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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
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このブログについて

想学談林-管理者の部屋

ここは想学談林の管理人がつれづれなるままに書き込んでいるブログです。

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内容は主に日蓮、創価学会、公明党、また時事関係など様々です。
よろしければ読んで見てください。

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【20171122】ネットの功罪あるけれど

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

毎朝寒くて布団から抜け出るのが大変です。
出来れば休んで昼過ぎまで寝ていたいと思うのですが、それでは家族を養えません。
かくしてオトーチャんは、毎朝戦っているのです。

僕がネット上での創価学会の話題を知ったのは、今から十二年ほど前でした。

当時は青年部卒業間近でしたが、ふとした切っ掛けであるブログを読み、そこには日常的に感じていた創価学会への不信に対する赤裸々な意見が溢れていました。

当時は主にブログが中心となってましたが、そのブログを通じてリアルに様々な人とも会うことが出来ました。

それから十年以上経過しましたが、今ではTwitterやFacebook、またネット上にも様々な掲示板もあったりして、マスコミでもタブー視され、あまり語られる事なかった事が、様々語られています。

時代は動いてますよね。

僕の母親の古い友人であり婦人部だった人が、今から三十年以上前に脱会、理由は地元婦人部幹部と折り合いが悪く、結果、脱会して法華講に入りました。

当時はネットもなく、創価学会の情報は信濃町界隈でも統制がうまく聞いていた事もあり、組織の中で疑問を持った人は、個人の信心がおかしくなったという扱いで本人も孤立、唯一受け皿となったのは法華講くらい。

大変だったんだろうなあと思います。

以前、第一次宗門問題当時、銀座のホステスとして働いていた婦人部がいて、その婦人部が勤める高級クラブに、山崎正友が宗門重役の早瀬日慈師と来店、早瀬師は高笑いしながら坊主頭をホステスのスカートの中に突っ込むなど、彼らの行動は常軌を逸していました。

「なぜ創価学会の大幹部と、宗門の御重役の方が、この様な下品極まる行動をするのか」

このホステスだった婦人部は、地元の婦人部幹部に指導を受けたところ、烈火の如く叱られたと言います。

「創価学会の大幹部や御宗門の御重役がそんな事するはず無いでしょう!あなたの信心が狂ってるからその様に捉えるのよ!」

真面目にもこの婦人部はその指導を真に受け、忸怩たる想いのまま第二次宗門問題までの間、この事を心の奥底にしまいこんでいたと言います。

僕が圏幹部時代にも、男子部の本部幹部が地元組織の婦人部と奥さんの不仲により、活動を停止するという相談を受けましたが、当時の僕にしても、その男子部にしても、またその奥方にしても、創価学会の現実を消化するだけの情報を得ることができず、それぞれが悩んでいたと言っても良いでしょう。

しかし今ではGoogleで創価学会と検索すると、様々な情報が溢れており、またネットを介しての交流も出来るので、昔と比べたら良い時代になったと思います。

恐らく僕の母親の長年の友人だった叔母さんや、先の件の本部幹部の男子部の奥さんなども、悩みの深さや取り得た行動も、ネットがあれば異なったのかもしれません。

瞬時に様々な情報にアクセスできて、しかも交流を広げられるネットというのは、とても便利なツールですが、こういった効果とは別に「罪悪」な側面もあります。

有名処としては「池田大作在日朝鮮人説」ですが、これは未だにネットの中にあります。
御大が在日ではないこと、またこのセツは既にかなり前に検証され、デマであることが確定しているにも関わらず、未だ真しやかに語られています。

こういう事があると、信濃町界隈あたりでは「ほら見たことか、だからネットはデマだらけなんだ」という言い訳も可能になります。

あと難しいのが信濃町界隈関係で、様々な風評憶測が飛び回り、それこそどれが本当でどれがにせ物なのか、その判断は最終的に個人に求められてきます。

だからネットが発達した今では、一人ひとりがネットリテラシーを持ち、自分のたち位置と考えをしっかり持たなくてはならないのです。

あともう一つ。
創価学会の暗部情報がネットの中には溢れかえってますが、こういった類いの情報は、始めこそ衝撃的で、インパクトがありますが、何時までもそこに留まるのではなく、創価学会で振り回されている事を理解したら、次はどの様に生きていくのか、考えることも大事です。

僕の場合には仕事に注力する傍らで、日蓮を学び、最近の世の中の思想や哲学等の状況を個人的に学ぶ事に重点を置いています。

ネットとは一つのツールですから、自分の人生の上で如何に活かして利用できるのか、組織力ではなく個人の力量が必要な時代になってきています。

【20171108】悟達という考え方

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日は午後から関西方面に出張です。
やること多くて良いのですが、最近疲れが取れなくなってきまして、翌日に出張先から事務所に戻るのが辛いです。

でも仕事ですからねー。
致し方なしです。

さて最近の若い会員は知らないかも知れませんが、戸田会長の獄中の悟達という事について少し書いてみたいと思います。

戸田会長は巣鴨拘置所に拘留されている間、二つの悟達をしたと人間革命なる小説で紹介してますよね。

一つは「無量義経」にある三十四の否定から「仏とは生命なんだ!」という事。二つ目はお題目を唱えているうちに虚空会を体験して、自身の人生の意味を理解したという事。

ある意味で創価学会の存在意義はとは、この戸田会長の二つの悟達にあると言っても良いのですが、これを皆さんはどう思いますか?
でもまあ最近の創価学会ではそんな事は言あまり語らなくなりましたね。でも永遠の御大のいう「生命論」の根源は、この戸田会長の悟達から来てると言っても良いでしょう。

さて、まず無量義経。これは言わずと知れた出所不明の経典ですが、天台大師が法華経と結びつけ、法華三部経の開経とされました。そこで述べられる「其の身は~」という仏の賛文から、戸田会長が悩みに悩んで閃いたのは「仏とは生命の事なんだ!」という事なんですね。

これはぱっと直感的に納得してしまいますが、チト待てよと。ここでいう「仏」とはどの様な事を言うのでしょうか?

大乗経典に説かれている仏なのですか?
それは釈迦仏か阿弥陀仏か、それとも大日如来の事なのか。いやそもそも三世十方の仏を言うのか。
それとも一人ひとりに内在する仏性を、ここでいう仏と呼ぶのでしょうか?

この仏教で呼ぶ仏を「生命」と呼ぶ事は、感覚的にはとてもフィットしますが、では具体的な事はとなると、途端に様々な事が交錯してしまい実体がぼやけてしまいます。

これは悟達というよりも、戸田会長の「閃き」に近いものであり、まだまだ考察が必要な事だと思うのです。

あともう一つ、虚空会の話。
これについては、このブログでも過去に書きましたが、僕も当初、小説・人間革命で読んだとき、戸田会長はどの様な情景を見たのか興味があり、その話から戸田会長の辿り着いた境地に思いを馳せました。

霊鷲一会・厳然未散

さぞかし素晴らしい体験なのだろうと思ったのですが、これについて青年部時代にも似たような体験の話を部員の中から聞いたことがありました。

悩みに悩んでお題目を唱えていたら、仏壇が光輝いて目が眩んだ話、御本尊が金色に光輝いていた話。ネットでも法華経の虚空会を体験したと広言して憚らない法華講員までいました。

ではこれ等を体験した人達は、悟りを開いたのかと言えばそうではなく、どちらかと言うと逆にその体験に縛られ思考が膠着化していたりします。

こういう体験は一般的に「宗教体験」とも呼ばれ、例えばキリスト教でもイエス様を見たとか、マリア様を見たなんて話もある位なので、要は人間が祈るなかで内面体験として起きることなのでしょう。

戸田会長にしても、光輝く大御本尊に対して多くの人達と共にお題目を唱えていたといい、その場には日蓮大聖人も居たであろうと述べ、生涯、法華経の流布に勤める決意を固めたと言ってました。

しかし戸田会長の広めようと決意した教えは大石寺の教えであり、実際にどこまで日蓮と同意であったのか解りません。

こういう事を考えたとき、これは戸田会長の内面的な体験の話であって、仏教でいう悟達と同列に扱ってよいものなのか、僕は個人的に疑問を持ってます。

思うに仏教では、釈迦は悟りを開いたと言いますが、その悟りの内容について具体的な記述はありません。

例えば釈迦が菩提樹の下に座して、瞑想の中で一つ前の人生、二つ前の人生、十前の人生、百前の人生、そして幾つもの宇宙の誕生や消滅の中で、自分はどの様な存在であったか、思い返す中で、夜明けの空に光輝く金星を見て、悟りを開いたとも言われています。

では一体、何を悟ったというのでしょうか?
一説には「悟りを開いた」ではなく「知った(知見した)」のであり、後世の弟子が釈迦を権威付ける為に、あえて「悟達した」という形を作ったとも言われています。

考えてみれば、末法の御本仏と大石寺では呼んでいる日蓮にしても、例えば文字曼荼羅について見てみると、龍ノ口の法難後、相模国依知で初めて「楊枝本尊」を顕しました。しかしそれから弘安五年に亡くなる前まで、様々な相貌の物があります。

形式として大枠は後年になると固まって居たようですが、僕はその文字曼荼羅を拝見したとき、日蓮も生涯思索を止めなかったのではないかと思いました。

ある意味で「悟達した」とした場合、そこを到達点として人は安住してしまうものですから、本当は「悟達」なんて必要ないと思ったりもします。

人生は十人十色、百人百景、一人として同じ人生を歩む事はありませんからね。

恐らく戸田会長の悟達とは、創価学会が自らの組織の奥深さを述べるために、そんな個人的な体験をあえて利用したのかもしれませんし、戸田会長もそういう事を考えたのかもしれませんね。

仏法に悟達は必要ないと思いますよ。

【20171106】墓の問題

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日の朝は冷え込んでますね。布団から出るのにかなり勇気がいりました。
いま日本にはアメリカのトランプ大統領が来てますが、何を安倍総理と話をしているのか、気になります。

あの安倍総理かこの間の選挙を「国難突破解散」と呼んでました。一部マスコミでは加計や森友学園問題を煙に巻くためという論調もありますが、僕はこの言葉に、それとは違う、かなりきな臭い感じを持ってます。

杞憂であれば良いんですけどね。

さて今回は墓の事を少し。
僕のルーツの墓は、とある地方の限界集落にあります。父親がたの実家ですが、その実家には跡取りもいなく、今では父親の兄弟が見ています。あと十数年経ったら、恐らく無縁仏の墓になるのではないかと思います。

僕の親の墓は、やはり地方にありますが、何の因果か、こちらも跡取りがなく、この先はどうなるんでしょう。
僕がいずれは面倒を見なければなりませんが、通うのに車で数時間の距離なので、これはこれで大変な感じがしています。

嫁の実家の墓も、既に一杯らしく、果たして我が家の墓所はどうしたら良いんでしょうね。

子供たちも何れ家庭を持てば、彼らは彼らで考えるにしても、墓所が彼らの負担になってはしょうがないですからね。

思うに日本の墓は「◯◯家之墓」みたいな墓標ですが、今の日本では既に家制度が崩壊して久しく、核家族が普通なので、この墓の考え方は時代にはそぐわなくなってきてますね。

まあ墓本来の意味で言えば、残った家族や親族が、亡くなった人とどの様な関係を持つのかという意味合いが強く、亡くなった本人にはあまり関係ない代物ではないかと思うんですね。

死んでしまえば、そんな墓の有無なんて関係ないと思うのです。

一部の怪しげな人達は、墓参りの重要性を殊更語ったり、そのために「霊障がある」見たいに言ってますが、僕が思うにそういう「障り(さわり)」というのは、本人の中にある感情的な拘りが原因であって、亡くなった人の亡霊まがいな事では無いでしょう。

僕の親の墓は公共的な色合いの強い墓苑にありますが、創価学会の管理する墓苑に墓を持つ人は、その子々孫々まで創価学会と何らかの繋がりを持たざるを得ないのかもしれません。宗教学者の島田氏は創価学会の将来を「葬式仏教化する」と言ったのも、このあたりにあるのでしょう。

そういえば創価学会で過去にあった「大分の乱」と言われる問題も、大分の創価学会地方幹部が、この墓苑事業で私腹をこやし、それを告発した現地の末端組織幹部が処分された問題ですが、こんな人の死に突け込んで私腹を肥やすなんて、人として既に終わっているというもの。

でも創価学会の職員幹部には、そんな終わった人達が結構いると思いますよ。

既に「家制度」が終わってしまった日本で、人の送りかたや、その後の偲び方、墓の在りようについては考えなければいけない時期に来てますよね。

そしてそこには人の死生観が関係して来ますので、そういう事も再考しなければならないでしょう。

自分は何処から何のために来て、どこへ行くのか。

そういう事を考え、指針を示すのが宗教の役割だと思うのですが、日本の既存宗派や創価学会を始めとした宗教団体に、それを求めるのは難しそうですね。

だから一人ひとりが考えないといけないのではありませんか?

【20171102】御本尊の価値

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

いやー、出張で日本海側行ってまして、向こうは曇ってましたが新幹線で谷川岳抜けたら結構良い天気なんですね。
客先調査で一泊したのですが、これから事務所に戻り仕事です。

さて、創価学会で会員には文字曼荼羅を授与してます。これを「御本尊」と呼んでます。創価学会では未だに大石寺の歴代貫首が書写した曼荼羅を謹製(コピー)していますが、いま多くは日寛師のものになってますよね。

昨今、創価学会では「日寛教学を見直す」と言ってますが、日寛師のいう根源の本尊である弘安二年の大本尊を受持の対象から外してしまったので、これからどうするのでしょうか?

まあ一説には他の日蓮直筆の文字曼荼羅を物色しているという噂もありますが、そうしたらあれですか、日寛師にも何か難癖つけて、いま主流の日寛師の文字曼荼羅も強引に交換するんですかね?

僕が男子部なりたてのころ、この御本尊に関して冗談話がありましたね。「恐怖の味噌汁」とか「七人の僧侶」という話です。これご存じな人は今の時代にどれだけいるのでしょうか。

僕の家は日寛師の文字曼荼羅ですが、僕の親のは同じ日寛師でも昔の細長いものです。また周囲には極めて少数ですが、日達師や日顕師の文字曼荼羅もあるようです。

今から二十年ほど前ですかね、創価学会では一挙に日寛師の文字曼荼羅に交換を進めた時期がありましたが、当時の僕はあの進め方には大きな疑問があったので、積極的に組織内では進めなかった記憶があります。

「何故、運ちゃんの処では進まないんだ?日顕の文字曼荼羅なんて気持ち悪いだろう。」

そんな「指導」も幾度かありましたが、僕は無視してました。だって「奉書之」には確かに日顕はありましたが、信仰者として持っている人が大事にしているのなら、それを無理に変える必要なんてないと思ってました。

また当時、僕の親の処にも日寛師本尊の取り替え話が来たことがあったそうですが、母親は御本尊を抱き締めて生きてきた人なので、交換には応じませんでした。

当たり前ですよね。

思うに御本尊の価値とは、その御本尊を持っている人によって異なるのかと思いますよ。
それこそ「お飾り曼荼羅」程度であれば、組織の言葉で交換をポンポンするだろうし、やはりその文字曼荼羅を抱き締めるように必死に題目を唱えて来た人には、そう易々と交換なんてできる訳がありません。

いまの創価学会が長年、基本にして来た弘安二年大本尊を「受持の対象としない」なんてサラリと会則改正で流せたのは、恐らく信濃町界隈にとっては道具としか考えていない証拠だと思いますよ。

因みに僕は、親元に同居し、結婚するときには日寛師の文字曼荼羅になってたから、いまでは日寛師曼荼羅を受持しています。

本来、御本尊というものの価値は、信仰して文字曼荼羅をたもっている個々の人により異なるものであって、それをとやかく言うものでも無いと思うんですけどね。

ちょっと考えた事を今回は記事にしてみました。

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