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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

このブログについて

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内容は主に日蓮、創価学会、公明党、また時事関係など様々です。
よろしければ読んで見てください。

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【20170525】思想を改めないとね

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

この人生、自分を信じてどこまで貫徹して生きていけるのか、そこが大事な気がします。
若いときには「いずれ経済的にゆとりも出来て、悠々自適な生活できる境涯になる」と考えていたのですが、人生半世紀を生きてきて、まあ未だに窮々とした生活してますし、家庭を持っていればそこにも様々な悩みは付き物なんですよね。

さて今日のお題ですが、まずはマザー・テレサの言葉の紹介から。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

マザー・テレサ


この言葉ですが、中々含蓄深い言葉だと思いますよ。
僕が創価学会の事を語る上で、最近になって考えているのは、信濃町界隈の現状とか、その異常さ。また何も考えない末端組織のオカシサの要因とは、そもそも組織文化を醸成している思想そのものに要因があると考えています。

その思想とは、大石寺から引き継いだ日寛教学を始めとする、そこで語られた「日蓮仏法」というモノ。
そしてそれを人生の究極と信じた牧口会長の創価教育学、戸田会長は根っからの大石寺信徒で特段独自の思想性は無いと思ってますが、三代会長の池田思想もその範疇に入るでしょう。

マザー・テレサが云う「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。」の、人の思考を作り出すものに宗教の教え(思想、教義)があり、信濃町界隈を筆頭に公明党やそれらを支える末端組織の会員のオカシサの根底に、実は創価学会の教義が大きく影響していると考えています。

だから今の創価学会の現状の変化や、改善などを求めるのであれば、やれ「池田先生の原点に戻れ」とか、最近はあまり聞きませんが「牧口会長の事を思い出せ」と激を飛ばしても意味無いし、ましてや「日蓮大聖人仏法の正しい信仰に戻れ」なんて思いません。

何故なら、それらに問題があるからこそ、会員の思考もおかしくなった訳で、そこから様々な問題も惹起している訳でしょ?

表面が腐っているのが見えたので、より腐敗の進んでいる中身に戻れと言ったところで、それは一体どのような意味があるのか。

無意味ばかりか、より原理主義に傾くだけでしかありませんよ。

僕が最近、日蓮とか日興師やその門下の歴史に着目しているのは、果たしてその思想が、教えられたようなモノなのか、それを知るためであり、そこで解ったのは、それぞれの時代で自分達への我田引水の為の思考バイアスの元で作られた教義の多さです。

こんな思想を鵜呑みにしたら、そりゃおかしくもなるわなー、というのが今の処の感想ですね。

釈迦は「自灯明・法灯明」と説きました。
単純に「依法不依人」というのであれば、法灯明という言葉だけで充分だったのですが、何故その前に自灯明という言葉を語ったのでしょう。

それは法灯明の法について自ら思索する事が重要だからだったのではありませんか?

仏教というならば、何も組織や組織が制定して師匠が語ったという内容を、単に鵜呑みにするだけではなく、それを各人の人生の中で語るだけの思想の咀嚼が必要なんですが、まあ創価学会を信じた人の中には鵜呑み丸飲み丸暗記の人ばかりですよね。

またそういう事しか教えられていないんで、致し方ないかもしれません。

でもせっかく思考できる脳みそを持っているんですから、そろそろそういう事に気づく必要があるのではないでしょうか?

【20170524】五人所破抄を読んでみた

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

いやまあ気候が暑くなりましたね~。
夜なんてタオルケット一枚でも足りるくらいで、この間までの寒さはどこえやらと思ったりもしましたが、もう間もなく六月なんですね、早いな~。

さて、本六と新六について調べる傍ら、六老僧について考える上で、ここ最近は「五人所破抄」なるものを再読しています。

いえね、活動家時代にも読んではいましたが、それはどちらかというと対宗門や顕正会の破折という目的から読んでまして、素で内容を読んだ事が無かったんですね。

んで今回読み始めて見たのですが、正直「自画自賛気が強い」と思いました。

内容の詳細については、いま本サイト向けにまとめているので、そちらを見てほしいのですが、まず始めにこの書は日興師直筆ではなく、北山重須学頭であった日順師により起草されています。

著述もたしか日興師の再晩年の頃に書かれたものなのですが、当時は六老僧の中で存命していたのは日興師だけ。他の五老僧の方々は既に他界されている状況です。

この五人所破抄と富士一跡門徒存知事から、興門派の中では「五一相対」という事が言われてますが、考えてみたら五老僧とてそれぞれの経歴が違うのですから、単に「正統なる後継者、日興師」と「日蓮を理解できなかった愚鈍の五老僧」というレッテル付けもどうなんでしょうね。

例えば日頂師は北山重須の初代学頭で、日興師の元で晩年を生きていたんですから、それが亡くなった後に「五老僧の日頂」なんてのもオカシイし、その親戚で新六の日澄師も当時は日興門下の新六として居たわけでしょ?

この五人所破抄はどんな意図で作られ、当時、日興門下でどの様に思われていたのか、そこが良くわかりませんよね。

また冒頭で五老僧が日蓮を天台宗の僧侶で天台・伝教大師の後継として生きたと述べたことに対しても、そらがオカシイと指摘してたりしてますが、考えてみたら日興師の写本である「立正安国論」には「天台沙門 日蓮」と書いてあるわけですよ。これはつまり最明寺入道に奏した文書の中でも、日蓮自身が「私は天台沙門(僧侶)」と名乗っていたわけであり、そこから五老僧も師匠を天台沙門で天台・伝教大師の流れを汲んでいると述べることを、殊更責め立てるのもいかがかと。

また各々も「天台沙門」と名乗りをしていることも非難してますが、例えば日昭師は天台宗で「権律師」として受戒を受けていて、日蓮門下になった時には既に天台宗の僧位を持っていたわけです。

また最近になって「日蓮」というのは「阿闍梨号」であると言われ、日蓮も多くの弟子を教化していることから、比叡山延暦寺で阿闍梨を取得していたと思われます。

そうなると日蓮が受戒した僧は、形としては天台沙門になるわけだし、そこから考えると各人が「天台沙門」と名乗りをした事を責めるのもオカシイと思いますよ。

ただ日蓮を「上行菩薩の再誕であり実経の大権」とまで五老僧が理解していたかどうか、そこは解りかねますけどね。

日興師は確かに日蓮を上行菩薩の再誕として理解していました。でもその門下が、この後内輪揉めして分派して、そのうち日蓮を勝手に釈迦をも越える御本仏まで持ち上げてしまい、結果として従来の仏教全般を軽く考える風潮を、この日興師の理解が起こしたことも否めないので、やはりそこから考えるならば「五一相対」なんて事は止めるべきではないでしょうか?

日蓮を理解するには天台、伝教の内容も理解しなければならないし、その縁源である龍樹や天親の思想の理解も必要です。また曼荼羅に関して言えば、こちらは密教系の思想も関係してくるし、唱題については念仏も関係してくるのです。

日蓮が立正安国論で主張したのは「法華経を中心にした仏教」であり、その上で日蓮は法華経を天台や伝教大師より一重深く読み込んだという立ち位置です。別に新たな宗派の祖になろうとかも考えていなかったようなんですから、そろそろこの五人所破抄などから言われる「五一相対」なんてもの、捨てて良いのではありませんか?

【20170519】創価のいう反逆者の系譜

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日は暑くなるそうですが、僕はスーツの上着をまだ着ています。
職場においても衣替えはされているんですが、なかなかそうはいかない事情もあったりで。

処で今の僕は日興門流と六老僧について、あれやこれやの文献を読んでます。
歴史というのは宗史もそうですが、後世に形作られたものであり、教えられた事が事実であるか解らない処もあるからです。

ネットの発言等を見ていると、日蓮門流では組織に不都合な事には直ぐに「忘恩の輩」とか「裏切り者」と言った発言が多く、これは恐らく創価学会の影響が大きいからでしょう。

またそれらの先例を示す事として、日蓮門下の六老僧の「五一相対」を取り上げるのは日興門流の流れですが、果たしてそんな単純なモノなのか。

日蓮の門下や門徒は多くいます。
その中で日興門流は六老僧の中では主流ともいうほど人材がいましたが、残念な事に内紛が目立ち、日興師無き後、分裂した事は否めません。

また日興門流では自身が正統であり、他五老僧達の流派は日蓮の真意を理解せずにいると評価してますが、考えてみたら日蓮の直系でも例えば大旦那の冨木常忍は日興師の元には馳せ参じてませんし、四条金吾や池上兄弟も然りですが、彼らも他の五老僧同様に「所破」の対象なのでしょうか?

いま僕が読んでいるのは「五人所破抄」ですが、これは日興師の晩年に、弟子の日順が草稿したものですね。

読んでみると、五人(五老僧)と自身の考え方や捉え方の違いを明確化した物なのですが、これを草稿した当時は既に五老僧は存命しておらず、六老僧では日興師ただ一人が存命した中で起草されてます。この事から僕は何か「後だしジャンケン」という感じが否めないです。

五老僧本人が居なければ反論も出来ないでしょうに。

創価学会の活動家の頃には、それこそ五人は日蓮の真意を理解できなかった「不出来な弟子達」と思ってましたが、それぞれの生きた内容を知ると、そんな「五一相対」等と言った単純な事ではないのが理解できました。

日昭師は日蓮の下に来たときには天台僧の「権律師」を得た僧侶。下総の出身と言うこともあり日蓮と冨木常忍を引き合わせた可能性もありますし、その天台僧という立場で何かと日蓮をサポートしたのかもしれません。日郎師はその日昭師の甥に当たります。日興師は駿河実相寺で門下となり、日向師は頭脳明晰弁舌巧みでしたが、六老僧の中では軽く見られていたようです。(日蓮の墓輪番は日向師や日頂師が居ない席で決められた)
日持師は日興師と反りが会わなく、結果として樺太から大陸へ行き、日頂師は父親から感動されて日興師の下に入りました。

こう見ると、それぞれが日蓮の下でそれぞれの人生を生きたんですよね。この「五人所破抄」は日興師の弟子の日順が起草してますが、もしこれが日興師本人が書いたのであれば、もしかしたら内容も少し違ったモノになっていたかもしれません。

まあ日興師も校閲したのですが、この書が出来たのは死去する五年前、当時としてはかなり高齢の時ですからね。

これは創価学会にも言えることでしょう。
例えば牧口会長の後は戸田会長でした。そして「人間革命」では矢島氏を始め、牧口門下の事を牧口会長を裏切った人達と書いていますが、実際にはそれぞれに物語があり、生きて最後まで留置されていたのは戸田会長だけではなく、後の理事長となった矢島氏も居たわけです。しかしこれは創価学会の正史に残ってませんね。

また戸田門下でも池田会長が戸田会長の筆頭となってますが、石田氏の事は詳細が残されておらず「裏切り者」「不詳の弟子」の様に言われてます。
また信濃町界隈のドン的に復活した秋谷前会長は、戸田会長から「城永」と名前を頂いてましたが、それを封印されてます。
また国会にも呼び出され対応し、会長も突然下ろされた事を、どの様に考えているのか。

竹入氏や矢野氏、原島氏を始め多くの戸田門下が池田会長の時代に不知恩とか裏切り者のレッテルを貼られましたが、それってどうなんでしょうか?

また原田会長なんて今では池田門下の筆頭の様な姿をしてますが、元々は戸田門下の一人であったとおもいますが、そんな事はおくびにも見せてません。

福島源次郎や山崎正友はどうだったんでしょうね。

こんな事を書くと、信濃町界隈を正当化するのか、とか言われそうですが、そんな正しいとか間違いとかをここで論じるモノではありません。
ただ忘れてはならないのが、これらの人々は自分自身の人生を生きているという事実で、そこには表に見えない様々な物語があるという事です。

だから組織に不都合になったとか、組織をおかしくしたからとかで、極悪とか不知恩とか言って、単に責め立てても意味無いのではありませんか?

一つ興味深い話をします。
法華経で「悪人成仏」と「女人成仏」を解いている「提婆達多品」ですが、実は初期の法華経には入ってなかったそうです。これはどこかのタイミングで法華経に入り込んだ可能性があることが、最近になって解ってきました。

また仏教教団の一つには提婆達多教団というのが、存在したらしいという話も最近になり見えてきたようです。

つまるところ、組織に都合が悪いから「不知恩」とか「裏切り者」とか「極悪」とかレッテルをはるのは良いですが、それによって見えなくなる事も多くあるという事実をまずは認識すべきですね。

「極悪は未来永劫許すな!徹底して責め抜くことが極善となる!」

池田哲学にはこんな言葉がありますが、それってどうなんでしょうか?
そもそも釈迦はそんな事を言うてもおらんしね。

単に裏切り者とか言う前に、それぞれの事に思いを巡らしてはいかがでしょうか?

【20170517】師弟原理主義とは

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

昨日の晩、自宅に帰りテレビを何気なく見ていたら、五十歳代はもう無理が利かないからという話がありました。

自分も五十歳代になり思うのは、全くその通りという事で、夜更かしは出来なくなったし、疲れは中々取れないしと、四十代に比べ「老い」という事を実感しています。

頭の中身は二十歳代と変わってないんですけどね。

それはともかく。
最近思うのは創価学会の中には「師弟原理主義」とも云うべき方々が多く見受けられます。

僕の所にもちょくちょくメール等があり、そこで云われる言葉は「貴方は誰の弟子なのですか?」という事です。

「僕は多くの師匠とも云うべき人を得ています。それは仕事上でも居ますし、私生活でも居ますよ。池田会長はまごう事なき人生の師匠の一人ですが」

僕の答えはこんな感じです。
人生生きていくなかで尊敬に値する人物とは相手の年齢に係わらず多くいます。またそういう人から多くを学びたいというのが人の常であり、そこから考えれば師弟関係とは人間として当然あるべき関係性の1つです。

人間ですから万能で完璧な存在なんてあり得ません。良き処は学び、悪いところは反面教師として考えていけば良いと思うので、まあ有り体に言えば師匠とは思っても、それにひれ伏すなんて事はあり得ないのです。

この師弟観というのは、社会一般でも通じると思うのですが、どうも宗教の師弟になると、これがまあややこしく成っていくようですね。

宗教というのは人間に取ってウィークポイント(弱点)でもあります。どの様に理性的な人であっても、自身の信仰の元となる宗教に関しては、ほぼ無条件に受け入れてしまいます。アメリカでカソリック教徒が大統領になりずらいのは、バチカンの影響を受けるのを避けるという理由もあるほど、宗教とは人間に対して影響力を持つものです。
故にその宗教上の師弟関係になると、先に挙げた社会一般での師弟観とは異なり、その師匠に完全にひれ伏すという師弟関係が出来上がってしまう傾向があるのです。

ひれ伏すだけならまだしも、その師匠と定めた人間の思想を無条件に受け入れ、それに従順たろうとし、その思想を体現しようと自分のみならず周囲にも同質な事を無意識に要求する。こんな人物を僕は師弟原理主義者と呼んでいます。

人間ですから宗教指導者であったとしても、やはり表もあれば裏もあります。

そこは自身の知慧を元に選別し、良き処を自身の人生の糧にすれば良いのですが、この原理主義者の特性は、この人間の表と裏という事について「師匠はそんな人ではない」と理解しようとせず、師匠は完全無繆だと誤解しています。だからその宗教の師匠の言葉は何でもかんでも受け入れてしまいます。

そこには人間の特性である知慧の姿はありません。

因みに日蓮はどうだったのか?
師匠の道善房の人間性をしっかりと理解して、批判すべき処はしっかりと批判しながら人としての誠は貫いています。

しかし昨今の創価学会に見受けられる「師弟不二」を振りかざす師弟原理主義者は、池田会長の事は批判せず、ひたすら受容する事に勤めているだけで、理解はしていないですよね。

要は「池田会長の箴言のスピーカー」かもしれませんが、「思想の語り部」に成ってないのです。

まあ人の思想を自身の中の思想構築の糧にする事は、とてもエネルギーが必要なので、そんな事はせずに丸暗記で答える方が楽ですからね。

また得てしてこういう人達との対話というのは成り立ちません。それは対話には自身の考えが必要なのですが、師弟原理主義者には自身の考えがなく、あるのは記憶の中の蔵書の様に師匠の言葉だけなんですね。だから会話への応用が効かずに、言葉が尽きると得てして感情的になり、こちらへの個人攻撃が始まってしまいます。

まあ原理主義者からすれば、師匠を貶されたと感じるのでしょうが、実はその師匠を貶めているのは自身の理解度なのですが、大抵その事には気付かず感情的な態度を取ってきます。

「お前らは私の師匠を理解せず、貶めて楽しいのか?」

そんな感情にもなるのかも知れませんね。

要は自分の言葉になってないんですよ。
口から出てくるのは表向きの言葉しか出てきません。

こんな師弟原理主義者ですが、これはシンパにしてもアンチにしても、信濃町界隈からすれば利用価値が大有りで、僕から見たら良く信濃町界隈から活用されていると感じます。

最大限の特徴は「池田先生」という単語を使えばコントロール出来るのですから、簡単なものです。

もし師弟原理主義から離れたいのであれば、それは簡単で、自身の心を池田会長から離せば良く、その上で自分自身の考え方を見直して観ることです。

でもまあ、師弟原理主義に染まりすぎた人ほど、それがとても難しいんですけどね。

何故その様にえるのか?
僕の過去がそうだったからですよ。

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