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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20171129】心こそ大切なれ

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

明日で11月も終わってしまい、来月は「師走」ですね。
忘年会シーズンなんでしょうが、僕は職場の忘年会には参加しません。居眠り主任や何も為さらないマネージャー様は、最年少社員に段取りを任せ、忘年会ではさぞご機嫌よろしゅうお酒を飲み、鍋物を突っつくのでしょうか、そんな人達との「忘年会」の意味が解りませんので不参加としました。

聞くところでは社員の査定には不文律ですが、そういう処の付き合いも関係あるそうです。僕は社員じゃありませんから、一切関係なしですが。

そんな処へ行く時間があれば、仕事をしていた方がまだ価値的というものです。

まあ疲れる様な酒なんて、僕は嫌いなので。

さて今回の記事ですが、昨今感じている事をつらつらと書いてみます。

皆さんは人生、思い描いた様に生きてますか?

先の記事で、御大は「仏になれば自由自在」なんて指導してましたが、もともと仏教とは、そんな事を求めた教えではありません。

元来、人は思い通りに生きていける存在なのかもしれません。自分が心に描く人生のイメージかそのまんま自分自身の周囲の環境に現れてくる。そういう事だと思います。

「いやいや運ちゃん、人生とは実に不如意なものなんだ。だから人々は苦悩し、それを乗り越えるべく、日々戦っているんだよ」

そんな言葉も聞こえてきそうです。
ただここで考えなければならないのが、周囲の環境を作り行く「自分」という存在の複雑怪奇さでしょう。

これは日常生活の中では、なかなか意識する事の無い話です。

そもそも「意識」とは仏教用語から出てきた単語だと言われますが、要は眼・耳・鼻・舌・肌といった五識から得た情報を元に、自分が置かれている状況を認識し、行動を統率するものが、この意識です。

しかし仏教においては、この意識の奥に「末那識」があると言います。これは昨今の言葉で言えば「自我」とも言いますが、簡単に言えば「俺様」の本体とも言うべき存在で、日常の生活では感じる事のできない心と言っても良いでしょう。

人間が今ある状況を認識しているのは「意識」の働きですが、そこからどの様に振る舞うのか、考えている心の働きはこの末那識だと思います。
生きていれば良く有りますよね、「そうじゃ無かったのに」とか「なぜそうなったのか」ということ。
普段、意識する事の無い心の働きにより、実は人間は突き動かされていて、昨今の心理学で云う「無意識」というのは、この事なんですね。

僕はこの「環境を作り行く心の実体」は、実はこの末那識と呼ばれる領域を含んでの話だと考えるのです。

日常、意識すらしない心の奥底の働き。そしてそこでの想いが周囲の環境を作り出す。だから人は「こんなはずでは無かった」とか「自分の祈りは叶わない」なんて思うのでしょう。

勤行なんてやると、この心の複雑な動きを感じる事が出来ます。活動家であれば経験しているのではありませんか?

「よし!明日は絶対にこうしてやる!(いやー、実際にはむずかしいんだろうな)」
「この願いは必ず叶えて見せる!(ムリムリ(ヾノ・ω・`))」

勤行唱題すると、上のカッコ書きの中の言葉がやたらと出てきませんか?
人間が祈りをもって環境を作り出すときに、実はこの複雑な心の動きが影響してくるのです。

人間は意識の中で考えていると錯覚してしまいます。しかし人間の心で意識されているのは、ごく限られた領域であって、意識されない領域が、実は大半を占めているのです。
だから思った通り生けれないとか、苦難にあって苦しむという事になるのかもしれませんね。

だから僕は、日常的に気を付けている事として、人生にネガティブな思考は極力排除する事です。

目の前に苦難があっても「自分なら必ずなんとか出来る」と決めますが、そうすると心が様々ざわめきます。
「本当に出来るのか?」「実は失敗するのではないか?」「本当にお前はやれるのかよ?」。否定的な言葉が常に涌き出てきますが、それを振り切り「絶対に大丈夫だ!」と決める事に努めています。

そうして生きてくるなか、実は問題の多くが何とかなって、自分が納得できる形になってきてます。

「弘決の第八に云く「常に人を護ると雖も必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」」

これは日蓮が引用した有名な言葉ですが、それはこの事を指しているのかもしれません。

十年近く前、欧米で流行した「ザ・シークレット(秘密の法)」なんかは、恐らくこの次元の話だと思いますが、九識論で展開しているのは、この心の働きの複雑さには、実は過去からの自身の行動パターン(業)が関係しているという観点であり、それが末那識の奥に「阿羅耶識(蔵識)」があるという考え方です。

つまりこの人生だけではなく、過去に生きてきた越し方も、その人の心の働きに影響をするというものですね。

そして「九識心王真如の都」と言われる存在を、その阿羅耶識のさらに奥底に定義したというのは、現代流の言葉で言えば「予定調和」という事かもしれませんが、そこはまた別の機会に書いてみたいと思います。

人生に大きな影響を与えるのは「心」です。だから「心こそ大切なれ」と云うのであり、これを理解する事を「観心」と呼びます。

そして日蓮の本尊とは「観心本尊」ですよね。

よくよく考えてみたいものです。
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【20171128】仏と成るか仏と開くか

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日は新潟に来てまして、まー関東に比べたら寒いのなんのって。
これから移動して事務所に戻り、仕事をしなければならんのですが、多少のんびりしても怒られはしないでしょう。

さて、ネットを見てたら御大の過去の激励の箴言を見ました。

♦︎中途半端では成仏できない♦︎

「師子王の心」で戦う人間だけが仏になれる。そうでなければ、どんなに長く信心しても仏にはなれない。大境涯を今世で築いて頂きたい。いったん「仏」になれば生々世々、悠々と、自在に自分の思った通りの場所で、思った通りの使命の人生を生きられるのである。


ここで「成仏」という事を御大は述べてますが、恐らく創価学会の活動家の捉えている成仏とは、多くがこの言葉通りのものなんでしょう。

ここで御大は「仏になる」と述べてますが、果たして日蓮の仏法は仏に「なる」ものなのでしょうか?
初期の仏教で言えば、仏とは釈迦を指し、修行者は釈迦に教えを乞いながら仏になる事、つまり解脱する事を目指していました。また初期の経典に於いては、釈迦が自らを「阿羅漢」と呼ぶ部分がありましたので、そもそも仏という存在を表に出して無かったのかもしれません。

また大乗経典に於いては、この宇宙には様々な仏が存在し、ジャータカ伝説の様に人々は長い間、修行をする事で「仏になる」事が出来ると説いています。

しかし法華経に於いて、久遠実成を説く事で、人は元来仏であると明かしました。

この法華経では「開示悟入」と語り、自身が仏である事を「開き」「示し」「悟らせ」「入らせる」事を仏は行うと述べています。

つまり「仏になる」ではなく「仏を開く」が本来、法華経で云うところの成仏観な訳です。

また御大は「自在に自分の思った通りの場所で、思った通りの使命の人生を生きられるのである」と述べてますが、これはどの様な事を云うのでしょう。

久遠実成に於いて説かれたのは、仏である自身が法を常に求め、人々を仏道に導く為に様々な姿を通して法を説いてきたとあり、そこでは飢えた虎に自身の身を捧げたり、はたまた皮を紙として、骨を筆として教えを残したり、鬼に身を捧げたりしてきたとあります。 

これは御大の云う「思った通りに生きられる」という話しにつながりますか?

これには信仰観についての大転換も必要になると僕は考えるのです。

人々の多くが宗教に救いを求め、苦悩の解決や願望成就を祈ります。つまり自分の目先の問題から救いを求め、信仰が始まります。

しかしその信仰から自分自身を見つめ、自身の価値を見いだし、人生の意味について思索を進めるなかで、自ずと信仰観は変化をしていきます。

こういう事は、今から四半世紀前、僕が青年部時代に先輩から教えられたことですが、どうも最近の創価学会では違うようです。前にも紹介した話ですが、僕を訪ねてきた後輩の壮年幹部は「運ちゃんも功徳(ご利益)が欲しいでしょう?」と語り、多くの会員を糾合するには「功徳(ご利益)体験」は重要だと語ってました。

こういった幹部の姿勢には、先の御大の指導なんてのは、大きな影響を与えていると思いますが、いかがですか?

「いやいや運ちゃん。池田先生は人々を導く為に、敢えてあの様な指導をしているんだよ」

そんな言葉も聞こえて来そうですが、そうであれは創価学会の幹部をもっと真剣に育成していかないと。現場の会員にその思想を理解させるのは幹部なのですから、今のような活動偏重、頭がご利益でガチガチの幹部の思考を破壊する位の事をしなけりゃダメでしょう。

僕の母親はその昔、常々語ってました。
「いずれふるいに掛けられる時代が来るから、その時に振り落とされない自分に成ってないといけないよ。」
今がその時代なのかなと感じたりもします。

御書には「龍門の滝」の逸話が紹介されていますが、仏になる為には様々な困難があり、それは稀有の事だという内容です。

「仏になる」ではなく「仏を開く」難しさは、そんな処にあるのかもしれませんね。

【20171125】死を直視できない文明か

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日は休みでのんびりしてます。
本当は車でぶらっと出掛け、B級グルメあたりを求めに行きたいのですが、ここ最近の寒さでは、どうも外出が億劫になってしまいます。

春まで待つしか無いのでしょうか。

そう言えば気になる記事がありました。

頭部移植、死体での実験終了、生体由来頭部の移植近く中国で実施か。

これは英語の記事なので、細かいことは読めてないのですが、たしか他のサイトでも紹介されていて、要は難病で体が動かない患者の「首から上、つまり頭」を取っ替えてしまおうという事が計画されているようで、その世界初の手術を中国で近々行うそうです。

この記事を読んだ時、ふと考えたのが「ミリンダ王の問い」という、当時、中央アジアで繁栄したギリシャ文明の国家の王であるミリンダ王と、仏教の長老のナーガ・セーナ師との対話です。

ここでは「無我」ということで対話をしてましたが、それは「人の(心の)本体」はどこにあるのかという話になってました。

例えば「車」というのは車輪と車軸と荷台、またそれを動かすための部品で構成されていますが、車輪のみを指して「車」とは云わないし、「荷台」だけを指して「車」とは言いません。

それらの部品が組合わさり、その上で車の機能は備わるから、それを「車」と呼んでいると言うような内容だったと思います。

だから「車」というのは部品が組合わさった「縁」の上に存在するものであり、どれか一つの部品をもって「車」とは言えないのだ。つまり無我なのであるという話をナーガ・セーナ師はミリンダ王に語ってました。

仏教では人間とは「五薀仮和合」とたしか捉えており、地・水・火・風・空と様々なエネルギーや元素が組合わさった上に存在すると述べています。
つまりその構成物の上に「自我」というものが成り立っているのであり、この組み合わせが崩れ、成り立たなくなったらそれは「死」を迎え、無くなっていくと言うのです。

この考え方からすると、果たして「頭」だけを残して体を代えた場合、それは元の存在と言えるのでしょうか。
大脳及び小脳、そして脳幹。また六感と言われる全機能については、頭部にある事から、恐らくほぼ引き継がれる事とは思うのですが、果たしてそれで生きたとして、それでも元の人格が継続するという判断は、かなり拙速だと思うのです。

以前に池田名誉会長は、脳死による臓器移植という事に、かなり慎重な姿勢を持っていました。
それは実行に因って、ドナー(提供者)とレシピアント(移植者)二人の命を亡くす可能性という事を懸念してかの事でした。
また「脳死」という、「生有」から「死有」への不可逆的ライン引きが困難だからです。
欧米の脳死基準は全脳死(脳機能の完全停止)ではなく、脳幹死(脳幹死)を持って「死亡」と判定してます。
しかしこの脳死が果たして本当に死の不可逆点なのか、世界ではいまだ結論に達していないのです。

以前にある医療ドキュメントの物語を読んだ時、そこには肝移植か取り上げられていました。その物語で登場していた医者は「死を克服する医療」と語るシーンがありましたが、果たして人間は「死を克服」する必要があるのでしょうか?

それ以前に未だ「死を理解」していないし、それらを受け入れる事もできていないと思うのです。

今回話題となった「頭部移植」は、たしかに患者の側になれば、少しでも健常者に近づきたい、復帰したいという希望があるのかもしれませんが、医療者側にはそれ以上に実験という要素が強く有るやにも思えます。

確かに医学というのは、そういう冒険があればこそ、発展もしてきたのかもしれませんが、人間の「生老病死」の観点、また人間の尊厳という観点を忘れてほしくは無いと思います。

生命とは機械仕掛けの側面はありますが、それだけでは語れないものがあるのですからね。

【20171124】律国賊論②[祈雨の事]

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日休めば四連休なのですが、まあ会社に来ても半分が有休とっているので、事務所はガラガラ。
それでも出張準備やらお客様トラブルのログ解析やらで、やることは山盛りです。
隣では件の主任はのんびりとネットサーフィン中、、。
安倍総理は非正規を正規にすれば、仕事への責任感云々と話してますが、これが今の社会の状況と知って欲しいもんですね。

さて本題です。
良観房忍性と日蓮は敵同士の様なものですが、日蓮の伝説として「祈雨対決」の様な話がありますよね。
日照り続きの中で、幕府からの命令で忍性が祈雨の祈祷をするのに対して、日蓮と勝負。忍性が祈れど雨降らず、期限を伸ばして祈祷しても雨が降らずに終わり、その後、日蓮が祈祷をしたら雨が降って、日蓮は大勝利で終わった。という伝説です。

そしてそれにより忍性の妬みが余計に強くなって、更に弾圧が苛烈になってきた、みたいな話で流布しています。

しかしこの実態はどうだったのか、日蓮の御書には以下記述があります。

「六月十八日大旱魃の時彼の御房祈雨の法を行いて万民をたすけんと申し付け候由日蓮聖人聞き給いて此体は小事なれども此の次でに日蓮が法験を万人に知らせばやと仰せありて、良観房の所へつかはすに云く七日の内にふらし給はば日蓮が念仏無間と申す法門すてて良観上人の弟子と成りて二百五十戒持つべし、雨ふらぬほどならば彼の御房の持戒げなるが大誑惑なるは顕然なるべし」
(頼基陳情)


要は幕府から忍性への申し付けを日蓮は聞き付け、忍性の処へ使いを出して、七日のうちに雨を降らせば、日蓮は忍性の弟子になるし、降らせられなければ貴方は偽物だと伝えたのです。

「是等悦びて極楽寺の良観房に此の由を申し候けり、良観房悦びないて七日の内に雨ふらすべき由にて弟子百二十余人頭より煙を出し声を天にひびかし或は念仏或は請雨経或は法華経或は八斎戒を説きて種種に祈請す」

この申し出に対して忍性は喜び勇んで、弟子達二百五十名を引き連れて祈祷をしました。その様は「頭より煙を出し天にひびかし」とあるように壮絶ものだったようです。
しかし雨は一向に降らず、その間、日蓮は三度、忍性の処へ使いを出したそうです。

「然れば今よりは日蓮怨み給う邪見をば是を以て翻えし給へ後生をそろしくをぼし給はば約束のままにいそぎ来り給へ、雨ふらす法と仏になる道をしへ奉らむ七日の内に雨こそふらし給はざらめ、旱魃弥興盛に八風ますます吹き重りて民のなげき弥弥深し、すみやかに其のいのりやめ給へと第七日の申の時使者ありのままに申す処に良観房は涙を流す弟子檀那同じく声をおしまず口惜しがる」

しかし結果として、忍性は七日間で雨を降らせる事ができず、弟子や門下なども大いに悔しがったとありました。

伝説では日蓮がこの後、祈祷をしたら即座に雨が降ったとなってますが、実際の祈雨の勝負はここでおしまいです。

「なんだ、それだけ?」

そんな事も感じるかと思いますが、日蓮はそもそも法の正邪の判別に「現証」を重要視していません。これはこのブログで何度か書きましたが、唱法華題目抄にあるように「利根と通力には依るべからず」とのべ、あくまでも法の正邪は経文や、それに基づく論や釈によるとしてました。

一方、当時の社会の通念では、あくまでも「現証」を重要視しており、仏法にある論理性については、実は誰もが目を向けていなかったという事が、この祈雨の勝負により透けて見えてきませんか?

その事を考えたとき、今の大石寺界隈で「贋本尊には仏罰だ!」とか、創価学会の信濃町界隈で「裏切り者には必ず仏罰が出る!」という考え方。また永遠の御大が言っていた「極悪は絶対に許すな!滅びるまで徹底して責めぬけ!」なんていう言葉も、日蓮とは違うことが良くわかります。

「律国賊」と言いますが、体験や現証偏重の自称・日蓮門下が実は現代における国賊なのかもしれませんね。

【20171123】律国賊論①

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

この前までは「念仏無間」という事について書かせてもらいましたが、今回は「律国賊」という事について少し書いてみます。

日蓮の四箇の格言について、詳細を語れる人は、今の創価学会には皆無でしょう。
実際に布教の場でもそうだし、会合の場に於いても、こんな事を語る機会はないですからね。

僕自身、この四箇の格言が現代に通用する理屈だとは考えてませんし、先の記事でも書きましたが、既に既成宗派は社会的には「過去の遺産」「葬式の執り行い」位しか意味を為さないと考えています。

ただ何故、日蓮が当時にこの言葉を使い、既成宗派を指弾をしたのか。そこについて考えることで、別の事が見えてくるかもしれません。
だからそういう角度から考えてみたいと思います。

「律国賊」の理由については、御書には明確に書かれていません。しかし以下の文書から推察する事が出来ます。

「良観聖人の住処を法華経に説て云く「或は阿練若に有り納衣にして空閑に在り」と、阿練若は無事と翻ず争か日蓮を讒奏するの条住処と相違せり併ながら三学に似たる矯賊の聖人なり、僣聖増上慢にして今生は国賊来世は那落に堕在せんこと必定なり」
(極楽寺良観への御状)


ここでの良観とは、鎌倉にある極楽寺の開山です。良観房忍性といい、当時の鎌倉仏教界の中心人物です。
この良観房は律宗の僧侶でもありましたが、鎌倉の念仏者(浄土教系)の指導者念空道教が、良観房の師匠、叡尊に帰依したことで、忍性が鎌倉の律僧・念仏僧の中心的人物となっていました。

日蓮の伝記などの物語を読むと、良観房はさぞかし権力者に取り入った小狡い狡猾な極悪僧と捉えられてますが、貧民やハンセン病患者など社会的弱者の救済に尽力したことで知られる程の人物です。

しかし日蓮が鎌倉で弘教をはじめ、立正安国論を幕府に上呈してより、日蓮に対して一番敵対した人物と言ってよく、幕府の主要人物や、その身内に取り入り日蓮を潰しにかかった人物だったのです。

「国賊」とは国家を滅ぼす人物の事を言いますので、恐らく日蓮からすれば、この良観房忍性はそういう人物だと見ていたのでしょう。
つまり「律国賊」とは良観房やそれに与する人物などを指して指弾した言葉ではないかと思うのです。

「念仏無間」では法理の上から宗派を指弾してますが、「律国賊」という言葉は良観房及び関係者を指した言葉だとした場合、四箇の格言と言っても、その指弾している対象が異なる事になります。つまり「念仏無間」とは法義の上から指弾して、その法を広めた中心人物を指弾したのに対して、「律国賊」では、法義以前に日蓮の弘教を妨げる人物や関係者に対して指弾をした事になります。日蓮の御書の中では律宗に対して、様々な破折を加えていますが、「国賊」という事で述べている事については、どちらかというと良観やその一派に対して行っています。

良観房忍性は鎌倉仏教界の実力者であり、おそらく今でいう社会福祉関係にも取り組んでいた事から、人望は厚かった事が推測できますが、日蓮から見たら、そういった実力者であり、社会的にも名声があるにも関わらず、法華経を広めようとする事に対して弾圧を行ってくるという事から「国賊」という事で呼ばわったのかもしれません。

一方、良観房忍性から見た日蓮はどの様に映ったのか。
Wikipediaの「忍性」を見ると、この人はそれなりに苦労しながらも地位を確立してきた様に見えます。
日蓮が幕府に立正安国論を提出したのは文応二年(1261年)、忍性が四十四歳の時でした。

彼にしてみればようやく鎌倉で自身の地位を確立し、この翌年には鎌倉の念仏者(浄土教系)の指導者念空道教が叡尊に帰依しようとした時です。当時の日蓮は比叡山修学の僧侶として三十九歳でした。
忍性からすれば年齢も近く、自分は苦労して地固めしたにも関わらず、頭脳明晰で弁舌優れ、しかも幕府に対して鎌倉で地位が固まった忍性に知らぬところで意見書を提出した人物は、さぞ面白くない人物で妬ましくもあったのかもしれません。

そこで潰しにかかったとみても良いのではないでしょうか。
それに対して日蓮は「国賊」という事で指弾をしたのですから、その忍性はさぞかし気に食わない状況にあったと思います。そしてそれが、それ以降の日蓮への弾圧という事を中心となって行った事は容易に推測できるのではないでしょうか。

「律国賊」
こういった言葉の裏には、こういった人間の心模様があったという事を少し考えてみた場合、単純に謗法の輩という言葉以外にも、見える事があると思います。

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