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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   
カテゴリー「未選択」の記事一覧

【20170829】対話が出来ない対話の組織の人達

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

もう朝から北朝鮮のミサイルについての話題ばかりで、かなり食傷気味です。
日本は「独立国」という体裁を取ってますが、簡単に言えばアメリカの「準軍政」の下に未だ隷属しているような国となってます。

もともとは自国の軍を持ち、独立国として行動してましたが、要はあまりに脇が甘く、しかも清国やロシアとの戦争で勝ちすぎてしまい、驕り昂った事もあって、結果としてアメリカに負け、武装解除されてしまいました。

しかし当時の国際情勢は米ソ間の冷戦が始まりかけていることもあり、武装解除された状態ではいかんともし難く、かといって新憲法では武力の放棄も詠われていた事から、アメリカ軍の傘の下で生きることを選択したのでしょう。

それがまだ継続していて、アメリカとの間には「日米合同委員会」が未だにあり、日本の首都中心には米軍のヘリポートと米軍専用のホテルがあり、定期的にアメリカ太平洋軍の指導部と日本の各省庁の局長クラスが会合を持っています。

あと「横田空域」といって、日本の首都の空はアメリカ空軍が管制しています。先進国の中で、自国の首都上空を他国の空軍が管制しているなんて、日本だけではないでしょうか。

また安倍総理が北方四島返還交渉をまともに出来なかったのもこの影響で、ロシアのプーチン大統領は「北方四島返還したら、そこにアメリカが基地を作るだろ?」という事に、独立国であるはずの日本の宰相として「NO!」が言えなかったからであり、辺野古の騒動も根っこに、この日本の仕組みが影響しているのではないか。

僕はそう見ています。
まあ異論反論はあるでしょうけどね。

さて本題。相変わらず創価学会の話題では、言葉が足らずで、いらぬ軋轢が起きてますよね。

僕もこのブログ、コメント不可にしてる理由はそこにあり、以前にコメントフルオープンしていた時には、少しでも気を抜くと大炎上して収集がつかなくなる時が多々あったからなんですね。

ネットという媒体であっても、対話は大事なはずなんですが、どうも創価学会の罵詈活やその傾向を持った人、また法華講でも創価学会崩れの様な人達は、言葉の使い方が粗雑であり、些末な言葉の綾から炎上させてしまうんですね。

これはどうなんでしょう。

対話は相手の話を聞いて自分の中で理解し、その理解した内容を相手に的確に伝達するという行動から成り立つのですが、創価学会では基本的にその訓練は行っておらず、「自分の中で理解する」ではなく「自分の中で、良い悪いの二元論で判断」して、しかも貧困なボキャブラリーや、単語を間違えて利用することから、結果として感情論として火を着けてしまいますよね。

要は対話が出来ないのです。

例えば「北朝鮮のミサイル発射」という事について、始めに書かせてもらいましたが、これは僕が様々なソースから得た情報をもとにした僕の意見です。
そしてこの意見を文字にして書いたのが先の文書なのですが、こういう能力を付け、感情に任せず対話すれば、それほど揉めないと思います。しかしこういう事を出来る人は創価学会の中では少なくないですか?

持ち合わせる情報も少く、しかも「正義」「極悪」という、どちらかと言えば感情に響く感覚を体に染み込ませてしまっているので、対話の中で「クソ」「アホ」「バカ」等という言葉を直ぐに投げ掛け相手にラベルを貼ることに終止し、対話で「勝つ」か「負ける」という形に拘るんですよ。

「対話の組織」というわりに、あまりにお粗末な姿としか言えません。

もう少し対話が出来る人が増えれば、創価学会も変わる可能性もあると思いますが、何せ御大のご指導からは、そういう事が空理空論として語られるだけで、その御大が醸成した組織文化がそれを受け入れられないから、多分この先も無理でしょうね。

残念な限りです。
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【20170824】人間革命という名のフィクション

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

酷暑な日々が関東では続いてますが、東北方面では豪雨になってますね。また香港でも台風の影響でエライ事になっているみたいですが、大丈夫なのでしょうか。

この原因は高い海水温だと聞きましたが、温暖化?二酸化炭素?太陽活動の影響?
全くもって不可思議です。

それはともかく本題です。
「人間革命」という小説がありますが、これって創価学会の中では学習テキストとしてよく利用しています。

この言葉自体、僕は第二代戸田会長の言葉だと信じてましたが、元々は東京大学の南原総長が言っていた言葉で、時系列を見ると戸田会長はそれを都合よくパクった感じだと思います。

まああくまでも時系列から考えた想定ですけどね。こんな事言ったら様々な事言われそうですが。

僕は創価班大学校時代に、池田会長の著作(と言われる)人間革命第十巻を教材として読み込みましたが、初期の人間革命は読ませる小説でしたね。さすがは篠原善太郎著述というだけありました。

しかし最近の「新・人間革命」は文章としても面白味がなく、挿し絵も北朝鮮のキム王朝礼賛の画質に近く、余計に読む気が削がれます。初期の挿し絵の方が僕は好きでしたよ。

さてこの小説ですが、昔には故・福島源次郎元副会長が「現代に於ける御書である!」なんて発言して物議を醸し、その結果、福島氏は責任とって退任(まあ理由はそれだけでは無いと言われてますが)となりましたが、現在では、まごうことなき「現代の御書」扱いの書物でしょう。

活動家で御書は読んでなくても「新・人間革命」は読んでますよね。

現にうちの嫁を見ても「新・人間革命」を教材とした圏婦人部の学習会に参加したりしてましたよ。

池田会長も過去にこの小説は「フィクションである」と明言してましたが、そんな言葉は組織の中では一切語られず、まさに「創価学会の正史」と言うように読まれていて、事実を誤解している人も結構いる様です。

代表的な一つの例が、池田会長(当時、青年)と戸田会長の出会いのシーン。確か「地涌」の章でしたが、実際にはあの様な事ではなく、確か当時の教学部長や他のメンバーから囲まれて折伏されたが、一旦は断っていたのが事実です。

また大阪事件。これは本サイトにも書きましたが、池田会長は大阪ではなく東京の自宅で逮捕されてます。また最後まで黙秘を続けたのは、当時の理事長で、池田会長は途中で自白して釈放されてました。

まあ創価学会は人間の集まりですから、様々な事があったのでしょう。問題はそういう事の「事実」を書かずに創作し、所々に事実をまぶして書かれているので、読んでいる方も虚構と事実を混同してしまう所ですね。

思うに創価学会の真実の歴史は一体、誰が残すのでしょうか。

僕なんてもう十年以上前から、胡散臭く感じてしまい、人間革命なんて読まなくなりましたし、新・人間革命なんて当然の事、読んでません。

三年ほど前に自宅の掃除をしたときに、本棚にあった書籍は、この人間革命を含めて破棄しましたが、新・人間革命は嫁が読むということで少し残しています。

牧口会長が国柱会に顔を出していたことや、大石寺の前に北山本門寺を訪問していた事、日本皇道立教会に参画してたこと、また長野教員赤化事件では当時の警察庁や内務省と協力してた事。巣鴨拘置所からは戸田会長だけでなく矢島氏も最期まで拘留されてたこと、戸田会長亡き後の石田次男氏との事、等々。挙げたしたら切りがありません。

こういった歴史的事実を師弟信仰の美名の元で、目をつむる人が多くいますが、自分達が拡大しようとする組織の歴史を知らずして、何をしようとしているのか、僕にとっては大きな疑問です。

人間革命というフィクションに夢中になる前に、しっかりと冷静な頭で見直し出来る様にならない限り、次の一歩なんてあり得ないと思うんですけどね。

【20170824】実験証明座談会

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

「処暑」が過ぎても残暑、いや酷暑が続くようですね。
西日本を中心に酷暑模様ですが、米処の天候不順は続いている様なので、やはり今年の米の出来具合は気になる所です。

さて、朝の通勤も以前と同じようにラッシュが戻り、夏も終わる感じもしなくはないですが、そんな中で「座談会」の語源である「実験証明座談会」について、つらつらと考えることを書いてみます。

今の創価学会の座談会、いったい何のためにやってるんですかね?
僕の地元では一時間という枠が決められ、題目三唱、巻頭言、STBのビデオ、活動体験、御書講義、地区部長・婦人部長で四十分、あと幹部が二十分放談する式次第が鉄板です。

全然面白味の欠片もない。

昔は一時間半で、そこには男子部や女子部の研究発表もあったりして、僕が地区リーダーの頃には、様々な事を発表させてもらったり、あと「フリートーク」なんていう、司会者泣かせの駄弁りも許容されてましたので、まあまあ全員参加的な内容だったと思いますし、時にはクセある壮年部の御意見なんかもとびだして、それはそれで面白味もありました。

しかし今では消化試合よろしく、決まった内容で形式的に淡々と進むだけの様子。どこが座談会なんだか解りません。

よくもまあ参加したり運営したり、よくやりますよね。

さてこの座談会の淵源は、牧口会長が行っていた「実験証明座談会」です。
簡単に云えば大石寺の日蓮信仰をやり、その結果として価値的なモノが有るのか無いのか実験して証明する会合というモノでした。

確かに帰納法的に様々な実践結果を持ち寄って、証明するという手法は面白い発想だと思いますが、その一方で「体験」するのも、そういった「事象」を起こすのも、人の心なんですね。

「諸法実相」という考え方がありますが、体験(ご利益の体験)は諸法にあたり、その諸法を起こす本体(実相)とは、人の心なんですよね。

「されば経文には一人一日の中に八億四千念あり念念の中に作す所皆是れ三途の業なり等云云」
(女人成仏抄)


日蓮も御書で述べているように、ここでは「八億四千念」とありますが、人の心は瞬間瞬間でコロコロ変わる訳で、その瞬間瞬間に十如があるので、とても不確実だと言っても良いでしょう。

その心で「大石寺の大本尊、またその教え」をやったとしても一貫性ある事はありませんし、所詮は人の心ですから、ある人は大石寺の教えを信じて確信する人もいれば、ある人は他の教え、またある人は自分自身の信じる処により、それぞれの業因業果を瞬間瞬間に作り出すわけです。

科学では「1+1=2」は不変かも知れませんが、人の心はそう簡単には計れません。そこを法華経では「唯仏与仏乃於究尽」と述べているわけです。

だから牧口会長が「実験証明」するために、そこに人の心の動きや問題を、どこまで組み込んで、その証明を考えていたのか、聞いてみたい所ですね。

ぶっちゃけ簡単に云えば、日本宗教学会で創価大学の宮田教授が述べていた「身延の信仰でも功徳はあった」という言葉に現れているように、世の中の宗教には御利益体験なんてごまんと有るわけで、だから日蓮も唱法華題目抄の中で、法の正邪は経文を専らとして利根通力に依るべからずと述べているわけです。

思うに創価学会には様々な問題があります。今や巨大コングロマリット教団になった組織体は変革を受け入れられる代物ではありませんが、多くの人達が未だに「池田先生への原点回帰」による変革を夢見ています。

しかしながら創価学会はその根本思想に問題があるわけで、池田会長の思想とて、その根本思想の範疇から抜け出ていません。
だからいくら「池田先生への原点回帰」を叫んだとて、変わりようが無いのです。

かつて組織内では言われてました。
「池田先生はな、決意は要らない!結果しか見ないんだ!」
こういう結果偏重主義の根本に、牧口会長が主張してきた「実験証明」という思考、また「創価(価値を創る)」という思想があるのは明々白々でしょう。

「池田先生の思想とは、そんなモノではない」という反論、これは当然あると思いますが、まだ御大が元気なりし頃、本部幹部会の席上で「私は戸田先生の構想を全て実現してきたんです」という池田会長の発言こそ、結果偏重主義を増長させてきた言葉ではありませんか?

仏法の目的は、結果を出す人の心にあるわけで、その結果には囚われるものでは無いのですが、創価学会はその淵源に「実験証明」という思考があり、それが故に逆に人の心が見えなくなっている。

僕はそう思いますよ。
まあ、これはあくまでも「僕の個人的な私見」ですけどね。

【20170823】男子部と仕事

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日は酷暑復活ですね。
朝、自宅を出てから暑くてクラクラします。
でもまあ、これで少しでも米処の不作予想が改善し、野菜が育つような天候に戻れば良いのですが、こればかりは「お天道様」宜しく自然の動きなので、予想はつきません。

さて夏休みも終わり、通勤電車は従来の混雑ぶりに戻りました。世の中、仕事が再開した感じです。

そういえば僕がかなりお世話になった先輩。男子部時代にですが、ある時、某全国幹部に反論し、噛みついた結果、壮年部に移行、そのまま活動を止めた人が居ます。

これはもう四半世紀近く前の事で、その先輩は転勤と同時に引っ越したのですが、何気にネットで名前を検索したら、上場企業で幹部になってました。

この先輩ですが、常識には煩く、且つ活動に対しても厳格で、男子部になってまだ日が浅い僕にとっては、頼りにしていた先輩でした。
でも今の創価学会に観られる「上意下達」と「思考停止」にはついていけなかったのでしょうね。
某全国幹部に噛みついた時も、内容は先輩本人から聞きましたが、活動大綱の一貫性の無さを指摘したもので、相手の幹部もだまって言葉が無かったそうです。

先日、ある男子部在籍の後輩と話す機会がありましたが、今の男子部幹部はこと「仕事」に関して、あまり良くないようですね。

うちの嫁に聞いたら、女子部の結婚したい相手像は「正社員で専業主婦させてくれる経済的な力がある人」だそうで、これもいかがなものかと思うのですが、今の男子部には求められない様でした。

まあ時代も時代、非正規雇用も多いですし、それほど収入を得るのは難しい時代ですからね。
今の僕も非正規ですが、これは「敢えて」選択した雇用形態です。要は収入面なんですけが、そういう事での非正規というより、それしか選択肢が無い非正規雇用は辛いことでしょう。

少し話がそれました。
それで先の男子部に聞くと、仕事が非正規とか有期雇用なんですが、活動をバリバリやるから幹部に登用されていて、要は「仕事より活動」「社会より組織内で重用される」という、いわば「内弁慶幹部」が今の男子部でも目立つそうです。

そしてそんな末端の幹部の中には、活動で職員幹部に認められることで、信濃町界隈の端くれに職を得たいという願望を持つ人もいるそうで、年齢にして三十代あたりの男子部幹部の中にはという事ですが。

そんな甘いこと考えるバカも居るのかと、少し呆れ返りもしたのですが、この格差が広がる社会では、そんな思考も出てくるのでしょう。

僕が男子部で部長になったとき、ある壮年部の人から言われた事があります。それはしっかりと仕事をして、社会の中で根を張りなさいということです。

男はやはり社会で活躍してナンボの存在であり、幾ら創価学会で○○長なんてやってもダメだというのです。それでは社会の中で実証として示していけてないでは無いかと。
創価学会の組織の中で訓練されたのなら、社会でも立派に通用し、それこそ信頼されるはずであり、もしそれが出来ないのであれば、そんな信心活動は意味がない。

そんな事を言われました。

無論社会は競争社会であり、勝ちもすれば負けもする。しかしその様な社会の中で生き抜き、家族を養えてこそ男であり、その訓練が男子部なんだという事だと僕は理解し、男子部時代は活動と仕事に手を抜かずにきました。

そのこだわりが今の僕を形作ったと言っても良く、仕事において信頼され、家族を養えていると思うのです。

今の時代、男子部も層が薄くなり、何か軽薄な信仰をしている人も末端幹部の中には増えているやに聞こえますが、所詮、男子部時代はお祭りの様なものであって、無為に時を過ごすことの無いように、取り組んでほしいものですね。

男は仕事が出来てナンボのものですから。

【20170822】そういえば唱題

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今年の米は大丈夫なのでしょうか。
1993年の米不足。当時の事は記憶にあります。家で子供から当時の状況を聞かれましたが、知り合いの米店にも米がなく、スーバー等でも米がなかなか手に入りませんでした。

この時、タイの人達が自分達の米を「困っている日本に」と援助してくれたのですが、タイの米はインディカ米で、日本の米の様に粘り気がなく、パサパサするんですね、だからビラフとかチャーハンには向いていますが炊いて食べるには不向きなもの。

だから一部の日本人の中には「こんなパサパサで臭いコメなんて食えるか」という言葉がありましたが、当時の僕は情けないなーと思いましたよ。

せっかくタイの人達が援助してくれたのに、それにケチをつけるんですからね。

さて、本題です。
まいどTwitterで、なにやら地区で三百万遍のお題目を唱えようと打ち出ししている地域があることを見ましたが、僕も昔にやった事がありました。

一ヶ月で支部で百万遍やろうとか、毎日一万遍とか、十時間唱題とか。
学会歌で「パパさん音頭」とか云うのがあり、そのなかでも「やったぞ題目百万遍」とかいう歌詞があるほど、創価学会の中では、沢山の御題目を唱えることが重要視されていたりします。

「南無妙法蓮華経」。これを一遍唱えるのに二秒として、一時間に1800遍。一秒だと3600遍。だから一秒に一遍唱える様にすれば一万遍は約二時間半。

だからお題目は「ナムミョウホウレンゲキョウ」という発音なんですが、急ぐあまり「ナンミョレンキョ」となったりして、人によっては滑舌悪いので「ロンロロンロ」という発音にもなります。

それでもって集まってやると、声がでかいのですが何を唱えているのやらという状態にもなったりして。
しかも正座なんで、足が痺れ、本来は御本尊を見て唱えるところ、参加者全員が導師役の人が、何時鈴棒を持つのか、あと何分やるのかと、導師の右手の動きを見たり、経机の時計を見たりと、もう何の為に唱えているのか判らないカオスな状況になってる時も多々ありました。

そんな事までやって、多くの題目を唱える事に意味あるんですかね?

特に婦人部なんて「リレー題目」とか「○時間唱題会」なんてやって、祈祷師の様にひたすら仏壇の前に座ってますが、そんな事やるなら家事や他の事をするほうが「価値的」というものです。

お題目を唱えることは、僕は「三味=瞑想」に近いものがあると思ってます。これはあくまでも僕の私見ですけどね。

先日、座禅による瞑想について、ある書籍を読みましたが、そこでは「魔境」という事が書かれていました。これは瞑想していると、ありもしない事がビジョンで見えたりして、それを体験した人は「これこそ悟りだ!」なんて言うらしいのですが、座禅ではそれに惑わされてはいけないと教え、ひたすら瞑想を継続するそうです。

そういえば深層心理で著名なユングは夢日記をつけていたそうですが、この夢の思い返しも瞑想と似た様な事になるらしく、晩年のユングも心を病んでしまっていたそうです。

創価学会の第二代戸田会長は獄中の悟達ということて、虚空会を体験したとありましたが、考えてみたらそれも魔境の一種かもしれません。

Twitterにも居ますよね、法華講員で虚空会を体験して法華経の真実を知ったと豪語している人。結構なキャラクターですぐに「ぶん殴る」とか「生きていれると思うなー!」なんて暴言吐いているので、心が病んでいることが解ります。

以前に聴いた話として、人は無闇に「無意識」に触れてはいけないという事があるそうです。それはその結果、統合失調症とか心の病を得てしまうことがあるからだそうです。

だから唱題会といって、文字曼荼羅の「妙」の字を見つめて、マントラの様にお題目を繰り返し長時間唱えるのも、少し考えなければいけないのではないでしょうか?

思うに現場の創価学会の幹部には、やたらハイテンションで躁状態な人がいて、人の細かい機微に無頓着な人もいますが、これはその影響もあるかもしれません。

考えてみれば日蓮の御書のどこを見ても、百万遍唱題なんてものは書かれてませんし、お題目を祈祷師の様に唱えることを推奨もしてません。

この「唱題」という事への取り組み方も少し考えてみてはいかがでしょうか?

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