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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20170915】七重の相対(五重の相対)考察

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

この連休は台風が日本を縦断するようですが、連休は来ないで欲しかったなー。
でも相手は自然なんで、どうにもならないし、人間社会の都合なんて関係ないですからね。

皆さん、この連休は雨風には十分に気を付けましょう。

さてTwitterでトンチンカンだなと思いつつ、七重の相対なんてのを書きましたが、今の創価学会の中では何気にありそうな事なんで、五重の相対からはじめて少し考え直してみたいと思います。

五重の相対の雛形的な思想は天台の教義の中にもあったようですが、五重となると日蓮の思想だと言っても良いでしょう。この考え方は互いに相対比較して、何れが正しいのかを判別する思考(判釈)なのですが、まずは各相対について考えてみたいと思います。

1、内外相対
内外とは「内道」と「外道」を相対する事で、内道とは仏教で外道とはそれ以外だと言います。
そもそも何故仏教を「内道」と言うかですが、これは物事の因果を自身の内側に見るという事を指し、仏教はそういう思想であるから「内なる道」で内道と呼んでいます。
一方、自分以外の外側に神など何者かを立て、そこに因果を見るのが外道だといい、日蓮のいた当時では道教やバラモン教を外道と呼び、今の創価学会では仏教以外全て外道と教えています。
しかし昨今のキリスト教の神学とかの議論を見ていると、自分の中に神を求め、内省的な思想が見られるので、強ちキリスト教だから外道と言えないと思います。
また創価学会の中でも文字曼荼羅を御本尊様と呼ぶのは良いのですが、あたかも万能の力を文字曼荼羅は持つ存在と捉え、「御本尊ちゃま!お願い!とお祈りすれば叶います」なんて指導がまかり通りますから、これは外道の一分に入ると思いますよ。

2、大小相対
これは仏教の中にある大乗教と小乗教という二大潮流を相対比較する事を述べてます。ここでいう小乗とは、今で言えば南伝仏教を思い起こします。そこでは最高の悟りを阿羅漢果(声聞の悟り)として、主に出家して修行に励む個人の救済に力点を置いている仏教を云います。大乗教とは北伝仏教で、いわゆる中国や日本に伝播した仏教で、人々は菩薩の行いをする事で、万人に成仏の方途があるという教えを云います。
要は一人を救済する教えか、万人を救済する教えかという判定をするわけですが、形として大乗仏教であっても、人々の救済に目を向けないものは小乗仏教にも劣るものであるので、一括りに「大乗仏教」や「小乗仏教」とは言えませんよね。
例えばインドで一億人の人々に仏教を広めたという佐々井秀嶺師は南伝仏教の教えを持って行動してます。一方の創価学会は大乗の教えと云いながらインドのハイ・カーストしか相手にしてません。
一体どちらが仏教の本義に近いのか、考えてみたら判るでしょう。
単に奉じている教えが小乗か大乗かという問題では無いのです。

3、権実相対
こちらは法華経以外の権経と、法華経を相対して判釈するもので、法華経こそ釈迦の本意であり、それ以外は仮の教えであるという事で判釈してますが、最近の研究では法華経の成立は釈迦滅後五百年頃だと言われていて、釈迦直説でないのはほぼ確定しています。また法華経の成立についても、実は詳細な事は解っていないので、単純な判釈は出来ないと思うのです。
しかし多くの弟子たちに成仏の記別を与え、久遠実成を通して仏はけして自身の外に居るわけでもなく、ましてや何かで得られるものではない。人は元来、仏であるという思想はとても魅力的で意味ある内容だと思いますよ。
そういう点では法華経は優れているのでは無いかと思いますが、この判釈では権経を捨て去るというものではありません。
やはり仏教哲学とは、実経と権経ともに必要であり、主軸をどちらに置くのかという事だと思います。

4、本迹相対
これは法華経の本門と迹門の相対判釈ですが、久遠実成が説かれている本門が重要だという事ですよね、詳細は省略します。

5、種脱相対
これは日蓮仏法と釈迦仏法の立て分けを言っていて、久遠下種の釈迦仏法は下種を気づかせ悟らせる事、これを脱益仏法と呼んでますが、それに対して、日蓮仏法とは仏種の無い人々に、下種を施す仏法だと言うのです。
これは日蓮独特というよりも、どちらかと言えば興門流の考え方では無いかと思います。そもそも久遠下種の衆生と下種無しの衆生とは、どの様な違いがあると言うのでしょうか。もし違いがあると言うなら、何時の時代から綺麗に切り替わると言うのでしょう。また「富士一跡門徒存知事」にも日蓮は釈迦久遠の弟子の上首である上行菩薩の再誕としてますが、何をもって日蓮仏法は釈迦仏法と違うのか、そういう疑問点が多くあります。
この下種日蓮仏法という思考、またそこから派生したであろう日蓮本仏論が、結果として門下の中に、仏教軽視を産み出してはいませんか?
確かに日蓮の説いた教えの解釈は、それまでの仏法に対して一重深く立ち入っていると思いますが、それは釈迦の説いた教えと別のものではありません。

僕は個人的にこの立て分けについては、もう少し丁寧な議論が必要だと考えています。

6、創宗相対
ここからは近年の創価学会の動きから、勝手に読み取ってます。あくまでも創価学会という立場からであり、そもそも宗門にはこう言ったものは存在しません。
創価学会と宗門教学。これは共に根っこを辿れば大石寺教学であり、戦前の宗門の説いた教えが基本になってます。
牧口会長は大石寺の教えでも、自身の価値論を用いなければ功徳は得られないと云い、戸田会長は生命論、そして池田会長は人間主義を用いて大石寺の教えを独自に展開したと言っても良いでしょう。
そして第二次宗門問題を境にして、創価学会ではその様な創価学会の教学こそが世界宗教に合い相応しく、宗門の教えは「富士宮の山寺信仰」と切り捨てたわけです。
そして創価学会の展開する日蓮仏法こそが民族や思想を越えて人類を結びつけると自画自賛したわけです。

7、池創相対
そして近年では、従来の創価学会の思想から、池田哲学という名前に切り替え、近年の古今東西の思想のパッチワークを中心に据え、池田会長のカリスマ性を異様に高め、かの御仁を永遠の指導者に祭り上げ、その元に団結して進む創価学会という組織を独自の解釈で「創価学会仏」として祭り上げ、SGIも日本創価学会の一部門とし、御大のカリスマ性を傘にきた会長を最高位に祭り上げる会憲なるものを制定しました。

従来の戒壇大本尊を受持の対象とせずと云い、日寛教学は見直すと語り、日蓮の出世の本懐の解釈も変更。ここに来て本仏論まで消そうとしています。

僕は昨今の創価学会この教義の一連の内容について、教学的な観点や歴史的な観点で解らなくも無いですが、今の創価学会にはそういう地に足の着いた議論で決めた訳ではなく、何か行き当たりばったりの動きにしか見えないんですね。

また活動家幹部連中も、こういう事には一切無関心で、異口同音に「お元気な池田先生」で終わらせている処には異常さを感じます。

創価学会仏とは、実は悩乱した仏ではないのか?

七つをこうして並べてみると、改めて創価学会のおかしさを実感するのは僕だけでしょうか。

もう止めてほしいな、こんな事。
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【20170914】創価学会の方向性

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

先日発表された会憲ですが、僕の嫁を見ていると一切無関心で、それよりも日々の学会活動に忙殺されている様に思います。
これは何も僕の嫁だけではなく、恐らく国内にいる創価学会の活動家幹部の大半がそうなのではありませんか?

聖教新聞の会憲の記事を見ても、あー創価学会は新しい段階に入ったんだな。

その程度の認識しか無いでしょう。

以前からネットでは「信濃町界隈は会員に考える時間を与えないように活動漬けにしている」という話がありました。当時、活動家幹部であった僕は、そんな事は無いと思ってましたが、距離を置いて解ったのは、それは嘘では無かったと言う事ですね。

まあ信濃町界隈から骨の髄までしゃぶられたいのなら、何時までも走り回れば良いかも知れませんが、僕はゴメンです。

僕自身は既に組織から離れ、会合も行かなければ幹部も最近、めっきり来なくなりました。まあ訪問すれば詰められ、会合の参加もしない人間なんて、今の組織には不要なんでしょう。でも統監が残っているのは、幹部も辛いのかもしれませんね。なにせ目標は統監数をベースに決められますから。

あとは家族が心配ですが、これは良く良く観察し、おかしくならない様に気を付けるしかありません。

日蓮の受けた法難とは、既得権益に対する戦いという側面が強くありました。これは昨日と一昨日の記事にも書きましたが、日蓮は法華経の故の法難と述べてますが、実態としては法華経を背景として既得権益に対する闘争であったと、僕は考えています。

現に戦った相手、これは当時で言えば鎌倉幕府や北条得宗家の人達、また鎌倉仏教界の人達の中で、日蓮の真意を理解できた人はどれだけ居たのでしょうか?

恐らく「日蓮憎し」が先に立っていたと思うのですが、それが果たして「毒鼓の縁」と生っていたのでしょうか?
日蓮を憎んだ人の多くは、自分の信じた教えを貶された事に怒りを覚える以前に、自分の既得権益を壊される、または侵害されたという事に怒りを覚えていたと言う事はありませんか?

だから佐度流罪赦免後、御内人の筆頭である平左衛門尉頼綱をして、最期まで日蓮の真意を理解出来なかったのではないでしょうか。

日蓮は仏法を見て、他の人達は既得権益の確保を見ていた。そんな事では無いのかなと。

宗門もそうですが、創価学会の言う「折伏」とは「正しいとおしえで相手を論理的に組伏せる事」とありますが、正しいや間違いというのは価値観の問題であり、その価値観がまず同じ土台に乗らない限り、折伏にはならず、鍔迫り合いになり不毛な事になるのは、創価学会の折伏経験者、また対論の経験者であれば理解出来ると思います。

この価値観の共有無くして、折伏なんて成り立ちませんよ。それを「強折(ごうしゃく)」なんて呼んで言葉をおい被せるから、互いに揚げ足取りの対応に終始してしまうのです。

人間とはある意味で不自由な生き物だと思いませんか?

自身の思考を相手に伝達するためには「言葉」という方法に頼らざるを得ず、この言葉で物事を正確に伝えるのは至難の技なのです。

試しに友人や家族の間で、電話を利用して自分が今居る場所の事を正確に相手に伝えて見てください。要点は伝わっても、自身の見ていること、温度や質感、また空気の臭いは伝えられますか?

絶対にそんな事は出来ません。

詰まるところ言葉とは不完全なものなので、それを利用する場合にはしっかりとした訓練が必要になってくるのです。

「折伏」といい、「広宣流布」といい、これらを言論戦と創価学会が呼んでいるなら、そういう事に対する修練を積む場所である必要がありますし、幹部と呼ばれる人達には、そういった技量を持ち合わせている事は必須条件のはず。

またそういう修練を積んでいけば、日蓮の御書にも紹介された中国の故事「孔子は九思一言(一言発する為に九回思い返す)」という様な思慮深さが身に付くはずです。

またそういう事が身についているのであれば、現在の創価学会や公明党の政策、また創価学会の会憲といった紛い物についても、何が紛い物なのか理解が出来るというものです。

そんな事は、信濃町界隈は理解しているから、活動家幹部たちを活動漬けにしている訳なんでしょうか、賢き活動家達の中で、こういう事になるのは気づく人が増加することを願ってやみません。

【20170913】理と事、そして法難②

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

国連安全保障理事会で北朝鮮への制裁決議が、当初の内容に比べて骨抜きになった様に見えますが、これからどの様にころがるのでしょう。

ロシアや中国の思惑もあり、アメリカの思惑との間で、これからの東アジアの動きがどの様になるのか、またこの国際政治を幕間から俯瞰している人達は何を考えているのか、気になりますね。

さて昨日に続いての記事です。
松葉ヶ谷の草案を襲撃された日蓮は、一旦、鎌倉を離れますが、約一年後に再度鎌倉入りをします。しかし幕府に捕らえれ伊豆へ流罪となります。
松葉ヶ谷の草案襲撃は暴徒に依るものでしたが、伊豆流罪は幕府から罪人として扱われた事を意味します。

この伊豆流罪は日蓮も覚悟の上だと思いますが、日蓮が罪人となることは門下にとっても大きな出来事であった事でしょう。

門下は罪人に連座するという扱いも想定されます。

日蓮は伊豆で約二年過ごし、鎌倉へ戻ります。伊豆の地頭であった伊東氏の病平癒により信頼されたことも、赦免の理由の一つではなかったかと思います。

その後、日蓮は故郷の安房小湊に足を伸ばしますが、そこでは地頭の東条影信に襲撃されます。伝説では猛烈な念仏信徒の東条氏が、念仏批判をする日蓮を憎んで襲撃したと言われてますが、実は当時の日蓮は、地頭の東条氏と東条御厨を有していた領家の尼との係争に関与、当時の評定所へ持ち込み領家の尼の勝訴へ手助けをしました。
これにより、幕府に太い人脈を持ち、小湊方面の地頭の東条氏の面目を潰した事からの襲撃だったと言われています。

文永二年の事、モンゴルの元の勅使として朝鮮の官吏が日本を来訪、文永の役が始まります。当時は幕府と朝廷で意見も割れ、執権も時頼の子息である若い北条時宗の時代です。
日蓮は自身が想定していた他国侵逼の難が眼前に現れた事で、いよいよ自身の確信を深め、鎌倉在住の各宗派に対して公場対決を迫りました。

幕府からしたら、朝廷との駆け引き、また後家人の動揺、社会の不安定化を懸念していた事もあったと思いますが、それに対して日蓮の行動には苛立ちを募らせていたと思うのです。

それが六年後に顕在化したのが龍ノ口の法難から佐度流罪に至る一連の事件では無かったのでしょうか。

この一連の動きの裏には北条重時がいて、表に出てきたのは御内人として当時、幕府内で力を付けてきた平頼綱だったのです。

この様に日蓮の法難について、考えてみると、日蓮は法華経を中心として仏教界の統合(と述べて良いのかは別にして)を考え、それこそか釈迦の直説であり、末法に生まれる上行菩薩の行動として活動をしていましたか、周囲から見たら様々な既得権益を破壊する人物と映ったのかもしれません。

だから日蓮への迫害という事になったのかと思います。

教学的には日蓮は法華経が故の大難を受けたとなっていますが、実は法華経を根本とした行動が、当時の社会の中の既得権益を持つ人たちを脅かし、その人達からの迫害という縮図では無いかと思われます。

既得権益を持つ側からすれば、日蓮の提唱した法華経という事には、まったく興味もなく、むしろ原理主義的に自分達の持つ領域を破壊しに来た型破りな新興の仏教僧だと思われていたのでは無いでしょうか。

そこから考えると日蓮の「事の一念三千」という、法華経の実践とは何だったのか。そういう事についても、よく考える必要があると思うのです。

「かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」
(種々御振舞御書)


この言葉は法華経の行者である日蓮を敬うにしても、真意を理解せずに敬えば、国をも滅ぼすであろうという事を述べたものです。

日蓮の行動は現代で言えば原理主義的であり、やはり言動は過激な内容でした。自身の理想を前面に出し、現状は一切考慮しない、そう言うものであったと思います。
この日蓮の言動の表面のみ見て、その言動を模倣し敬ったとしても、それは結果として国をも破壊する危険があると言う事でしは無いでしょうか。

こういう事についても、しっかり考えていく必要があるのかもしれません。

【20170912】理と事、そして法難①

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

教学試験の勉強、進めている様ですがどれだけ理解度があがってるんですかね。
先日、嫁が配布している模擬試験の内容を拝見しましたが、ありゃ昔の任用試験みたいなものですよ。内容が劣化してませんか?

まあ創価学会で仏教に縁する人は多いかもしれませんが、やはり仏教や、そもそも日蓮を「宗祖」と仰いでいたはずが、今では池田会長が「宗祖」の様であり、信濃町界隈が作り出す池田伝説が歴史、また新・人間革命や過去のスピーチが教えの様な組織で、仏教は刺身のツマ程度ですから、そんなものになったのかもしれませんね。

日蓮教学(興門派)では諸法実相の実相が一念三千という教理で、その一念三千を、天台大師が摩訶止観等で述べた一念三千は「理の一念三千」であり、日蓮が残したのは「事の一念三千」と教えてます。

「理」と「事」は何が違うのかと言えば、理とは理屈の上と言う事で、事とは事実の上という意味ですね、ざっくりと言えば。

天台大師は法華経を中心とした大乗仏教から一念三千という理論を構築し、それを自分自身で体得する手法として「止観」を説きました。
一方の日蓮はお題目を唱える事、そしてそれを社会の中で実践する事で、様々な迫害を受け、それが法華経と寸分違わぬ事をもって、法華経の一念三千を事実として体得するという事を説きました。

創価学会が「活動偏重」となるのは、こういう違いからも来ているのかと僕は考えています。

要は学んでそれを瞑想するよりも、実践の行動こそが尊いんだという事になります。学会活動の中で「座して瞑想に耽るより云々」という言葉も、こういった事から派生しているのでしょう。

僕は青年部時代に先輩からは「思索する時間を作れ」とよく言われました。要は自分の活動する理由や目的はしっかり考えなければダメだという事でしょう。しかし実際に創価学会の活動をすると、そんな悠長な時間を取ることはとても困難です。

創価学会の幹部とは得てして浅慮な人が多いのも、そういう事が原因なのです。

思索する暇がない。常に何かに追い立てられて活動に没頭する。そんな日常では無いでしょうか。

さてここで、社会の中で法華経を実践するという事について考えてみましょう。
ちょうど今は教学試験の季節なので、日蓮の法難史から少し考えてみたいと思います。

「まいこたさ」。これは代表的な法難についての暗記法で語られる事ですが、「ま」は松葉ヶ谷、「い」は伊豆流罪、「こ」は小松原、「た」は龍ノ口、「さ」は佐度流罪です。これらの法難は立正安国論を最明寺入道(北条時頼)に上呈してから始まります。

立正安国論で日蓮がターゲットにしたのは法然でした。当時の世の中には法然の説いた念仏がかなり広まっていました。幕府の中では北条重時(極楽寺入道)が熱心に信仰していたと言います。
だから松葉ヶ谷の法難の影の首謀者は北条重時であったと考えられます。

当時は鎌倉大仏を建立している時期で、それには多くの職人が携わって居ました。
鎌倉の大仏は阿弥陀仏です。幕府の方針としては仏教の本質を取り入れるというより、当時の都に負けない都として鎌倉を打ち立てようとしていました。だから仏教各派の高僧を次々に鎌倉に呼び寄せ、寺院を建立していました。

日蓮は正嘉の大地震による鎌倉の惨状を見て、立正安国論の推敲を始めたと言いますが、そう言った人々の惨状とかかわりなく幕府の寺院整備といった公共事業は進められ、そこには巨額な資金も流入した事でしょう。

立正安国論はそういう幕府の中に一石を投じました。「それは仏教本来の教えではない」。

恐らく幕府本体と言うよりも、それに群がる宗教者達の間にそれは大きな波紋を呼んだと思います。そして幕府の主要人物のうち、それに反応したのは北条重時でした。

時は鎌倉大仏を建立している時期。そこに職を得ている人達に対して、日蓮という僧が法然上人を誹謗し、あなた達の仕事を奪おうとしている。この様に焚き付けたのも、黒幕として北条重時が居たのかもしれません。そして重時の周囲には鎌倉在住の宗教者達も当然いた事でしょう。

日蓮が立正安国論を上呈してから一ヶ月半の後、その幕府の回答は松葉ヶ谷の法難となり日蓮を襲いました。
恐らく草案を襲った多くの群集は、鎌倉大仏の建立に携わっていた人達だという説がありますが、彼らにすれは仕事を奪う大悪人として日蓮は見えたのかもしれません。

日蓮は純粋に「仏法のため」と主張しましたが、恐らくそれを受けとる側の多くは自分達の既得権益が脅かされるということから日蓮を襲ったと思われます。

翻り、創価学会は果たして日蓮と同じスタンスとなっているでしょうか?

確かに初代牧口会長、第二代戸田会長の時代の創価学会は既得権益に切り込みを入れる組織であったかもしれません。しかし第三代が作り上げた創価学会は、日本の既得権益側に入り込み、それを守る立場となりました。

恐らく今の時代、もし日蓮と同様に原理原則を主張する人物が現れたら、創価学会は鎌倉時代の宗教者よろしくその人物を迫害する側に回ることは疑いようがありません。

面白いですね。
亊の一念三千を主張した宗祖を持つ教団が、その宗祖の行動とは真逆な組織になるなんて。

この話はもう少し続けていきます。

【20170911】組織で重用される人物

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

毎週月曜日はとてもダルいんだすよね。
「あ~また今週も始まった」という感じになりますから。
しかし一週間という時間が三十代にもまして早く進んでしまいますので、そんな感情にお付き合いする余裕が、ここ最近ありません。

とにもかくにも日々必死に仕事をこなすことで精一杯になってますね。こりゃあかん訳です。

さて昨日の夕方、嫁を連れて地元の会館に行きました。会館の喫煙場所を見ると、半袖スーツ姿の役員がゾロゾロ居ましたが、見ると半分以上が壮年部で、その間に男子部が幾人が混じっている感じでした。

そう言えば本部幹部会の同時中継なんでしたっけ?最近の僕は創価学会のスケジュールはよく知りませんが、五十代越えても駐車場役員とか、お疲れさまな事です。

ついつい会館で役員している壮年部の後輩に声かけしてしまいました。

創価学会では学ぶことや思索することより、活動すること、行動に移すことが重要視されています。

以前に御大のスピーチでも「学会活動する人が尊いんです!」「学会につくし抜く人生が最高の人生なんです!」というのを幾度も聞きました。

だからよく悩みをもった会員が幹部指導というのを受けると「お題目を唱えよう!」という事と「学会活動(要は集票活動や新聞の営業、また新規会員の獲得活動)に頑張って宿命転換する時なんだ!」と言われるわけなんですね。

本当は人生に悩んだり立ち止まった時には、一旦落ち着いて考えるという事が、実はとても大事な事なんですが、そういう事を創価学会としては推奨しません。

悩んだ時、苦しいときほど祈祷師の様にお題目を唱えて、その時の学会活動に死ぬ気で取り組め!

これが創価学会の指導の基本的な雛形ですね。

だから創価学会の人材としては、内省型の人格の人はならず、どちらかと言うと外向型で経験重視の人が幹部として登用されていきます。
だから役職を名誉職というか、要は自分が認められた大きさと勘違いしてしまい、妙に役職に固執する人も出てくるんです。

なぜ私が彼より役職が下なのか?
なぜ私より彼が登用されるのか?

こんな事を考える人、壮年部には以外と多くて、僕は辟易しました。

また組織の持ち合わせている文化としては「結果重視」「勝利重視」なので、外向型の人でとにもかくにも、数字として上げられる人間はとても重用されていきます。

だから「学会の役職とは責任職である」と、建前を語ったところで、数字を上げられる人の方が上からも覚えめでたく、役職の階挺を上っていく傾向にあったりします。

まあ流石にある程度の幹部には、それなりに人間としての常識や度量を求められますので、例えば百人登用され、その百人全てが、こんな人間ばかりではありませんが、現場の幹部としての傾向で、こういった所謂「押しの強さ」「数字に対する執着の強さ」は持ち合わせてしまいます。

これは何も他人事という意味ではなく、青年部時代の僕にもそういった傾向性があったので、自省を込めての話と理解してください。

だから「思慮深い人」というのは幹部では希少価値ですし、ましてや数字という結果に執着を持たない人は少ないですね。

まあ様々な経験をして、実はそういう事、つまり数字としての結果とか実績は重要ではないと気づいた人の多くは正役職から外れ、副役職、つまり決定権の無い立場に追いやられてしまいます。

あと有りがちなのが、あまりに常識無い言動が目立つ場合にも、同じく副役職にされるという事もあったりしますから、副役職なんて動物園の檻の中みたいなものになったりします。

僕なんてバカらしくなって、組織には出てませんし、そういう立場だから現場で呼ばれる事もありませんが、この癖ある人で副役職になっている人は、どちらかというと学会活動に不完全燃焼なので、手かつけられない様な幹部になる場合が多いですね。

創価学会は多種多様な人材が居るとよく言ってますが、僕から見たら多様性なんてありもしないと思いますけどね。

現に例えば薬害の問題や社会問題、国際問題を語れる人がいませんし、ましてや倫理観や道徳観についても語り合える人は、組織幹部にはほぼ皆無です。

何か話すにしても結論は「宿命転換の為に全力で学会活動に取り組もう」とか「創価学会を(組織として)守る戦いをしよう!」で始まり、結論もそこで終わりますからね。

これでは多様性が求められる時代で、生き残れるはずがありませんよ。

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