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想学談林-管理者の部屋

想学談林の管理人が、たまにぼやく言葉の部屋です。 お時間があれば、お付き合い下さい。 想学談林:https://sougakusalon.wixsite.com/sougaku-danrin/home

   

【20171102】御本尊の価値

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

いやー、出張で日本海側行ってまして、向こうは曇ってましたが新幹線で谷川岳抜けたら結構良い天気なんですね。
客先調査で一泊したのですが、これから事務所に戻り仕事です。

さて、創価学会で会員には文字曼荼羅を授与してます。これを「御本尊」と呼んでます。創価学会では未だに大石寺の歴代貫首が書写した曼荼羅を謹製(コピー)していますが、いま多くは日寛師のものになってますよね。

昨今、創価学会では「日寛教学を見直す」と言ってますが、日寛師のいう根源の本尊である弘安二年の大本尊を受持の対象から外してしまったので、これからどうするのでしょうか?

まあ一説には他の日蓮直筆の文字曼荼羅を物色しているという噂もありますが、そうしたらあれですか、日寛師にも何か難癖つけて、いま主流の日寛師の文字曼荼羅も強引に交換するんですかね?

僕が男子部なりたてのころ、この御本尊に関して冗談話がありましたね。「恐怖の味噌汁」とか「七人の僧侶」という話です。これご存じな人は今の時代にどれだけいるのでしょうか。

僕の家は日寛師の文字曼荼羅ですが、僕の親のは同じ日寛師でも昔の細長いものです。また周囲には極めて少数ですが、日達師や日顕師の文字曼荼羅もあるようです。

今から二十年ほど前ですかね、創価学会では一挙に日寛師の文字曼荼羅に交換を進めた時期がありましたが、当時の僕はあの進め方には大きな疑問があったので、積極的に組織内では進めなかった記憶があります。

「何故、運ちゃんの処では進まないんだ?日顕の文字曼荼羅なんて気持ち悪いだろう。」

そんな「指導」も幾度かありましたが、僕は無視してました。だって「奉書之」には確かに日顕はありましたが、信仰者として持っている人が大事にしているのなら、それを無理に変える必要なんてないと思ってました。

また当時、僕の親の処にも日寛師本尊の取り替え話が来たことがあったそうですが、母親は御本尊を抱き締めて生きてきた人なので、交換には応じませんでした。

当たり前ですよね。

思うに御本尊の価値とは、その御本尊を持っている人によって異なるのかと思いますよ。
それこそ「お飾り曼荼羅」程度であれば、組織の言葉で交換をポンポンするだろうし、やはりその文字曼荼羅を抱き締めるように必死に題目を唱えて来た人には、そう易々と交換なんてできる訳がありません。

いまの創価学会が長年、基本にして来た弘安二年大本尊を「受持の対象としない」なんてサラリと会則改正で流せたのは、恐らく信濃町界隈にとっては道具としか考えていない証拠だと思いますよ。

因みに僕は、親元に同居し、結婚するときには日寛師の文字曼荼羅になってたから、いまでは日寛師曼荼羅を受持しています。

本来、御本尊というものの価値は、信仰して文字曼荼羅をたもっている個々の人により異なるものであって、それをとやかく言うものでも無いと思うんですけどね。

ちょっと考えた事を今回は記事にしてみました。
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【20171101】法華三部経について

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

今日から11月になりました。
しかし冷え込みますね~、あの夏の暑さは何だったのか、こんな陽気になると考えてしまいます。

この気候の急激な変化には気を付けないと、風邪をひいてしまいます。

さて、演繹だ帰納だとかシンギュラリティだと書いてきましたが、こういう時代となり、大乗仏教というのも大きなターニングポイントを迎えているように思います。大乗仏教だけではありません、仏教という事についても思考を変えなくてはならない時代に来ていると思うのです。

まあ仏教に限らないかも知れませんけどね。

僕が創価学会で活動を始めたとき、日蓮正宗や創価学会の教義というのは非の打ち所が無いと教わってきました。
また根拠はともかく、論理的にはかなり整合性がとれていたと思いますよ、いまから四半世紀前のものは。

法華経が大乗仏教の最高経典だというのは、法華三部経の開経の無量義経に「四十余年・未顕真実」と書かれ、法華経内に於いても随所にこの経典は仏(釈迦)の真実が述べられていると書いてあるので、そこを依処としていました。

無量義経は曇摩伽陀耶舎(どんまかだやしゃ)が所持していたと言われていますが、実はサンスクリット語の経典が見つかってません。これは仏説観普賢菩薩行法経にも言われる事で、曇無密多(どんむみった)が漢訳したと言われていますが、こちらもサンスクリット語の経典が無いと言われています。

法華経はサンスクリット語の原経典があるのに、開結二経にないのはおかしいですよね。この事からこの二経については偽書の疑いが昔からありました。

この事は本サイトにも書いていますが、この無量義経を法華経の開経と定義したのは天台大師だと言われています。

その論拠が法華経の始めには、その前に「無量義・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう」(序品第一)とあるかららしいのですが、無量義経の最後には「爾の時に大会皆大に歓喜して、仏の為に礼を作し、受持して去りにき。」とあり、会座は終わってます。

一度散会したものが、法華経冒頭では、多くの仏菩薩が場所に居ることは書かれても、参集の記述がないのはおかしいでしょう?

この様な疑問も投げ掛ける事も過去にあったそうですが、それに対して妙楽大師という人が、簡単に言えば。

「なーに解らねえ事いってんだよ、法華経には人々が居るんだから、参集の言葉なんて省略されるのはあたりめーだろ?お前、もの知ってイッテんのか?」

みたいな論理で反論しています。

僕はこの論理、かなり強引だと思いましたけどね。

ここから解る事ですが、無量義経の解釈、また開経の位置付けというのは、天台大師が定義したと言ってもよく、「四十余年・未顕真実」という論理もかなり足場がゆるゆるなんですよね。

まあそれでも法華経の方便品の中では「正直捨方便・但説無上道」という言葉がありますので、そこから法華経が真実という言い方もあります。しかし一方でそもそも法華経の成立自体も不明な点が多いので、そこだけ見つめて「正法だ」というのも苦しいでしょう。

詰まるところ今、日本で言われてる法華経最大一の考え方は、中国で「小釈迦」と言われた天台大師の思想であり、日蓮はその系譜で末法に法華経流布を考えたと言っても良いのではないかと思ったりもします。

しかし、だからと言って法華経が偽物の無意味な経典とは思ってませんよ、僕は。

例えば近年、欧米のスピリチュアルな思想、また臨死体験学などて言われる「心の本質」とか「心の根源」という様な思想にある考え方と、法華経の久遠実成等は、多くの点で志向している事が近しいと思います。

そういう事から考えると、法華経というのは捨てたものではなく、やはり進んだ観点を持った経典であると思いますよ。

日蓮は「文底」という事を言いましたが、これは文字面の物語を追いかけるのではなく、その物語で語ろうとした本義を指す言葉だと僕は理解しています。

だから法華経を単に過去の人師や論師の言葉を受け売りで解釈するのではなく、換骨奪胎した解釈がそろそろ必要なのでは無いかとも考えたりするのです。

そういった発想の転換が、必要な時代に来ているのではありませんかね?

【20171031】シンギュラリティ(技術的特異点)

こんにちは(´・ω・`)

今日で10月も終わります。本年もあと二か月ですね。
このブログでもちょくちょくと書きますが、皆さんにとって本年はどんな年になりましたか?
僕にとっては、それなりに実りある一年であった事を実感します。
詳細は省きますが、自分としてここ最近懸案であった事の一つが、年内に形として得る事が出来る様になりました。
まだまだ課題はありますが、一歩前進した事は間違いありません。
僕の人生では後半に入ってきましたが、やるべき事は多々あり、明年に向けて準備できる事は、継続しながら進めていきたいと思っています。

さて本題です。
実は最近、以下の映画を見たくてしょうがないのです。



「ブレードランナー2049」ですね。
この前作の「ブレードランナー」は1982年に公開されたので、今から35年前になるのでしょうか。当時の僕がまだ夢多き学生でしたが、映像内容もさることながら、その書かれているテーマに大きく衝撃を受けました。

原作は「アンドロイドは電気羊の夢を見るか(フィリップ・K・ディック著)」でしたが、寿命が限られたアンドロイドのレプリカントが、人生の本当の意義を人間よりも深く語っているという事には大きな衝撃を受けたのです。

「人間が作り出す生命と、人間、どちらに一体価値があるのか」

そんな事を青二才の自分は真剣に考え、当時の映画好きであった仲間と夜中まで討論なんてしてもいました。

さてそれから間もなく半世紀が経過しようとしています。
昨今言われ始めている言葉で「シンギュラリティ(Singularity)」という言葉があります。日本語で言えば「技術的特異点」という言葉です。
Wikipediaによると、この言葉の意味は以下の様なものだそうです。

「シンギュラリティ(Singularity)とは、人工知能が人間の能力を超えることで起こる出来事である。人類が人工知能と融合し、生物学的な思考速度の限界を超越することで、現在の人類からして、人類の進化速度が無限大に到達したように見える瞬間に到達すること。実際に人類の進化速度が無限大になることはないが、進化速度が極めて速く、数学的な特異点と同様に見えるため、このように名付けられた。2010年代以降、一躍有名になったレイ・カーツワイルの予言の影響により、一般層を中心に2045年問題とも呼ばれている。」

AI(人工知能)という言葉が語られ始めたのは、やはりブレードランナーと時を同じくした1982年頃。言葉ではかなり昔から言われてきていましたが、第五世代コンピューターという事で社会の中で言われ始めたのが、そのあたりだと言われています。

当時のコンピューターはメインフレーム中心でしたが、今のスマートフォン程度の性能であったと思います。しかしその後、中央処理装置(CPU)の高集積化・高機能化と、周辺装置、主に記憶媒体の大容量・低廉化、そして何よりネットワークインフラの整備も進み、最近では人口知能というのが急速に進んでいます。

i-Phoneの「Siri」などもそうですが、昨今では人事評価にも人工知能を利用している企業もあると言いますし、ビックデータという膨大な情報から様々なトレンドを分析するにも人工知能は利用され始めています。

先日ネットを見ていたら、人工知能で無くなる職業の一つに「弁護士」という予想がありました。
過去の判例や膨大な法令から人を弁護するには、人工知能は最適だと言うのです。

また最近ではドナルド・トランプ大統領の下で大統領戦略政策フォーラムのメンバーであったイーロン・マスク氏は人工知能と人類の融合について語っていました。そしてその為のインプラント技術も研究が進んでいます。

考えてみたらヒトゲノム(人間の遺伝子情報)の解析も終わり、それに関する技術は進んでいます。そして情報技術の世界では人工知能の研究が進み、昨今では2028年に技術的特異点に到達するのではないかという話も出ています。

僕なんかが学生時代に「SF(サイエンス・フィクション)」として語っていた事が現実になり始めている昨今、やはり形而上の生命哲学の世界はどうなんでしょうか?

かつて東洋思想の中心と言われていた仏法は、これからの世界にどの様な道筋をつけていけるんでしょうね?

過去に創価学会の第二代会長の戸田城聖氏はこう言っていました。
「仏法はやがて科学によって証明されるだろうと」
しかし現在の創価学会では選挙の票集めと組織の締め付けばかりに御執心で、こういった世界の状況は見えていない様です。

とても残念な事ですね。

少しでも志ある人たちが、こういった事について思索して議論でも出来る環境にあればいいんですが、それは今の組織に望むべくもありません。

少しは考えてみてほしいものですね。

【20171030】演繹法と正法について

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

台風22号は大きな被害を出さずに過ぎました。とりあえず一安心です。
今日は台風一過で良い天気。木枯らし一号が吹いたといいますが、各家庭の物干しには洗濯物が下がってます。

やはり太陽の光で干すことは良いですね。乾燥機ではそうはいきませんから。

さて本題です。
仏法とは「演繹法」による思想だと言われています。
これは一つの定理から多くの論を紡ぎ出す思想であり、御義口伝等を見ると多く見られる考え方です。例えば南無妙法蓮華経の冒頭の以下の文。

「御義口伝に云く南無とは梵語なり此には帰命と云う、人法之れ有り人とは釈尊に帰命し奉るなり法とは法華経に帰命し奉るなり」

これは当に演繹法の思考と言えます。
一方、ただ仏法を人に対しての説明、納得を得るには「帰納法」によります。同じ日蓮の御書の中で「立正安国論」はその論法で構築されています。これは各経典で記載されている内容を引用し、三災七難について説明、いまだ二難が起きる事を述べたのがこれにあたります。

仏法が演繹法と言われる所以は何でしょうか?
帰納法というのは、幾つかの事実の上から定理を導き出す方法なのですが、仏法で求める内容はそういった事から導き出すのは極めて困難なのではないでしょうか。生命の動き、いやこの宇宙の働きというのは多岐に渡り、一つひとつの事実を積み重ねて証明をしようとしても、とても困難な事なのではないでしょうか。

「諸仏智慧。甚深無量。其智慧門。難解難入。一切声聞。辟支仏。所不能知。」
(諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。
 一切の声聞・辟支仏の知ること能わざる所なり。)
(妙法蓮華経方便品第二)

しかし演繹法に基づいて編み出した哲理というものを、人々の間で納得させるには帰納法によるしかありません。
日蓮が開目抄下に書いた以下の言葉は、自身の感得した教えというのは、必ず人々を納得させられるという確信であったと思うのです。

「法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり」

ここでいう「我義」という言葉は。帰納的な思考でも十分耐えうるという事の確信と、僕は読み取りました。

一昨年前に創価学会は教義改正を行いました。
それに対して遠藤元教学部長の論文などは、従来の教義を元に反論をしていますが、一方の宮田教授の論文などは、創価学会の教義の新たな方向性を模索しています。思うに今、創価学会の周辺で「正法」をめぐる議論というのは、旧来の大石寺の教学と、従来の日蓮宗教学の亜流ともいうべき2つのぶつかり合いだと思うのです。

果たして「正法」とは一体何なのでしょうか?

旧来の思想の流れの上で、その思想に相反しないという事であれば、帰納法を使い論じる事が出来るでしょう。しかしこの21世紀の思想として、旧来の大石寺の思想というのは耐えられるのでしょうか、また鎌倉時代の日蓮の思想というのは耐えられるのでしょうか。

そんな事を考えていると、昨今の創価学会をめぐる「正法」の議論は何やら不毛な感じがしてなりません。ともに帰納法を元にした証明に終始するのみで、そこに新たな思考などが生まれるとも思えないからです。

いま日蓮仏法と言われるものは「換骨奪胎」が求められています。

本来、日蓮仏法を学ぶという事を主張するのであれば、そういった事を考えるべきです。
過去の文証、言葉、行いなどでどちらが正しいとか間違いとか、そういった論争をする意味が一体どこにあるんでしょうか。

ただし換骨奪胎するためには、演繹法の思考がどうしても必要になると思います。

そして「演繹法」の思考をするには、その人の中には多くの知識等が必要になります。また知識と共に智慧も必要となるでしょう。要は「賢くなる事」が求められるのです。

過去の文証を取り上げ、それが正解、それは間違い。
そういう前に、そこに述べられている本義が何か、それは何を求め現代ではどの様に展開する事が大事なのか。

その様な事を求められている時なのでは無いでしょうか。

ちょっと最近、考えていた事を少し書かせてもらいました。

【20171029】日蓮と対話、そして折伏

こんにちは(  ̄ー ̄)ノ

いやー、先週に引き続いて今週末も台風です。まったく最近の天気とはどうなってんのか。これも立正安国論で語られる現証なんですかね?

もともと「神天上の法門」なるものは原始仏教には無いと思うんですね、これは今後調べてみたいテーマです。
日蓮が立正安国論で引用した各経典、これは鎮護国家三部経ですが、大乗経典ですね。
大乗教は釈迦滅御、中央アジアで主に発展し、それが中国に伝播する中で漢訳され、日本に入ってきましたが、この経典が漢訳する過程で中国にあった国を治める思想が混入したことが考えられないでしょうか?

そういう事を今は考えています。

さて、こんな世情を見ると創価学会に関係した人達の中には「やはり折伏を進めないと」とか考える人も居るでしょう。

しかしそれについて思うのが「折伏」とかいう前に、そこで一体何を語り創価学会では「折伏」をすると云うのでしょうか?

今の創価学会で何を語りますか?
先般の会則改正で日蓮の出世の本懐を変更し、長年にわたり信仰の根幹であった弘安二年の大本尊を「受持の対象としない」として、また根幹の日寛師の教学を見直すとしています。創価学会として今まで信じてきた御本尊観、日蓮仏法観が変わった事から、この教義改正を行ったんですよね。それではそのことについて、会内でどれだけ認知度を得ているのか、活動家達の中で周知されているんでしょうか。

要は宗教の根幹である教学がグズグズになっています。
こんな状況で折伏と言っても、何を語ると云うのでしょうか?

あと「勤行や唱題をしない人間に日蓮が語れのか」という発現も見られますね。
しかしその日蓮の本意が今は解らなくなっている状態です。そんな中で「勤行、唱題」と言っても、何を信じて何を祈るのか、根っこがグズグズだとは思いませんか?

まさか日蓮の本意を「勤行、唱題」をする事で理解する事が出来るとでも言うのでしょうか?
「勤行、唱題」という行為については、既に身延系の日蓮宗でも実践されています。僕は以前に比叡山へ行った際、定光院という場所で人々は唱題をしていましたよ。

では創価学会として、日蓮宗の彼らは問題ないという事なのでしょうか?

こんな事を考えてみると、実は今の創価学会ではすでに日蓮を語る事も難しく、だから組織拡大のための活動は出来たとしても、「折伏」という事もすでに実行する事は出来ない。

唯一できるのは公明党を支援して、議席獲得を目的に票集めするくらいなのかもしれません。
でも政治を語る事は当然出来ないでしょう。語り口は公明党が与えてくれるので、それをオウム返しの様に語る事が精いっぱいです。

かつて戸田会長は「国に十万の国士が居れば」という事を言いましたが、それが出来ない組織となってしまいましたね。

残念な事です。

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