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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
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【20170511】創価学会法難考

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

人生、生きていると何かと色んな事がありませんか?

僕は今まで五十年ほと生きていた中で、約三十五年間は何かとあったもんだと、思い返すことがあります。

丁度、中学校三年生の頃ですかね?
生徒会の役員なんて立候補したりして、まあ物好きにも程があるなあ、なんて今では思い返したりもしますが、当時から何かと人の取り纏めで悩みまくってましたね。

高校の時にも部活で副部長から部長になったり。これは多くの先輩からの推挙もあったりして。
社会人になってからも、知り合いと会社をやったり、男子部では以前に記事にもしましたが、多くの役職を持つことになり、僕が望むと望まざるとに関わらず、何かと揉め事の中心に居る機会も多かったりで、まあ生活の中には常に悩み事が付き物の生活をしてました。

以前に永遠さんが言っていた「緊急事態も日常茶飯」に近い生き方が出来たなあと、たまに思うことがありますね。

昨今では家庭を背負っての「お父ちゃん」宜しく、収入の確保にてんてこ舞いしています。

でも過去に様々な経験をしてきた事が、今になって少し役立つなあと思うことも、チョクチョクあります。

さて、、そんな事を振り返りながらふと思うのですが、ネットの中で創価学会の事について「池田先生が全ての難を受けて頂いた」とか「難を受けることが正法の証し」等という発言が良くありませんか?

その昔、活動家の頃の僕は何も考えず、先輩幹部何がこんな発言をしていると「全くもって、その通りだ!池田先生に申し訳ない!」なんて考えてましたが、今になって考えると、これは少し違うのではないかと思うようになりました。

「それはお前の生命が傲慢になったからだ!」

なーんて言われそうですが、敢えてその事について、ここで書かせてもらいます。

まず始めに、池田会長が大阪の選挙で検挙された事について、これは何も「法難」何かではありませんよ。創価学会の中では「大阪事件」と呼んで、如何にも池田会長が法難を受けたように喧伝してます。

創価学会の組織内では「時の権力の魔性がいよいよ鮮明になり、創価学会を潰そうと牙を向いてきた事だ!」と言いますが、考えてみれば選挙活動で所謂「手下」が違法な事をすれば、その責任者が取り調べを受けることは当たり前です。
こんな事は今の創価学会でも選挙の度にチョクチョクありますよね、所謂「公職選挙法違反」で活動家が取り調べを受けて拘束されるということ。

単に表沙汰になってないだけで、僕が青年部時代にも幾つかありましたよ。
そんな場合、良くあるのが青年部幹部に全てを押し付けて「トカゲの尻尾切り」宜しく組織的な責任なんて無いような姿勢を創価学会や公明党は取るんですよね。

こんなんが、果たして「法難」なんですかね?

事実は小説より奇成りで、この当時、池田会長は自宅で身柄が拘束されたことが一般紙に掲載されていると聞きましたので、近いうちに国会図書館で調べてこようと思ってます。

あともう一つ。
牧口会長や戸田会長が戦前の治安維持法で逮捕、投獄された件。

これについては、当時の大石寺教義を言葉悪く言えば「ばか正直」に主張した結果、特高警察に逮捕された訳ですよね。だから特高警察の尋問調書を読み返して見ると、そこには大本尊の事や所謂「日寛教学」に基づいた主張を牧口会長はしていた訳です。「天母山の六万坊」とか「天皇陛下が大本尊を信じて大石寺に参詣に来る」とか言ってます。

そこにあるのは、何も平和を主張したとか、反戦人権の闘士ではなく、純粋なまで真っ直ぐに大石寺の教義に殉じようとした姿勢でしかありません。

だから大石寺の歴史から見たら、これは紛れもなく「法難」なのかもしれませんが、今の創価学会にとって、これは法難になりますかね?

いやいや、、だって大本尊を受持の対象から外したり、日寛教学をも見直すんですよね?
牧口会長が正法の為に難に遇ったのなら、大石寺教義こそ正法という事になりますよ。しかし昨今の創価学会は大石寺の教義から訣別しようと必死ではありませんか。

そんな創価学会が「永遠の指導者」と牧口会長を推挙している事もオカシイですし、その牧口会長の逮捕、投獄を「誉れの法難」なんて呼ぶことも可笑しくないですか?

だから創価学会はもう「法難」とか「正法が故に難に遇う」というのは、言わん方が良いと思うのです。

僕のこの考え方、オカシイでしょうか?

もうね、この「法難」に遇うのが正義だとか、遇わないのは正義ではないなんて、幼稚な議論はそろそろ止めるべきです。

思うに人生、自分に嘘を付かずに生きようとすれば、様々な困難に遭遇する訳です。これは創価学会の活動家で有る無しに関わらず、人の生き方としてある事です。
大事なことは、そういう生き方をする事かもしれませんし、そういう人間性を目指す事ではないでしょうか?

果たして今の創価学会の活動家の中に、幾人そんな人が居るんでしょうね。まあ少なくとも信濃町界隈には皆無と言っても良いでしょう。

もう宗教指導者を、ただイタズラに美化するための「法難」なんて言葉は捨て去るべきですね。
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【20170510】人生について思うことあり

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

何か変わったタイトルを付けてしまいましたが、ちょっと考えることがありまして、この様なモノにしました。

いやね。最近何かと僕の周囲でチョコチョコと病気になったとか、倒れたとか、挙げ句のはてに亡くなったという事が聞こえてくるんですね。
これ、創価学会の活動家とか違うとかいう事ではなく、本当に僕の地元の事です。

考えてみたらもう五十代に入ってしまったので、当たり前っちゃー当たり前なんですが、そんな話を耳にする度、色々と考えることがあります。

季節には四季がある様に、人生にも季節が有ることを最近は実感します。生まれて小学生位までは春でしょう。そして中学生から大学を卒業するまでは初夏。社会に出てから世帯を持つまでは夏本番。
所帯を持って、子供達が大きくなっていくのは晩夏から初秋。子供が独立して、リタイヤしてが晩秋から初冬。
それ以降は冬という感じでしょうかね。

そしてそれぞれの季節毎に、それぞれの景色があって、人生とはそんな季節の景色を眺めるように過ごすこと。

まあそんな感じなのではないかと。

けして楽な事ばかりではありませんし、それぞれの季節で嵐に見舞われたり、過ごしやすかったり、季節外れの出来事や事故にも逢うのでしょう。

人によっては四季の季節を堪能できずに、途中で退場する人がいたり、それが親しい友人や身内である場合もあったりします。

そして自分自身もこの人生から退場する時が来るわけで、これはどーやっても逃れることはできまへん。
まあ体も昔に比べたらアチラコチラに傷みが来てますし、やはり十代や二十代の様にはいきません。

いま僕は、大乗経典の事や日蓮の関係では日興師の周辺の事、また創価学会や政治の事について様々な思索を巡らせてますが、一番の命題である「自分の人生のこれから~退場まで」に思いを巡らせた時、これがどの様な意味を持つのか、未だによく解りません。

例えば題目の事、仏教の中に説かれていること、これは様々な事が書かれてますよね。でもそれがこれから来る自分の人生に取ってどれだけ有用な事なのか、さっぱり解らんのです。

人間、死ぬときには何も持っていけません。唯一持てるのは人生の中の思いでと言いますが、もしかしたらこの人生の中の経験は、この先も持っていけるかもしれません。しかし思いではどうなんでしょうね?

僕にも嫁が居て、子供達がいて、親兄弟も今は生きています。しかし彼らとは嫌がおうにもあと数十年の内には別れなければならないのです。

「いやいや三世共に生きている眷属だから」

そんな言葉を、その昔に聞いたことがありますが、そんな理屈が何の役に立つのでしょう。この関係というのは当に今世だけの関係ではありませんかね?

「この世界は空であり、確かなモノは何もない。全ては虚ろいゆく存在だから、執着から離れるように、努めなくてはいけない」

そんな事言ってもねー。何せ今の僕は家族のために必死に働いているわけですよ。それを単に「執着してはいけない」なんて達観は出来ませんね。

またそんな「執着を捨てて」、なにか人間味のない聖人君主なんて気取りたくもありません。

思想は思想。
これは人生の物事の見方や捉え方にインスピレーションを与えてくれるものですが、それのみで人生の全てを割り切ることなんて出来やしないし、その理屈で達観できるほど、単純な生き方をしている積もりは全くないです。

恐らく僕の人生。予定ではあと残り四半世紀程と考えていますが、楽しいことや苦しいこと、悲しいことや嬉しい事。いろんな経験をしていく事でしょう。

そしてこの人生が終わるとき、果たしてどの様な感想を述べることが出来るのか。
大事なことは、そんな事なのかもしれませんね。

その昔、大河ドラマの「独眼竜政宗」で、幼少の政宗(梵天丸)は言ってましたね。

「梵天丸も、斯くありたい」

僕もそんな感じがしていますよ。
せめて満足感のある死に方ができる人生で有りたいものですね。

【20170509】選挙で何をしたいのか

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

GWも終わり昨日から仕事ですが、人間あれですね、九日間も休んでしまうと頭の中身を戻すのがエライ大変で、今日はこれから客先なんですが、未だに頭の整理ができてません。

そんな中、僕の嫁やその親戚筋は「都議会議員選挙」に一生懸命取り組んでます。
でも傾向を見ていると、やはり婦人部が主力で壮年部はどうしても腰が重いようです。

ある親戚の叔母は旦那の元職場の名簿を元に、動かない旦那に替わり集票活動に勤しんでいたり、ある支部長は自身の人脈が無いから男子部にはっぱを掛けて同行したりとまあ、みな東京都民でも無いのに一生懸命やってます。

でもこんなのは適法なんですかね?

まあそれは兎も角。
今の世界情勢を見ても、軍事的な緊張が高まったり、国の方向性が混乱したりと、かなり動いてますが、その世界に対して何を発信したいのか?

世界広宣流布というなら、そういう事を考えてほしいものですが、今の創価学会は組織の権益維持に窮窮として、そんな観点はどこぞへ飛んでしまっているのでしょう。

実はGWの期間、家族の用事に付き合う傍ら、近所の図書館へ行って大乗経典の誕生に関する書籍を借りて読んでました。

本サイトでも書いてますが、仏教は釈迦の説き出した教えが発展してここまでの哲学体系になったのですが、その発展の基礎には様々な人達の思想が関わってますよね。

興味深い話として、本の中にあったのは「貨幣経済」の発展が、僧伽の戒律の在り方に影響を与えたという内容でした。

釈迦が生きた時代、貨幣がまだ普及していなかった事もあり、釈迦の残した戒律には「出家者はお金を扱ってはいけない」という事が決められてました。しかし時代が進むにしたがい、僧に対する供養も貨幣で行われるケースが増えたそうですが、それによって釈迦の残した戒律に対する解釈が別れたそうです。

「釈迦の教えに従い、絶対に貨幣を受け取ってはいけない!」
「社会が変化したのだから、貨幣としての供養も受容すべきだ!」

つまり釈迦滅後、部派仏教として確か二十六派に分派した要因の一つが、こういった社会の変化があったという話なんですね。

また初期の仏教教団は、今でいう「遊行僧」の集まりであり、季節と共に場所を移動して一ヶ所に留まる事はなかった僧ですが、釈迦滅後に仏舎利塔を中心とした信仰が起きるなかで、僧の定住化も発生したとありました、

要は社会の動き、教壇の特性などにより、その持ち合わせる哲学性も影響を受けて変化を重ね、その上に今の仏教というのが成立していると言うことでしょう。

考えてみれば、創価学会とて戸田会長の時代とは大きく変化していますが、それもこう言った流れの中での変化であり、変わるというのは当たり前の話なんですね。

まあ創価学会が仏教団体なのかという根本的な事は別にしてですが。

よく仏教のなかでは「釈迦の悟りの内容が具体的ではない」とか「悟りが不明確だ」という話もありますが、それは「悟り」という固定的なモノは存在しないという事かもしれません。

人生の命題とは、一人一人が異なるモノを持ち合わせています。そして仏教とはそういう命題を一人ひとりが理解して、自分の人生の意味とか価値を理解することを目的とするのであれば、むしろ普遍的な「悟り」というのは無いのかもしれませんね。

ただ大事なのは、その人生に対する考察であり、そこはそれぞれに課されたモノなのかもしれません。

そういう事で考えると、今の創価学会の組織としての行動は、とてもレベルの低いモノであると云うしか無いと思いますよ。

だって社会の中の政治活動の中にある「捨て票」をかき集めるという行為に他ならないですからね。

そんな事に血道を上げるなら、もっと他に為すべき事が有るはずです。

活動家幹部は何をしたいんでしょうかね?

【20170503】自分の過去について

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日は五月三日、昔は「5.3」とか呼んで記念行事をやっていたと思いますが、最近はやってないんですかね?

僕が創価学会の活動家として足を踏み入れたのは、今から三十年以上前の事。切っ掛けは前にもこのブログで何度か書きましたが、知人が幾人か亡くなるのを間近に見て、人生について考え始めた事でした。

そして活動を始めてから、地元の男子部仲間と共に御書を学び、座談会や男子部の活動に加わり、その中で男子部の創価班にも入り、班長にもなりで、何時の間にやら組織の要に填まっていました。

また創価班大学校で友人を折伏したときに、仕事関係で所謂「活動体験」というものも経験し、自分なりに創価学会に対する「確信」を持つようになりました。

その後、二十年近くの活動の中で、より広範囲の地域組織の責任や決裁権を持つ立場も経験し、今の嫁と知り合ったのも、そういう中でお世話になった人からの紹介でした。

今でこそ創価学会に様々な事をもの申し、地元組織でも変わり者だ信心おかしくなったと言われてますが、考えてみたら僕が創価学会という事で、人生に影響を与えた人の人数は三桁に上るモノになってます。

そのなかでは未だに創価学会を正義と信じ、活動に没頭している人も居ますし、地元組織の壮年部や青年部の幹部の中にも、そういう僕が影響をあたえた人達が多く居ます。

これは何とも罪作りな人間だと思いますよ。

また嫁の結婚式にも多くの先輩や後輩が参加して貰っていて、そんな自分がいまやこんな立場で組織に物言いを続けているのですから、彼らからすれば「何つー人間だ!」「組織に弓引く輩に落ちぶれた」と批難される事は、当たり前の事ですね。

今でもたまーにですが、創価学会の会館に僕がいて、何故か僕が担当幹部として勤行の導師に座らされるという夢を見て、「ちょっと待て!」と思い、夜中に目が覚めるときがあります。

思い返して見れば、僕が組織の在り方に疑問を持ち始めたのは圏書記長時代からでした。しかし当時、副本部長や圏主任部長から組織の在り方を問われたときに、当時の僕は組織側の見方でしか対応が出来ませんでした。

それ以降に様々な事を見聞きするなかで、この疑問が確信になったのは分県幹部になってからで、実際に組織に正面切って物言いをしたのは壮年部になってからです。

たまに思うのは、もっと早く気が付けなかったのか、また他に早く取れる行動はなかったのかという事です。

少なくとも今の地元組織の壮年部や青年部幹部をやっているメンバーに対して、もっと有用な事を語ることが出来たのではないかと言うことを考えたりもします。

つまり今、僕は創価学会や信濃町界隈に対して、様々な事を物言いしてますが、誰がなんと言おうとも、一時期とは言っても信濃町界隈の指導を組織に浸透させる役を担っていたという事実を消すことは出来ませんし、推進役であったわけです。

どんなに取り繕っても、この「人生の中の十字架」を消し去ることは出来ません。
僕はこの事は墓場まで持っていかなければならないでしょう。また死の間際には、この自分の記憶は必ず僕の中に再現される事です。

その時、僕は自分自身の人生にどの様な栽可を下すのでしょう。

それは兎も角。
いま僕が日蓮の歴史や仏教の歴史、また創価学会という事について考えているのは、その反省という側面があると思います。

今回はちょっとこんなことを考えてしまいました。

【20170501】対話の在り方について

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

本当は今日は純然たる「休み」の日なのですが、半フリーランスには休みはありません。簡単に言えば営業活動の一貫で、ただ今移動中なんですね。

今日は暑くなるそうですが、何でも上空に寒気が入り込んでいて、空気の状態は不安定たそうで、にわか雨が有りそうだと言うので、鞄の中には折り畳みがさを入れています。

聞くところでは活動家諸氏達は、東京交流という「票集め」に忙しいようですね。もう政治の問題とか社会の様相関係なく、パブロフの犬の様に条件反射的に「選挙=票集め:創価学会の信心」という事が出来上がっているので、この季節は多忙となるのでしょう。

本当に御苦労様な事ですね。

さて今日は対話の在り方について考えてみます。
以前、これは昭和三十年代後半の事ですが、時の日達師は確か寺族指導会という会合の中で「金輪聖王」について話をしました。
これは何か宗門内に口伝として伝承された事らしく、広宣流布の時には指導者として出現する王の話だったと記憶しています。

「武力ではなく、対話の力で四方を平定する王」

この事について、いまから四半世紀前の創価学会は「池田先生の御出現を予言された口伝だ」と重宝がってましたが、今の永遠の御大の姿を見るに、それは無かったんだなと思ったりもします。

まあ元々が口伝であり、何処まで確証ある伝承なのかは定かではありませんが、これには重要な示唆が含まれていると思います。

つまり広宣流布とは「対話」に依って成り立つ運動であるという事ですね。

創価学会ではこの対話を「自己の主張を貫き通すこと」と勘違いしている御仁が大勢居ます。これは先に記事にも書いた「折伏」という概念の履き違いに依るものですが、要は自分達の取りうる言動は常に正しく正義てある。それに共感を寄せないのは「悪」だから、ねじ伏せても従わせなければならないと思考が働いてしまうんですね。

「対話」とはお互いの考えを「言葉」という媒体を通して交換することだと考えています。人間の思考とは四次元の構造を持っています。空間と時系列ですね。それを二次元的な言葉で表現をして、的確に相手に届けなければならないのですが、そういう事は、やはり場数と経験を踏んでいないと出来ません。

自分の思考をどの様な言葉で紡ぎだし表現するのか、また相手の言葉をどの様に正確に理解するのか。

その為に対話とは多くの表現と多角的な論点を用いる必要があるのです。

そしてこの様な行動を通して、自身の学んできた事に深化も生まれ、時には新たな発見もあるというモノではありませんかね?

自分の生き方を語り、そこに共感を産み出すこと。

それは不断のこの努力の先にあるものであり、けして一方通行で語るだけの事では絶対に産まれません。

釈迦が新なた門下が来たときに、基礎的な事を教えたらすぐに市井の中に門下を送り出したのか、そこにはこういう理由があったのでしょう。

「勝った!負けた」の対論は、それこそ宗教家の中の閉じられた世界での話であって、社会に対しては不断のこういう対話を通して行動をして行かない限り、その思想は固定化し柔軟性を失ってしまい、結果として原理主義者という、社会にとって有害な存在しか産み出さなくなってしまいます。

僕は最近、ネットで見かける「師弟原理主義者」とは、そういう産物ではないかと感じているのです。

この東京都議会議員選挙で、東京に押し掛けるのは、まあ個人の自由なのかもしれませんが、出来ればそういう場において、相手から今の日本社会や国際状況を、創価学会の活動家達は学ぶ機会を持って欲しいものですね。

一方的な教えられた「公明党の実績」を垂れ流す対話とか、いわゆる「公明党!頼むよ!(ニコッと笑って肩をポンと叩いて終わる)」なんて不毛な行動ではない、本当の対話。

まあ無理でしょうけどね。

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