理」
この言葉が頭を掠めるが、理解できない事を頭からおっかぶせても理解する事は無理だというのは重々理解しているので、これからも少しずつ時間を掛けて嫁に話をするしかない。

ただ嫁に聞いた中であったのは、地区内の婦人部でも今回の選挙で「やらない」とか「会合に出てこない」人は増加傾向にあるようだった。
会合に出てるのは団塊の世代と、それより上の世代の専業主婦の幹部世代。共働きの四十代婦人部には特に距離を置くことが顕著なように、話を聞いて感じた。

今回は選挙区の再編があり、議席数も減ったなか、自民党は一議席減、公明党は五議席減、希望と共産、社民も減らし、立憲民主が議席を伸ばしていた。

この立憲民主は日本人独特の「判官贔屓」で議席を伸ばしたが、要は今までのリベラル層の受け皿となり、新たな印象を与えたから議席増になっただけで、これが民意の大勢だとは僕は感じていない。

問題はこれからで、中身は旧民主党のポンコツ達が、これをきっかけにどれだけ有用な政治活動を取れるのか、そこに掛かってくるだろう。
昔みたいにあーだこーだ纏まり付かず、内輪揉めが目立つようなら、それまでではないかと思ったりもする。

希望の党については、一定の役割を今回の選挙で果たしたのではないだろうか。それは旧民主党に紛れ込んでいた保守的な議員をあぶり出したこと。

彼らはこれから小池都知事叩きを始める様に思えるが、それをやったらお仕舞いだ。この中にいるポンコツ達の一部は立憲民主に戻るのではないかと思ったりもするが、こちらも今後は要観察だろう。

公明党に関しては六百万票代まで落ちてきているが、自民党にとっては利用価値があるし、それは信濃町界隈の思惑と合致するから、下駄の雪はまだまだ続くだろう。

自民は流石に堅実だ。

これから国内で改憲議論も以前より活発化すると思われるが、近代史を理解していない日本人は、どの様な国にしたいのか、そこの議論を起こして欲しいものだ。
近代史を理解しないで、憲法論議をしても身がない内容になるだろうし、「アメリカのポチ」としての憲法になる可能性も捨てきれない。

終戦時はGHQだったが、いまは日米合同委員会の意を体した内容になっては意味がない。
日本は今の東アジアでどの様な国を目指すのか、世界の中でどの様な国を目指すのか。先逹の成功や失敗、良いところと悪いところを学びとり、議論ができる様にならないといかんでしょ。

選挙が終わり、これからが日本にとって大事な時期になると、今回の選挙で僕は感じている。

【20171020】思索する、考える

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

選挙もあと三日で終わる。
僕はいまだ投票先を決めてません。悩んでます。

国の安全保障で言えば安倍政権は危険、これはそうだと思います。だってどこまでもアメリカ追従ですよね?
(創価学会の活動家は理解してませんが)
では枝野立憲なら止められるかと言えば、日米安保や地位協定をどうにもできないでしょう、彼らには。

選挙は安保だけではなく、様々な事を考えて、より自分がベターだと時々に思う候補に票を託す行為なんで、未だに何がベターなのか悩んでます。

さて本題。
考えてみたら僕は青年部の頃から、考えるたちで、先輩から幾度も指摘された事があります。
「それはお前の生命の傾向性だ!考えずに戦う事も大事なんだ!」
なんてね。

実は「自分で考える」。この原点ですが、青年部で初めてやった折伏にあります。

当時、僕は創価班大学校生。一年間の間に一世帯やらないと創価班になれず、バッチも貰えない時代でした。

当時の入卒団式なんて、今でいう総々県でやるのですが、僕が入団した時には会合冒頭で、一年前に創価班大学校になった先輩たちに対して「これまで、御本尊流布できて無い奴は会場の後ろに下がれ!」と司会が怒鳴り、未達成だった半分近くは会場の後ろに下がらせて、その前で本流を達成した人達に激励、創価班バッチを授与してました。

そんなんだったら、会合呼ばなければ良いのに。
今ならそう考えますが、当時は二十代前半の時、むしろその厳しさにびっくりもしました。

後ろに下がらされた人たちの中には、悔しくて泣いている人も沢山いました。

だから大学校生の当時、僕は人脈を総当たり、折伏したのは最終的に百名は優に越えてましたが、その最初の時の話です。

僕は高校時代の部活の先輩を、自分のアパートに呼びました。当時の僕は独り暮らし。
創価班の先輩も来ると言いましたが、自分の事なので、初めは僕が一人で話しますと丁重に断り、先輩との久々の対話が始まりました。

最初はとりとめない話から、仏法の話、日蓮の話、そして学会の話へと移っていきました。そして先輩に「学会やりませんか?」と話した時、先輩は暫く思案顔をしてから言いました。

「お前の言うことは解るが、残念なのは自分の言葉になってない事だな。まだ言わされてる感を感じたよ。もう少し自分の中で実感が掴めたなら、話を聞かせてくれ。」

僕自身は必死に考えながら話したのですが、やはりまだまだだったんだなー。それを先輩には指摘されたんだなと思い、先輩との仏法対話は終わりました。

この後、創価班の先輩からは「俺を呼べば一発で相手の生命を叩ききって折伏決められたのに、一人でやるのはけしからん!」と叱られましたが、基本、僕は対話を一人でやってました。

やはり自分の信仰ならば、自分で考え理解して語らないと。そう決めていました。

これは青年部で幹部になった後も変わらずで、例えば池田会長の指導を引用するにも、自分としての解釈をもとに話をしてました。
圏男子部長時代には、会合の前に二時間は話す内容の事を、考えて組み立てたりもしてましたし、その場合は学会の話題だけではなく、時々の時事問題、社会の情勢等も新聞で確認もしてました。

そういった僕の原点のひとつ、それは先の部活の先輩から言われた言葉なんですね。

いま創価学会の中では、オウム返しの様に「池田先生のお言葉」とかを語る人、酷いのになると、その御大の言葉だけ置いてしまう人も居ますよね。 
あー、これはアンチの中もおんなじかもしれませんが。

また御大の言葉だけではなく、御書についても切り文という、一部だけ切り出して、変な事を語る御仁も多くいませんか?

仏法とは以前にも書きましたが「演繹法」の思想です。これはつまり解釈をする人により、語られる内容が異なることを意味します。だから仏法を学ぶとは、即ち世法やその他の事も学んで行かなければならないと思います。

御大の言葉とか経文とか、御書もそうですが、単に丸暗記して投げ掛けるだけで、事足りるものではありません。

少なくとも僕はそう思ってます。

【20171019】微妙にずらす論点を知らないと

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

僕は組織を離れてますが、何せ嫁が地区婦人部長なんで、組織の動きがよく見えてしまいます。
まあ僕の様な地区幹事の旦那を持って、嫁も大変なのかもしれませんが、何せ活動家はコキ使われてますね。

活動から離れて久しい僕なんかは、やっぱり創価学会の支援活動とは「政教一致」だと思うのですが、創価学会側では過去に内閣法制局長の「お墨付き」を貰っているから、政教分離の原則に反しないと云うわけです。

「憲法の政教分離の原則とは、信教の自由の保障を実質的なものとするため、国およびその機関が国権行使の場面において宗教に介入し、または関与することを排除する趣旨である。それを超えて、宗教団体が政治的活動をすることをも排除している趣旨ではない」
(内閣法制局長官大森政輔の国会答弁趣旨)


まあ確かに宗教団体が政治活動をしてはいけないよという事では無いにしろ、政治活動を信仰活動にした場合、そこには諸々の問題が出てくるわけで、いまの創価学会はそこに問題があるわけですよ。

要は宗教団体という組織の問題ではなく、個人の権利という問題ですね。

例えば。

第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

これは政治信条の自由を定めた部分ですが、創価学会では公明党を支援しないと会内で公言した場合、明確に役職は下ろされますよね。そして公明党に関して反論すれば「会内の秩序を乱した」という事で、組織内の発言の機会を奪われます。

要は政治的な信条の自由を会内では認めないという事です。役職を解任、降格というのは明確に組織内差別ではありませんか?

多くの活動家は「公明党支援は当然」と考えているのでしょうが、そもそも創価学会とは日蓮仏法を信奉する団体であり、会則、会憲その他のどこに公明党支援の教義があるのでしょうか。

こういった創価学会の行動が、結果として会員にたいして政治信条に対する意識低下を招いているのは明白であり、国内の民主主義の土壌を枯らす行為にも繋がっていると思います。

以前にもこのブログに書きましたが、僕が分県幹部当時、ある組織の会合に担当幹部として呼ばれ、当時は年金問題の事で選挙が行われていました。

僕は参加者に対して「なぜ公明党を支援するのか?」と質問したところ、「池田先生にお応えするためです!」とか「池田先生に勝利の報告をして安心してもらう為です!」という答えばかり。そこには社会や政治に対する問題意識はありませんでした。参加者は皆、地域の男子部のリーダーです。

「そんな選挙活動ならやめたら?」

僕はその会合で話をしましたが、それが組織内に伝わり、夜中に分県男子部長からクレームをもらいました。

要は宗教的な権威により、政治への意識を無くさせているという事で、これは先の内閣法制局長の答弁以前の問題です。
人間とは宗教的な権威に脆弱なところがあるので、やはり宗教団体が政治に関与するのであれば、明確なガイドラインが必要になると僕は考えているのです。

いまはガイドラインがないので、ある意味で宗教団体がやりたい放題ではありませんか。まあやりたい放題にやってるのは創価学会だけなんでしょうが。

この支援活動は日本国内だけであり、創価学会として海外の組織では推進もしてませんし、そんな活動をやっている事すら海外のメンバーには知らせてません。

これもご都合主義の最たるものかと。

もし日本の広宣流布の活動として、支援活動が日蓮仏法に基づいているのなら、しっかりと海外にもアピールすれば良いじゃありませんか。

でもやってませんよね。

最近、僕は創価学会の指導性というのは、実に狡猾だと感じています。ネット上に溢れている池田思想の原理主義者みたいな人達は、その狡猾さにヤられた人たちではありませんかね。

だから創価学会の問題の本質にナカナカ気づくことができず、池田会長懐古主義的な言動も多くあります。

考えてみてください。
今の信濃町界隈を作ったのは誰ですか?
池田会長であり、その思想哲学なんでしょう?

確かに秋谷元会長を筆頭に、池田会長が嫌いな人達も大勢いるようで、今の創価学会はそれらの人達の巻き返しの様にも見えますが、それとて池田会長の指導力の不足であったことは否めません。

創価学会の理屈は微妙に論点をずらしていて、それが様々なダブルスタンダードを産み出しています。

そろそろそれに気付かないとね。

【20171018】パラダイムシフトの時代

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日はつかの間の晴れ間だと言います。
僕の嫁も今日は洗濯すると意気込んでましたが、出勤するのも日差しを浴びると気分が良いですね。
しかしこの天気も今日だけで、明日からまた暫く雨模様だと言いますし、週末にかけては台風が来るようです。

天気が悪いと投票率は下がる。

これは自公連立政権側にとって、いい条件ですね。
「天の時、地の利、時の雲」
この天候もどの様に影響するのか、選挙も戦なので解りませんよね。

さて今回はパラダイムシフトについて書いてみます。
この言葉、wikiではどの様に書かれているか、以下に紹介します。

「パラダイムシフト(英: paradigm shift)とは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう。パラダイムチェンジともいう。」

四半世紀ほど前にあったベルリンの壁崩壊なんかは、人類にとって大きなパラダイムシフトであったと思います。何せ僕が子供の頃に地理で習ってた国が無くなったり、今まで聞いたことの無い国ができたりと、結構驚きの連続でした。

またインターネットの普及やモバイル端末の高度化南下もパラダイムシフトをもたらしましたよね。生活の仕方や仕事のやり方も大きく変わったことを感じます。

仏教の思想で有名なものに「諸行無常・是生滅法」という言葉があります。これは日本のなかでは、この世界の儚さを指す言葉だとも捉えられてますが、実際の意味はこの世界とは常に変化を続けるもので、生滅といつのも法なのだという事ですね。

創価学会では「永遠の指導者」とか「三世永遠の幸福」なんて、ひたすら永続性を強調してますが、そもそもそんな事は仏教に無いわけです。だからこんな言葉を聞くたびに「仏教とは関係の無い教団だなぁ」と僕なんかは思うわけです。

今の時代、人類社会の中で情報流通は過去の歴史に類を見ない形で進んでます。数時間前に起きた事が、即時に世界中に拡散します。まあ世界中と言っても先進国や一部の後進国に関してで、全人類とまでは言いませんが、それでも国際社会はその情報で刻一刻変化をします。

また様々な情報が氾濫してますので、情報の選択というのも極めて重要になりますが、多くの情報が公開・共有される世界ともなっているので、簡単に言えば日蓮正宗といった一部宗派が「秘すべし、秘すべし」とやっていた処で多くが流出し、人々の目に触れ評価される時代です。

こんな時代だから様々な事にいま、パラダイムシフトが発生していると言っても過言ではなく、それは広範囲に渡り波及しています。

こんな時代だからこそ、例えば法華経で「広宣流布」とあるから、教条的な考え方や教団の拡大なんてやっていても、それはガラパゴス化が進むだけであり、現代の潮流から取り残され、化石化してしまうでしょう。

だから仏教においてもこれからは「換骨奪胎」を一人ひとりが行い、情報発信し、新たな展開が必要になってくるのではありませんかね?
単に教条的な単語を並び立て、それでよしとする時代ではないと思いますよ。

だから「創価学会」と名前に「学会」を付けてるんですから、選挙ばかりに呆けるのもいかがなものなんでしょうね。

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