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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20170724】日本の状態、危険ですね

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

この間は九州と思いましたが、今度は東北地方を豪雨が襲ってます。
この日本はどうなった、というよりも天候はグローバルな動きでもあるので、地球気候が変化していると言っても良いのかもしれませんね。

さて今回は政治の話です。
稲田防衛大臣、将棋で言えば「詰み」の状態だと言われていますが、これは日本の政治としても詰んでいるのでは無いかと思いますが、どうでしょうか。
大臣更迭したところで、この問題は解決する話では無いと僕なんかは考えますけどね。

まず陸自のPKOで南スーダン活動の日報に「戦闘状態」と書かれてしまったという、ここが第一の問題です。
今回は「駆け付け警護」という「海外での武力行使」という、まあ国際的な軍事組織であれば当然の事を初めて自衛隊に付与したわけです。しかし日本国内では憲法問題もあり、この海外での武力行使を容認出来ないという事で、限りなくグレーな状態に置くために「戦闘地域には派遣しない」という条件が付けられたわけです。
しかしその条件が合わない南スーダンに自衛隊は派遣され、それが証明されるように陸自の日報に「戦闘地域」と明記されてしまった。

当然、派遣を決めた政権側としてはこの記載を認めるわけには行かないので、それは「隠蔽」という行動にでた訳です。その意味で稲田防衛大臣は政権側として当然の行動を取りました。

しかしこの陸自の情報が外部にリークされてしまったわけで、結果として稲田防衛大臣が省内や自衛隊へのガバナンスと、そもそもの問題であった自衛隊のPKO派遣の条件違反に関して責められるわけです。

本来、軍事情報というのは、いずれの国家であってもセンシティブなモノなので、これがいとも容易く外部に漏れる事自体が問題なのですが、今回の事を見ると自衛隊の中にもかなり不満があり、その為にリークされた感じもしますが、そこはどうなのでしょうか?

また今回の事を防衛大臣更迭で乗り切れるかと言えば、結果として法律の条件違反を責められる事には変わり無いので、安倍政権は窮地に立たされるでしょう。

もともと自衛隊の置かれている位置が特殊であり、軍事組織と完全に規定されていないにも関わらず、軍事組織として動く事を法律で求めているんですから、この矛盾点を解消しない限り、PKO等に派遣してはいかんのですよ、いくら条件を付けようとも。

そもそも誰が今の日本にPKO参加を求めていたんでしょうか?
そこも考える必要がありませんかね?

これは辺野古問題を代表とする沖縄関係の問題にも、実は同質の問題が隠れているわけで、日本は現行憲法で「武力放棄」を詠っているわけであり、それが故に国の軍事組織としての「武力」の変わりにアメリカの軍事力の傘を利用している構造です。
自国の防衛すらできず、そこを他国に頼り切りで戦後七十年以上、安逸な生活をしてきてしまった日本社会は、その危険性を理解出来ないでしょう。
日本の戦後七十年の安逸は、アメリカの軍事力の元で得られた安逸であって、これはけして理想的な事ではないのです。

歴史上見ても、他国の軍事力の傘の下で完全な独立国として動けた国はありますか?
僕は見たことありません。

その付けの一部が露見してしまったのが、実は今回の稲田防衛大臣の問題のように、僕は思っています。

あとは加計学園の問題。
これは官僚主導の硬直化した、政治の力で仕組みに切り込む事を目的とした「国家戦略特区」が、実は総理大臣のお友達を助けるために利用されたという事でしょう。

国の行動を取り仕切るのは官僚組織であり、そこには様々な制約や煩雑な手続きがあります。そしてこれは長年にわたり日本を動かしてきた官僚組織の権益維持の仕組みも隠れています。
それを「規制緩和」というお題目のもと、政治家は風穴を空けるべく努力をして、今回の「国家戦略特区」というのも作られたのでしょうが、結果としてそれは政治家やそのお友だちの権益維持の為に利用されたという事なんでしょう。

しかし考えてみれば、政治家にはそれぞれパトロンが居て、パトロンは自分への権益誘導を求めてお金を政治家に出しているわけです。だから政治家の動きとしては、当然あり得る行動な訳ですね。

政治とは利権の取り合いであり、けして綺麗事ではありません。しかしそこに携わる政治家には、その泥々とした政治の中でも消えない理想をもって生きてほしいものですが、どうもそこが昨今の政治家には無くなってしまったようです。

その政治家の劣化は国民の政治意識、また国や社会に対する国民の意識レベルの低下を表しているわけで、そこから見ると、今の日本の社会の問題は、とても重篤な状況ではないかと思います。
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【20170721】広宣流布した社会

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日も酷暑な日となってます。
毎朝の通勤だけで、グロッキー。職場に着く頃は汗だくで、直ぐに仕事なんかに取りかかれません。
地球温暖化とか、いやいや寒冷化とか、様々な議論がありますが、この一断面だけを見ると、温暖化の方が説得力ありますよね。

さて最近、マスコミは騒いでます。
まあマスコミは騒ぐのが仕事なので、毎度の事だとは思いますが、内容が下らなすぎます。
加計学園、稲田防衛大臣の日報隠蔽指事疑惑、あと最近静かになりだした森友学園。あとは魔の二期生国会議員にまつわる様々な事。
そう言えば北朝鮮問題はどうなったんですかね、あと先日、津軽海峡を中国公船が通過、領海侵犯もありましたよね?
尖閣に竹島、あと民進党の蓮舫代表の国籍問題。そうそう、一番深刻な福島第一原発事故はどうなってますか?まだ終息なんてしませんよ、これは。

よくもまあこれだけ色々な事が起きるもんだと感心しきりですが、これだけ問題がありながら、その根源の問題が良く解りません。ただ思う事は日本の中でいま起きている事は立正安国論の一節の言葉に表されているのではないでしょうか?

「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱ると」

幾度も書きますが、ここで言う「鬼神」とは「社会の善悪の基準」を言い、それが乱れる事で人々が混乱してくるという事を述べています。もともとは中国墨家思想の中にある「鬼神=悪食らう鬼」を指すので、僕はこの様に解釈をしています。

日本社会の中で、社会にとって何か「正義」なのか、そして何が「悪」なのか、その基準が混乱している事が今の社会の混乱の要因の一つではないでしょうか。

先日の東京都議選、公明党は早々と自民党と袂を別ち、都民ファーストの会の小池都知事に付きました。小池女史が立候補した時の都知事選挙では「小池都知事が当選すると、選挙が続き税金が余計にかかる」と、本来、首長選挙は自由投票であるはずの創価学会の組織内でも、小池女史をこき下ろしにしていたにも関わらず、都知事に当選して人気があがるや態度を豹変させた事も驚きでしたが、この公明党の変わり身の早さはある意味で関心すらしました。
この状況の中の都議選で、安倍総理は当初「創価学会抜きでも勝って見せる」と述べたという事が実しやかに流れていて、結果としては自民党は歴史的な大惨敗。同じ与党の公明党は全員当選となり、創価学会の中でも大勝利と喜び、自民党幹部は「やはり公明党なしでは勝てない」とぼやいたと言います。

そんな事を聞いて、さそかし信濃町界隈は喜んだ事でしょう。
何故ならこれまで以上に日本の政治に対して影響力を持てるという事になるからです。

創価学会では、僕が未来部の頃から「2001年5月3日」を目標として進んでいました。そして二十一世紀こそ「平和と幸福の歓喜の法戦の時代」とも言っていて、未来部の中では「ああ希望の二十一世紀」という歌をよく歌っていました。

そして今や創価学会の政治部門の公明党は政権与党に入り、都議選を通して政治への影響力を示し、次回の内閣改造では閣僚を2名、公明党から出すのではないかという事も言われています。

組織としての創価学会を見るならば、これぞまさしく昔から夢見てきた「広宣流布の姿」ともいえるのでしょう。しかし社会の様相はと言えば、まったく真逆な状況になっています。

社会の状況は先に述べたような大混乱。そればかりか北九州でも大災害が発生しましたし、地震も各地で起きています。また都心部でも先日、大きな雹がふって御騒ぎとなりました。考えてみれば熊本大震災の傷も癒えておらず、東日本大震災の傷も癒えてません。また福島第一原発では汚染された排水の捨て場でもめています。
国内ばかりではありませんよ、北朝鮮とアメリカの関係もありますし、世界中でも様々な事が起きています。

要は日本は大変な状況に置かれていますが、それでも何故か「2020年東京オリンピック開催」へとお祭り気分を盛り上げようとしていますよね。

これのどこに「広宣流布」の姿があるというのでしょう。

創価学会は間違えました。何時から間違えたのか、それは牧口初代会長の時代から既に間違えたと言っても良いでしょうし、そもそも教団組織の趨勢を「広宣流布」とした二代、三代会長の指導も大きな間違いでした。

つまるところ、法華経や日蓮の言っていた「広宣流布」を理解せず、組織の都合の手前ミソな「広宣流布」という言葉を広げたに過ぎないわけで、これでは日本社会に好い影響を与えるわけがありません。

現に今の姿。
創価学会は組織力としては社会の中で注目の位置づけとなっていますが、その創価学会の思想性が社会の中で良い影響を与えたものがありますか?

何もありません。池田思想なんて組織内で語っていますが、それでは日本人の中で「池田思想」を知っている人がどれだけいるでしょうか?
中国でも「池田思想研究所」なんて随所に立ちあげられたと記憶していますが、その中国がいま一体どのような姿をしていますか?

創価学会に疑問を持つ人達が、会員の中でも最近になり微増してきていますが、その人たちの多くもこういった根源的な問題に気付く人はごくわずかです。多くは「池田創価学会の再生」を夢見ているだけという、なんとも言葉にできない状況です。

「法華経に云く「皆実相と相違背せず」等云云、天台之を承けて云く「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」等云云、智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」
(減劫御書)

日蓮仏法を学ぶと言いますが、この日蓮の言葉を知らないで広宣流布なんてよく語れるものですよね。

【20170720】破邪顕正する前に

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

暑い日々が続いてますが、皆さんは体調管理されてますか?
熱中症もそうですが、この天候で高齢者などは脳血栓なんかも増加するようですので、こまめな水分補給を心がけて、乗り切りましょう。

さてタマにネットで見る「破邪顕正」という言葉、特に元創価学会の活動家だった法華講の人や、創価学会でも一部鼻息の荒い人が使ってますよね。

「邪を破折し正しきを顕す」
こんな意味なのでしょうが、自分の信じる組織が正しいと思い込んで、他の組織の論理的な矛盾点を突き、黙らせるという事なですね。

最近思うのですが、人は「教えが正しい」という事だけで、宗教は信じませんよね。
そこにあるのは人間関係であったり、はたまた信仰体験であったり、あとは個々の人間としての様々な想いであったり。そういう事で宗教は信じられています。

だから相手を論理的に黙らせた処で、その相手が自分の宗派に鞍替えすることはありません。たまにそこから宗派替えをする人もいますが、それは極僅かな人だけの事です。

日蓮は「法華折伏・破権門理」という言葉を述べ、徹底した折伏を確かにしていましたが、この対象はあくまでも当時の仏教僧に対して行い、それに連なる幕府関係者に対して行っていた様に思います。

また門徒にあっても折伏を確かに行っていましたが、考えてみれば当時の人々は何らかの宗派の門徒であったことから、折伏をしていたものと思われます。

そして創価学会。こちらも特に戦後の復興期には「折伏大行進」とやってましたが、これはどちらかと言うと、とにかく「日蓮正宗・創価学会は正しい」と相手の言葉を聞かずに捲し立て、なかば強引に組織勧誘を行う事を言っていて、本来の折伏とは少し違っていた様にも思うのです。

その実体は「小樽問答」の音声データを聞けば明確なのですが、創価学会ではこのデータを公開してないですよね。

この「折伏」とか「破折」というのは、その前提として「自らの教えは絶対に正しい」という事があります。

例えば日蓮は「法華経こそ正しい教え、釈迦の直説」と信じ、確信していたからこそ行った行為ですが、考えてみたらそれって日本仏教に閉じた話であり、それは大きな枠組みで見ても日本に伝来した大乗仏教の枠組みの中の話でしかありません。

そもそも仏教を見てみると、そこには「空観」という思想があって、物事とは全て縁起で成り立っていて、そこに絶対的に存在するモノなんて無いという考え方が基本になっています。

あの「四十余年・未顕真実」という有名な言葉が書かれている無量義経でさえ、以下の言葉があるのです。

「菩薩、無量義を修学することを得んと欲せば、応当に一切諸法 は自ら本・来・今、性相空寂にして無大・無小・無生・無滅・非住・非動・不進・不退、猶虚空の 如く二法あることなしと観察すべし」

つまりこの無量義を修学するのであれば、諸法(全ての事象)は過去から未来へ向けて持つ性質や現れる姿は全て縁起で成り立ち実体の無い「空」でり、それが安定しているのであり、それが真理なのだと観察しなさい。という事です。

現に創価学会もそうですが、法華講においても主張している「正義」とは、富士門流大石寺教学という枠内に止まった正義論であり、それ以外に通じるものではありません。また創価学会が後生大事に語る池田哲学にしても、その枠内を外れる存在では無いのです。

こと創価学会で言えば、逆にそこを近年の教義改正によって壊してしまい、よりグズグズだから法華講にもやり込められてますよね。

例えば創価学会から法華講に移ったとしましょう。すると法華講では「相伝書」の類いを使って自宗派の正統性を語ります。有名処は「偽本尊論」でしょう。しかしこれは日蓮の述べたこと、宗門の歴史を調べてみると、後世に自分達に都合が良いように作られた理論となっているのが解ります。

また宗門から創価学会に移ったとしましょう。そうすると宗門の言う「偽本尊」の論理的な稚拙さを教えられますので、そこの矛盾は理解出来ますが、逆に創価学会のおかしさは教えられず、やはり捏造された「創価三代麗しの血脈」なんて教えられたりします。

双方が双方ともに自分達の「窓枠」を通して、相手の矛盾点を突きまくる。これが「破邪顕正」の実態ではありませんか?

今の時代、そんなことをしている場合ではないのですが、まあ人というのはとかく相手を組伏せることで高揚感が得られるので、そういう言葉が消えることは無いのでしょう。

もっと広い視野で学べれば良いんですけどね。

【20170719】「立正安国論の指導原理」を拝見して④

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ
今回も続けます。

師弟不二ARCHIVE「立正安国論の指導原理について」

さて、先の論ですが、そこでは「また、国土という面からも、安国論が「自然と人間」という視点から説かれている、ということを忘れてはならないと思います。」とありました。

確かに立正安国論は経典を自在に紐説き、正法が失われて国で、如何なる災いがあるかについて説いています。そういう視点から「環境と人間」の関係性について明かしているという解釈が、以前から行われていました。

しかし一方で「ある特定の宗教が広まったからと言って、天災の類いが収まるのか?」という議論もあります。

この議論については、恐らく水掛け論という形にしかならないのですが、それは置いといて、ここで考えなければならない事は、なぜ日蓮は金光明経や仁王経を中心に引用したのかという点です。

これは、この二つの経典に法華経を加えたモノを「国家鎮護三部経」と当時の日本では定めており、官僧は国の災害を納めるために、それぞれの経典を「儀式」として講義し、敬っていました。

しかし日蓮は、そういった経典を「法華経の解説書」という位置付けにして立正安国論を展開しています。この発想の転換についても理解する必要があります。

つまり仏法の体系を理解して、単なる呪術の道具ではなく、その中身を法華経の解説書と位置付ける事により、新たな視点を提示したというのが、立正安国論なのです。

またもうひとつ。
仏法にはもともと鎮護国家という考え方は存在しません。恐らくこの金光明経や仁王経に記されている、いわゆる「自然と人間の関係性」に論究されているのは、中国の思想の混入に依るものではないないでしょうか?

つまり仏法の考え方ではなく、古代中国の「治世観」が経典漢訳、補填の際に混入した可能性が有ると思うのです。

例えば本サイト「想学談林」にも書きましたが、安国論にある「鬼神」という思想をみても、その奥には中国の墨家思想(老子)の考え方が背景にあると考えられる節があります。

つまり何を言いたいかと言えば、鎌倉時代であれば、この古代中国の思想を引用しても、例えば幕府の基本政策等には「貞観政要」といった、同じく古代中国の論文が用いられていたので親和性があったかも知れませんか、現代に於てその考え方のみでは通用しません。

時代が大きく異なっているのです。

確かに昨今の地球環境の変動は、とても激しいものがあり、それだけを見ると「ほらほら、日蓮の言う通りだ」と云うのは簡単なのですが、果たしてそれで人々は納得するでしょうか。

例えば異常気象にしても、最近では太陽活動と連動していることが解ってきましたし、それと共に地球の環境変化の大きなうねりの一つの事象とも云われています。またもっと大きな枠組みでは銀河系から到達する宇宙線も関係しているという話もあったりします。

そういう事を鑑みるとき、現代に於ては人間と環境という視点にプラスして、人間の住む星、地球と宇宙の関係性についても加味しなければならないのではありませんか?

それを単に「経典に書かれた通り云々」で安易に「人間と環境の事が書かれている指導原理」と言うのもいかがなモノかと思うのです。

詰まるところ、先の論文はもう少し考証を深くする必要があると、僕は考えていまし、その上で立正安国論から、何が取り出せるのかという話になるはずだと考えていますが、如何でしょうか?

読み取る側として、もっと知識を広げて思索をする必要があると考えます。

【20170718】「立正安国論の指導原理」を拝見して③

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

師弟不二ARCHIVE「立正安国論の指導原理について」


「世界の知性は、創価三代の思想に共鳴し、池田先生の思想を求めています。世界広布新時代を迎えた今、池田思想はもはや学会だけの独占物ではなく、人類の共有財産であり、世界の至宝だと思います。」

果たして今の時代、本当に世界は「創価三代の思想に共鳴し、池田先生の思想を求めています」なのでしょうか?

まずアンチにしろ罵詈にしろ、創価学会に関わった人間は、この視点を改めなければなりません。

かなり以前の事になりますが、僕は某国の在日公館職員から聞いたことがありました。

「ミスター・イケダは最大のジョークだよ」

当時の僕は、この言葉を聞いて唖然としましたが、聞くところに依れば、その日も創価学会から「いくら出せばどの様な顕彰をもらえるのか?」と、その公館に問い合わせが入ったとの事でした。

またある社会活動家からも、某元公明党国会議員から「私の使命は池田先生に授章可能な顕彰を探すこと」と聞き、創価学会の中ではこういう現実をどこまで理解しているのかと質問をされました。

「池田先生に頂いた顕彰を金で買ったとか云うのは、賞を与える側へ大変失礼な事だ!」

僕は以前に先輩からその様に聞きました。
しかし現実には「寄付」という形でお金を渡し、その見返りとして顕彰され、それを聖教新聞一面にデカデカと掲載し、如何にも「世界の知性は池田先生へ教えを乞い求めている」と詐称している訳です。

僕は日蓮仏法を世界の指導的な思想にするのは、これからの働きであり、その哲学的・思想的な展開次第かと考えていますし、今の段階ではそんな状況では無いと考えています。

ましてや「池田思想・哲学」というのは「有名無実」なものでしかないと考えているのです。

「立正安国論の指導原理」と云うのは良いのですが、実際に原文のママの安国論に、どの様な指導原理があるというのか。先の論文にはその内容が漠然としか書かれておらず、そこは「池田思想・哲学なんだ」で終わっています。これは非常に中途半端な感じにしか思えません。

これは詰まるところ、そういう思想的・哲学的な展開を、池田会長一人に押し付けていて、「我こそ本門の弟子」と語る自らは、実は何も思索をしていない事を表明しているに過ぎません。

であるならば、「世界の知性は池田先生の思想を求めている」という様な与迷い事を語る以前に、自分達の言葉で日蓮を語り、仏教を先ずは語れるように研鑽すべきではありませんか?

こんな適当な賛辞で内容を濁して語っている場合では無いと、僕は思います。

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